07
ウルム草原の東側は、西側よりも岩が多いくらいで、特に見た目に変化は無い。北東に伸びる街道を辿れば、バウムレーヌの森と同じく、ダンジョンの一つである古城、ノッペルシュテルン城があるのだと、ピーターが教えてくれた。
「でも、ノッペルシュテルン城に行くのはおすすめできませんよぅ。あそこはバウムレーヌの森に出るやつより、もっともっと強いモンスターの巣なんです。まあもっとも、城門は固く閉ざされていて、中に入るには上から飛んでいくしかないですから、今の主人には無理ですけど」
「そっか」
「でも、〈グリフォン〉が召喚できるようになったら、行ってみてもいいかもしれませんね。中にはお宝があるって聞きますよぅ」
「お宝?」
「なんでも、城主がずっと隠していたっていうレアアイテムがあるとか」
「ふぅん……」
人が入れない古いお城に隠された宝物、よく聞く話だ。宝物と言うのが気にならないと言えば少し嘘にはなるが、ユウコはピーターの言う通り、行くのはやめておこうと思った。
そもそも到達手段が無いのだから行っても無駄だと思うし、バウムレーヌの森より強いモンスターが居る所になんて、ユウコは行きたくなかった。仮に行けたとしても、きっと行かないだろう。好奇心は猫をも殺す、命は大事である。
「さあ主人、お話はこのくらいにして、早速レベル上げをしましょう。丁度向こうに大ネズミが二匹居ますから、ぱぱっとやっつけましょう!」
ピーターが指し示した方には、ユウコの胸と同じ高さくらいの大きな灰色の野鼠が二匹、のそのそと歩いている。ユウコは頷くと、ピーターと共に近くの岩陰に身を潜めて、二匹の様子を窺った。
「いいですか主人、おさらいですよぅ? 向こうがこっちに気づかない内に先制攻撃をすれば、確実に先手を取れて有利になります」
「今がチャンス……ってこと、だよね」
「そうです。特に主人、【アリス】は召喚師です。召喚獣を召喚して身を守らせますけど、それには限度があります。こういう1対多数の戦闘では、どうしても主人に危険が及ぶかもしれません。だからこそ、先制して敵にダメージを与えて、一体にかける時間を減らすことが、主人をより安全にすることになるんですよぅ」
「うん……」
「それと戦況をよく見て、上手に僕に指示を出して下さいね。僕は主人の命令に僕なりに従いますけど、こうした方が良いなと思ったら、また僕に詳しい指示を下さい。召喚獣を上手に立ち回らせることが、召喚師の役割です。上手くやれば、1対多数でも互角以上に戦えますよぅ」
「できる、かな」
「もう5回目の戦闘ですよぅ?大丈夫。まだまだ未熟でも、主人はちゃんとできてます。さ、早く僕に命令して下さい。でないと見つかっちゃいますよぅ」
「わ、分かった」
ユウコは大ネズミ達の動きをじっと見つめた。二匹は特に意味も無くうろうろと徘徊しているだけのようで、まだこちらに気づいていない。今ピーターに攻撃の命令を出してもいいだろうが、どうせならもっと隙を突いた方が良いだろう。小心者ならではの思慮深さだが、こういう場合はそれが勝利の確実性を呼び込むものだ。
少し間隔が狭まった鼓動を感じながら、じっとユウコは二匹の様子を窺う。
「(もうちょっと、もうちょっと……)」
大ネズミの一匹が、ユウコ達の隠れる岩を通り過ぎていく。そしてそれを追うように、もう一匹も岩を通り過ぎる。
二匹とも、完全にこちらに背を向けた。
「ピーター、えっと……手前の大ネズミに、攻撃!」
「はい主人!」
指示を受け、ピーターが岩陰から飛び出していく。狙いは勿論手前側、より岩に近い方の大ネズミだ。
大ネズミ達は突然飛び出してきたピーターに気づき、慌てて身を翻そうとするものの、肉付きの良いその巨体ではあまり素早い方向転換はできない。ピーターは1回、2回と地面を蹴ると、大ネズミがこちらに向き直るより早く、その背中に蹴りを入れた。
