06
「バウムツヴェルク?」
「確かこの街道の先のバウムレーヌの森に生息する、レアモンスターの名前ですよぅ」
聞きなれない単語に疑問符を浮かべた主人にピーターが補足すると、セネルは「そう!」と大きく頷いた。
「前に【長靴を履いた猫】と【磔刑】のアバターの人と一緒に森に行ったんだけど、そこでたまたま遭遇したんだ。それがまた超可愛いのなんの! 前はできなかったけど、絶対あの子を使い魔にするって決めたの!」
「あの、使い魔って……?」
「召喚獣と同じですよぅ。ただ、召喚獣は異世界から呼び出される存在ですけど、使い魔はこの世界のモンスターを契約で従わせた存在なんです」
「そういうこと。あたしのアバター【ハーメルンの笛吹】は、モンスターを捕まえて従わせる魔法が使える調教師なの。勿論、スキルによって従えられるモンスターの種類と数は制限されるし、自分より上のレベルのモンスターも無理だけど」
「えっと……もしかして、セネルさんのお願いっていうのは……」
「そっ。バウムツヴェルクを使い魔にするの、手伝って!」
セネルは両手を合わせて頼んでくるが、いかんせん、それはすぐさま快諾できるようなものではなかった。
1つは、ユウコの性格の問題だった。ユウコはネガティブで人付き合いが苦手、内面に踏み込まれるのを嫌うタイプだが、セネルはその真反対、明るく社交的な、しかし少々馴れ馴れしい性格をしている。向こうはどう思うか分からないが、ユウコとしては、そういった人種が苦手だったのだ。
その上、彼女とユウコは初対面である。MMORPGは見知らぬ他人と冒険をすることも特徴の一つだが、性格的に、ユウコは見ず知らずの赤の他人と共同作業をするということに、全く乗り気ではなかった。完全にソロプレイヤー気質なのである。
2つ目は、現実的なレベルの問題である。ユウコの今のレベルは1。更に装備は初期装備のワンドただ一つのみで、防具も無い。ウルム草原から先に進むには、レベルも装備も足りなさ過ぎるのだ。
しかも、セネルがユウコを守ってくれるというのならまた少し話は変わるだろうが、子鬼と大ネズミの群れに苦戦していたことから、セネルのレベルとて高くないことは明白だ。まだステータス画面は見ていないが、恐らくせいぜいが2、良くて3だろう。その上先程の先頭の様子から、使い魔も0であることが分かる。そんなセネルがバウムレーヌの森に挑み、更にそこのモンスターを従えるということが非常に無謀な話であるのは、初心者のユウコにすら分かった。
「ね、お願いユウコちゃん!」
「あっ………その、えっと……」
困った。非常にまずい。ユウコは内心焦っていた。
この「お願い」は、どう見ても集団自殺へのお誘いだとしかユウコには思えなかった。だがセネルにはきっとその自覚が無く、だからこそ「ちょっと一緒にコンビニ行こう」くらいの軽さで誘っているのだろう。
はっきり言って、ユウコはこの誘いを断りたくて仕方がない。しかしユウコは小心者だ。相手がどう言い返すのかが怖くて、自分の意見を言えない。そんなユウコにとって、セネルのような快活な人間が持つ自然な強引さは天敵とも呼べるくらい相性が悪く、その上相手が自分の発言に対して無自覚であることが、余計に断れなくさせている。
「そ、その、前に一緒に行った人達は、今日は……?」
「それが猫目さんもセドリックも、まだログインしてないんだ。ていうか、多分ユウコちゃんって大学生かニートでしょ? 今昼間だし。あの二人社会人と高校生らしいからさあ」
「……ニートではないです」
遠回しにその人達と行って欲しいという意味を込めて尋ねてみたが、どうやらそもそもそれが駄目だったらしい。
とりあえず、ニートだと思われるのは心外なので、ユウコはそれだけは否定しておくことにしたが、根本的には何も解決していない。やはりユウコは頭を抱えることになった。
「(「バウムツヴェルクを使い魔にするだけのレベルは足りてますか?」って言ってみようかな。でも私の方がレベル低いのにそんな上から目線のこと言えないし……「行きたくないです」ってはっきり言ったらきっと傷付くだろうし、セネルさん怒るかも……そもそもそんなこと言えないけど……あああどうしようどうしよう……行きたくないよ……!)」
「あの、主人」
「あっ……ピーター」
