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High A of the YBC   作者: 枕木悠
第一章 ファーファルタウは夜の七時
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第一章①

王都ファーファルタウの宮殿ベルズアーバスを取り囲むように四つの塔はそびえている。搭は円柱で、着色はされていない。建材の石の色、そのままの白が円柱の色である。搭は八階建て。直径はオーケストラを呼び、パーティが出来るくらい大きい。天井の高さも低くない。搭というよりはドームと呼んだ方が適切かもしれない。そういう塔が、四つ、宮殿を囲んでいる。その四つの塔は城壁によって繋がっていた。城壁を通ることでそれぞれの塔に行き来できる。城壁の外側、いわば城下は、世界中で繰り返される戦争とは無縁に、平和を維持し、近代化に進んでいた。南側のグリーンフィールド・マーケットは活気に満ちている。東西に王都を横切るラムズ河には頻繁に蒸気船が往来している。ビック・ベル周辺には高層ビルが立ち並んでいる。城壁の内側には広大な庭園が整備されている。女神の像に従える噴水、美しいバラ園、巨大なメイズがある。また、毎年七月にはフラワー・フィールズ・ライヴ・ショウが開催される。ベルズアーバスは今のところ世界で一番巨大な建造物である。つまり多額の税金が投資されている。四つの塔はこの金のかかった建造物を守護するために十年前に造られた。ベルズアーバスが作られてから百年後のことである。

「アメリア、アメリア、どこにいるの!?」

 四つの塔のうちの一つ、南側の塔の四階からアメリアを呼ぶ声がした。南側の塔は、宮殿に仕える魔女たちが住んでいる。

「はぁい、先生、ここです!」

自分に宛がわれた一室の窓から、アメリアは布団を干していた。王都の朝は晴天だった。しかし、気付かないうちに雲が空を覆って大雨になることも全然珍しくない。干しっぱなしで雨が降りおじゃんになることも多いのだが、いかんせん搭の中は湿っぽいので干さずにはいられなかった。

「どこ!?」と先生は叫ぶ。

「何事ですか!?」

言いながらアメリアは慌てて鏡台の前で髪の毛を整えた。先生の前で乱れた格好をしていると不機嫌になるからだ。ネクタイが少しだけ左に向いていただけでも先生はアメリアの上半身を裸にして五時間ネクタイの結び方をレクチャーする。そのおかげでアメリアは三種類のネクタイの結び方を覚え、常にネクタイは正面を向くようになった。しかし、アメリアはネクタイを覚えるためにファーファルタウに上京したわけではない。三か月前に故郷からやってきたのは、魔法を身に付けるためである。決してネクタイの結び方を三種類覚えるためではない。

「ああ、アメリア、よかった」

 先生はアメリアの部屋の扉を開いた。アメリアの部屋はベッドと鏡台と小さな箪笥とレコードプレイヤと箒を置いたら何も置けないくらいに狭い。鏡台から二歩歩くと廊下に出ることが出来る。アメリアが丁度二歩歩いた時に先生は扉を開いたから、自然にアメリアは先生に抱きしめられた。魔女の匂いがアメリアの鼻先をくすぐる。

「ふぁあ、ごめんなさい」アメリアは先生に抱かれたまま顔を上げて言った。先生は十四歳で、アメリアより三つ年上である。アメリアより頭一つ分背が高く、スタイルがいい。今日は黒いドレスを身に纏っていた。ドレスといってもひらひらじゃなくて一枚布のピタッとした体のラインが強調されるタイプのものだからアメリアにはとても着ることは出来ないと思った。

「真面目なアメリアが十分前に食堂に座っていないから心配しちゃった」

先生は微笑む。先生の左肩は大胆に露出していた。腰からスリットが入っていて細い右脚が見え隠れしていた。アメリアは少し赤くなる。宮殿の魔女の正装、つまり今纏っている深緑色のブレザーに白のミニスカートにもアメリアはまだ慣れていないのだ。アメリアは素敵なドレスを着こなしている、というだけで先生を尊敬している。もちろん、他の様々な面も尊敬している。

「申し訳ありません、布団を干していたもので」

「いいのよ、ただ、私が心配性なだけで、」先生はアメリアから離れた。「ほら、あなたが私の一番弟子だから」

「過保護ではないでしょうか?」アメリアは上目遣いで言った。

「おせっかいかな? 少し干渉しすぎ?」先生は廊下を歩きだす。

「優し過ぎです、」アメリアは早足で先生の横に並び、顔を覗き込んで言った。「赤ちゃんに戻ったみたいです」

先生はとても美人だ。王都の画家たちがこぞって絵のモデルにしたがるくらい、浮世離れした美人だった。ブロンドの髪は腰まで伸び、ゴールドを散りばめたように輝いている。アメリアもブロンドだが、全然違う。目の色も同じ鳶色だが、何かが違う。アメリアは素敵な先生が優し過ぎて幸せだが、同時に劣等感も感じてしまう。私は三年後には先生のようになっているのだろうか?