ピーターに蹴られた大ネズミは、弾丸のような勢いで繰り出された蹴りの勢いを殺せず、そのまま地面から浮き上がり、後方に吹っ飛んだ。しかも二匹は縦一列の形で歩いていたため、まるでビリヤードのように、奥の大ネズミをも巻き込んで、二匹仲良く吹っ飛ぶこととなる。
「主人さすがですね! とってもいいタイミングですよぅ! 二匹まとめて先制成功です!」
「た、たまたまだと思うけど」
「でも、タイミングが良いのは本当ですよぅ。背後からの完全な奇襲になりましたから!」
「そうかな……」
ピーターは蹴りの反動で一回転して地面に着地すると、背後の主人を褒めた。ユウコが自分の教えをきちんと理解しているのが嬉しいらしく、意識は大ネズミ達に向けたままではあるものの、短い腕を振って嬉しそうにしている。褒められ慣れてはいないが、やはり嬉しいものは嬉しくて、ユウコは思わず笑顔になった。
「でも主人、まだ戦闘は終わってませんよぅっ。ほらほら、早く次の指示を下さい! 二匹がお互いを押し合って起き上がるのに手間取ってますから、すっごくチャンスですよぅ!」
「分かった……っ」
揉み合いながら起き上ろうとする大ネズミ達は、確かに隙だらけだ。この機会を逃す手も無いだろう。ユウコはピーターに上に乗っかっている大ネズミに追撃の指示を出した。
ピーターは命令に従い、起き上がろうと反転した大ネズミの柔らかな腹に向かって、空中から錐揉みのキックを叩き込む。この兎の見た目にそぐわない強烈な蹴りの衝撃は、直接攻撃を受けた大ネズミ一匹に留まらず、更に下敷きにされているもう一匹にも届いたらしく、二匹は折り重なったまま悶絶することになった。
「主人、次は!?」
「あっ、えっと、〈クロック・スマッシュ〉で、まとめて倒せるかな……?」
「いけますよぅ!」
ぴょこぴょこと再び大ネズミ達から距離を取ったピーターは、金色の懐中時計をチョッキのポケットから取り出して、きらりと光らせた。
〈白兎〉の初期スキル〈クロック・スマッシュ〉は、〈白兎〉自身の魔力を使って懐中時計を巨大化させ、それで敵を攻撃するという攻撃技だ。初期スキル故に使用する魔力が少なく、その割に今のレベルでも子鬼の体力を優に半分持っていける、使い勝手のいい技だ。とは言え、ピーターの魔力が今はそう高くないので多用することはできないのだが、こうしてとどめを刺すのには最適である。
「ていっ! 〈クロック・スマッシュ〉!!」
強く地面を蹴り、宙に身を躍らせる。大ネズミ達の真上に来るように飛んだピーターは、大きさを身の丈ほどに変えた懐中時計の上に乗ると、自重と重力で落下速度を上げたそれで、真下で悶絶していた二匹を、轟音を上げて一気に圧し潰してしまった。
「ピーター……」
無事だとは思うものの、それなりの質量が地面に衝突して巻き上げた土埃の中では、自分の〈白兎〉がどうなっているのか確認することはできない。ユウコは少し鼓動が早まるのを感じた。
もしかしたらぶつかった時、時計から落ちて一緒に潰されてやしないだろうか。そうでなくとも、ピーターは体重が軽い兎だから、落下の時に既に落ちていやしないだろうか。少し考えただけで、ユウコの頭には怖いことばかりが浮かび上がる。
「……ピーターっ」
「主人、戦闘終了ですよぅ!」
返事が無いので思わず駆け寄りそうになったユウコの足を、朗らかな声が止める。件の兎は至って元気そうな様子で銀貨を二枚手にして、僅かに窪んだ地面の中心から現れた。
「はい、これがドロップしたお金ですよぅ。……どうしました主人?」
「ううん、何にも……」
「そうですか?」
肩透かしを食らったような気分になりながら、銀貨を受け取ってピーターを抱き上げる。この兎が自分なんかよりよっぽど強く、頼もしいことは分かっているが、それを些細なことであっさりと覆してしまいそうな戦闘というものは、いくらゲームでも苦手だなあと、ユウコは思った。
「ふぅ……」
「あ、そうだ主人、多分そろそろ来ると思うんですけど……」
「え? 何が?」
パッパラパパー!!
