依頼5:無人の倉庫区画にて 2/3
リーピの探命事務所も街はずれにはあったが、さらに郊外の倉庫区画までの道程を歩いて行くにはそれなりに時間がかかる。
自動人形たるリーピとケイリーが移動するにあたっては、ただ歩行だけに専念することも充分に可能であるし、人の身とはいえ真面目な警邏隊員であるトロンドも黙々と歩き続けるに耐えるだけの体力と精神を有している。
が、リーピは移動中もトロンドとの会話を続けていた。
「違法な人形解体施設についての情報提供が為されたのは、これが初めてのこと、ですよね?」
「はい。それだけ発見の難しい位置に隠れていた、ということかもしれません。内部から逃亡した存在が告発しない限り、今後も発見の糸口はつかめなかったでしょう。」
この機に乗じて、以前引き受けた別件のため可能な限りの情報をトロンドから聞き出す目的もあったが、何よりもリーピ自身が必要不要を問わず、話を好んでいるためであった。
それは自動人形に似つかわしからぬ振る舞いであり、同時に不具合とも判断されかねない性質であった。
「そも、自動人形の解体施設も非合法ながら需要はあるとはいえ、常に解体対象となる自動人形を入手できるわけではありません。作業用自動人形も安い物ではありませんし、愛玩用自動人形となれば相当な高額品ですからね。定期的に自動人形を廃棄するのは、議員さんや経営者さんなど、富裕層の方々ばかりです。」
「以前から気がかりだったのですが、雇い主の元を離れた自動人形は、どのような経緯で解体施設へ至るのでしょうか。解体業者が正規に認められた存在ではない以上、確実に届けられるルートが確保されているとは思えません。」
トロンドが疑問に思うのも無理はない。自動人形が“独立”という建前で廃棄された状態は、言うなれば高級品が誰の所有物でもない状態で街の中に放置されているも同然である。
それこそ、低所得層の市民が丸一年働き続けても手が届かないほどの大金が、人形となって道端に立ち尽くしているようなものだ。精巧に作られたパーツのひとつだけを取っても、目の飛び出るような額で売れるだろう……あくまで、非合法にではあるが。
人形内部の菌糸が漏洩する際の危険性が無ければ、金に目がくらんだ人間たちが寄ってたかって人形の部品解体を始める光景が日常茶飯事となっていたかもしれない。
が、廃棄された自動人形が無断で破壊されることなく、非合法な解体業者のもとへ確実に届けられている理由には、裏社会のルールがより大きくかかわっていた。
「表立ってはいませんが、業者の元へ届けられるルートは確立されています。どの屋敷で、いつ自動人形を廃棄する予定があるか、そんな情報はあっという間に解体業者のもとへ伝わります。ただでさえ自動人形を雇っているのは大きな邸宅にお住まいの方々ばかりですので、建物の修繕や清掃、庭の手入れなどで出入りする業者は多いですからね。」
「彼らが顧客のプライベートな情報を外に漏らすのは、ほぼ確実に規約違反でしょうけれど……今さらですかね。」
「雇い主の立場としても、人形を廃棄するに際して屋敷の外で余計なトラブルを起こされるよりはマシでしょうから。いざ廃棄される当日となれば、屋敷の外へと出される自動人形の前で、解体業者が既に待ち構えています。かく言う僕も、ケイリーと共に以前の雇用主のお屋敷から出された時、僕とケイリーの身柄を引き取るための解体業者にすぐ遭遇しています。」
トロンドは黙ったまま、並んで歩く面々の横顔に視線を向けたが、リーピもケイリーも表情に変化はなかった。
もとより“不要になった自動人形を廃棄し、解体する”という業者の話題がずっと続いていたのだから、今さら過去の経験を話す際にリーピやケイリーが表情を曇らせることを憂慮する必要などあるはずもなかった。
とはいえトロンドの視線の揺らぎにはリーピも気づいたのか、彼女の心配を解消するように声色を少し明るくする。
「ご安心を、今こうして僕とケイリーは、本来の意味で独立し仕事できているのですから。僕らを引き取ろうとした解体業者さんには『ご主人様からの命令に従って屋敷を出た、今から用事を済ませに向かうところ』とお伝えし、そのまま市役所へ事務所の営業登録に向かったのです。」
「自動人形なのに、人間に対して積極的に嘘をついたのですか?」
「噓ではありませんよ。僕とケイリーが、屋敷から出ていくよう命じられたことは事実です。まだ所有権が放棄されていないのだと解体業者さんが勘違いしたのであれば、これは誤解を招く表現であったのかもしれませんが。」
今度はハッキリと、トロンドはリーピの顔に視線を向ける。
人間であればニヤリと笑みを浮かべていてもおかしくない発言であったが、やはりリーピの表情に変化はなく、自動人形らしく事実を述べたに過ぎないように見えた。
リーピ自身の中では、茶目っ気のある微笑を浮かべているつもりだったのだが、やはり人間の微妙な表情変化を人形が再現することは難しい。
