第三章⑨
ミリカは南の城壁の扉から、誰にも咎められることなく外へ出た。宮殿の魔女たちはミリカが狙ったように北側へ慌ただしく走っていた。ストロベリーブロンドの服のおかげでアメリアを抱きかかえていても不審者扱いされることもなかった。アメリアが爆発に巻き込まれた負傷者に見えたのかもしれない。それを抱いて病院へ向かう魔女。そんな風にミリカは思われたのだろう。
ミリカは王都の南側のマーケットを低空で飛ぶ。
飛びながら、コレからのことを考える。
脱獄は果たした。
けれど、見つかるのは時間の問題だ。今頃ストロベリーブロンドはミリカが脱獄したことを魔女たちの常識にしていることだろう。宮殿の魔女、全てに王都中を探し回られたらミリカといえど、逃げ切れる自信はなかった。
急いで、あの人に会わなくちゃ。
本当はアレを持って、再会して、喜ぶ顔を第一に見たかったけれど。
大事なアレは、宮殿の中だろうか?
それなら、もう一度、宮殿へ、アレを取りに戻らなければいけない。
あの人と一緒なら、なんとかなるだろう。
とにかくあの人に会うのが先決だ。
あの人の手紙にあった住所は覚えている。
そこまで考えを巡らしたところで、民の視線がミリカに注がれ、手を振ったりと反応がとても大きいことが気になった。ミリカたちは宮殿の魔女の正装である。この格好のままでは必然的に注目を集めてしまう。ミリカは民に向かって、軽く微笑んで手を振り返した後、人気のない路地に入り込んだ。民が追いかけて来ることの出来ないくらいのスピードを出す。
ミリカは誰も周囲にいないことを確認すると箒から降りた。
さて、どうしようかと考える。
民家に入り、衣服を拝借しようか?
あるいは教会でシスターに変身しようか?
もしくは病院でナースになろうか?
はたまたハイスクールの学生に変身しようか?
服が好きなミリカはアメリアの顔を見ながら何を着せようか、考えてしまう。
本当は、そんな余裕ないのに、余裕がないからこそ、そういう楽しいことを考えてしまう。
と、そんなことを考えていたら、なぜか裏路地に看板を出す服屋を見つけた。ショウウィンドウにはマネキンが様々な職業の服装をしていた。そういう服を売る店なのだと思い、ミリカは神様に感謝して、アメリアの手足を拘束して店の外に座らせ、店の扉を押した。ピンク色の看板には、コスチューム・ローテーションと書いてあった。日本人のミリカにはよく分からない単語だった。
狭い店内には様々な職業の服が吊るされていた。シスターにナース、ハイスクールの制服、それからチャイナドレス、メイド服、軍服、巫女装束まで置いてあった。その品揃えに服が好きなミリカは楽しくなった。
「いらっしゃい、」店の奥から店主だろうか、化粧が濃く、フローラルな香りのする女性がミリカの傍までやってきた。女性はピンク色のかなり派手な、ハイスクールの制服を身に纏っていた。ミリカは西洋にはこんな派手な制服を採用している学校があるのかとカルチャ・ショックを受け、コレは犯罪だと思って女性を見る。「その衣装、まさか、宮殿の魔女のもの? 自作?」
ミリカはストロベリーブロンドから盗んだ本物とは言えないから愛想良く微笑んだ。
「素敵ね、でも気を付けなさいよ、宮殿の魔女の衣装を作ることは禁じられているんだから、」ミリカは店主の名札を盗み見た。蛍光色でメイベルと書いてある。「それにしてもよく出来ているわね、家宝にしたいくらい」
「ホント?」
「え?」
「メイベルさんがよければ、その、」ミリカはハンガーで吊るされた様々な衣装から適当なものを二着選んだ。フリルの沢山ついたドレスのようなメイド服と典型的な古い魔女の黒いカラスのような衣装だった。「この服と交換してあげてもいいよ」
「本当!」メイベルは歓声を上げて手の平を合わせた。「いいわよ、もちろん」
「交渉成立だねっ」
ミリカはメイベルの前で指を鳴らしかけたが、面倒くさいことを聞かれそうなので試着室を利用した。二つの衣装を前にして、悩んだ。どっちの衣装にしようか、二秒、真剣に悩む。メイド服を選らんで、ミリカは指を鳴らした。鏡の前で一回転してスカートの裾を軽く持ち上げる。立派なメイドさんの完成。ミリカは試着室から出る。
「はやっ、もう着替えたの!?」
その感想はごもっとも、ミリカは宮殿の魔女の正装をメイベルに渡し、お礼を言って店内から出た。
アメリアはすやすやと気絶したままだった。ミリカはその寝顔にキスして、指を鳴らした。黒づくめの古い魔女の衣装はアメリアにとっても似合っていた。さて、もう一着の宮殿の魔女の正装はどうしよう。ミリカは考えた。どこかに捨てておいてもいいけれど、視線の先にはマネキンがあった。ミリカは指を鳴らし、コスチューム・ローテーションの店先を後にした。
