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ディア・アリス  作者: 斎藤
【改稿前】
2/14

01 ネガティブアリスと転んだ兎

 子供の頃、もしくは大人になっても、思い描いた人は多いかもしれない。「夢が本当になればいいのに」と。

 魔女になって箒で空を飛び、魔法を操る私。

 パーティのリーダーとして仲間を率い、魔王を倒す旅に出る勇者の僕。

 そんな馬鹿げた、しかし甘く、崇高なる御伽噺。誰もが抱く憧憬の夢。


 だが、本当は誰も分かっていないのである。

 夢を求めて夢を見るのではない。夢を描いて、現実を踏み固めているのだ。

 なれないものに憧れる。できないことに憧れる。

 自分ではできない、無理だと分かっているからこそ、人々は夢を見るのである。夢想するのである。

 「本当の私はこうなの」と、ありもしない自分を描く。「僕はいつかこうなるんだ」と、続く筈の無い道を追う。


 しかし、そうして夢に手を伸ばしていても、所詮は現実の再確認に過ぎない。心から夢を望む者なんて、どこにもいないのである。

 その証拠に、夢がその揺り籠から溢れ出た時、人々は口々にこう叫ぶのだ。


 「これは夢だ」と。


 ***


 MMORPG【トロイメライ・メルヒェン】。

 このゲームがネット上で人々の間に広まるのに、時間はかからなかった。それには、主に3つの理由が挙げられる。


 1つ目は、そのクオリティである。【トロイメライ・メルヒェン】は、世界観こそありふれた中世ヨーロッパをベースとするファンタジーのそれだったが、その世界を表現するグラフィックが、恐ろしく秀でていたのである。

 否、ただ秀でているとだけ表現するのは的確ではないだろう。秀でているというよりはむしろ別格、次元が違う程のクオリティだった。

 草原で風が吹けば雑草の1本1本が自由にそよぎ、花々には朝露が光る。登場する生き物一つとっても、馬の鬣は1頭1頭生え方が違ったし、犬や猫の顔つきだって、1匹ずつまるで違う。動きも、本当にそこで生きているかのような、スムーズで自然な動きを再現していたのだ。勿論、プレイヤーがエディットしたPCのクオリティも然り。これは従来のゲームに使用されていた3D技術を、大幅に上回るものだった。

 この場合のグラフィック、つまり見た目とは、あらゆるものに適応される基準だ。例えば人間なら美人であればあるほどモテるし、例えば食品なら、より美味しそうな見た目であればあるほど購入する人間は多い。特に、【トロイメライ・メルヒェン】はゲームだ。ゲームのグラフィックは、ゲームをプレイしている限り、否応無しに視界に入れ続けるものである。ならばそのクオリティが高ければ高いほど、人気が出るのは当たり前だった。


 2つ目は、プレイするに当たり、完全に無料であるということだった。これだけのクオリティのゲームが無料であるなど、従来のゲームでは考えられないことだ。広告収入や課金アイテムがあったとしても、開発費に対し、全く割に合わないためである。だが、今回は逆に、そのクオリティこそが無料の理由となったのである。

 公式サイトの説明によると、【トロイメライ・メルヒェン】は、未だ開発途中なのだ。つまり、このリリースはテストプレイの意味も持っている。この段階でどれだけの需要を得られるのか。何か致命的なバグは無いか。このβテスト版のゲームで、そういった情報収集を運営側が行う側面を持っているのだ。

それに、もし将来的に課金制になったとしても、続けるだけの価値はあるのか。それをユーザーが見極められるお試し期間という意味でも、テストプレイなのだろう。


 そして3つ目。恐らく、これが最大の理由なのだろう。その理由とは、15000人というプレイヤーの人数制限だった。

 これは【トロイメライ・メルヒェン】最大の特徴である、「各プレイヤーに独自のアバターが与えられる」という仕様のせいである。

 通常、殆どのMMORPGは、ゲームプログラムをパソコンにダウンロードし、それを起動してプレイする。このプログラムは全てのユーザーに同一のものが配布され、用意されている職業などを選択して、その上で自分のキャラクターを作るのだ。

 だが、【トロイメライ・メルヒェン】は違う。このゲームプログラム自体が、プレイヤーごとに異なるのである。

 勿論、基本的なものは全て同じだ。しかしアバター(本来はコミニュティサイトなどにおける分身などのことを指すが、これは【トロイメライ・メルヒェン】における職業、あるいはクラスを指す言葉として使われている)、これだけは違う。先の通り、「各プレイヤーに独自のアバターが与えられる」のだ(勿論、基本は同じだが、使える魔法が全く違うといったような、比較的些細な差別化を施されただけのアバターもあるが、それでもオリジナルのアバターであることには違いない)。これはグラフィックのクオリティや無料であることと同じく、かなりとんでもない仕様だ。

 人間というものは「自分だけのもの」という言葉に弱い。物であっても人であっても、「自分だけのもの」という言葉が付属するだけで、それは本人にとってただ一つの、特別なものに変わるのである。何でも換えが利くこのご時世において、ただ一つ、「唯一」というものは、非常に高い付加価値なのだ。だからこそ、何かにつけて「自分だけの○○を!」という踊り文句が出回っているのである。

 だが、【トロイメライ・メルヒェン】は今までのそれとは全く違う。真の意味で「自分だけのもの」を手に入れることができるのだ。更に、その「自分だけのもの」を手に入れられる人数は限られている……これが競争意欲を掻き立てないわけがない。元々、人間というものは「唯一」の子供である「限定」にも弱いのである。コンビニの期間限定の商品など、いい例だ。

