第一章②
宮殿の魔女たちの行動はほとんど規制されていない。だからキャリアのある宮殿の魔女は塔の部屋に籠って魔法の研究、また講義を行ったりする。ピチカートくらいの魔女は弟子の教育を行いながら政府から達せられる命令を待つ。命令は様々で王都のトラブルの解決に赴くこともあるが、国内、ときには国外の様々な場所に出向き仕事をすることもある。キャリアがまだ一、二年の魔女はそれらの魔女に同行したりするのが通常である。アメリアも本来ならばピチカートの傍にいて、様々なことを教わらなければならないのだが、ピチカートはアメリアに過度のスキンシップを迫ってくるくせに、そういうことに関しては全くと言っていいほど教えてくれない。
朝食が済むとピチカートは例によって書庫に向かった。アメリアは一緒に行かない。来るなと言われているからだ。何をしているかも知らない。とにかく、アメリアは毎日朝食を食べると寝るまでフリーになる。
が、だからといって自由気ままに遊んではいられない。
仰せつかったからには、立派にパレードの先頭を飛びたい。
アメリアは朝食を済ませると箒とコーラを持って宮殿の庭園に向かった。
緑色の庭園の中の一角、火事の跡みたいに黒くなっている場所がある。クリケットが出来るくらいの広範囲に渡っている。そこで一人でせっせと掃除に励む女の子がいた。
アメリアと同世代のヘンリエッタである。
ヘンリエッタは炎の使い手。アメリアにマッチくらいの炎の出し方を教えたのもヘンリエッタである。ヘンリエッタは自分の炎で焦がした草木の掃除をしていた。
ストロベリー・ブロンドのツインテールは世界のすべてが気に入らないとでも言いそうな表情だった。むくれている。クリッとした目は吊り上っている。いや、その目は普段からだ。
「ヘティ、」アメリアは遠くから声をかけた。「朝からご苦労さまぁ」
「なーにしに来たの?」ヘンリエッタは箒を剣に見立てアメリアに向かって構えた。「私の可哀そうな姿を冷やかしに来たのかっ」
そういうひねくれたことを言うのがヘンリエッタの特徴である。しかし、アメリアはそういうことを言うヘンリエッタが嫌いじゃない。
「はい、コーラ、冷えてるよ」
「おっ、」ヘンリエッタはコーラを差し出すと簡単に箒を降ろした。「サンキュー」
「大変だねぇ、掃除」アメリアは一回転して焦げた庭園を見回す。
「アメリアお願い手伝って」ヘンリエッタは早口で言った。
「駄目ぇ」アメリアは舌を出した。
「アメリアなんて大っ嫌いっ! 嘘っ! コーラ、ありがとっ!」ヘンリエッタはコーラを一気に飲み干した。そして咳き込んでいる。
「大丈夫?」アメリアはヘンリエッタの背中を擦る。
「ううっ、ありがと」
「ヘティ、別に意地悪で手伝わないって言ってるんじゃないよ、シャーロットさんにね」
「いいよ、分かってる、シャーロット軍曹が手伝うなって言ったんでしょ」
シャーロットはヘンリエッタの先生で、ピチカートと同世代の魔女である。ピチカートと正反対で弟子のヘンリエッタに滅茶苦茶厳しいらしい。だからヘンリエッタはシャーロットのことを軍曹と陰で呼んでいる。アメリアは優しいシャーロットしか知らないからヘンリエッタの苦労は分からない。けれど、同情はしている。
「はぁ、でも、どうしよう、」ヘンリエッタは珍しく弱気な顔で溜息を付く。「パレードの日までに掃除終わるかなぁ、掃除終わらせなきゃ軍曹に怒られるし、皆に迷惑かけるし、いや、もうかけてんのか、はぁあ」
「そのパレードにね、ヘティ、私、出ることになったんだ」
アメリアは緊張しながら告げた。ヘンリエッタの方を見るとこっちに顔を向けて固まっていた。
コーラの瓶が地面に落下した。そのおかげでヘンリエッタは動き始めて悪戯なスマイルをアメリアに見せた。「もうっ、アメリアってば、冗談はよしてよ、面白くないよっ」
「ううん、」アメリアは首を横に振る。「私も最初は冗談だと思ったんだけど、でも、先生が決めたんだって、私がパレードの先頭を飛ぶのよ、信じられないでしょ?」
「うん、信じられない」ヘンリエッタはキッパリと口にした。
「そんなにハッキリ言われると、ちょっと、凹む、かも、あはははっ」
「笑いごとじゃないよっ、マジなんでしょ?」
ヘンリエッタの真剣な表情にアメリアは笑うのを止める。
「アメリア、まともに空も飛べないのにっ! そんなの引き受けちゃってよかったの!」
ヘンリエッタはアメリアの顔に顔を近づけて心配そうな表情をする。まるで自分のことのように思ってくれているらしい。「うん、だから、ヘティに教えてもらおうと思って」
「何を?」
「決まってるでしょ、上手く空を飛ぶ方法」アメリアは小さな人差し指を立てて言った。
「方法って、」ヘンリエッタは困っている。「私、何もしなくても普通に飛べたから、方法とか分かんないよ」
「そんな、ヘティのいじわる、コツとか、なんとなくのレベルでいいから」
「意地悪じゃないって、ほんとに分からないんだもん、教えようがないじゃない、自転車と一緒よ、自転車と、私は理屈を聞かされて自転車の乗り方を覚えたわけじゃないもの、お父様との特訓で乗れるようになったんだから……、そうよ、アメリア、特訓しかないわ、特訓よ!」
「最近、ヘティ、シャーロットさんに似てきたね」
「え? 何?」
アメリアはじっとヘンリエッタを見つめて溜息を吐いて、箒を日にかざす。「やっぱり、特訓しか、ないのかなぁ」
「頑張って、アメリア、私も付き合うからさ、コーラのお返しとして」
「ほんと?」アメリアはヘンリエッタの手を握って顔を近づけた。「ありがとう、やっぱりヘティは優しいなぁ」
ヘンリエッタは顔を赤くして視線をアメリアから逸らした。「コーラのお返しだから、べ、別にアメリアのためなんかじゃないんだからねっ!」
「ヘティってば意味分かんないよ、」アメリアは微笑む。「でも、いいの?」
「何が?」
「掃除」
「……一瞬忘れてた」
「私も手伝う」アメリアは拳をギュッと握ってやる気のポーズ。
「いや、それはきっと、許されない、許されないのだよ、アメーリア!」ヘンリエッタは胸に手を当ててミュージカル女優のように一回転した。
「大丈夫だよ、シャーロットさんだって心まで軍曹じゃないでしょ? 私が説明するから、私の特訓に付き合ってくれたから私もヘティの掃除を手伝いましたって」
「うーん、どうかなぁ、」ヘンリエッタは顎に手を当てて未来を測り兼ねている。「でも、アメリアが掃除を手伝ってくれたら、パレードの日までに終わる気がする、っていうか、アメリアが手伝ってくれなきゃ終わらない気がする、一人じゃ気持ちが乗らないのだっ」
「私もヘティが一緒だったら、上手に空を飛べそうな気がするよぉ」
「……それは分からないな」
「酷いっ、でも……」
『決まりだぁ』と二人は手を触り合った。