第六章⑧
宮殿の天井がいきなり爆発し、ソレによってステンドグラスが砕け、落下した。
爆発した瞬間よりも、天井が砕け、それが落下したときの方が、迫る音は凄まじかった。
アメリアは悲鳴を上げ、頭を両手で隠すようにその場に蹲った。
自分が無事なのか、それすらもよく分からなかった。
けれど、エリコが手をずっと握ってくれていたから、大丈夫だった。
目を開ける。辺りは埃と煙と炎に包まれていた。
「アメリア、ジェリー、生きてる?」
「は、はい」アメリアは小さく返事をする。
「あー、驚いた、ムウミンだったら、きっと死んでたよ」ジェリーは楽しそうだった。
「全て、ミリカの計算通りだ、」エリコは二人を立たせた。「さぁ、脱出だ」
「どこに、脱出するというんだ?」
国王の声がした。三人の前方、十メートル離れたところに国王は横たわっていた。右脚にはステンドグラスの青色の巨大な破片が突き刺さっていた。形状は弓の先端のように菱形をしていて鋭くとがっていた。右脚は真っ赤な血で染まっていた。目には物凄い量の涙だ。しかし、表情は先ほどと全く変化がない。まるで痛みを知らないのではないかと思えるほどだった。その様子に、アメリアは目を背けた。
エリコはじっと国王を見据えて、月に向かって指差した。「道が産まれた」
国王は鼻で笑い、目を閉じた。涙が目尻をつたって落ちる。
「しかし、ファーファルタウからは脱出することは出来ない、ブリッジは十二本、全て空に向いている、それらが作り出す結界は、宇宙まで続いている、それにエリコ、君にかけた呪いは残念ながら正常に機能している、君はファーファルタウからは逃れられないんだよ、私が編んだ、君への包囲網は盤石だ、私の愛は本物だ」
「だからあんたは気持ち悪いんだよっ!」エリコは怒鳴った。「私たちは飛ぶ、結界が、魔法が解ける高度まで飛ぶ、ブリッジを渡れなくたって、十三番目のルートはきっとある、アメリアが私を連れてってくれる」
「……え?」アメリアは驚きエリコを見た。
エリコの素敵な横顔は、別に冗談を言っているわけではなさそうだ。
「好きにするがいい」国王は笑って目を閉じた。出血が多すぎて気を失ったのかもしれない。政府の要人たちが、国王の周囲に集まり始めた。
「ダテさん、どういうことですか!?」
「アメリア、箒に跨れ、」残った一本の箒をエリコはアメリアに渡す。「宮殿の外に出たら捕まってしまう、一気に王都から脱出するぞ、……ミリカは、きっと大丈夫だ、後で考えよう」
「え? だから、私、空を飛べません、それに王都を脱出するなんて」
「飛べるよ、大丈夫、コイツがあるんだから、」エリコはアメリアが来ている着物の帯を叩いた。「わが宇和島藩が総力を結集して作り上げた神尾式ブースタ、その新鋭、『黄華』の性能を見せてくれ」
「……あの、その、訳が分かりません!」アメリアは箒に跨りながら叫んだ。
「ジェリーも乗れ」
「りょーかいっす!」ジェリーは敬礼して箒に跨った。
一本の箒に三人が跨る。少し、窮屈そうだ。
「よし、飛ぶぞ」エリコはアメリアの耳元で言った。
「えぇえええ?」
「浮くことは出来るんだろ?」
アメリアは言われるがまま、浮いた。しかし、三人乗りではバランスを取るのがやっと。今にもひっくり返ってしまいそうだった。アメリアは半泣き状態だった。「ソレで、どうすればいいんですか!?」
「ハートに火を付けろ」エリコは早口で言った。
「ハートに火を付けろ!?」訳が分からない。
「イメージするんだ」
「イメージ?」
「マッチくらいの火はつけられるだろ?」
「火? 火ってどうやってつけるんだっけ?」
「落ち着け、アメリア」
「だ、だって!?」
本当に、火の付け方が、記憶のどこを探しても見当たらなかったから。
「ア、アメリア!?」
聞きなれた声がした。その方向に視線をやると、崩れた扉の隙間からヘンリエッタが見えた。頬は汚れていた。「アメリア、良かった、無事だったんだ!」
「ヘティ!」
アメリアが返答すると、ヘンリエッタは安心したのか、全身の力が抜けてしまったかのようにその場にペタリと座り込んだ。息を大きく吐いて吸っている。そして、アメリアの現在の状態を見て瞳を吊り上げた。「……って、何やってんの、アメリア!? さ、三人乗りは法律で禁止されてるんだからね! って、そういうのはどうだっていいの!? 何してんの! 早く部屋に戻りなよ!」
ヘンリエッタは立ち上がろうとした。しかし、立ち上がれないみたいだった。
「ヘティ!」アメリアはヘンリエッタを呼んだ。
「何よ!?」ヘンリエッタは怒鳴り返す。
「火って、どうやってつけるんだっけ!?」
「火?」ヘンリエッタは首を僅かに傾げ、怒鳴る。「なんだって今、そんなこと聞くの!?」
「いいから、教えて!」
「こうだよ!」ヘンリエッタは指を鳴らして火をつけた。マッチくらいの炎が産まれた。
その炎の光はアメリアの網膜に、じわっと焼きついた。
記憶の引き出しが開いて、アメリアのイメージに炎が灯った。
