第三章⑧
ケイジとピチカートはブリジットの背に乗って雲の上を飛行していた。
「そろそろ三時、宮殿に帰っておやつの時間にしよう」
ケイジはピチカートの耳元で囁いた。ケイジは手綱を握ったピチカートの後ろで様々なアドバイスを送っていた。しかし、そのほとんどがピチカートには必要ないものだった。ぎこちない手綱さばきだが、ピチカートはすでにブリジットと心を通わせ、ブリジットを思いのままに操ることに成功していた。ブリジットが言うことを聞かないことも、少なからずあるが、その場合に交わされるコミュニケーションも含めて、ケイジは彼女をドラゴン使いと呼んでもいいと思っている。白いドレスのドラゴン使い、とても素敵じゃないか。
「もう少し、飛んでいたい」ピチカートはケイジの囁きに反論した。
「駄目だ、降りよう、疲れているだろ? 手綱をこっちに」
ケイジはピチカートから手綱を奪う。ピチカートは言葉とは裏腹にすぐに手を離して、ケイジに背中を預けてきた。ピチカートの髪が口の中に入りそうだった。「はぁ」とても大きく呼吸するのが聞こえた。今までずっと緊張状態にあったのだから、疲労していて当然だ。
ブリジットはイリアナーズ・パークに降りたつ。巨大な翼が畳まれた。ケイジが先に背中から飛び降り、ピチカートに向かって背を差し出した。ピチカートはケイジの手を取って軽くジャンプするように地面に飛び降りる。白いドレスの裾がふんわりと膨らむ。ピチカートは一度しっかりと立ったが、バランスを崩したように、ケイジにもたれ掛ってきた。
「大丈夫か?」ケイジは笑いながら聞く。
「少しバランスを崩しただけ」笑いながらピチカートは言うが、なかなか自分で立とうとしない。
「コレはチャンスだな」ケイジはピチカートの顎を持って顔を近づける。
「私の本気を、見たい?」ピチカートはケイジを上目で睨んだ。
「すいません、冗談です、」ケイジは顔を後ろに逸らした。「それにしても、いつまで恋人同士みたいに君を抱いていればいいわけ?」
「ああ、アンタがアメリアだったら、今日は本当に素敵な一日になりましたのに、」甲高く言いながらピチカートは慎重にケイジから体を離した。「もう、大丈夫です、ありがとう」
ピチカートはブリジットを見上げた。
ブリジットは静かにピチカートを見ていた。
すでに怖くはなかった。すでに違う感情。信仰の対象に近いものが、例えばバルブレアのウイスキーを愛するような、そういう気持ちが沸いていた。単刀直入に言うと、ピチカートはブリジットを気に入ってしまった。
「また、明日もブリジットに乗ってもいいかしら?」ピチカートは振り返って尋ねる。
「何もなかったらね」ケイジは頷いた。
ケイジとピチカートはドラゴンたちの空間の外へ出た。イリアナーズ・パークの芝の上を歩く。来た道を戻る。おとぎ話の世界から日常に戻るみたいだと思った。振り返って後ろに歩きながらコロッセオを見上げる。やっぱりドラゴンなんていないみたいに静か。
「何か、分かったかい?」ケイジがピチカートに尋ねる。
「アメリアのこと? いいえ、何も、」ピチカートは首を振った。しかし、愉快な表情をしている。愉快な表情のままピチカートは箒に跨り空を飛んだ。空を飛び一回転して、また芝の上に立つ。「あなたの言うとおりだわ、ドラゴンに乗ったって何も変わらない、逆に風を繊細に捉えることが出来るようになったかもしれない」
「そうか、残念だね」ケイジは顎を触る。
「何が?」
「いや、だって、アメリアが空を飛べない原因は結局分からなかったんだろう?」
「そうね」ピチカートは微笑んでいる。
「そうねって、それでいいの?」
「いいのよ、ドラゴンに乗るって素敵なことね、私は確信したわ、アメリアはブリジットに乗ってパレードの先頭を飛ぶべきよ、箒に乗るよりも、断然、そっちの方が素敵だわ」
「いや、箒に乗らなきゃ駄目じゃないか?」
「私がなんとかする、運営委員会に掛け合ってみる」
「君は面白いな」
「アメリアのためだもの」
「なんて説明するの?」
「そうね、」ピチカートは天を仰いで瞳を閉じた。「パレードの趣向を、ここらで一つ、変えてみませんか?」
その時だった。強力な風圧がピチカートの髪の毛を揺さぶった。スカートがはためく。
振り返る。
金属が千切れる音。
ブリジットが空に飛びだしていた。




