03
「初めまして、倉橋有子様……」
ディスプレイに映し出されたのは、一目で不健康、そして病弱そうだと思われる、濃い隈を作った顔色の悪い青年だった。暗い部屋のような場所にぽつんと置かれた古めかしい椅子に悠々と腰かけ、すらりと長い脚と、細く長い指を組んでこちらを見つめている。有子も思わず青年を見つめ返した。
一瞬あまりにもリアルな青年の姿に、これはゲームではなく動画だと思った有子だが、恐らく、青年はゲームのキャラクターなのだろうと認識した。どういう仕組みかは分からないが、頭に響くシステムオペレーターのような声は、この青年のものだろうし、異常な肌の白さと濃い隈さえ除けば、現実にはまず居ないだろうレベルの美形だったからだ。【トロイメライ・メルヒェン】特有のずば抜けて美しいグラフィックによって描かれた青年は、もし健康で睡眠不足でさえなければ、テレビに出ていてもおかしくは無い。だからこそ、データ上の存在であると有子には思えた。
「……有子様、聞こえていますか?」
「えっ」
僅かな沈黙の後、先に口を開いたのは青年だった。
「挨拶をされたら……返事くらい、するべきでしょう……?」
「あっ……はい、ごめんなさい……初め、まして」
「結構……私は、【トロイメライ・メルヒェン】のプレイヤーを補佐します……H・ファウストです……ファウスト、と」
「はい……」
青年、もといファウストは有子が挨拶を返したことに、満足そうに頷いた。だが有子はと言えば、このゲームのキャラクターであるこの青年に、まるでリアルタイムで誰かと対峙しているような反応をされ、かなり戸惑っていた。
「(こういうゲームって、誰かと、こうして会話するの? ゲームのキャラクターとも?)」
【トロイメライ・メルヒェン】はMMORPG、所謂多人数同時参加型RPGと呼ばれるゲームだ。オンラインゲームとしてはポピュラーなジャンルで、各プレイヤーがクライアントを通じて同じサーバーにアクセスし、そのサーバー内に構築されたゲームの世界の中で、同時にプレイするものと思っていい。
こういったゲームでは、時に運営側が直接PCを操作していることもあるが、基本的にゲームの運営をスムーズに行うため、各所にNPCが配置されている。それはこのゲームの情報をプレイヤーに提供するための村人や町人だとか、イベントを発生させるための存在であったりだとか、ゲーム内でアイテムを売るショップを運営している存在であるとかの、「予め決められた行動」をするキャラクターだ。
もしこの青年キャラクターにAI(人工知能)が搭載されていたのだとしても、こういったオンラインゲームで利用されるのならば、その知能レベルはせいぜい、簡単な質問の受け答え程度だろう。プレイヤーに非礼を指摘したりはしない筈だ。もっとも、このAIが【トロイメライ・メルヒェン】の特徴である超高度グラフィックのような、その利用目的に見合わないクオリティではないと仮定した場合の話だが。
とにかくそう考えると、有子の挨拶に不満を訴えたこの青年、ファウストの行動は、NPCのそれとは言えない。運営側の操るPCであると言える。オンラインゲームにちょっと手を出したことがあるような人間なら、有子ほどの驚きや戸惑いは無い筈だ(とはいえ、ファウストの声がスピーカーからではなく、頭に直接響いてくることや、マイクをパソコンに繋いでいない有子との会話を成立させていることに関しては、十分に驚くだろうが)。
しかし、有子はMMORPGはおろか、普通の家庭用ゲームにすら親しみが無い。たまたま【トロイメライ・メルヒェン】には興味を持ったというだけで、このジャンルには元々興味が薄いのだ。当選するわけがないと思い込んでいたために、下調べも行っていない。
だからMMORPGが他人と会話出来て当たり前だなんて知りもしなかったし、PCとNPCの違いだって分からない。有子からして見れば、パソコンが喋ったようなものなのだ。
「さて……早速ですが、【トロイメライ・メルヒェン】における……貴方自身を、作成して頂きます」
「えっと……私自身、を?」
「貴方が操る、PCです……」
「プレイヤー……キャラクター?」
「はい」
有子はPCとやらが何なのか分からなかったが、ファウストはそんな有子には構うことなく、淡々と返事をして腕を軽く振るう。すると、暗闇から全身も映せそうな、大きな鏡が現れた。ゲーム画面やその部屋にはファウストしか居ないのにも拘らず、有子の方に向けられたその鏡には、女性が映っている。
「貴方は……女性、ですので……女性のPCボディを、用意しました……性別の変更は、不可、です」
「あ……そう、ですか」
「はい……しかし、種族の変更は、可能……ですよ」
「種族?」
「人間、エルフ、鳥人、獣人、魔族……この五種族から、お好きなものを……」
ファウストは「サンプルにどうぞ……」と気怠げに言い、画面に五種類の種族の説明を表示させる。何をどうすればいいのかという指針を全く持たない有子は、それを食い入るように読んだ。