それからミリカはアメリアを背負って裏路地を歩いた。ミリカは眠ってしまった年若い魔法使いの主人を背負っている、働き者のメイドを演じる。途中で小さな川が見えてきた。ボートが頻繁に往来している。運河だろうか。ミリカは運河沿いを歩いた。覚えた地図を頭の中で広げながら、遠くからでも見える主要な建造物をヒントに、自分の位置を確かめた。多分、この運河をゆけば、あの人の住む場所に辿りつくことが出来るだろう。ミリカは足を早めた。
「おーい、そこのメイドさん」
なんだろうと思って振り返ると、運河を進むボートの上で若い男が手を振っていた。ミリカは無視を決め込んで歩き続ける。男はボートの速度をミリカと同じにしてピッタリと横に並んだ。「ボートに乗りませんか? ご主人を背負って大変でしょう?」
ミリカは男の大声にイライラした。アメリアが起きてしまうじゃないか。
「いえ、お金がありませんので」
ミリカは作り笑いを浮かべて上品に断った。
「お金なんていりませんよ、乗っていって下さい」
そう言われ、ミリカはこの男は真面目に仕事をする気がないのだと悟った。
「いいえ、お構いなく」ミリカは再度、上品に断る。
「そんな、ご主人を背負って大変そうだもの、そんな働き者のメイドさんを乗せるのが、きっと僕の使命なんだ」
男は胸に手を当て、ミュージカルの俳優のように通る声でつまらないことを言う。ミリカは前を向いて歩き続ける。男はなおも諦めない。
「信じられないのかな、君を必ず送り届けるよ、連れて行ってあげるよ、どこまでも、楽園と言われる場所にだって僕は君を連れて行ってあげることが出来る、神に誓ってね、素敵な世界に行きたくはないかい?」
よくもまあ、出鱈目が次から次へと出てくるものだと、ミリカは逆に感心する。しかし、男は嫌いだ。小さい女の子だったら、簡単に騙されている自信はあるけれど、男には騙されない。それはミリカが魔女だからだ。ミリカは黙って歩き続ける。しかし、男の大声は煩わしい。イライラする。裏路地に逃げ込もうかと思ったが、運悪く、煉瓦造りの横に長い建物が続き、逃げ込める道が遠い。
「きっと、君は、僕のことを、ちょっと勘違いしているようだね、そんな怖い顔をしていないで、僕に優しい微笑み分けてくれよ」
ミリカは男に付きまとわれることに限界を感じて、思わず怖い顔をして怒鳴ってしまった。きっとお腹が空いていたことも関係しているだろう。
「ちょっと、もうっ、いい加減にして!」
すると、男は口笛を吹いてボートの速度を速めた。しかし、ミリカはすぐに後悔した。男を追いやったのはよかったが、アメリアがモゾモゾと目を覚ましたからだ。
「……あれ? ココは? あなたは?」
ミリカは全力疾走した。次の曲がり角まで走った。そして人がいないことを確認するとアメリアの口を塞いで煉瓦の壁を背中に座らせた。アメリアはミリカを見て、目を見開いた。口の中で悲鳴を上げた。この状況に戸惑っているに違いない。ミリカは出来れば、アメリアと仲良くしたいと考えていた。そのための説明もなんとなく考えていた。その説明をアメリアにするのは、あの人の元に辿りついてからの予定だった。その方が、説明がしやすく、アメリアも理解しやすいと思ったからだ。しかし、あのつまらない男のせいで予定が狂った。
「静かにして、アメリア、静かにしてくれれば、私はあなたに何もしないから」
コレは本心だった。だから優しさも誠意も伝わったのだと思う。アメリアは怖がる目をしながらも頷いた。ミリカは口を塞いでいた手を離す。
離すとアメリアは静かに聞いてきた。「ココは、外、ですか?」
「ええ、そうよ」ミリカはどう話を切り出そうか、少し悩んでいる。
アメリアは路地から見える狭い空を見上げ、もう一度、ミリカに聞く。「ココは、外、なんですね?」
「だから、そう言っているでしょ」なんでこうも確かめたがるのか、ミリカには分からない。
「よかった」
アメリアは微笑み、そして思いっきり息を吸って、指笛を吹いた。
そのポーズにミリカは少し慌てた。「ちょっと、何をしてるの、」
しかし、音は聞こえなかった。
何も聞こえない。
とても静かな指笛。
音のない指笛。
アメリアは吹き続けているが、それは音のない指笛だった。
「あはは、下手くそ」ミリカはそのポーズが可愛かったのでアメリアの額を小突いた。
「えへへへ」アメリアもまるで姉に見せるような顔で微笑んでくれた。
しかし、ミリカにはこのやりとりが成立している意味が分からなかった。
「お手本を見せてあげる、」ミリカは親指と人差し指をマネーの形にして口に含んで、指笛を鳴らした。高い音が周囲に響いた。「どう、上手でしょ?」
「久しぶりだねっ」アメリアはミリカを見て大きな声を出した。
いや、正確には、ミリカの背後。ミリカは背後を振り返った。
突風がメイド服をはためかせる。その突風は目も開けられないほど、しかし、ミリカは瞼をこじ開けて、突風の根源を網膜に映した。
アメリアは手を伸ばし、鳶色の瞳に、ミリカの瞳に映る、同じものを映していた。
「久しぶりだね、ブリジット!」
ドラゴンが空を飛んでいた。




