第一章③
ピチカートは浮かない顔で書庫の窓から庭園を見下ろしていた。
その庭園ではアメリアが箒に跨り、その後ろでヘンリエッタが箒を支え、飛ぶ練習をしていた。アメリアは浮かぶことが出来る。低空では、なんとか安定できる。しかし、地面から遠くなると、風の力を借りようとすると、今みたいにヘンリエッタが手を離して高く浮上して、そこまではいいのだが、真っ直ぐ前進しようとすると、バランスを崩してしまう。不思議と墜落することはないのだが、コントロールが出来ないのだ。
ピチカートは書庫の窓の高さまで浮上し、逆さまになって可愛いパンツを見せているアメリアを見て微笑んでから、鼻で息を吐いた。アメリアと目が合わないように、いや、悲鳴を上げているアメリアにそんな余裕はないだろうが、窓のカーテンを閉めた。
カーテンを閉めて、書棚の方に視線をやると、シャーロットがこちらにやってくるところだった。
「おはよ、ピチカート」シャーロットは胸元で三秒間手を振った。
「あれ? 今日は、仕事は?」ピチカートは窓際の壁に背中を預けて自分の腕を抱いた。
「ヘンリエッタが庭園を綺麗にするまでお休み、」シャーロットはピチカートと同じ姿勢で隣に並んだ。「だから、少し本を読もうと思って、そしたらピチカートを大発見!」
「いいの?」
「ええ、もともとスケジュールを前倒ししてましたし、」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
「アメリアが邪魔してるみたいだよ」ピチカートはカーテンの隙間をシャーロットに見せる。
「あ、別にいいのよ、アメリアはヘンリエッタの大事な友達だもの、この世界で友情ほど素晴らしいものはないと私は思うの、それに比べたら庭園なんてつまらないもの、焦げた庭園が友情を育む土壌になるなら、庭園はずっと焦げたままでいい、なんて私は思うの」
シャーロットはピチカートの手を触る。
「あの、言っていることが、いまいち、よく分かりません」
ピチカートは首を傾げてブロンドの髪を揺らしてシャーロットの真剣な表情を覗き込んだ。グレイの瞳は輝いていて、ヘンリエッタと対称的に髪の色は青みがかった黒である。髪の毛の量が多いので、シャーロットはその髪の毛を集めておさげにしている。そのおさげはいつも右側の肩を通り大きな胸の上に乗っている。
「とにかく、二人の友情を邪魔する方がよっぽど野暮、そう思わない?」
シャーロットは星が産まれそうな素敵なウインクで同意を求めてきた。
「……庭園を綺麗にする方が先よ、皇帝がそれを理由に無理難題を押し付けてこないうちに」
「あら、ピチカートったら、ドライなんだから、砂漠みたい」
「……水をかけるとか、そういうのはなしで」ピチカートは一応忠告しておく。シャーロットは水の魔女である。昔はよく水をかけられた。シャーロットは昔から攻撃的で、ピチカートが気に入らないことや照れることを言うとすぐにバケツ一杯の水がピチカートの全身を濡らした。ヘンリエッタの先生になってからはピチカートが襲われることが少なくなったが、きっとヘンリエッタには毎日すさまじい量の水を浴びせているのだとピチカートは推測する。
「なぁに? 乾いた心に潤いが欲しいって?」
シャーロットは楽しそうに攻撃的な目をして、ピチカートを楽しそうに挑発する。
じーっと見つめ合ってピチカートは目を逸らした。「……庭園の掃除が終わらなかったらどうするの? ペナルティが出るかも、アメリアを巻き込まないでね」
「そんなことしないわよ、アメリアちゃんは関係ないもの、ただ、そのときは、」シャーロットは「ふふふ」と不敵に笑う。「ヘンリエッタをすごく、いじめる、私はとっても幸せで愉快」
「問題発言よ」ピチカートは言って、シャーロットのおさげを解いていく。髪の量が多いから重量がある。
「だってヘンリエッタが可愛いんだもの、いくらいじめても足りないくらい」
「……それも問題発言、」ピチカートは解いた髪を梳く。「ヘティも可哀そうね、こんなのが先生で」
