第五章⑩
ムウミンはアメリアの許可証を持って、部屋を探した。
ムウミンは終始挙動不審だったが、有難いことに、宮殿のどこかで爆発が起こったおかげで、魔女の塔の中では誰にも咎められずにアメリアの部屋の前まで辿り着くことが出来た。ムウミンは、宮殿の魔女の制服を着て、魔女の塔を歩いている事実に興奮しっぱなしだった。すれ違うのは素敵な魔女ばかりで、ずっとココにいたいと思った。カメラを持って来ればよかったと思った。魔女たちの素顔をコレクションしたいと切実に思った。
ムウミンはアレのことはほとんど忘れていた。
それよりも、近いところにある、素敵な未来に胸を弾ませていた。
ノックしようとする。しかし、やっぱりココでも小心者が出る。
「……じぇ、ジェリー、お、お願い、変わって」
「え、なんで?」
「だ、だってぇ、第一印象はジェリーがいいでしょ?」
「自分のことよく分かっているじゃないか」
「うん、ジェリーの方が美人さんだから」
「しょうがないな」ムウミンはジェリーに変わった。
「アメリアちゃんを虜にして膝枕してあげてね、そしたら、すぐに変わって」
「はいはい」
ジェリーはなんの躊躇いもなく、ノックした。二回。ムウミンは胸を高鳴らせている。しかし、返事はない。
「い、いないのかな」
ジェリーはなんお躊躇いもなく、ドアノブを回した。
鍵は開いている。
「だ、駄目だよぉ」ムウミンはそう言いながらも前のめりだった。
ムウミンの気持ちが分かるから、ジェリーはそのままドアを開けた。
『…………!?』ムウミンとジェリーは同時に驚いた。
そこに見慣れた背中があったからだ。黄色のワンピース。八センチのピンヒール。黒髪。日本の軍帽が床に落ちていた。イエロー・キャブ・ベルズの黒いジャケットが脱ぎ捨てられていた。
その人は、なぜか着物姿のアメリアを抱き締めて、キスしたり、いろんな部分を触っていた。汗を掻いている。その人も、アメリアも。二人とも呼吸が荒い。
ジェリーの中でムウミンが失神したのが分かった。
アメリアはジェリーに気付いて、慌てて胸元を隠した。
そして、その人もジェリーの気配に気付いて、振り返る。
イエロー・ベル・キャブズの社長、ダテ・エリコだった。
「社長、こんなとこで何やってんの!?」
エリコは乱れた髪を整えながら、まるで酔っぱらったように焦点の合わない瞳でジェリーに言った。「何って、気持ちいいこと」
エリコはアメリアを抱き寄せてキスした。アメリアは恥ずかしそうにしながらも拒まない。一体、どういうことだと考えていると、床にボトルが転がっていた。拾い上げて確認する。ムウミンの作ったアレを入れた日本酒の瓶だった。エリコに飲んでもらうために、ムウミンがわざわざ密輸して手に入れたものだった。つまり、エリコはコレを飲み、アメリアと気持ちのいいことを始めた。この瓶の中に入っていたのは、ムウミンがエリコに内緒で造った媚薬だ。飲んで最初に見た人物を情熱的に愛してしまう、古典的だが、きちんと法律で禁止されている危険なものだ。
しかし、どうしてココにエリコがいるのだろう?
どうして媚薬がココにあるのだろう。
分からないことだらけだ。
分からないことだらけだが、とにかく、エリコを正気に戻さないといけない。ジェリーはそう、判断した。このままじゃムウミンは目を覚ますたびに失神してしまう。ジェリーは部屋を出て、一階まで降りて食堂へ赴いた。夕食の時間だが、広い食堂には数人の魔女しかいなかった。食事もとっていない。先ほどの爆発が影響しているのだろうか? その数人の魔女の中で一人だけグループから外れて、テーブルの端っこに座って、コーラを飲んでいるストロベリーブロンドの魔女がいた。
ジェリーはその魔女に尋ねる。
「コーラはどこにあるの?」
「え?」何か考え事をしていたのか、目を覚ましたばかりのような反応だった。
「コーラを飲みたいんだけど」
「あ、コーラですか?」ジェリーの態度は毅然としているから、その魔女は何も不審に思わなかったらしい。食堂の奥の方を指差して説明してくれた。「キッチンの奥の裏口を出て右手に積んでありますよ」
「サンキュ」ジェリーはストロベリーブロンドの頬を抓って微笑んでキッチンへ向かった。ジェリーはアメリアよりもこっちの方がタイプだった。
言われた通りの場所にコーラはケースごと積んであった。一本抜きとり、また再度食堂の中を通り、「またね」とストロベリーブロンドの魔女に手を振って食堂から出る。ストロベリーブロンドの魔女が「変なの」と笑ったのが後ろから聞こえた。
部屋に戻ると、相変わらずエリコはアメリアに気持ちいいことをしていた。アメリアはジェリーがいるから拒んでいるポーズだけ見せている。
