第六章⑥
エリコたちは一気に扉から扉まで、白い空間を走り抜けた。
扉に辿り着いた三人は、目で合図をし合い、
『せーのっ』と扉を押した。しかし、ビクともしない。ドアノブはなかった。エリコはジェリーの金属の仕込まれた箒を手にして、助走をつけて、叩きつけた。
耳を塞ぎたくなるような音を立てて、箒はくの字に変形した。
「ごめん、ジェリー」
「大丈夫、でも、これじゃ飛べないね」
エリコは扉を見上げて、舌打ちをした。「そうか、この扉の動力も電気に変わったのか」
背後には魔女、そして騎士たちが迫っていた。
「ど、どうするんですか?」アメリアはエリコの手を握りながら言う。
「……迎え討つ、それしかないな」エリコは箒を槍みたいに構えた。
ジェリーもくの字に変形した箒を、短剣を扱うように構えた。
アメリアも二人に並んで、ファイティングポーズをした。
「お前は隠れてろ」エリコに首根っこを掴まれ、アメリアは「あわわわっ」とそのまま背後に隠れた。
そのときだ。
扉が割れるように、中央から横へスライドし始めた。歯車が擦れる音がした。迫って来ていた魔女や兵士たちは、一斉に、その場で目を伏せ跪いた。
エリコたちは振り返り、隙間から見える大広間に視線を注いだ。
王室の年中行事は、ほとんどがこの半円球型の天井を持った広間で行われる。扉から金色に縁どられたグリーンカーペットが一番奥の国王の椅子まで敷かれている。その椅子の背もたれを発端に、幾何学模様のステンドグラスが扇形に天井まで広がっている。きっと世界のココでしか見ることの出来ない光景だとアメリアは思った。
その光景の中に政府の要人たち、楽器を携えたロックバンド、そして、国王がいた。
「今さら、ココに何をしに来た!?」国王の声。
「決まっているじゃないか!」エリコは返答し、扉を潜った。
アメリアとジェリーも天井の模様を反射するほど磨かれた大理石を踏んだ。
「私の一年を奪った復讐だ!」エリコの凛とした声は大広間に反響する。
「もう、一年か、」国王は細い顎を触って一年前を回顧している。「早いな、まるで、君みたいだ、しかし、ファーファルタウの暮らしは悪くなかっただろう?」
エリコは国王を睨んだまま鼻で笑う。「そうだね、ムウミンに拾われて、会社を作って、社長になって、倒産寸前に追い込まれて、チェルシーガーデンを売却して、公園で寝泊まりしながら、お金を稼いで、チェルシーガーデンをもう一度取り戻したり、とにかく私を苦悩させる様々なことばかりだった、その経験のおかげだ、今の私は、きっと、国王のあんたを殴っても、なんとかなるんじゃないかって、凄く思うんだ」
ジェリーは目を細めて堪えきれないという風に笑った。「社長、カッコいいっ」
アメリアは驚いていた。復讐の相手、殴る相手が国王だったなんて。アメリアは不安な顔をジェリーに向けた。ジェリーはアメリアの手をギュッと握った。
「大丈夫」
アメリアはそれに頷いた。
「……そうか、私のコレクションに加わる気になったのだと、一瞬、喜んでしまったよ、ハイ・エース」
国王は重たそうな白いマントを広げてエリコに歩み寄る。
「私は依然、厳戒態勢?」エリコも国王に歩み寄る。
「関係を一からはじめないか?」
「何を、時計はあれから何回回った?」
「あの時の二人に戻ろう」
「いいえ、戻れない」
「宮殿を破壊したこと、私に付けた頬の傷のことも、全て忘れよう」
「忘れない、あんたが私に呪いをかけたこと、この国から外へ出られなくしたこと、そして私を深く気付付けたこと、絶対に忘れられない、忘れられるはずがない」
「……上手くいかないな」国王は残念そうに首を横に振った。
「ああ、どうにもならないよ、」エリコはその仕草をまねた。「この記憶は常に鮮明だ」
「それじゃあ、未来を、僅かに変えてくれないか?」
勇敢な騎士が、国王を守護するために剣を抜いて近づく。
「下がっていろ」国王はその騎士を制した。