「!?」
突然脳裏に響いたファンファーレの音に、有子は思わず身を強張らせた。一体何事だろうか。
「あ、やっぱり。今のでレベルアップしましたね主人!」
「レ、レベルアップ?」
ユウコの腕の中の兎が、「おめでとうございます!」と言ってぱちぱちと拍手を送ってくる。どうやら今のはレベルアップの合図だったようだ。
まだ少し驚いていると、今度は自動的にウインドウが開いた。内容はユウコのパラメーターがどう上がったかを示すもので、どうやら魔力関係のパラメーターが特に上がっているようだった。おそらくアバターの影響なのだろう。その他は平均的に上がっている。
パラメータに似一通り目を通すと、今度はメッセージウインドウが開いた。内容は「人間族固有能力「可能性」が発動しました」というものだった。
「えっと……これ、何?」
「主人は人間族ですから、レベルアップの時にボーナスが付くんです。そのボーナスは、主人が好きなパラメーターに割り振れるんですよぅ」
「ああ……これが……」
そういえば、ファウストにそんな理由で人間族を勧められたのだったかと、ユウコはぼんやりと思い出す。目の前のウインドウは3ポイントのボーナスをどのパラメーターに振り分けるのかを選択するもので、どれをどうするべきかピーターに尋ねると、防御に振っておいた方が良いと言われた。ファウストと同じ意見である。
二人(一人と一羽と言うべきか?)から勧められたのだから、それに従おう。ユウコは物理防御と体力、スタミナにボーナスを割り振った。
「そういえば……ピーターのレベルって、上がらないの?」
「召喚獣のレベルは召喚主のレベルと同じなんです。これで僕もレベル2ですね」
「そうなんだ」
「はい! それじゃあレベルも上がったところで、この調子でどんどん行きましょう! ほら主人、早く早く!」
「……うん」
戦闘にまだ苦手意識を持つ主人とは反対に、腕の中で勇むピーターにせっつかれて、ユウコは草原を進んだ。
***
パッパラパパー!!
ファンファーレの音が響き、ユウコはぼんやりと「あ、レベルが上がったんだ」と思った。最初こそ突然の大音量に驚いたものの、4回目ともなればさすがにもう驚かない。ただ、少々その大音量は耳に痛いが。
自動的に開かれるウインドウでステータスの上昇具合を確認し、ボーナスを割り振る。よくは分からないが、ファウストとピーターのアドバイスに従った結果、魔法使い系のアバターにしては着々と打たれ強くなっているのではないだろうか。召喚師である【アリス】は直接敵を攻撃したりするような魔法を覚えず、魔法自体を連発する必要もないので、こう考えれば、魔法を多用するタイプに向いたエルフ族ではなく、人間族にしたのも、もしかしたら良い選択だったのかもしれない。ユウコは病弱そうな青年に密かに感謝した。
「主人、これでレベルが5になりましたね。目標達成ですよぅ!」
「あ……そういえば」
セネルと別れてから(逃げてから)まだ1時間も経っていないのだが、あっさりと目標レベルに到達してしまった。レベル上げはもっと大変なのだと思っていたので、ユウコは少し拍子抜けしてしまった。
ユウコはゲームに関しては素人故に知る由も無いが、本来レベル上げという作業は、レベルが低ければ低いほど容易な作業だ。レベルアップまでに必要とされる経験値が少ないためである。レベル1から5までなんて、大した労は要さない。【トロイメライ・メルヒェン】のリリースから3日も経っている今、レベルが1桁のPCは珍しい部類に入るだろう。
「どうします主人、このままレベルを上げますか? それとも、そろそろ装備を揃えますか?」
「んっと……」
有子はちらりと時計を見た。15時を少し過ぎた頃である。このままレベルを上げてもいいのだが、近所のスーパーのタイムセールが16時からだ。一人暮らしの身としては少しでも食費を浮かせたいので、苦手意識が拭えない戦闘に集中してこれを逃してしまったら痛い。
「装備にする」
「はい、分かりました!」