「社長!」ジェリーはエリコを振り向かせて、コーラの瓶をその口に突っ込んだ。「飲んでください!」
「ふぁに?」疑問符を上げながらも、エリコはコーラを飲んだ。「温いコーラ」
「我慢して、全部飲んで!」
「なんで?」
「いいから」ジェリーは強引にエリコにコーラを飲ませた。瓶の中身は空になる。
アメリアは不思議そうにジェリーを見ていた。
そして、
「けぷっ」とエリコの口から可愛いゲップが出た。これで、完了。ジェリーはほっと胸を撫で下ろす。一方、エリコはベッドに体を預けて、苦しそうに額を押さえ始めた。
「……頭痛い」
「大丈夫? 社長?」
「……え? ……どうしてムウミンが?」
エリコは慣れた所作でジェリーの膝の上に頭を乗せてきた。
「ジェリーだよん、」どっちでもいいけれど一応忠告しておく。「なるほど、酔っている間は記憶がなくなるんだな」
「え? 何? まさかコレが世に聞く二日酔いってやつ?」
「どう、初めての二日酔いは?」
「想像していたよりも、ずっと辛いね、バカに出来ない、」エリコは瞳を閉じた。「……ああ、そっか、あれはただのお酒だったんだね、ビールやウイスキーばかり飲んでいたから耐性がなくなっていたのかなぁ」
「違いないね」媚薬のことは、この際、内緒だ。
「それって、」着物姿のアメリアはジェリーの前に立って悲しい表情をしている。「ダテさんは、酔っぱらって、私に、あんなことやこんなことを、したということですか?」
エリコは薄目を開けて言う。「あんなことや、こんなこと? ごめんね、覚えてないんだ、それよりアメリア、着物がよく似合ってる、まるでお雛様みたい」
「……えへへへっ、」アメリアは気丈に笑いながらも、明らかに落胆していた。「……はぁ、あ、ところであなたは? 失礼ですが、お見かけしたことがなくて」
「私はジェリー」
「ジェリーさん」
「ムウミンは、残念ながら、失神中」
「ムウミン?」
「こいつ、二重人格なんだよ」エリコが説明する。
「二重人格?」
「うん、とてもつらい過去があってね……」ジェリーは目を細めた。
「嘘つけ、」エリコが突っ込んだ。「ジェリーもムウミンも性格は全く違うのにつまらない冗談ばかり言うんだ」
「私は、アメリアです」
「うん、知ってる、」ジェリーは許可証をアメリアに差し出した。「コレ、ありがとう、凄く役に立った」
「え? どういうことですか?」
「それを使って、ココまで来たのか、でも、どうして来たんだ? 目的は?」
「許可証を返しに来たんだよ」ジェリーは微笑む。
「え、ありがとうございます」アメリアは律儀に頭を下げた。
「嘘つけ」
「えへへへ、」ジェリーは舌を出す。「本当は、社長を助けに来たんだよ」
「本当のことは言わない気だな、それにしても制服まで、自分で作ったのか? 犯罪だぞ」
「内緒、っていうか、ソレを言うんだったら、社長がココにいるのも、限りなく犯罪なんじゃないの、事情は知らないけど」
「え? ジェリーさんは、宮殿の魔女じゃないんですか?」
『遅いよ』二人は同時に突っ込んだ。
「……なんだか、驚くのにも疲れました」アメリアは床の上にヘタリ込んだ。
「それにしても、……ミリカは、」エリコは呟くように言った。「ミリカは私を騙そうとしていたのかな?」
「ミリカ?」
「私が日本にいた頃の友達、そいつが持ってきてくれたんだよ、」絆創膏を触りながらエリコは言う。「呪いを解く薬」
「ソレ、本当なの?」ジェリーは驚きを瞳に表した。正直、信じられない。様々な薬を作っているムウミンの中にいるから、それがどれほど不可能に近いものなのか知っている。
「その薬がココにあるっていうから、私は宮殿に忍びこんだんだけど、どうやらただの日本酒だったようだ」
いや、違う、とジェリーは思った。エリコが飲んだのはムウミンの作った媚薬。だから、他にも……、
「ありますよ」アメリアはエリコに言った。アメリアは床に視線を落としている。
「え?」エリコは声を発した。
アメリアは視線を上げて、その丸い目でエリコをじっと見ていた。そして何も言わずに本棚の一番下の棚に納められた、百科事典を抜いて、床の上に広げた。
確かに、床に転がった空のボトルと同じボトルが出てきた。色もほとんど同じだった。ジェリーは密かに思った。そのミリカ、というエリコの日本の友達も、ムウミンのようにこの日に、同じものを精製したのではないのかって。
「……本当に、ソレが、ミリカが持ってきたもの、なの?」エリコは体を持ち上げて聞く。
「はい、そう、聞いています、私の先生がミリカさんを捕まえたんです、そして先生は大事なものを私の部屋に置いておこうとするから、ミリカさんが持っていたコレも、この着物を私の部屋に隠したんです」