二人は接近する。目線は少しだけ、国王の方が高い。
「驚いたな、呪いが解けたのか?」国王は平然と声を上げ、手を、エリコの左目の下に伸ばす。
エリコはソレを振り払った。「触らない方がいい」
「忠告はいらない」
「そんな優しいものじゃない」
「君は綺麗になったね」
「あんたは優しい声で、私をペテンにかけようとしている」
「心からの気持ちを分析しないでくれないか、いや、それが君の綺麗なところとリンクしている」
「褒めても同じ」
「それじゃあ、素直に脅そう、」国王は指を鳴らした。騎士がエリコを取り囲んだ。国王は微笑む。低い声が大広間中に反響する。「誓え、私のものになると!」
「めーわくだ」エリコは僅かに目を大きく開き、その黒い瞳の輪郭を発光させた。魔法を細かく複雑に精密機械のように編み込んでいく。その作業は膨大だが、エリコの速さはその膨大な作業をリスクと認定しない。手の平を天井に向ける。イエローベルが小さく震え、鳴る。「エレクトリック・ジェネレータ」
次の瞬間、エリコの体に稲妻が落ち、太い紫電が大広間の壁を喰らうように、突き刺さる。
その動きは蛇に似ていた。
蛇は誰かに襲い掛かるでもなく、狂って暴れる。
全てを巻き込んで、壊しながら、空気との摩擦で、きっと古来より人がもっとも恐れていた音を鳴らす。
ドラゴンの咆哮よりも、それは乾燥している。
飢えを連想する。
その音は命に飢えている。
生命への渇望。
命をソレに奪われ、砕かれるのは、生命の特徴。
太い紫電は、細くなり、糸になり、網膜に強烈な残像を残して消える。
エリコはゆっくりと手を降ろした。
長い間、呼吸を止めていたみたいに、大きく息を吸って吐くのをせわしく繰り返していた。
エリコの黒い瞳は、国王を睨んでいた。
国王はマントで紫電を防いでいた。白いマントは、ゴムで出来ているらしい。酷い匂いがエリコの鼻を付いた。マントはすでに半分から下がなくなっていた。
エリコの予備知識のない騎士たちは、皆、紫電に襲われて、エリコの周りに倒れていた。安否は分からない。運次第だろう。エリコに興味はない。復讐は、国王に向けられたものだ。国王を守護していたのを後悔すればいいと考える。
後ろを振り返る。
ジェリーとアメリアは壁際に抱き合って耳を塞いでいた。エリコの視線に気付くと、ジェリーは笑顔で親指を立てた。アメリアも同じようにする。
政府要人たちは、エリコを、恐れ腰を抜かしている。
彼らは酷く魔法を恐れる傾向がある。
ロックバンドのメンバーは機材が壊れたと騒いでいる。
エリコはソレが可笑しくて笑った。
エリコは前を向き、国王を見た。
「相変わらず、君のエレクトリック・ジェネレータはいい、かなうなら、私のものにしたいくらい、欲しいな、とても魅力的だ、フォレスタルズのロックみたいだ」国王は立ち上がり、マントを捨てた。
長い、緑がかった、黒髪を払い、剣を抜いた。「しかし、ソレは無理な話だ、だから、私は君が欲しいんだよ、エリコ」
切っ先が床に触れるだけで、石の粒が産まれ、はじけた。相当な重量を持つ剣だ。
「どうか、争う前に、誓って欲しい」
「だから、めーわくだって言ってんだよ!」
刀を持って来ればよかったと、エリコは少し後悔した。しかし、刀を作ることは出来る。長くは持たないが、手の平に、紫電を集めて、瞬間的に、解放する。
それで作れる。
エリコは魔法を編む。
瞬間的に、魔法を編まれる。
そのはずだった。
しかし、イメージが乱れ、歪んで、消失。編んでも、編んでも、解けていく。逃げていく。この感覚は一年前に味わった、魔法を奪われたという絶望的な記憶に即座にリンクした。
この状況を理解するのに、いや、飲み込んで消化するのに、時間がかかる。
エリコの様子に気付き、国王は高い声を出して笑った。「教えてやろうか?」
言うな。
「∞は目を覚ましたよ」
どうして、どうして、どうして……、目を覚ました!?
