00 二人の男
ディア・アリス改稿版のプロローグです。よろしくお願いいたします。
無数の試験管。フラスコ。ビーカー。うず高く積まれた古い書物。床や机には数え切れないほどの魔法陣が描かれた羊皮紙と、螺子や歯車、用途の知れない不思議な道具の数々が散らばっている。
そんな奇妙な物が限界まで詰め込まれ、足の踏み場を探すのに一苦労する薄暗い部屋の中に、二人の男が居た。二人共痩せた男で、相貌は双子以上に、鏡写しのように良く似ている。唯一の違いは髪の長さ程度だ。
二人は一心不乱に何かの作業をしており、一人は本の山を切り崩しては読み耽り、もう一人は羊皮紙に向かって休む間もなく羽ペンを動かしている。双方表情は苦しいものではないものの、一心不乱に作業をするその姿からは部屋の状態も相俟って、ある種の異様な雰囲気を放っていた。
まるで――この世のものではないような。
「――来るでしょうか?」
「……お前の憂い、は、分かっている……でも、大丈夫だ……」
話しかけられた一人が羽ペンの手を一時止め、何かをかき混ぜるように羽ペンを回すと、本を広げたもう一人を宥めるように言った。
「今は、まだ、足りない……でもいつか……必ず、その時が来るから」
「本当に、来るんですか?」
「来るよ……大丈夫だ。必ず、来る……」
「貴方が言うならそうでしょう。でも、それでは」
「そのための……お前だ。ここまでの、研究を進めるため……で。……そして、後を継がせる、ための……お前だ」
「分かっています」
「……なら、何も心配……しなくていい」
羽ペンを持った方はそう言うと、話は終わりだと言うように再び羊皮紙に羽ペンを滑らせる。本を広げている方も納得したのか再び文字を追う作業に戻るが、しかし表情はまだ何か物言いたげなままで、もう一人に窺うような視線を向けていた。
「……お前が成せば……それは、私が成したも、同然」
今度は羽ペンを止める事無く彼は言う。太陽が東から上るような、朝の次に夜が来るような、そんな当たり前を確認するような口調だった。
「私が、成さなければ……意味が無いと、お前は、思っているのか?」
「……これは貴方の夢です」
「そして……お前の夢でも、ある。分かっている……知っている……筈だろう?」
「ええ、勿論」
「なら、何を渋る……必要がある? 何も、問題は無い……」
彼は羽ペンをペン立てに戻し、腰かけていた椅子に深く背を預けると、窓の外を見た。外はもう夕暮れから夜に変わる頃合いで、一番星が姿を見せている。
「私が成せば、それで……良し。私が、没したなら、私、の……跡を、お前が……継げばいい……。他の誰でも、何物でも、ない……お前、が」
「………」
「夜は……私が、呼ぶ。それが、私の……夢」
「そして、私の夢」
「そう……お前の、夢。……だから、お前が叶えても……良いんだ。私達の、夢は……私達が叶える……なら。どちらが叶えても……同じこと。そこには、何の差も、無い……」
「……はい」
「だから何も……気にすることなんて、無い。……分かる、な?」
「はい」
「なら……そんなことを、憂うことは、無い……」
男はそう静かに呟くと、左手の指に嵌めている指輪を一撫でし、息を吐いた。
「お前が、憂う……のは、その時が来る……のを、待つ日々の、過ごし方……だけで、いい」
――約五百年前、ドイツのとある家での会話である。