アメリアは、ハートに火をつけた。
すると、どうだろう。
着物の、振袖の部分から、熱を持った風が、溢れだした。
「よし!」エリコの声。
「よっしゃー」ジェリーは拳を振り上げた。
「体重を後ろへ!」エリコが支持しながら、アメリアを後ろに引っ張った。
箒の先端はゆっくりと月を狙う。そして、地表に対し、垂直になった。
ヘンリエッタは唖然と、その様子を見ていた。夢かそうじゃないかを確かめるみたいに舌を炎に近づけ、熱さを確かめた。「……あ、あつ、あつつっ、私ってば何してんのっ?」
ヘンリエッタは、コレは現実だと認めたらしい。
「サンキュベリマッチ、アイラックユー、ヘティ!」
アメリアの、とても、楽しそうな声がヘンリエッタの鼓膜を震わせた。
アメリアは月を見ていた。
次の瞬間、宮殿を包み込むほど巨大な黄色の光の翼が出現した。アメリアの纏った着物は極彩色に発光。箒と交差するように地面とほぼ水平という風に振袖は形を変えた。まるで金属の板のように形状は固定された。
振袖の内部が爆発、周囲を黄色い光に包み、エネルギーを大理石に向けて射出。
爆弾が比にならない轟音。
そのエネルギーは推進力。
三人を乗せた箒は一気に夜空を駆け上り、赤く、そして黄色に輝くコントレイルを作り上げていた。
「……ロケッタ?」ヘンリエッタは薄目を開いて夜空を見上げ呟いた。噂で聞いたことがあった。古来より魔法工学は宇宙に狙いを定めていた。現代の魔法工学は、近く、その標的を打ち落とす、と言われている。それは魔女を宇宙へといざなう、魔法を超えた、ハイパ・マジック。現代の魔法工学の結晶。すなわち、ロケッタ。それは本当にあったんだ。説明できない感動がヘンリエッタの体を震わせる。アメリアは宇宙へ行こうとしている。凄い。パレードの先頭を飛ぶよりも、圧倒的に素敵! ヘンリエッタは目を大きくして叫んだ。「飛べぇ! アメリア!」
アメリアは笑っていた。
凄まじい風圧に投げ出されそうだったけれども、全然怖くない。
次々に、まるで高速で回転するような、夜空に歓声を上げる。
私は、飛んでいる。
それを実感する。
理想をはるかに飛び越えた気がした。
踏むべき階段を踏まずに、例えば重力がない世界があったとしたなら、ひとっ跳びで階段を登った先の踊り場にブーツの踵をつけたような、そういう気分。
宮殿から、どんどん離れていく。
そして、月までどんどん近づいていく。
もう少しで、手が届きそう。
この速度で、私は、私たちは、月を通り越して、冥王星まで、辿り着けるんじゃないかな?
アメリアは、まるで生まれ変わったように、そう思うのだった。
しかし、そのおり、振袖は、それまで輝く光を射出していた振袖は、機能を停止したように光を産むのを止めた。
「……え?」
アメリアたちは、急に重力の存在を思い出すことになった。
振袖は、咳をするように、黒い煙を吐きだし、そして、ただの柔らかい着物の振袖に戻った。
そして、誘われるように落下。
アメリアは、再度ハートに火をつけた。しかし、何も変わらない。
「やばい、落ちてるよ!?」ジェリーが叫んだ。
「どうした?」エリコの切迫した声。
「わかりません、」アメリアは涙目で首を振る。「どうしちゃったんだろう、何回も火をつけているのに!?」
逆さまになった。エリコが叫ぶ。「態勢を立て直すぞ、コントロールを私に、」箒の柄を握っている魔女が箒をコントロール出来る。「アメリア、箒から手を離せ!」
「嫌です!」
「え!?」
「私がダテさんを月まで連れて行くんです」アメリアは火をつけるのを繰り返している。何回も、何回も。そうしている間にも、箒の乗った三人は落下する。エリコとジェリーは呪われているから、何も出来ない。
「もう、バカっ!」エリコは投げやりに叫んだ。
「ホント、バカ」エリコに同意する声が聞こえた。
アメリアは目を見開いて、聞きなれた声の主を見た。「…………先生!」
ブリジットに乗ったピチカートだった。
ピチカートはとても優しい顔をしていた。
逆さまなアメリアとピチカートは見つめ合った。
箒と翼を畳んだブリジットは同じ速さで落ちていく。
「先生、あの、その……」アメリアは何か言おうと考えた。でも何も思いつかない。
「アメリア、私は今、とても怒ってる、」ピチカートは微笑んでいる。それが、アメリアには怖かった。「どうしてか、分かる、アメリア?」
窘められて、アメリアは、怖かったが、苛立った。先生にはとても感謝している。優しくて、王都に慣れないアメリアに様々なことを教えてくれた。でも、飛ぶのを邪魔して欲しくない。僅かに反抗的な主張を目に宿す。
「……愉快な魔女になれと言ったのは、先生です」
「……だからって、」先生は、初めて、アメリアに魔女のような顔を見せた。「だからって、エリコと一緒なんて許さないわ!」
「……え!?」アメリアは意味が分からなかった。
「久しぶりじゃないか、ピッチカート」エリコがアメリアの後ろで言った。
二人は顔見知りなのだろうか?