「その先生は、君のことが大好きなんだね」ジェリーが言った。
「……どういうことですか?」
「だって、大事なものは同じ箱に入っているものでしょ?」
言われてアメリアは部屋の中を見回した。もしかしたら、本棚に納められた本もレコードプレイヤも、全て先生の大事なものかもしれないとジェリーは思った。
「アメリア、」エリコは手を伸ばして言った。「ソレを渡してくれないか?」
アメリアはボトルを抱き締めて、小さく拒絶した。「じょ、条件がありますっ」
「条件?」エリコはジェリーの顔を一度見てから、アメリアを見た。「飛ぶ方法を教えればいいの?」
「それも、そうですけど」
「まだ、要求するの?」
エリコは顔には出さないけれど、少し苛立っているのが分かった。ジェリーは少し怖くなって、体を後ろに傾けた。それをアメリアも感じているようだった。けれど、アメリアが見せた目は何かを決断した目だった。ジェリーはアメリアの言葉を期待して待った。
アメリアの声は少し震えている。「せ、責任を取って下さいっ」
「責任? なんの?」
「あはっ」ジェリーは思わず吹き出してしまった。
「何笑ってんの?」エリコは露骨にジェリーを睨んでいた。
ジェリーはまだ笑っていた。「社長、責任を取らなきゃ駄目だよ」
「だから、何の責任?」エリコはアメリアに問う。
「それは、恥ずかしくて、言えないけど」
「言えないって、なんなの、もうっ」
ジェリーは事情が分かるから、エリコの不機嫌が可愛く見えた。
「そうだね、うん、確かに、言えないな」ジェリーは腕を組んで頷く。
「そうです、言えないことなんです」
エリコは床に四つん這いになって不機嫌な顔をアメリアに近づけた。「……じゃあ、具体的に、私は何をしたらいいのっ?」
「……愉快な魔女にしてください」
ジェリーはまた声を出して笑った。
「全然具体的じゃないっ、」エリコは文句を言う。「だから、私は何をすればいい?」
「えっと……」アメリアは言葉に詰まっている。
だから、ジェリーはいつもムウミンにそうするみたいに助け船を出す。「『YBC』の社員になりたいんでしょ?」
それにエリコは驚きアメリアに問う。「本当?」
アメリアは、少しぎこちなく頷いた。「は、はい、私を社員にしてください」
エリコは思いも寄らない事態に笑ってしまう。「……でも、君、上手く飛べないよね?」
「コレから飛べる予定です、ダテさんに教えてもらいます、私、ダテさんみたいに、空を飛びたい」
「そうだったね、……いや、ちょっと、待って、アメリアの将来を考えたらさ」
「いいじゃん、面白そうだし、ね?」
ジェリーはアメリアにウインクを送った。それを受け取り、アメリアは決意を固くしたようだ。「はい、面白いです、きっと」
「呪いが解けたら、私、ここでの後始末をつけて、日本に帰るよ」
「日本まで、着いていきます」
「きっとムウミンもそうする」ジェリーが言った。
「ムウミンはどう思うだろ?」
「歓迎するんじゃない? ロリコンだし?」
「ロリコン?」アメリアは聞きなれない言葉に首を傾げた。
「ああ、君は知らなくていいの」
「宮殿の暮らしの方がずっといいよ?」エリコはまだアメリアの考えを変えようとしている。「それに、ベッドも足りない」
「私はドラゴンの背中でも、眠れます」
「……ああ、そう」エリコは力なく言って、じーっとアメリアを見ている。
アメリアは目を逸らさない。
「社長、無理だよ、」ジェリーはアメリアの肩を抱いて揺すった。「この娘の決意は盤石だ」
「……ああ、もう、分かったよ」エリコはついに観念した。
「やったね」ジェリーは手の平をアメリアに向けた。アメリアは手の平を叩いて、素敵な笑顔で微笑んだ。そしてボトルをエリコに差し出す。
エリコはベッドに座り、足を組んで、蓋を開けて、一気に飲んだ。二日酔いに襲われているとは思えない飲みっぷりだった。エリコはビールを一気した後みたいに、
「ぷはぁ」と可愛らしく息を漏らし、ボトルを見て空になったことを確認して、ソレを床に転がした。
ジェリーとアメリアは目を大きくして、反応を待っている。
エリコはゆっくりと口を開いた。その一声に注目する。「……すげぇ、まずい」
思わず全身を床で滑らせるジェリーとアメリア。
「効果は?」ジェリーが聞く。
「どうだろう」エリコはゆっくりと手を持ち上げた。
二秒後、レコードプレイヤがひとりでに動き始めた。
ロックンロールが鳴り響く。
「やった、やったね、社長!」ジェリーは手を叩いた。
「安心するのは、まだ早いよ、」エリコはゆっくりと、左目の下の絆創膏を剥がした。「いてて、……どう、何もない?」