人間(Human)
最も平均的な能力を持つ種族。手先が器用で、どんなアバターであったとしても、平均以上に扱える。
種族固有能力/可能性
レベルアップした時、好きな能力値にボーナスを割り振れる。
エルフ(Elf)
魔法に長けた種族。魔力に対する耐性や資質が高いが、物理的な耐性や資質は低い。魔術系のアバターに向いているが、それ以外には向かない。
種族固有能力/マナの祝福
自然回復する魔力量が、レベル%分上乗せされる。
鳥人(Bird)
鳥の特徴を持った種族で、唯一自力で空を飛ぶことができる。空中戦が得意だが、夜になると視力が極端に下がる。素早い動きを活かすアバターに向いており、飛び道具を扱うアバターには向かない。
種族固有能力/追い風
素早さと回避能力が、レベル%分上乗せされる。
獣人(Beast)
様々な獣の特徴を持った種族。肉体的な能力に優れている。その獣の種によって得手不得手や種別能力が大きく異なるが、全体的に戦士系のアバターに向いている。
種族固有能力/獣の覚醒
魔力を消費することで、完全に獣の姿になる。元の姿に戻った時、最後に姿を変えていた時間の分だけ変身できなくなる。
魔族(Duman)
悪魔の姿をした種族。全ての能力値が優れており、その悪魔の種によって、個別に特殊な能力を持つ。だがレベルアップが遅く、昼間は能力が半減する。どんなアバターであったとしても、平均以上に扱える。
種族固有能力/ルナティック
夜間の間、月が満ちているほど能力値にボーナスが付くが、満月時には状態異常「バーサク」になる。
「(色々あるんだ……)」
どうやら種族ごとに特徴があり、それぞれ能力に差が出るらしい。それに見た限り、アバターのタイプによって、種族の向き不向きがある程度決まっているらしかった。
そこで有子ははっと思い出すが、そもそも自分のアバターはどんなものなのだろうか。確かファウストは「アバター名、Alice -Wonder Version-」と言っていたと思うのだが、それが何なのか、当の有子本人は何も分かっていなかった。
「あ、あの」
「お決まりで……?」
「いえ……その、私のアバターって、どういうものなんですか……?」
有子がびくつきながらファウストに質問すると、彼は「ああ……」と、何か思い出したというように呟く。
「そうですね……お話し、して、おきましょう」
「お願いします……」
「分かりました……貴方のアバター、は、【アリス】……【不思議の国のアリス】と呼ばれる……アバターです」
不思議の国のアリス。言わずと知れた世界的な童話だ。
そういえば、公式サイトにアバターには童話などをモチーフにしたものがいくらかあると書いてあったことを、有子はふと思い出した。
「大雑把な分類は、魔術系……特に、召喚師という、区分です……」
「召喚師……?」
「自分が……攻撃するのでは、無く、魔法で召喚したものを使役し……自分を守らせ、敵を倒させます。例えば、初期スキルに……〈白兎〉、というものがあります……これは……〈白兎〉を召喚するもの、です……貴方は、この〈白兎〉に、命令して……戦います」
気怠い声に反して、ファウストの説明はゲーム初心者の有子にとって、分かりやすいものであった。有子はとりあえず、自分のアバターは魔法使いなのだ、という風に考えることにした。
「(魔法使いなら、エルフとかがいいのかな……)」
どのゲームでも、基本的にエルフは魔力が高い種族として扱われる。【トロイメライ・メルヒェン】も例に漏れず、ファウストが有子に見せた種族紹介では、魔術系のアバターに向いた種族であると書かれていた。
有子はまじまじとエルフのサンプルボディを見た。基本的には人間と変わらないものの、耳がぴんと尖っているのがエルフの特徴だ。それに、人間が有子のようなアジア系の人種の面立ちをしているのに対し、エルフの面立ちはヨーロッパ系の人種のようである。
【トロイメライ・メルヒェン】における、自分だけのアバター。どうせもう一人の自分を作るのなら、自分と少しくらい違った方が良い。そう思った有子は、エルフにしようと思った。
「あの、」
「……貴方はかなりの初心者、のようですし……無難に、人間にしておくのが……おすすめですよ……魔術系、アバターですが、人間なら……種族の、固有能力で……どうしても弱くなる、防御面にも、ボーナス、を、割り振れますし……」
「……………じゃあ、その、人間で……」
「承認しました……」
有子の蚊の鳴くような声を聞き、ファウストはさくさくと種族を決定してしまった。有子は自分の小心者具合に、かつてない程後悔の念を覚えた。自分の意見をきちんと伝えられないのは、有子の悪癖の一つだ。
「有子様……?何か?」
「いえ……」
「では……PCの細かいエディットを、しましょう……」
「はい……」