考えるよりも先に、
「ピチカートよ!」先生の怒鳴り声と一緒に、ブリジットの翼が巻き起した風が、アメリアとエリコとジェリーを襲った。三人は箒から振り落とされる。
「きゃああああああ!」アメリアの悲鳴。
「きゃああああああ!」この期に及んでも楽しそうなジェリーの悲鳴。
「アメリア!」この期に及んでもエリコの表情はクールだった。「手を出せ!」
手を伸ばすと、エリコはギュッと握ってくれた。
「ジェリーも楽しんでないで手を出せ」
エリコはジェリーの手も握った。そしてジェリーがアメリアの空いた方の手を握る。三角形が産まれた。「アメリア! 飛べ!」
「え!?」アメリアの声は悲鳴みたいに高い。
「飛ぶんだ、アメリア、魔法を使えるのは、お前だけなんだから!」
「箒もないのに飛べませんよ!」アメリアはエリコの無茶ぶりに怒鳴る。
「飛べる! 飛べ、アメリア!」エリコはなおも繰り返す。
「この状況で催眠術なんかかかりませんよ!」
「飛べる、箒なんかなくても、お前は飛べるんだ!」
「嘘だ!」
地上が近づいてきて、アメリアはギュッと目を瞑って、走馬灯を見た。
「箒なんてお前にとっては飾りだ、」エリコは意味の分からないことを言う。箒で飛べないアメリアが箒なしで飛べるわけがないのに。「目を閉じろ!」
「怖くて目なんて開けられません!」
「あははははは」ジェリーの笑い声。
「集中しろ! お前は飛べるんだ!」
「……本当、ですか?」アメリアは涙で濡れた目を開けた。エリコの目を見る。その黒い瞳はまっすぐで、ライフルの弾丸のように、正確にアメリアの心を射抜いた。
宮殿が近づいている。
神様に祈るより、アメリアは自分の力を信じてみようと思った。
アメリアは再び目を閉じる。きつく閉じる。エリコとジェリーの手をギュッと握った。
そして、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、と自分が飛ぶヴィジョンを脳裏に描いた。
自由に宙を舞う自分を。
天使のような羽根を自分の背中に編む、そういう輝かしい理想を。
尚も、落下は止まらない。風を感じる。
……風を感じなければ、いいんじゃないかな?
何かが、つながったような気がした。その正体は分からないけれど、でも、アメリアは何かを編んだ。目を開く。アメリアの鳶色の瞳の輪郭は黄金に輝いた。
そして、宮殿に落下する直前、アメリアたちの体の輪郭も黄金に包まれた。落下の速度が、極端に遅くなった。まるでパラシューツが開いたようだった。
エリコの優しい表情。
ジェリーの楽しい表情が見えた。
ゆっくりと、未だに炎上を続ける宮殿の、大広間のど真ん中に、スカートの中にふわりと空気を溜め込んで、三人は大理石に降り立った。
アメリアは手を離す。
足元がおぼつかなくて、バランスを崩す。
エリコが抱き上げてくれた。「言ったろ、お前は、飛べるんだ」
「……ダテさん」アメリアはエリコに抱き付いた。
エリコの頭をジェリーは撫でた。
「アメリア!」上空からヘンリエッタの声が聞こえた。「危ないから、早く逃げて!?」
「危ない?」振り返るとヘンリエッタは箒に跨って開いた宮殿の天井付近を飛んでいた。そしてヘンリエッタは視線を上にあげ、旋回して飛び去った。アメリアはヘンリエッタの視線の方向を見た。
巨大な水の塊が、宮殿を飲み込んだ。全ては水に流された。