ユウコはピーターと連れ立って、ムールシュタットに帰還することにした。2日間の操作練習で街を練り歩いたこともあり、ムールシュタットの地理は大体分かっている。店を探して時間を食うようなこともないだろうと考えたのだ。
ユウコ達は街道沿いに道を行き、草と岩の間に聳える石壁に設けられた東門を通ると、地面が草の緑から石畳の灰色に変わる。同時に地面を踏みしめる音も、柔らかな草を踏む静かな音から、固い石畳を蹴る、軽くて大きな音に変わった。
公式サイトの世界観説明によると、この【トロイメライ・メルヒェン】の世界は、日本列島を模しているらしいたった一つの列島で出来ている。更にこの列島は、全てのモンスターを無限に生み出すとされる、ヴァルプルギスの闇という底知れない闇で出来た巨大な壁により、東と西、北東の辺りを別たれ、日本でいう東日本と西日本、北海道に、完全に三分割されているのだ。
この三分割された地方はそれぞれ国が総べており、北がズィルドレイト公国、西がアーベルガンド王国、東がゴアヴェレッダ帝国という。ユウコの居る帝都ムールシュタットは、ゴアヴェレッダ帝国を総べる皇帝のお膝下だ。
そのためムールシュタットはゴアヴェレッダの首都として、大変に栄えているらしい(らしいというのは、ユウコが他の街を知らないせいだ)。皇帝の住むゼッヘルレッケン城を中心に円形の石壁で囲まれた城下町は、日のある内は常に音が絶えない賑やかな街だ。その音は主婦達が噂を囁き合う声であったり、売り子が客寄せをする声であったり、子供たちの笑い声に泣き声、馬の嘶きから犬の吠え声、衣擦れと足音と、枚挙に暇がない。
ユウコも最初はまるで現実世界の街に居るようなリアルな街特有の喧騒に驚いたが、今ではこの喧騒を聞くと、確かに自分が【トロイメライ・メルヒェン】の世界に居るのだと強く思えるようになった。
「本当、賑やか……」
「帝都ですからね。国の中心が沈んでいたら、そんなとこ滅びちゃいますよぅ」
「あ……そ、そうだね」
はぐれないようにと抱き上げたピーターと他愛ない会話をしつつ、ユウコはNPC達の間を通り抜けて、まずは噴水広場に向かった。目的の店は、噴水広場からゼッヘルレッケン城に向かう大通りに面しているのである。
「お店に行ったら、まずワンドをスタッフに買い替えましょうね。あとはマントと、良ければアクセサリーとか帽子も買っちゃいましょうよぅ」
「あの、お金足りる……?」
「意外に稼ぎましたから、多分大丈夫ですよぅ。今150Gはありますよね?」
「どうだったっけ…………あ。ある」
「じゃあ買えると思いますよぅ。初心者用の防具はそんなに良い物でもないですから、値段もそれなりです」
「そっか」
「はい。……あ、主人見えてきましたよぅ。あのお店です」
大通りに出た様々な店の看板の中でも、交差した2本の剣の絵が描かれた看板は、目当ての武器屋のものだ。
場所は知っていても、実際に入るのは初めてである。ユウコはピーターを下ろして、少しだけ緊張しながらドアを潜った。
思っていたよりも広い店の中には、大小様々な剣やナイフ、斧などが大量に商品棚に置かれていた。ユウコはこういったあからさまな殺傷能力を有する武器を見たのが初めてということで物珍しく感じ、それらをしげしげと眺める。値段の上昇と共に装飾などが華美になって行くなどの違いがあって面白いが、どれもこれも基本的に金属製であるので、最終的なユウコの感想は、「重そう」という一言だった。特に自分の肩幅と剣の幅が変わらないような大剣を見て、こんな物を一体誰が持てるというのかと疑問を抱いた。
「ほらほら主人、そんなの主人じゃ持てませんよぅ?」
「あ、うん」
「主人はこっちですよぅ。ほら、あれです」
大剣を眺めていたユウコをピーターが呼び寄せ、棚の商品を指し示す。どうやら右の棚が魔術系の武器らしく、10数種類の杖が置かれていた。他の武器より種類が少ないが、カウンターの向こうから鉄を叩く音が聞こえるので、奥に工房があるのだろう。この店は基本的に、鍛冶職人が作った金属製品を扱っているようである。杖の殆どは木製だった。
ユウコは杖の中でも、かなりシンプルな造りの杖にカーソルを合わせる。説明のウインドウが現れ、そこには「スタッフ 魔力↑2 魔法攻撃力↑3」とある。値段は30Gだった。