「私は嬉しいのよ」

「はい?」意味が分からなくてアメリアは聞き返す。

「アメリアの先生になれて」

 宮殿に仕えるようになった魔女は、誰しも上の世代、いわば上級生に付いて様々なことを勉強する。どういう基準で先生が選ばれるのかは、アメリアは知らない。

「無理に喜ばせなくてもいいですよ」内心はとても嬉しい。アメリアは至って平常心な表情をする。

「本当よ」

 食堂は一階である。二人は階段を降りる。

「世の中にこんなにハッピーでラッキーなことがあるんだと思ったもの」

「もう一度言いますけど、無理に褒めなくてもいいんですよ」

「じゃあ、頬ずりをしてもいい?」先生はアメリアの瞳を覗き込んだ。

「え?」アメリアは微笑んで顔を逸らす。少し歩く速度を上げた。「どういうことですか?」

「お気に入りなのよ、ベイブ」

「べいぶ?」

「あ、そうそう、」先生は横に並んで人差し指を立てた。「パレードのことなんだけど」

「パレード? ああ、一週間後のパレードのことですか?」

「そう、魔女たちのパレード」

 来週の金曜日はパレードの日だった。魔女たちのパレード。宮殿に仕える魔女たちが王都ファーファルタウの主要ストリートをホウェールズの音楽隊と行進する。いや、好き勝手に闊歩する。魔女たちは様々な仮装をする。参加する魔女たちは五百人以上。王都から遥か遠くに生まれ、そこで育ったアメリアは知らないが、それは、それは豪奢なパレードだと言う。民を喜ばせる、一大イベント。民は普段は見られない宮殿の魔女たちの綺麗な姿を見に集まるのだ。そういうことをアメリアは同時期に宮殿に仕えるようになったヘンリエッタから聞いた。先生からは何も聞いていない。

「私たちは宮殿の庭園の手入れをしていればいいのですよね?」

 私たち、というのは、アメリアの世代、まだ十一歳の魔女たちを示している。仕えて一年未満はまだ見習いであるから、一週間に一度、十一歳の魔女たちは一階のホールで研修を受ける。その研修で魔女たちのレベルを教官が観察する。まだ三か月しかココにいないアメリアはマッチほどの火を付けたり、水鉄砲くらいの勢いの水流を指先から出したり、小さなつむじ風を起こしたりするしか出来ない。というか、アメリアは先生からまだ魔法についてそれらしいことを教えてもらっていない。他の魔女たちは様々なまさに魔法を使いこなしている。ヘンリエッタもドラゴンが放つような業火を両手で生み出していた。そのせいで庭園の一部が燃えた。ヘンリエッタは教官に物凄く怒られていた。「コントロールしろ!」と何回も繰り返されていた。そう、ヘンリエッタのせいで、パレードの日は庭園の手入れをしなければならなくなったのだった。本来は民と一緒にパレードを楽しむ予定だったのだ。

「いいえ、」先生は首を振った。「アメリアは庭園の手入れなんて、そういう泥臭い仕事をしなくていいわ」

「泥臭い?」そういうことは身分が低いものがやるのが当たり前だというニュアンスを感じたからアメリアは嫌な顔をした。「私は庭園の手入れが好きです」

「そうね、アメリアはいい子だものね」先生は作り笑いをした。

「花を触っていると気分が落ち着いて、故郷を思い出すんです」

「花を触るのもいいけれど、アメリアはもっと高度なことをしなくちゃいけないわ」

「高度なこと?」

「パレードの先頭を飛ぶのよ、アメリアが」

 聞いた途端、いろいろなことが凍ってしまった。立ち止まり、目を見開いて、先生を見る。「え? ど、ど、どういうことですか?」

「大丈夫、安心して、」先生は歩を止め、振り向き、アメリアに微笑んだ。段差のせいで目線の高さが一緒だった。「魔女たちの同意は得られているわ、この決定事項は誰も覆せない、珍しく少し頑張ってしまった、アメリアのそういう顔が見たくて頑張っちゃったんだから、嬉しいでしょ? 頬ずりしたくなった?」

「そんな、先生、私、嬉しいとか、そういうこと、考えられません」アメリアは過呼吸になりながら訴えた。

「あら、どうして?」

先生は何も分からないという顔で小首を傾げる。邪気のない顔が恐ろしい。さすが先生だった。先生は宮殿の魔女の中でもトップクラスの魔女である。先生の自信のない顔なんて見たことがない。今まで何も不可能だったことがないのだろう。アメリアの戸惑いを経験から予測できないのである。