 「唯一」が「限定」で手に入る。この二つの魔法の言葉が組み合わさったことにより、その魅力は一気に高まったことだろう。


 こうしてMMORPG【トロイメライ・メルヒェン】の話は、瞬く間に人々の間に出回った。そのスピードたるや、まるで稲妻の如くだった。

 あるいは、流行病の如く、だったのかもしれない。

 とにかく、言ってみればたかがゲームのことであるにもかかわらず、公式サイトの開設と共に、その存在は日々テレビで流れる芸能ニュースのように、ネットを中心に現実世界においてまでも人々の間を駆け巡った、という事実が、この場合は重要だったということだ。

 何故なら、日常的にパソコンを使いはしてもネットゲームの類に興味が薄い、普通の女子大生である倉橋有子すらも、このニュースばりに注目される【トロイメライ・メルヒェン】の名前を聞き及び、興味を抱くに至ったのだから。


 有子は普通だった。強いて挙げるなら、ただ少しだけ人付き合いが苦手で、口下手でネガティブ、臆病なだけ。まさに何の変哲も無い、使い古しどころか、使い捨てされるような設定の、モブ同然のモブ子だった。もし彼女が彼女自分を作るとしたら、その材料に「他人の人生の背景」を選び、それをいくつも継ぎ接ぎして人形を作ることだろう。倉橋有子のモブレベルは、そのくらいのものだ。

しかし、そんな彼女だからこそ、「唯一」への憧れは人一倍強かった。

 「唯一」……その言葉は、概念は、彼女にとって月よりも遠いものだったからだ。

 それもその筈である。彼女はモブ子ちゃんだ。特別な何かとは、最も縁遠い存在なのである。有子自身が誰かの「唯一」になれるようなことは絶対に無いし、同じように、誰かを「唯一」とするようなことも決して無い。ましてそれらを自分の意思で定めるなど、太陽が東に沈むくらいにあり得ない。


 だから有子は、【トロイメライ・メルヒェン】に興味を持った。

 何せ【トロイメライ・メルヒェン】は、有子の憧れてやまない「唯一」を体現したようなゲームなのだ。今まで興味の無かったジャンルだが、惹かれない筈は無かった。


 「(やってみたいな……)」


 有子はディスプレイに映し出された【トロイメライ・メルヒェン】のサンプルムービーを見て、胸中で呟いた。

 駆け抜ける馬の蹄が蹴り上げた土塊。

 通り雨を運ぶ雨雲の流れ。

 戯れる小動物と、囀る小鳥達の姿。

 田畑を耕す農夫達の頬を伝う、透明な汗。

 露店で客を呼び込む少女の三つ編みは、快活な動きで踊ってみせた。

 今、有子は液晶を挟んで【トロイメライ・メルヒェン】を見つめている。その眼差しは、ショーウインドウ越しに玩具を見つめる子供のそれとよく似ていた。

 有子は【トロイメライ・メルヒェン】という世界に、自分を「唯一」の存在にしてくれる世界に、平凡な彼女はこの上なく惹かれていたのである。


 「――あっ」


 食い入るようにディスプレイを見つめていた有子の視線が、不意に曇った。ムービーはいつのまにかその大部分を再生し終え、暗い画面にそのタイトルロゴとリリース予定日、そして例の「15000人限定」という一文を映し出していたのだ。

 有子は静かにムービー画面を閉じて、顔全体を暗くして項垂れた。理由は明確だ。


 「15000人なんて、当たるわけないよ……」


 プレイヤーの人数を制限するということで、【トロイメライ・メルヒェン】のアカウントは、抽選で取得することになっていた。15000は決して少なくない人数だが、【トロイメライ・メルヒェン】のプレイを希望する人間が、それを遥かに上回ったためである。

 有子も一応はアカウント取得の応募をしているものの、彼女自身は、全く当たると思っていなかった。というのも、有子は抽選の類に当たったことが一度も無い。小学校のビンゴ大会すら、持ち帰ったのは参加賞のお菓子のみである。

 彼女が選ばれる機会なんて、滅多になかったが、せいぜいリレーとかの補欠くらいだった。有子は誰かがそれを放棄、あるいは実行不可能になって、初めて何かをさせてもらえるような、そんな存在だった。

だから有子は、今回も当たるなんて思っていない。何もしないよりはと思って応募はしたが、それでもやはり当選しないことが前提だった。もし万が一、億が一に当たったとしたら、それも補欠だろうと思っている。有子はネガティブだった。


 「はぁ……」


 有子は溜息を吐いて、傍らに置いてある兎の形をした卓上カレンダーを見る。形のせいで座りが悪く、すぐに倒れてしまうのだが、愛らしい見た目に惹かれて購入した物だ。

兎のお腹の部分に当たる場所には、今月のカレンダーが小さな文字で書きこまれている。その内の15日の部分には、控えめに赤い丸が書かれていた。

 15日。三日後に当たるその日は、【トロイメライ・メルヒェン】のアカウント当選発表の日だった。

当たらない当たらないとは思っていても、分かっていても、結局心のどこかでは、「もしかしたら」と夢を見ているものなのだ。人間は矛盾だらけの生き物である。


 「…………はぁ」


 有子はもう一度溜息を吐く。座りの悪い兎が、コテンと突っ伏した。

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