第四章⑤
爆発の直前、ブリジットはアメリアを河に向かって放り出した。そのおかげでアメリアはずぶ濡れになるだけで爆発に巻き込まれずに済んだ。アメリアは重たい服を引きずるように必死で河から岸に上がった。飲んでしまった水を吐き出すように、何回も咳き込んだ。
上がった先は弾薬庫の対岸だった。
弾薬庫の上空では、東洋の魔女がクルクルと旋回していた。
「ブリジット!」アメリアは弾薬庫に向かって叫んだ。
すると、それに返事をするように、イルカのような細い鳴き声が聞こえた。ブリジットは自らの無事をアメリアに知らせている。アメリアはほっとする。
ブリジットはまた鳴いた。
ブリジットは東洋の魔女を追えとアメリアに言っていた。
そんな、いや、でも、炎上する弾薬庫を眺めながら様々な葛藤が巻き起こった。
確かに今ならまだ東洋の魔女は視界の中にいる。
しかし、でも、アメリアは箒を持っていないし、箒を持っていたって、飛べやしない。
ブリジットがいなきゃ空も飛べやしない。
悔しくて涙が出てきた。
東洋の魔女の脱走を許して、挙句の果てに弾薬庫まで炎上させてしまった。
何も出来ない自分に腹が立った。
こんなときに泣いてしまう自分にも。
そう思いながら。
涙は止まらなくて。
声も抑えることが出来なくて。
そのせいでまた嫌になって。
抑え込もうとするたびに、感情は膨らんで、手に負えなくなって、最終的に涙に頼るしかなくなる。
「うわー、すっごい燃えてる」
その凛と響く声に、アメリアは目を開いて、振り向いた。
魔女が箒を手に立っていた。
その魔女は頭にどこかの国の軍帽を乗せていた。左耳には銀色の文字が刻印されたピアスを付けていた。黄色いひらひらのワンピースの上にポケットの沢山ついた黒いジャケットを羽織っていた。アメリアの位置から、角度的にその魔女の白いパンツが見えた。足は細いが短く、それをきっと八センチの黒いピンヒールでごまかしている。東洋人の顔立ちで色白でかなりのベビーフェイスだった。黒い髪は長い。前髪は眉のところで切りそろえられていた。胸は小さく、瞳は黒く大きい。その左側の瞳の下には絆創膏が貼ってある。
その魔女で一番の特徴は首の黒いベルトと、それに猫の鈴のように取り付けられた、黄色いベルだ。
そのベルは、キャブズの証。
キャブズとは、魔女が最後に辿り着く職業。
空を飛ぶことしか出来ない魔女は人を箒の後ろに乗せて対価を得る。
その職業の証に、首輪をして、ベルを付ける。
アメリアは、その魔女に駆け寄った。
魔女は、
「すげー」と言いながら炎を見つめていた。その視線の先にアメリアは立つ。
「うわっ、」魔女はアメリアに初めて気付いたように声を上げた。「なになに? 君、ずぶ濡れだよ? っていうか、涙? なんで泣いてんの?」
「お願いです、」アメリアは魔女の手を握った。「お願いがあるんです」
「えっ?」魔女は苦笑している。
「あの魔女を、」アメリアは弾薬庫の上を旋回する東洋の魔女を指差し言った。「あの魔女を追いかけて欲しいんです」
沈黙。
「嫌だよ」魔女は可愛い声で答えた。
「え、どうしてですか? あなたはキャブズですよね?」
「なんか、嫌な言い方」魔女は背筋が凍るような冷たい微笑みをアメリアに捧げた。
「え、何がですか?」アメリアには魔女がそういった意味が分からない。
「とにかく嫌、君は私の後ろに乗せない、っていうか、ずぶ濡れは乗せられない、ジャケットが汚れるし」
「そ、そんなぁ、」アメリアは悲壮を眉に表す。「酷いです、キャブズは宮殿の魔女の言うことならなんでも聞くんじゃないんですか?」
「え、君、宮殿の魔女なの?」魔女は驚きの声を上げた。
「……そうです」アメリアは涙目で頷く。
「魔女だとは思ったけど、なんか、うちのバカみたいな格好してるから、分からなかった」
言われてアメリアは自分の姿を確認した。いつの間にこんな服に着替えたんだろうとしばし、考えた。しかし、今はそんなことよりも。「そうです、私は宮殿の魔女です、だから、私の言うとおりに、あの魔女を追いかけてください!」
「いや、質問なんだけど」魔女は冷静に聞いてくる。
「なんですか?」
「君、魔女なら、自分で追いかければいいんじゃない?」
「……箒がありません」アメリアは咄嗟に聞かれて、俯いて、小さな声で嘘を付いてしまった。アメリアはこのとき、飛べないことにとてつもないコンプレックスを持っていることに気付いた。宮殿の魔女たちはアメリアが飛べないことを知っているから、アメリアにそういう風に接してくれるから、大丈夫だったけれど、それを、いざ、見ず知らずの他人の前で説明しようとすると、凄く、お腹が痛い。
「……じゃあ、はい、」魔女は箒を差し出した。「これ、貸してあげるから」
アメリアは箒を手にして、どうすればいいか分からなかった。
魔女は不思議そうな目でアメリアを見る。
その心配そうな表情が、怖い。
でも、こんな風に怖がっている間に、東洋の魔女はどこかへ行ってしまうかもしれない。
だから、アメリアは告白する。
「……私、空を飛べないんです」
「嘘、魔女だろ?」魔女は率直な意見を口にする。「しかも、私の大っ嫌いな宮殿の魔女だろ?」
アメリアは首を振って説明する。「……そうです、でも、私、どういうわけか、飛べなくて」
「そう、なんだ、へぇ、飛べないんだ、」魔女は信じられないという顔をしながらも、何かを考えている風だった。「ねぇ、もしかしたらさぁ、」
「そうです、」アメリアは魔女が何かを言うのを遮って泣きながら訴えた。「飛べないんです、私、飛べない魔女なんです、だから、あなたは飛べるんだから、飛べない私は飛べるあなたの後ろに乗ってもいいじゃないですか!?」
沈黙。
「……まったく、しょうがないなぁ」
魔女は困ったような顔をして、アメリアの頭を乱暴に、撫でて、箒を太ももに挟んで言う。「乗りなよ」
「ありがとう」アメリアは笑顔で箒に跨った。
「しっかり私に掴まって」
言われてアメリアは魔女の腰に手を回した。魔女の背中はとても頼もしかった。
「あの」
「何?」
「名前は?」
「エリコ、ダテ・エリコ」
「ダテさん、私、アメリア」
エリコはしっかりと腕時計の形をしたメータを作動させる。
東洋の魔女は旋回するのを止め、進路を南へ変えた。
「いくよっ、アメリア!」
凛とした声とともに、アメリアを乗せた魔女は上昇して、風が吹いた。