僅かに目を大きくして見せた驚きは一瞬。エリコの行動は素早かった。背中から倒れるように国王の前から走り去る。「ジェリー、アメリア、走れ!」
それに少し戸惑いながらも、反応し立ち上がる二人。
三人は前のめりに、扉を目指す。
しかし、その前には、様々な魔女が道を塞ぎ、国王の命令を待っていた。
厳戒態勢のビック・ベルに魔女たちは非常に忠実だった。
エリコは立ち止まる。アメリアもジェリーも。
「逃げ場はない」国王が低い声で言う。
逃げられる。二人を置いていけば。だから、国王の言うとおり逃げ場はない。
「私のものになれ、永遠に、誓うなら、素晴らしい未来が君を待っている」
誓う。素晴らしい未来は待っていない。
誓わない。素晴らしい未来に変えられるかもしれない。
永遠には、誓わない。「……分かった」
エリコは両手を上げた。
「社長!」ジェリーは悲しい目をした。
「ダテさん!」アメリアは、まだエリコに何か凄いものを求めている目をしていた。
「二人とも、手を挙げて」
予想を超える未来なんて、ほとんどないんだよ。
だから、人は未来に生きれる。
そういう、曖昧で、分かりづらいことを、エリコは教えてあげたかった。
大丈夫。
コレも、予想の中の未来の一つ。
だから、生きれる。
ジェリーとアメリアは、ゆっくりと手を顔の横に持ち上げた。
「……信じられないな、」国王は剣を捨てて、表情を変えずに、大粒の涙を流し始めた。拭うこともしない。「想像していたよりも、未来は素敵だった」
「私を信じるのか? もしかしたら眠っている間に、喉元に噛みつくかもしれないぞ」エリコはぎこちなく微笑んだ。
「素敵な冗談だ、君は隣で寝ているんだね?」
「気持ち悪いんだよっ、あんたはっ!」エリコはなおも微笑む。
ばれていないだろうか?
ジェリーとアメリアはエリコの腕に絡みついていた。
二人はエリコを渡さないつもりらしい。
激しく国王を睨んでいた。
「しゃ、社長は渡さないぞ!」
「だ、ダテさんは、私に飛び方を教えるんです!」
国王は、ソレを無視して、三人の脇を通り、扉に集う魔女の前で厳戒態勢の解除を命じた。
エリコはステンドグラスを見上げていた。
魔女たちは、一度跪き、素早くその場から去った。
エリコはステンドグラスを見上げていた。
そして、見つけた。三等星くらいの小さな光。
遅い。
国王がエリコたちの方に視線を戻す。
エリコは視線を国王に向けた。二人の手をギュウっと握った。
伝わるものがあったのだろう。握り返してくる。とても力強く。それがどれほど、エリコの心に余裕を与えただろうか。
体中が、震え、涙が出て来た。
遅い光も、もう少し待っていられそう。待つのも、たまにはいい。
たまには。
ファーファルタウの世界で、私は孤独を感じていたから。
自分に暗示をかけたんだ。
平気な顔は悲しみの裏返し。それはつよがり。
ファーファルタウの世界で、私たちは出会えたんだ。
「どうした?」エリコの涙を見て国王は首を傾げた。
「いえ、ファーファルタウも悪くはないな、なんて思った、それだけ」エリコは涙を拭って、天井を見上げた。そこから歩幅を小さく、一歩、二歩、三歩、後ろへ下がった。
三等星の光はステンドグラス越しに軌跡を見せながら、天頂に向かって、ゆっくりと燃えていた。
エリコが天井を仰いだのと同じように、ジェリーもアメリアも、そして国王も天を仰いだ。
「二人とも、私を抱き締めて」エリコは二人を引っ張るように抱き締めた。
パノラマに広がるステンドグラス。
そして、三等星の光は天頂に辿り着く。
エリコは無理やり自分に暗示をかけて、壮大な未来に負けないように、微笑んだ。




