第四章①
スカートの裾と髪を押さえていたピチカートはブリジットの巻き起こした風が収まるとケイジに尋ねた。
「一体ブリジットはどこへ?」
「……分からない、」ケイジは額に右手を押し当てて、困惑している。「ドラゴンが、僕らの了解を得ずに、コロッセオから飛び立つはずはないんだ、しかも、一番頭のいいブリジットが、鎖を引きちぎってまで、どういうことだ?」
「南ね、チェルシーの辺り」
「チェルシー? チェルシーに何があるというんだ?」ケイジの声は怒鳴っているみたいだった。
「私に聞かないでよ」ピチカートも怒鳴るように言った。
「何か、君がしたんじゃないか?」
「何かって、何よ!」ピチカートは疑われて腹が立つ。
「すまない、ごめん、許してくれ、僕が悪かった、」ケイジは深呼吸して、ピチカートから少し離れて煙草に火をつけた。「どうなってるんだ、いや、とにかく、ブリジットをコロッセオへ」
「公園内は禁煙よ、」ピチカートは煙を箒で掃く。「ケイジ、私が飛ぶわ、私が飛んで、コミュニケーションを取ってみる」
「……君は天使かい?」
ケイジが微笑んだので、ピチカートは安心する。ケイジが困惑するのは当然のことだ。ドラゴン使いのドラゴンが、まるで親を見つけたように、コロッセオから逃げるように、飛び立ったのだから。
「魔女にそれを言うのは皮肉以外の何物でもないわよ」
ピチカートは箒に跨り、ブリジットのいる、チェルシーの方角まで飛んだ。
しばらくすると民の悲鳴、あるいは歓声がピチカートの耳に入ってきた。ブリジットの翼が起こす風圧が、民家の屋根を叩き壊したりしているのが目に入る。運河のボートは簡単に転覆し、街路樹は根から倒れて、ストリートに敷き詰められたレンガははがされ、遠くに落ち、砕ける。
それくらいブリジットは地面に近いところを飛んでいた。
サイクロンが自由気ままに街を徘徊しているようなものだった。
一刻も早く、ブリジットを止めなければいけない。
ピチカートはブリジットに接近する。
確認できたことがある。
ブリジットの背中には、黒い服を纏った魔女が乗っていた。その黒い服はおとぎ話の中の魔女が必ずといって言いほど纏っているものである。三角帽子なんて、今ではどこのアパレルメーカも作っていないだろう。
ブリジットはこの黒い魔女に操られているのだろうか?
魔女の目的は?
風圧に、揺さぶられながら、ピチカートは飛行を続けている。
目が開けられないくらいの風。ブリジットにはなかなか接近できない。
並みの魔女なら簡単に吹き飛ばされているだろう。そう、並みの魔女なら。しかし、ピチカートはその風に乗れる。
そんな風が、チェルシーの街を襲っている。民はブリジットから逃げるように街の外へ走っている。馬車もワゴンも同様。命が何よりも尊いと知っている民だから、何も持たずに一目散に逃げている。それはとても大切なことだ。しかし、この民たちからのクレームを処理しないといけないと思うと憂鬱である。民の生活を守ることで魔女たちは優雅な生活が送れているわけである。だから、民の生活が危険にさらされたらクレームが出るのは当然のことである。そのクレームを無視していたら、王都は簡単に潰れてしまう。
さて、そして、確認できたことが、もう一つ。
それはブリジットが低空で、蛇のように飛んでいた理由。
ブリジットが飛ぶ先には、メイド服を纏った、空を飛んでいるから、魔女が飛んでいた。
ブリジットは、ブリジットの背中に乗った魔女は、きっとメイド服の魔女を追いかけているのだとピチカートは推測。
しかし、どういう経緯で、このシチュエーションが巻き起こっているのかは想像がつかない。
黒い魔女はどうやってブリジットを呼び寄せたのか?
なぜ、チェルシーの街の上で盛大な鬼ごっこをしているのか?