種族を決定した次に行ったのは、髪の色や眼の色、肌の色、それに髪型や体型などの設定だった。
設定は、ファウストがその部位のパターンを提示してはくれていたものの、別にそのサンプルの中から選ぶ必要は無く、有子自身がこうしたい、あんな感じが良いとさえ言えば、その言葉に沿って忠実にファウストがパターンを作成する、という手順で進められた(勿論、有子がきちんと自分の意見を言えたのかというのは別である)。
有子は初心者故に「ゲームって凄いなあ」程度の感想しか抱かなかったのだが、この【トロイメライ・メルヒェン】のキャラクターエディットは、破格の自由度だった。普通、色にしろ髪型のパターンにしろ、決められたパターンの内から選ぶものである。この機能はゲームの人気度を左右する要素の一つでもあり、このパターンの種類が豊富なほど、人気は高くなる傾向にある。そう考えれば、わざわざオリジナルでパターンを作成するなど、普通に考えてあり得ない仕様と言っていい。課金レベルものだ。
しかも、このエディットが可能な範囲は、大雑把な体型や顔立ちだけではない。有子はこんなに細かい部分まで変える必要はないと考え、殆どスルーして終わらせてしまったのだが、プレイヤーが望めば、爪の形一つとっても細かな指定が可能だったのだ。
プレイヤーにとって、PCは分身。当然、かなりこだわりを持って作る人間は多い筈だ。有子すら、多少のこだわりは何とか青年に伝えたのである。そのすべての要求を事もなげに実現してしまうのだから、【トロイメライ・メルヒェン】に使用されている技術は全く恐ろしさすら感じる代物だった。
「それでは……貴方のPCは、これで良いですね……?」
「……はい」
有子は鏡に映されたキャラクターの姿を見て、ちょっとした満足感に浸っていた。
鏡の中に居るのは、青いエプロンドレスを着た、長い黒髪の女性だった。
青いエプロンドレスと言うと、やはり一目で【アリス】という単語を連想するが、有子もまたそうだった。装備品である程度容姿は変わってしまうそうだが、デフォルトとなる衣装は必要である。なのでその衣装を決める時、自分のアバターが【アリス】ということで、有子は安直にそれを指定したのだった。
エプロンドレスなんて、成人女性である有子の年齢を考えると、少し少女趣味かもしれない。だが、エプロンに隠されないようにと、両サイドにたっぷりとドレープをあしらった青い膝下丈のドレスを、有子自身はなかなか気に入っていた。
「最後に……名前を、決めて下さい」
「え? ……名前、ですか?」
「はい、このPCの名前……です」
有子はファウストの言葉がいまいちよく分からなかった。自分の名前は倉橋有子、ならば【トロイメライ・メルヒェン】においても、倉橋有子の筈である。そう思っていたのだ。
「……ご自分の、本名を……不特定多数のプレイヤーに、教えて、回るつもりですか?HNを、名乗るのと……同じ意味、だと、言えば……分かりますか?」
どこか呆れたような響きを含んだファウストの言葉に、有子ははっとする。
HN。簡単に言ってしまえば、ネット上で使用する偽名である。
別にネット上で本名を使用することは禁じられていないが、実際に本名で活動した際、それを利用して悪意ある者が現実の人間に何かを仕掛ける可能性は無いとは言えない(例えば、【トロイメライ・メルヒェン】のようなMMORPGでプレイヤー同士がトラブルを起こした際、実名を使っていたことで相手が住所などを割り出し、嫌がらせを行うことがあり得る)。つまり、犯罪に巻き込まれないための予防策、個人情報保護の一つのようなものなのだ。
勿論、ロールプレイなどの意味でもう一人の別のキャラクターを演じるような場合にも使うが、大半の意味は上記と同じだろう。
「………ユウコ。カタカナで、ユウコで、お願いします」
「本名ですが、よろしいので……?」
「はい」
本当なら本名を割り出せないような名前を付けるのが望ましいのかもしれない。だが、有子はそれをしなかった。
この【アリス】のPCは、もう一人の有子だ。だが、【アリス】自身が有子から離れて活動するわけではない。あくまで有子自身が「中」にいることが前提の、倉橋有子の一部というような存在であると、有子は思っていた。
「自分だけのもの」。
何より、有子はその独占欲もあって、自分の名前をそのまま付けることにしたのである。
「……承認しました……アバター【Alice -Wonder Version-】、PC名、ユウコ……【トロイメライ・メルヒェン】に登録します」
ファウストがそう言うと、鏡の中に映っていたでけのユウコが鏡から抜け出し、有子に向かって軽く一礼する。そして明るい効果音がしたと思うとメッセージウインドウが表示された。
PC名 ユウコ
アバター 【Alice -Wonder Version-】
Lv.1
たった三行の情報だったが、有子にとって、それは金に相当する意味を持った情報だった。