「先頭を飛ぶということは、魔女様たちをけん引しろということですよね?」

「そうよ、魔女たちにうずもれる必要はないわ、凄く目立つわよ」

「目立つ、」アメリアは頬を両手で包んだ。「嫌、恥ずかしい」

「恥ずかしい? どうして?」

「先生には分かりません、私の気持ちなんて」

「魔法を使ってあなたの心を読んでもいい?」

「……出来れば遠慮してください」

「酷く疲れるからね、やらない」先生は舌を出した。

「先生は、隣を飛んでくれるのですか?」

「アメリアが先頭よ、私は並列して飛びません」

「あ、それじゃあ、」アメリアは少し安心した。「先生は近くにいてくださるんですね、良かったぁ」

「ええ、私は三越の屋上からアメリアを撮影するわ」

「そんな、」アメリアは頬を膨らませた。「あんまりです!」

「え? どうして怒るの? やめてよ、アメリア、」先生は物凄く狼狽えている。といっても微笑は絶やさない。「私、凄く混乱しちゃう、でも、そういうアメリアの顔も、キャワイイ」

「も、もう、いいです、」アメリアは何を言っても駄目だということを悟った。しかし、飛ぶ事実を心が受け入れたわけではない。物凄いプレッシャーに目が濡れてくる。指先とか足が震えるのを中々抑えられない。信じられない。名誉なことだとは思う。しかし、疑問が膨らむ。「どうして、私なんかが、そんな大仕事を?」

「あら、愚問ね、アメリア、そういう分かりきったことは聞くものではないわよ」

「先生に分からないことなんてないかもしれませんが、私は何も分かりません」

「どうして泣いているの?」

「泣いてません」

「舐めていい?」先生はキスするみたいに顔を近づけてきた。

「冗談はやめてください」アメリアは思わず笑ってしまった。

 先生も笑う。「あなたが一番高く飛んだでしょ?」

「一体、」アメリアは鼻水をすすりながら聞く。「なんの話でしょう?」

「登用試験のときの話よ、覚えていないの? あなたが一番空高く飛んだのよ、雲まで届きそうだった」

「登用試験のときは緊張で、何も」

「私は見ていたの、この塔の、屋上から」

 登用試験は宮殿から一キロ先のパーク・オブ・サイダーというファーファルタウで二番目に大きい国立公園で行われた。確かにアメリアはその試験で、飛んだ。

「アメリアよ、一番高く飛んだのは、知らなかったの?」

「そんなの、誰も言ってくれなかったから」

「私はちゃんとこの目で見たわ、」先生は自分の鳶色の瞳を指差す。「正確に、ね」

「でも、ちゃんとコントロール出来ていませんでした、途中で逆さまになったし」

「そのおかげで、アメリアのパンツの色もくっきりはっきり見えた、パール・ホワイトだった」

「嫌な思い出です、恥ずかしい」

「私も先頭を飛んだのよ、三年前」

「パレードの?」

「私も一番高く飛んだのよ」

「伝統なんですか?」

「伝統よ」先生はニッコリと微笑む。「よき伝統」

「嘘です、」アメリアは訴える。「それに、私は高く飛べるかもしれません、でも上手くコントロール出来るかといえば、そうではありません、勢いが付いたら、上手く止められません」

「いいえ、そんなことないわよ」

「そんなことあります」

「あと一週間も時間があるのよ」

「一週間しかありません」

「一週間後なんて遠い未来よ」

「無茶な期待をしないでください、それとも先生は何か素晴らしいことを教えて下さるのですか?」

「飛ぶことは魔女の基本中の基本、教えることなんて何もないわよ」

「酷いです」

「私、何か変なことを言った?」

 アメリアと先生は再び歩き出した。少し嫌な雰囲気。それはアメリアだけが感じているのかもしれない。アメリアは色々なことを考えながら、事実を受け入れようと努力した。先生の言う通りかもしれない。一週間も時間があるのだから、練習を繰り返せば上手く飛べるようになれるかもしれない。歩きながら深く呼吸をした。もしかしたら先生流の鍛え方かもしれないじゃないか。決定事項なのだ。覆せない。後ろ向きより、前向きの方が普通に考えて、気持ちが楽だ。

 階段を降りて一階までたどり着いた。目の前の両開きのドアを開くと食堂である。ドアを開き先生を通すのが礼儀であるから、アメリアはそのように動いた。急に先生がアメリアの手首を掴んで振り向かせる。これではドアを開けられない。

「アメリア知っている?」

「い、いいえ?」

「まだ何も言ってないでしょ、」先生は微笑む。「私たちの世代はね、ピチカート・ジェネレーションと呼ばれています」

「はい、知っています」

「どうしてでしょう?」先生は悪戯に笑う。先生はピチカートという名前だ。

「先生が凄い魔女だからです」

「はずれ」

「正解を教えてください」

「登用試験で誰よりも高く飛んだから、試験官はその時点で世代の総称を決めるの、ピチカート・ジェネレーション、そういう風に皆が言うようになったのは私が様々な事件を解決して名実ともに認められてからだけど事実私が世代で一番の魔女だから試験官の目は非常に正確だった、ということになる、い~い、試験官の目は非常に正確なの」

「自信を持てと、そういうことおっしゃいたいんですか?」

「三年後はどうなっているかしら?」

「私、」アメリアは火をつけられた気がした。「先生みたいになりたい」



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