とにかく、非常に迷惑なことには変わりない。
ピチカートは魔法を編む。
ピチカートのブロンドの髪が揺れる。
吹き荒れる風を貫いて、ブリジットの背中に辿りつく魔法を編む。
この魔法を編むのはとても久しぶりだ。集中する。
音速を超えて飛行する。「スーパ・ソニック」
魔法が発動すると、景色は次々に後ろに流れた。目まぐるしい、ピチカートはこの魔法を使うといつも同じ感想を抱く。ピチカートはすでに黒い魔女に手が伸ばせば届くところまで場所を変えていた。
ピチカートはブリジットの背中に箒ごと、着地しようと試みる。
しかし、
その時、黒い魔女の三角帽子が風で飛んだ。
ピチカートはその後ろ姿に見覚えがあった。
何度も撫でたことのある、イエローベルのようなブロンドのやわらかい髪。
……アメリア?
ブリジットは大きく羽ばたいて旋回した。
ピチカートは背中に乗ることに失敗した。
それどころかバランスを崩して、箒を手放してしまった。
ありえないことだ。
箒を手放すなんて。
これじゃあ、飛べない。
いや、箒に頼らなくても飛ぶ魔法はいろいろあるのだが。
しかし、ピチカートは咄嗟にその魔法を編むことが出来なかった。
風に煽られながら、白いドレスをはためかせ、ピチカートは空に手を伸ばして、地面に向かって落ちた。
ピチカートは瞳を閉じ、硬い地面を想像した。痛みを連想する。
風を起こして、ショックを和らげようかと考えて、ゆっくりと魔法を編む。
が、その前に、柔らかい感触がピチカートの体を包んだ。
「……だ、大丈夫、ですか?」
とても小さくて、とても儚げな声。
この浮遊感は箒の上。
ピチカートは目を開ける。今にも泣きそうな表情がシルバー・ブロンドの長い髪に包まれていた。ピチカートはゆっくりと微笑んだ。「ありがとう」
シルバー・ブロンドの魔女の箒は地面に近づく。ピチカートは地面に立って、再度お礼を言う。「ありがとう」
「い、いえ、」シルバー・ブロンドは箒から降りないでピチカートの目の前で浮いている。気になるのは不自然なほどピチカートの目を見ないということだ。そのサファイアのような大きなブルーの瞳は忙しなくピチカートの足元を見ている。「その、ちょうど、近くを飛んでいたので、はい、宮殿の魔女様が無事で何よりでした、えへへっ」
ピチカートは空を見上げブリジットを探した。その翼はすでに遠くを飛んでいる。早く追いかけなければいけない。しかし、ピチカートはシルバー・ブロンドの魔女も放っておけなかった。なぜなら、そのシルバー・ブロンドの魔女は、ブリジットの背中に乗っていたアメリアと同じような黒い服を纏っていたから。そして左目の下には絆創膏。それと、
「コレは、なぁに?」箒の先にぶら下がっていたバスケットの中のものをピチカートは抜き取ってシルバー・ブロンドに突き付けた。
それは東洋の魔女が持っていたボトルに酷似していた。その形状も、中の液体の色も。
「ええ、えーっと、えーっと、えーっとぉ」シルバー・ブロンドは明らかに動揺している。
ピチカートはシルバー・ブロンドが逃げないように箒の先を左手で掴みながら、東洋の魔女、ブリジットの背に乗ったアメリア、そして目の前のシルバー・ブロンドを関連付けていた。
「助けてくれて、ありがとう、」ピチカートは笑顔を作り直して、声も高くした。「もう一度聞くわ、コレは何かなぁ?」
「……えーっと、……えーっと、……そのぉ、……ひぇ!」
シルバー・ブロンドが悲鳴を上げたのは、ピチカートが左目の下の絆創膏をペリッと剥がしたからだ。案の定、☆のマーク。コレは五年の呪いを示している。それで、もうしらを切れないと理解したのか、シルバー・ブロンドは涙を流しながら、この反応は非常に予想外だったが、情状酌量の余地を求めた。
「……ご、ごめんなさい、つい出来心で、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
その時だった。
遠くの方で、巨大な爆発が起こった。
「きゃあっ」その音と振動に、思わず尻餅をつく。
ピチカートはその方向を見る。
王都の西南の方から火が上がっていた。
再度、爆発が起こる。
誘爆、という言葉が、適切なのではないだろうか?
その方向には確か、王都の弾薬庫があったはずだ。
再々度、巨大な爆発が王都を震わせる。
「一体、何が起こったの?」
と、ピチカートは咄嗟に後ろを振り返った。
シルバー・ブロンドは姿を消していた。ピチカートの手にボトルが一本あるだけだった。