なるほど、安い。これならマントやアクセサリーも買おうと言ったピーターの言葉にも納得がいくと、ユウコは密かに頷く。そしてスタッフを手に取ると、カウンターの方に向かった。
「おう嬢ちゃん、いらっしゃい」
奥の工房で作業をしていた体格の良い男が、客であるユウコの姿を視界に捉えたらしく、作業を中断してカウンターにやって来た。男は牛の獣人なのか、こめかみの辺りに角が生えている。
「あの、これ、下さい」
「スタッフか。30Gだが……お嬢ちゃん見ない顔だな。初めての客だろ?」
「、はい」
「よし、じゃあ初回サービスで5Gまけてやるよ。25Gでいいぜ」
「えっ………いいん、ですか?」
ユウコは男の言葉に、期待と不安が混ざったような声で確認する。割引は嬉しいのだが、後で何か要求されたりするのではないかと、ユウコにありがちなネガティブな考えだった。
「ああ。そんな声出さなくても、何にも裏は無いから安心しな。その代わりと言っちゃなんだが、これからもうちの店で買い物してくれよ」
「あっ……は、はい……」
しかし、男はユウコのそんな様子に苦笑し、大げさにひらひらと両手を振った。どうやら相当な疑心暗鬼に見えたらしい。ユウコは赤面して少し俯き、いそいそと硬貨の入った小袋から銀貨2枚と銅貨5枚を取り出し、カウンターに乗せた。
「確かに。ありがとさん。そっちのワンドはどうする? 売るか?」
「えっと……」
足元のピーターを窺うと、ピーターは小さく頷いた。売ってしまった方が良いのだろう。ユウコは頷いた。
「よし、9Gで買い取りだ。まいどあり。そんじゃお嬢ちゃん、レベル12くらいになったらまた来な。そのくらいになったら、メイジワンドに買い替えた方が良いぜ」
「は、はい」
「じゃあな、気を付けろよ!」
ユウコは終始こちらに気を遣ってくれた男に恐縮しながら、買ったばかりのスタッフを抱くようにして深々と頭を下げ、ピーターと店を後にした。
「……主人。主人っていっつもあんな感じなんですか?」
「えっ」
店を出ると、静かだったピーターが少しだけ呆れたように声をかけた。
「もー、しゃきっとして下さいって言ったじゃないですか。まさか買い物の会話すらちょっと問題があるなんて……僕主人に頼られるのは嬉しいですけど、一々僕が口出ししてたら、どっちが主人か分かりませんよぅ?」
「う……ご、ごめん、なさい……」
「全くもうっ。主人は僕が居ないと全然駄目なんですね」
「…………そう、かも」
「……そこは嘘でも否定しましょうよぅ。主人らしいとこ主張しないと」
「……(そうだよね……私ちょっといくらなんでもあれはない。あんまりにも情けない……本当私ってどこまでも駄目なのね……)」
と言われても、ユウコはこの〈白兎〉に初日からずっと頼りっぱなしだ。レベル上げをしたおかげで操作メモが無くとも一通りの行動はできるようになっていたとは言え、ユウコにとってMMORPG【トロイメライ・メルヒェン】は、まだまだ未知のものだ。主人らしくと言われても、今この兎の小さな手を放すのは、とても怖い。
しかし、やはりピーターの言うことにも一理あるのだ。さすがに買い取りのことまで判断を任せたのは、主人としてちょっと情けなさ過ぎる。ユウコは改めて己の行動を振り返ったが、かなり気分が沈んだ。穴があったら二度と出てきたくないくらいに。
「………」
「……まあそれでも、ユウコ様は僕の主人ですから」
「……?」
ピーターはぴょんと前に躍り出ると、じっとそのピンク色の大きな目でユウコを見つめた。ユウコもまた意気消沈しながらもその場にしゃがみ込み、こちらをみつめるピーターの目を、じっと青い目で見つめ返した。
「主人。僕はずっと主人の味方ですし、主人のこと大好きですよぅ。どんなに僕の【アリス】が頼りがいがあっても無くても、ポジティブでもネガティブでも、僕の主人はユウコ様だけです」
「…………」
「僕は主人のこと、見捨てたりしませんよぅ」
「………、うん……」
ユウコは背伸びして頭を撫でてくれる〈白兎〉を見て、まだまだこの手を離せそうにないなと思った。