第三幕
(大瀧は椅子にすわって、刀の手入れをしている)
(扉をたたく音)
大瀧
おう
(汚れた軍服姿の若い男が入ってくる)
修吾
(頭を下げ) 戻ってまいりました
大瀧
おお、修吾。お前、生きてたのか
(刀を戻して、かけよる)
修吾
恥ずかしながら
大瀧
そんな紋切りな言葉はいらないよ。お前が戻ってくれてよかった。ゆっくり座って、土産話でも聞こうじゃないか
(二人、席につく)
大瀧
手紙も梨のつぶてで、心配していたんだ
修吾
ご心配をおかけしまして。連合軍にすっかり囲まれてしまいまして、輸送船の行き来が絶えておりました
大瀧
それは難儀だった。お前さん、今までどこにいっていたんだい?
修吾
フィリピンです
大瀧
激戦地じゃないか、いや、ほんとによく戻ってきてくれた
痩せたようだが、なんだかたくましくなったようだね。瞳に男らしい鋭さがある
修吾
恐縮です。戦場では、たいへんにシゴかれました
大瀧
そうか、そうか
修吾
この町が焼けてなくてよかったです
大瀧
まったくだ。通りの向こうは焼けちまっているが、こちら側は無事だった。ありがたいことだ
(修吾の顔をまじまじと見つめて) いや、まったく見違えるほどだね、ほんとにたくましくなった
修吾
(頭を下げる)
大瀧
戦争は男を変えるものらしい。先日、坂井先生がいらっしゃったが、ずいぶん変わっちまっていたよ
修吾
あの男が、ですか
大瀧
お前は彼が嫌いだったね。あの男も、たくましくなっていた、彼なりに、だがね
修吾
そうですか
大瀧
ほんとうによく戻ってくれた。これでひと安心だ。私は、お前に期待しているのだよ。この組の将来を担うものとして
修吾
精進いたします。より一層お役に立てるように
以前より、我ながら少々自信がついたようでございます
大瀧
おお、そうか
修吾
戦争にいって、精神の方がだいぶ図太くなったような気がいたします。自分は、恐れ知らずになりました
大瀧
恐れ知らず? それは心強いな
修吾
あの瞬間からです。あの瞬間から、私は生まれ変わったように感覚が研ぎ澄まされたようでございます
大瀧 その時のことを是非聞かせてくれないか?
修吾
ええ、少々長くなりますが
———自分たちは、フィリピンの森の中で米軍に完全に包囲されてしまいました。食料は底をつき、体が干した大根のようになりました。なすすべもありませんでした。
なので、いよいよ玉砕ということになりました。
朝、自分たちは整列をして、出立酒のかわりの水を飲みました。清らかな日の光を浴びて、みなの顔は男らしく引き締まり、そして輝きました。不真面目な軍団生活を送っていた自分も、この時ばかりは身が引き締まる思いでした。
士官殿は最後の訓示をたれたあと、自分の名前を呼びました。自分は何事かと思いながら、おずおずとみなの前に出ました。不良軍人の自分は士官殿にたいへん嫌われておりましたから。しかし、拳は飛んできませんでした。士官殿は、自分に旭日旗を手渡されました。
『私は貴様が大嫌いだが、みなは貴様を慕っている。だから、貴様を映えある旗手に任命する。貴様はいの一番に敵に向かって突撃し、みなを率いなければならない。この日の丸を高々と掲げて、最後の最後まで腕を下ろしてはいけない』
その時の士官殿のまっすぐな瞳を忘れることができません。その瞳の熱さが、自分の使命感に火をつけたのでした。受け取ると旗はずっしりと重く、膝は武者震いで震えました。
そしてついに、その時は来ました。すべての兵士が狼のように吠えて、駆けました。自分も先頭を渡すまいと必死に駆けました。旗は風をうけて青空のもとにゆれました。これほど鮮やかで美しい赤色は見たことがありませんでした。左手のほうで、士官殿が軍刀を掲げて走っていました。朝日をうけて、その日本刀の輝きは眩しいほどでした。
米兵たちがこちらに向かって機銃を撃ち始めました。仲間たちは次々と斃れていきます。我々も銃撃で答えてやりますが、一発ずつしか撃てない日本の銃では刃が立ちません。しかし、それでも我々は突っ走りました。
その時の感覚は、とても不思議でした。あれだけ空腹で体力もなくなっていたのに、確実に死ぬ方向にむかって突っ走っているのに、我々の足は止まりませんでした。カラカラに干からびた皮膚の下で筋肉が千切れんばかりに躍動していたのでした。
そして、自分の頭の中で、なにかが弾けたような感じがいたしました。突如として自分の視界は広がりました。馬のように横や後方まで、自分は感じることができるようになったのです。いろいろなものが見えるだけではなく、まるでフィルムをゆっくりと回して写した映像のように、視界がゆっくりと流れていくのです。信じられないと思われますが、自分は弾丸が空を走っていくのをしかと見ました。弾はなぜか自分には当たらずに、横を通り抜けて行きました。
走っている者はついに自分だけになりました。敵の陣地にだんだんと近づいていきます。驚いている米兵たちの顔が見えました。それでも自分は、掲げた旗を落とさずに走り続けました。
この時の自分の心は、なぜか満ち足りていました。自分はこの瞬間のために生まれてきたのだなと思いました。この瞬間が永遠に続けばいいのにとさえ思いました。
自分の記憶は、そこで途切れました。どうやら、自分は敵の目の前で気絶して倒れたそうです。
目が覚めると、そこはベッドの上でした。シーツは清らかに洗われていて、シャボンの匂いがいたしました。自分の手足は拘束されておらず、あくびをして伸びをしました。全身を点検してみても、自分の体には傷一つついていませんでした。部屋に看護婦が入ってきて、目が合いました。看護婦は短い悲鳴をあげて戻って行きました。日本人にはいない、グレーの瞳をもった美しい女でした。
