第三章④
朝、アメリアが目を覚ますとベッドにピチカートの姿はなかった。
アメリアは昨日の夜のことを少し思い出しながら、身支度を整えた。お酒を飲んだおかげで、頭はスッキリしている。昨日泣いたせいもあるだろう。今日も、また、練習を頑張れるような気がした。
カーテンを開けた時、ドアが小さくノックされた。誰だろう?
「はぁい」とドアを開ける。
「おはよう、アメリア」ピチカートだった。どうしてわざわざノックなんてしたんだろうと思ったらピチカートの両手は塞がっていた。左手に白ワインのボトル、右手にピンクを基調にした色鮮やかな布。
「おはようございます」
「素敵な朝ね」
「どうぞ」アメリアは部屋へピチカートを誘う。
「言われなくても」
ピチカートは部屋の中に入り、ベッドにその布とワインボトルを置いた。それから書棚の一番下のファーファルタウの分厚い歴史書、コレもウイスキーボトルを収納している百科事典と同じように中にワインボトルを収納できるようになっている。お酒を隠しているのは、アメリアの年齢での飲酒は法律で禁止されているからだ。
「コレは絶対に飲んじゃ駄目よ」ピチカートはそこにワインを収めた。
「なんのワインですか?」
「さあ、飲んでみないと、そもそもワインじゃないかもしれない、毒の可能性もある」
「毒?」アメリアは朝から目を見開く。「そんな危険なものを私の部屋に置いていていいんですか?」
「大丈夫よ、触ったりしなければ」
「そうではなくて、もし、誰かに盗まれたりしたら」
「その理屈だったら、この部屋の方が絶対安全、誰が、この狭い部屋に毒の入ったボトルが置いてあるなんて考えるかしら」
「確かに、そうですけれど」
「同じ理屈で、コレも箪笥の一番下に入れて置くわね」
「その布はなんですか?」
「さあ、東洋の国の民族衣装らしいけど、詳しいことは分からないわ、とにかくココにしまって置いて」
ピチカートは箪笥の引き出しに着物をしまった。アメリアは少し興味があった。後で、内緒でじっくりと見てみようと思った。「それにしても、どうして先生がそんなものを?」
「昨日の夕方、いなかったでしょ?」
「はい」
「昨日、東洋の魔女と追いかけっこしてたの」
「その魔女が着ていたものなんですね」
「いいえ、風呂敷に包んでいたもの、そのボトルもね」ピチカートは歴史書を指差し言った。
「気になりますね」
「うん、それでね、ピチカートにお願いしたいことがあるの」
「仕事、ですか?」
「そうね、仕事ね、立派な仕事」
アメリアは鳶色の瞳を輝かせた。こんな風に仕事を頼まれることは初めてだからだ。「は、はい、なんでもやります!」
「凄く元気ね」ピチカートは微笑んだ。
「はいっ」思いっきりの笑顔をピチカートに見せる。
「いいわ、じゃあ、付いてきて」
アメリアはピチカートの背に付いて部屋を出て階段を降りて地下へ辿り着いた。
「地下に来たのは初めて?」薄暗い通路には蝋燭の灯りが等間隔で並んでいた。足元は暗くてよく見えない。ピチカートはアメリアの手を握って聞く。
「いいえ、ヘティと、何度か」
ピチカートには内緒だが、好奇心に任せてヘンリエッタと塔の内部、また宮殿の内部を探検したことがある。それは一度や二度のことじゃない。閉塞された空間の中、退屈な毎日のアメリアには、地下は非日常的な空間として非常に魅力的だった。
「そう、ココよ」拘置所の前でピチカートは立ち止まる。
「ココは?」アメリアは幾度もこの前を通って、この場所を知っていたが、素直そうな顔をして、わざと聞く。
「拘置所よ、ここに東洋の魔女がいるの、アメリアには看守を、要は魔女が悪いことをしないように見張っていてほしいのよ」ピチカートは拘置所の鍵を開けた。
「はい、頑張ります」息を呑む。
「入りなさい」金属の扉が音を立てて開く。
「はい」
アメリアは拘置所に足を踏み入れた。電球のオレンジ色の灯りが廊下の暗さと比べて眩しい。目を細めてアメリアは部屋の中を見回した。右の壁際には机と椅子があった。机の上には紙とペンとスタンドライト。それ以外に何もない。奥に視線をやる。鉄格子の向こうに側に囚人服を着た魔女が手足を鎖で繋がれ、人形のように壁にもたれていた。いや、ほんとは人形で、先生は私を騙そうとしているのだと思った。あるいは頬の鋭い傷や乱れた髪の毛から想像したのは、すでに死んでいる、という怖いこと。アメリアはピチカートの顔を見た。表情は何も変わっていない。ピチカートは鉄格子に近づき、東洋の魔女を見て呟く。「……うん、全然、大丈夫そう」
「な、何が大丈夫なんですか? 死んでないですよね」ひっくり返りそうな声でアメリアは聞く。
「扉を閉めて」
「はい」アメリアは扉を閉めた。バタンと不協和音が響く。
「この魔女はそう簡単に死なないでしょうね」
「そうですか」ピチカートの一言に安心する。いや、安心するのも変な話である。死体を拘置所に入れて置くなんて普通に考えてありえないのだから。
「大丈夫って言ったのはね、」
「え?」
「呪いがちゃんと機能しているか心配だったから」
「呪い?」
「こっちに来て、しゃがんで、魔女のココを、」ピチカートは自分の左目の下を指差し言った。「見てみなさい」
アメリアは言われた通りにしゃがんで魔女の左目の下を覗き込んだ。小さくマークが描かれていた。「……砂時計」
「そう、砂時計、砂時計の砂が全部落ちるまで、この魔女は魔法を使えないわ」
砂時計の砂はほとんど落ちていなかった。上の部分が黒く塗り潰されているままである。
「どれくらい、ですか?」
「この調子なら、二週間は持続するんじゃないかしら、だから、安心して」
「仕事は?」
「この椅子に座って監視をしているだけ、もし魔女が目を覚ましたら、シャーロットを呼びなさい、シャーロットにあなたをフォローするように言っているから、いや、アメリア、あなたが尋問をしてもいいわ、魔女の名前、出身、年齢、様々なことを聞き出してこの紙に記録しておいて、コレが、あなたの仕事よ、理解した?」
アメリアは頷き、鉄格子に向かって椅子に座った。
「朝食はまだよね?」
「え、あ、」そういえばまだだった。いまいち上手く頭が回転しない。そういうことにまで気が回らない。「そうでした、まだでした」
「係りの魔女があなたの分と拘禁者の分を用意してくれるから心配しないでね」
「はい」
「じゃあ、私は、行くよ」
「はい」
「じゃあ、そうね、頑張るのよ、アメリア」ピチカートは扉の外へ出て行った。