「ちょっと、失礼ねっ、」シャーロットは目を閉じて笑う。「コレでも、ちゃんとヘンリエッタのことを考えて先生してるのよ、私の教育のおかげで、ヘンリエッタは危険な炎を簡単に出せるようになったんだから」
「強めに言うことじゃないよ、」ピチカートは髪を束ねていく。「それなら、私だってずっとアメリアのことばかり考えている」
「それで、まだ分からないの?」
「……うん、」ピチカートは手慣れた感じで髪の毛を元のおさげに編んでいく。「よし、出来たわ」
「ありがと、」シャーロットのシルエットが少し引き締まったような感じになった。「でも、聞いたわよ、アメリアがパレードの先頭を飛ぶって」
長い沈黙。
「……そうなんです、ああっ、どうしましょう!」
ピチカートは突然しゃがみこんで両手で顔を覆った。シャーロットは少し驚く。普段のピチカートは冷静で、気丈、それから威厳がある。滅多なことでは狼狽えない。しかし、シャーロットは少ししか驚かない。ピチカートは常に冷静で、気丈で、それから威厳があるけれど、それはわざと、演技、技術、ということをシャーロットは知っているから。こういう状態になったのは過去に何回もある。それは決まってシャーロットの前だった。限界まで溜まった水が、その器を壊すように、暴れるのだ。
「あと一週間しか時間がない、でも、三か月経ってもアメリアは上手に空を飛ぶことが出来なかった、私はこの三か月間で見つけることの出来なかった原因を一週間で見つけなきゃいけない、でも、シャーロット、私はもうここにある全ての文献を探ったし、様々な魔女たちにも会って話を聞いた、結論は魔女が空を飛べないなんてことはありえないってこと、完全に行き詰っています、ああっ、どうしましょう!」
「どうして断らなかったの?」
「断る? 言ったわよ、アメリアはまだ飛べませんって、お断りさせてくださいって、でも選択肢は用意されてなかった、パレードの先頭は神聖な儀式で決めるらしいの、だから決定は覆せないって言われた、」ピチカートは涙目でシャーロットの手を握った。「それから言われたわ、パレードまでにアメリアを飛べるようにしなさい、そもそもそんな問題児がいることがおかしい、だから飛べるようにならなかったらアメリアを解雇するって」
「解雇?」
「ええ、解雇するって、ハッキリ言われたわ、アメリアは何も悪くないのに、ただコントロール出来ないだけなのよ、魔力はトップクラス、器用だし、飲み込みも早い、記憶力もいいし、それに真面目だし、素直だし、可愛いし、小さいし、」
「ピチカート、少し落ち着きなさいな」シャーロットはピチカートの肩に手を置く。
「コレは内緒よ、アメリアったらココに来る前はドラゴンの世話をしていたのよ、ドラゴン使いなのよ、ドラゴンの背中に跨って空を飛べるの、空を飛べないなんて些細なことだと思わない? そうよ、パレードはドラゴンの背に乗って先頭を飛べばいいんだわっ」
「ピチカート、落ち着いて、らしくないわよ」
シャーロットはそう言いながらポケットから銀色の紙で包まれたチョコレートを取り出した。「ペパー・ミント・チョコレート、少し食べて落ち着きなさい、本当は水で頭を冷やしてあげたいけど、私も弟子を持って少し大人になったの、書庫で水を出しちゃいけないって」
ピチカートはチョコレートをかじった。「……ありがと」
「落ち着いたかしら?」
ピチカートは目を閉じて深呼吸をした。「うん、ありがと、ミントのフレーバで少し頭がすっとした」
「アメリアちゃん、ドラゴン使いなのね、凄いじゃない、意外、でも、アメリアちゃんだったらおかしくないって思うな」
「そうでしょ?」
「一人だと思わないでよ、私がいるでしょ、ピチカート」
「え?」
シャーロットはピチカートの手を触って絡める。すぐには離れないように強く握る。三年間の友情は熱い。シャーロットは自分で強く握っておきながら、ピチカートの優しい微笑みを見て照れている。
「か、勘違いしないでよっ、コレは立派な友情なんだからねっ」