しばらくすると、士官がやってきました。彼は自分を見て、優しく微笑みました。コーヒーとパンを自分のために持ってきてくれました。コーヒーには湯気が立って、パンにはバターまでついていました。パンにがっついていると、彼はなにか話しかけてきました。もちろんさっぱりで首を傾げていると、彼は辞書を持ってきて、ある言葉を指差しました。それは、" 勇敢な " という言葉でした。どうやら、彼は勇敢さと強運をたたえてくれているのでした。彼はさわやかに笑いました。野球でホームランを打った選手をたたえるチームメイトのような、そんなさわやかな笑顔でした。
その後、自分は他の捕虜と一緒に沖縄に輸送されました。甲板の上の樽に縄で縛られて、海を渡りました。
海の上の、どこまでも広い青空をながめていると、米兵たちが騒ぎ始めました。その方を見ると、魚雷が泡の轍をえがいてこちらにむかって突き進んできているのでした。生き残りの潜水艦が一矢報いたのでしょう。捕虜たちは縄を解こうともがき始めました。このままでは樽と一緒に海に沈んでしまいますから。
しかし、自分は魚雷が近づいてくるのをぼんやり眺めていました。その時、気がついたのです。自分が恐怖という感情をなくしてしまったことを。
船は面舵で魚雷をなんとか避けて無事でした。沖縄の収容所に運ばれて、そこで終結の放送をききました
大瀧
なんと勇ましい話だろう。戦争にいけなかったことが悔しくなるほどだ
修吾
おやじ、自分に帰還祝いをいただけませんか?
大瀧
お前の方から、なにかくれだなんて、めずらしいな。まぁ、しかし、こうして生きて帰ってきてくれたんだ、くれてやろうじゃないか。なにがほしい?
修吾
(席を立ち、床に膝をついて頭を下げる)
喜美子です。喜美子を自分にください
大瀧
お前たち、やはりそうだったのかい
修吾
喜美子がこの街一番の稼ぎ頭だということは、重々承知しております。しかし、これからは自分が喜美子以上の働きをしてみせます。この組のために、今まで以上に尽力してみせます。だから、どうか、喜美子をください
大瀧
(うん、うんと頷く) お前の気持ちはよおくわかった。まだガキだったお前を拾ってから、お前は私の息子のようなものだった。お前は、単なる組員ではない。生きて帰ってくれただけでも、私はとてもうれしい。なんでもくれてやりたい
しかし、しかし喜美子はダメだ
修吾
おやじ、どうか
大瀧
喜美子はもうここにはいないのだ。召し抱えられてしまった
修吾
いったい誰にですか?
大瀧
お国にだよ
修吾
は?
大瀧
米兵のための慰安施設にいったのさ。私は警察署長に頼まれて、その施設をつくるために女を斡旋せねばならなくなった。しかし、相手は血気盛んな外人だろう、私とて女たちに無理やりに行かせたくはなかった。なので、女たちを集めて頭を下げた。どうか協力してくれ、無理強いはしないと。女たちが戸惑っていると、喜美子は真っ先に手を上げた。あいつは姉御肌だろう。他の子たちに行かせるくらいなら、私が行ってやろうじゃねぇかってね。たいした女だよ
修吾
、、、それで、行かせちまったんですか
自分が出征するとき、おやじは、俺がこの街を守っているから安心していってこいとおっしゃったじゃありませんか。あれは、あれは、、、、、
大瀧
すまない
修吾
よりにもよって、アメリカの連中に、、、
(虚に、椅子から立ち上がる)
(中央の軸の前まできて、こちらに背を向けて軸を見ている)
修吾
アメリカの連中は、捕虜の自分をたいそう労わってくれました。常に好奇の目に晒されていましたが、一度として手荒なマネをされずにすみました。
、、、しかし、自分はそれが不快でした。士官の彼の、あの爽やかな笑顔も不快でした。
彼らは我々日本人を憎んではいなかったのです。はなから、相手にしていなかったのです。イタズラ好きな悪ガキを折檻するかのように、この国を軽く引っ叩いただけのことでした。
彼らは、自分に散歩をすることすら許可してくれました。基地のまわりは、カーキ色のトラックや大きな戦車で埋め尽くされていました。沿岸には、軍艦が所狭しと居並んで、海の青色をその灰色で塗り替えてしまえそうなほどでした。米兵たちはみな背が高く、たえず冷えたビールを飲んでいました。
屈辱でした。なんだか、自分の存在が、ひどく、ひどくちっぽけなもののように感じました
大瀧
喜美子を忘れろとは言わない。しかし、もう戦争は終わったんだよ。前を向こうじゃないか。これからも、この組を、この街を一緒に守っていこうじゃないか
修吾
おやじ、恐怖がなくなったというのは、嘘かもしれない。本当は、ただ、心に穴が空いちまっただけなのかもしれない
(日本刀をとって身をひるがえし、大瀧を切ってしまう)
大瀧
おまえ、、、、、(倒れる)
修吾
(静かに大瀧を見下ろしている)
どうしてだろう、どうしてだろう。なぜ俺はおやじを殺しちまったのか。恨んでいたわけじゃない。なのに、この心変わりは一体なんだろう
(日本刀を投げ捨てる)
そうだ、これからは新しい時代なのだ。戦争は終わった。東京は焼け野原になった。そして、この俺はまだ生きている!
これからは、俺の好きなようにやらせてもらおう。おやじも女も忘れて、俺だけがいい世界をつくろう。新しい時代は、もうすでに来ているのだから———
【 幕 】