「話は分かりましたけど、主人も貴方も、バウムレーヌに行くのはまだ早いと思いますよぅ? 僕は反対です、主人」
「! そ、そう思う?」
「はい!」
ユウコがどうやってこの「お願い」を断るべきか悩んでいると、ピーターがこの誘いに反対していることを告げた。ユウコにとってはまさに天の助けである。この小さな〈白兎〉は本当に頼りがいがあるなとユウコは思った。
「えー、何でよ兎ちゃん」
「僕の名前はピーターですよぅ。あのですね、バウムレーヌの森はレベル6以上のモンスターが出る場所なんですよぅ? 今の僕じゃ主人を守り切れる自信はありませんし、使い魔が居ないセネルさんじゃ、きっと殺されますよぅ? そもそもバウムツヴェルクを使い魔にするレベル足りてますか?」
「(ピーターさすが……!)」
自分が言いたかったことをほぼ全て代弁してくれるピーターに、ユウコは心から賞賛を送った。
「レベルなんて森に行く道中で上げればいいじゃない。二人がかりならいけるでしょ。それに、あたしの今の使い魔枠は一体まで。他に使い魔従えちゃったら、枠が増えるまでお預けになっちゃうのよ。一回使い魔にしたモンスターとは契約切れないの」
だが、正論のピーターにセネルも負けじと言い返す。どうやらセネルにはセネルなりに理由と考えがあったようだが、少々楽観視している部分があるのは否めなかった。少なくとも、ユウコは首を縦に振ろうとは思わない。
「身を守る術が無いエルフと二人でなんて、そんなの無謀過ぎますよぅ! 僕は絶対反対です主人!」
「頑張ればいけないことはないわよ! そうでしょユウコちゃん!」
「ええっ?」
個人的にはピーターの意見に大賛成なのだが、海の東西を問わず、美人が怒った顔というのは、なかなか迫力がある。
特に、ユウコのような小心者には効果抜群だ、この剣幕はユウコから逆らう気力を的確に削ぐ。もはや0に近いところまで削られてしまった。
「わ……分かりました……行き、ます」
「主人っ」
「さすがユウコちゃん話が分かる! じゃあ早速――」
「あっ、ちょっ、ちょっと待って下さい!」
ユウコは自分でも驚くべきことに、いざ森へと意気込むセネルに、「待った」をかけた。全ては「このままではやられてしまう」という、命の危機とも呼べる焦りから来る、吹けば消えてしまいそうな勇気紛いのものだった。一種の火事場の馬鹿力と言ってもいい。
「え? 早く行こうよ」
「あ、あの……」
「ユウコちゃん?」
「じ、時間を下さい!」
言えた! ちゃんと言えた!
ユウコは内心かなり達成感を得た。しかし、それも一瞬の出来事で、すぐにセネルの方を窺う。
気を悪くして怒ったりしていないだろうか。角笛を構えていないだろうか。
達成感と入れ替わりに頭を占めたのは、そんな臆病な感情である。やはりユウコは小心者だ。
「へ? 時間?」
足元に向けていた目線をちらりと上げれば、セネルはユウコの思惑を外れ、そのままの様子できょとんとこちらを見ていた。ユウコの言葉の意図が掴めなかったらしい。
「その、ピーターの言う通り、今のレベルだと、ちょっと不安で……だから、その……」
「ああ、そういうことかー。でも、このまま行ってもきっと平気だよ?」
「で、でも、念には念を入れてって言いますし……装備も、ワンドだけですし……」
「平気だって! あたしもこの角笛一つきりだし」
「防具もろくに無いエルフなんて、紙防御もいいとこですよぅ!」
「兎ちゃんは黙ってて!」
「と、とにかく、2日後の13時に、広場で待ってます!」
「あっ、ユウコちゃん!?」
ユウコは90度に頭を下げると、ピーターの首根っこを引っ掴み、ムールシュタットに向かって全力で逃げ去った。完全な言い逃げである。卑怯と言えば卑怯かもしれないが、ユウコにしては賢明な判断だっただろう。
そして一方的に言い逃げをされ、その場に残されることとなったセネルは、呆然と黒髪が視界から遠ざかるのを見送るしかなかった。
***
「はあっ……はあっ……はあ……」
「主人、大丈夫ですか?」
20秒ほどでウルム草原からムールシュタットに逃げ帰ることができたユウコは、慣れない全力疾走に息を切らせながら、帝都を囲む石壁に背を預けて呼吸を整えていた。