「話を戻しますが、廃棄された自動人形の回収については、解体業者が非合法とはいえ厳格にルートを確保しています。外部の業者や、新規に参入してくる業者に横取りされては、大きな稼ぎの手段を奪われることになりますからね。街の廃品回収業者が、自動人形にだけは手を出さないのも、解体業者からの制裁を強く警戒しているためです。」
「この街の裏で、そんな内情があっただなんて……隊長は知っているのだろうか。」
「警邏隊長さんともなれば、ご存知かもしれません。警察の一員として違法な活動を看過することは心にそぐわぬ判断かもしれませんが、長年保たれてきた裏社会なりの秩序を乱すことは、余計に街の安全を脅かす結果になりかねないでしょうから。」
リーピは、花屋のアントンや靴職人のラーディから聞かされた、警邏隊長の子供時代の印象を思い返しながら喋った。
人一倍、正義感が強く真面目なフィリック。直接的に街の住民の安全を守る警邏隊のトップに立った彼は今、より上位の組織である警察本部や市議会の存在感を頭上に抱えながら、清濁併せ呑むことの難しさを実感していることだろう。
性格が隊長同様であろうトロンドも今、リーピとケイリーに並んで歩きながら顔を俯け、僅かに表情を曇らせている。
……が、思いもよらぬ問いかけをリーピが発したことで、彼女は顔を再び上げる事となった。
「ところでトロンドさん。話は大きく変わりますが、差し支えなければ警邏隊長さんとのご関係についてお聞かせ願えますか?」
「……はい?」
「脈絡もなく申し訳ありません、実は先日、ある女性から調査依頼をいただきまして。今月の警邏隊公論に載せられている、今期の隊の集合写真にて、フィリック隊長とずいぶん近い位置に立って写っていたトロンドさんについて調べてほしい、と。」
トロンドも自動人形に負けず劣らず表情の変わらぬ女性であったが、リーピの説明を聞いてますます彼女の表情は固まっていた。
困惑と戸惑いの中に放り込まれた様相で、しばらくトロンドは頭の中を懸命に整理していたが、ひとまずは質問に対する答えを優先することにしたらしい。
まっすぐトロンドの顔を見つめるリーピの隣では、ケイリーも何故か興味ありげにチラチラと横目で視線を送ってきていた。
「隊長との関係は、私の肩書通り、あくまで警邏隊における部下としての関係でしかありません。集合写真での立ち位置は、撮影を行った広報担当者からの指示に従った結果です。」
「急な質問に、お答えいただきありがとうございます。僕らの元へ依頼を直接持ち込む今回の件も単独で任されているように、隊長さんからトロンドさんは信頼されているのですね。」
「いかなる経緯があるにせよ、命令には従うのが仕事ですので。……あなた方も、今の話、喋ってしまって構わなかったのですか?調査を依頼した人物が存在することは、調査対象に伝えないのが普通ではないのでしょうか。」
「他ならぬ調査対象が警邏隊の一員であるトロンドさんですし、それに依頼者様からも自身のことを喋ってしまって構わないと伝えられています。トロンドさんにおかれても、秘密裏に情報を調べられているより、直接、面と向かって尋ねられたほうが悪い気もしないでしょう?ついでに、この件については、報酬も一般客向けにごくお安くなっていますからね。」
「それは、確かに……。」
戸惑いは残しつつも、トロンドは状況を呑み込んで頷いた。
秘匿すべき事項が少ない状況は、依頼者と調査対象の両方が信頼できる人物だと確信を持てる前提の上ではあるが、理解を得る過程もスムーズである。
先日依頼してきたラーディが実際に街の靴屋で職人として働いていることも確認されているし、花屋のアントンもまたラーディは自分の幼馴染であると証言し、幼少期から知る彼女についての思い出もたっぷりと語ってくれた。
地味で目立たぬ少女だったラーディは、子供の頃からフィリックのことを気に掛けるそぶりを示していたらしい。
フィリックが警邏隊に入ったのは持ち前の正義感もあるが、一番はラーディからストーキングされないためじゃないか、とアントンはもちろん冗談として語っていた。
一方で、今、目の前にいるトロンドは、自分について調査を依頼した者の意図をなんとなく掴んだようだった。
「警察の広報担当は、今後も女性隊員である私の姿が、隊長のすぐ傍にあるように見せるような宣伝を出すかもしれませんが、隊長と隊員という関係性から逸脱することは決してありません。私のことを調査するよう依頼を出された方にも、明確にお伝えください。」
「承りました。月間警邏隊公論に載せられた写真も、トロンドさん本人の意向が反映された結果ではない、と知られれば依頼者さんも納得されるでしょう。」
組織に属するということは、個人の意向が罷り通らぬ状況を受け入れる事でもあるのだ。警邏隊長のフィリックも、警察上層部の意向で慣れぬヘアスタイルを整え、拘束衣めいた隊長専用の制服を着させられている。
自分の幼馴染が、本来は選ばぬだろう姿を強いられている様を見ているラーディならば、トロンドの言い分にも理解を示すだろうと思われた。
「……さて、この辺り、ですね。」
リーピは会話を切り上げると共に、歩を止める。