【トロイメライ・メルヒェン】には生命力(HP)と魔力(MP)の他にもう一つ、スタミナの概念が存在する。スタミナは「走る」、「武器で攻撃する」といった行動で消費され、少しの休憩で回復はするものの、もし無くなれば少しの間強制的に動けなくなってしまう。レベルが上がればその上限も上がるのだが、レベル1のユウコでは、30秒も全力疾走することはできない。
「でも主人、よく言えましたねっ。僕見直しちゃいましたよぅ」
「え……?」
「主人行きたくなさそうでしたけど、そのまま一緒にあの人につき合わされちゃいそうでしたもん。結局行くことにはなりましたけど、2日後までにレベルアップして装備を整えれば、自殺にはなりませんね。安心です!」
「そう……かな」
頷いたものの、ユウコはある意味もう自殺してきたような気分だった。
セネルは今頃憤慨していないだろうか。同行を承諾したのに、突然言いたいだけ言って逃げ出したのだ、良い気分ではあるまい。2日後にセネルが怒っていないか、それだけが今から心配だった。ユウコはセネルのようなタイプが苦手ではあったが、嫌われたいと思っているわけでも、別に嫌っているわけでもないのである。
「(明後日に会った時にいきなり角笛で殴られたらどうしよう……いや、いくら何でも暴力に訴えるような人じゃないよね、勝手にイメージを押し付けるなんて……私って本当に嫌な奴)」
「主人、おーい」
「(セネルさん、きっと私のこと嫌いになった……そもそも苦手なのに嫌われたくないとか、虫が良過ぎるよね。自分勝手だよね。嫌われて当然だ……)」
「主人っ」
「(それにピーターはこう言ってくれるけど、ピーターの言葉を盾にしたような感じになったし……本当、私って自分の意見が言えない……)」
「……もうっ、主人!」
「っ?」
ぺちん。
可愛らしい効果音がしたと思うと、有子は足に何かが触れたような感覚を覚えた。一瞬椅子に座った自分の足元を見やるが、当然何も無い。
だが俯いていた顔を上げてパソコンのゲーム画面に目を向けると、ピーターがユウコの足を軽く叩いていた。基本的に愛らしい顔の造りをしているために少し分かりづらいが、何やら怒っている。
「(視界の端に映ったから、そう錯覚したのかな?)」
有子はこの感覚を錯覚として片づけると、再び【トロイメライ・メルヒェン】に意識を戻す。可愛らしい兎がご立腹のままだ。
「聞いてますか主人!」
「ご、ごめん」
「も~~っ!まだ主人と会って3日ですけど、主人はネガティブ過ぎますよぅ!」
「………、うん」
よく言われる、とは言わずに、ユウコは素直に頷いた。
「ああいう人は結構神経が図太いですから、ちょっとくらい言い返したって全然平気ですよぅ。それに、〈三月兎〉なんてもっと強引なタイプなんですよぅ? あいつを召喚する予行練習だと思えばいいんですっ」
「で、でも、セネルさんを練習台になんて、そんな……」
「練習台でも噛ませ犬でも何でも! とにかく、もっと強気で良いんですよぅ!」
「……言い過ぎだと、思う」
可愛い顔してなかなか辛辣なことを言う兎だ。ユウコは一応諌めるような言葉を言ってはみるものの、ピーターには聞こえていないようで、ぺちぺちと足を叩いている。
「主人は僕の主人なんですから、しゃきっとして下さいよぅ!」
「……うん」
「本当に分かってますかっ? もう……っ!」
まだ納得はいっていないものの、これ以上言ってもあまり意味は無いと判断したのか、ピーターはむすっとした顔のまま、「こっちですよぅ」と言ってぴょこぴょこと東に向かって歩き出した。きっとユウコがセネルと鉢合わせすることを避けて、東側の街道方面でレベルアップをしようというのだろう。ユウコは大人しく優しい兎の後を追う。
「バウムレーヌの森に挑むなら、最低でもレベルは5欲しいところですね」
「時間、かかるかな」
「そりゃあ、それなりにはかかりますよぅ。でも明後日までには十分間に合います。ただ、あの人がどれだけレベルを上げるか分からないですから、主人がより強くなっておく方が良いと思いますよぅ」
「私にできるかな……」
「できますよぅ! いえ、僕がさせます! ……わわっ」
頼もしいセリフと共に胸を張るピーターだが、胸を反らし過ぎたのか、バランスを崩して石畳の上にひっくり返った。
ぽてっ。間抜けな効果音だが、この愛らしい生き物にはこの上なく似合いだ。ユウコは薄く微笑むと、ピーターを抱き上げてウルム草原の東側に向かった。