目的地である工業地域の倉庫区画へとたどり着いたのは、ちょうど会話の内容がひと段落したころだった。
この一帯は、市街地の中心と違って通行人の姿は皆無である。
倉庫に用事がある作業員でもなければ、わざわざここに来る人間はいない。作業用自動人形が、物資搬送のために立ち寄ることの方が多い。市街地の整理によってゾーニングが徹底された結果であり、人目を避けるにはうってつけのロケーションであった。
事務所から持参してきた地図を広げ、トロンドがつけた印を見ながら、リーピは倉庫街の一画を指さす。
「あの公衆通話機ですね。違法な人形解体施設の存在について、情報提供が行われたのは。」
利用客が増える見込みがなくとも、街の随所に公衆通話機は設置されている。
どこでも連絡が出来る利便性以上に、人通りのない地域でも緊急時の通報が可能となるためだ。もちろん、非合法な仕事に手を染めている者たちにとっても便利であることは同様であり、仲間内でのみ通じる暗号を交えつつの通話にも用いられている。
とはいえ、設置コストの安さが普及に大きく貢献していただろう。
この世界における唯一の遠距離連絡手段、情報伝達に特化した菌糸を用いた通話線は、地中に埋めておくだけで被膜越しに水分を吸い、維持される。意図的に路面を掘り返しての破壊が行われない限り、維持管理の手間要らずである。
送話機と接続する機構が単純で済むこともあって、菌糸を活用した技術の中でも歴史は長い。自動人形が普及するよりもずっと古くから通話ラインの充実、地下埋設は行われてきたのだ。
リーピの目の前にある通話機も、かなり年季の入った代物であった。利用者が少ない地区のため、部品の取り換えも長年行われていない様子である。
「この公衆通話機が利用されたとなれば、解体施設が隠されている位置も遠くはないでしょう。僕の推測通り、解体を前にして逃亡した自動人形が情報提供を行ったのならば、可能な限り早く外部へ情報を流す手段を見出そうとするはずです。」
「我々警邏隊も同様の推測のもと、近辺の倉庫周辺を捜索したのですが、それらしい場所は見つかりませんでした。尤も、令状なしには無断で倉庫内部を調べられなかったせいでもあります。」
トロンドはリーピに返答しながら、今もなお未練がましく周囲を見回している。片っ端から倉庫の扉を次々に引き開け、中に突入して違法業者を確保する……そんな立ち回りも許されない状況は、あまりに歯痒かったろう。
一方で、リーピは公衆通話機そのものを注意深く観察し、あることに気づいて声を上げた。
「解体されかかっていた人形が逃亡したのであれば、身体内部からの菌糸漏洩が引き起こされていた可能性があると考えていたのですが……今、その痕跡を発見しました。」
「えっ……。」
「ご心配なく、流石に舗装された路面の上で、水分補給の機会も無かったため、菌糸は全て枯死しています。」
仮に、解体施設から逃亡した人形から漏洩した菌糸が生きていたとしたら、情報提供を受けた直後この周囲を捜索した際、トロンドは菌糸に感染していたはずだ……と、リーピの中では言葉が組み立てられたが、実際に口に出すことはしなかった。
ほとんどが自動人形で構成されている警邏隊ゆえに即座の出動が認められたのだろうが、健康被害の恐れを鑑みることなく人間であるはずのトロンドも駆り出された、となれば警察組織への不信感も強まってしまう。
地表に残された僅かな痕跡を発見することもできず、無為に周辺を見回っただけで早々と初動捜査が打ち切られたのは、菌糸漏洩リスクに警察上層部が気づいてはいたものの、現地出動した後となっては言及出来なかったためであったかもしれない。
ケイリーに周囲を警戒するよう目で合図し、リーピはほとんど地面に這いつくばるような姿勢で、枯死した菌糸の痕跡を辿っていく。
人形の視力でも地面に目を近づけなければ確認できないほど微細な白い菌糸たちは、まるで水分を求めて最後の時まであがいたかのように、舗装路の隙間に必死でしがみついた形状のまま、ひからびていた。
地面を凝視して進んでいくリーピの背後を、ケイリーと並んでついていくトロンド。
次なる異変に真っ先に気づいたのはトロンドであった。
「……僅かですが、死臭がします。」
自動人形が人間よりも劣っている感覚のひとつが、嗅覚である。
視覚や聴覚は研ぎ澄ますことが出来ても、人間における記憶・印象・感傷に大きくかかわる嗅覚や味覚については、人形が模倣することは難しかった。菌糸として感受性を高められるのは、せいぜい湿度変化ぐらいのものである。
そして今、トロンドの表情を険しくしたのは、人間ならば嫌悪感を抱きつつ嗅ぐこととなる、腐敗した遺体の臭気であった。
リーピが路上の菌糸の痕跡を辿って歩を進めるほどに、トロンドの嗅覚は確実にそれを受け取っていた。この近辺に、おそらく人間の遺体が放置されている。リーピの傍で、ケイリーが防護傘を握りしめ、更に警戒を強めていた。
人間ならば気づく異様な臭気も、この倉庫区画に立ち寄る人間がほぼ居ないために放置されていたのだろう。そも、倉庫まで荷物を搬送するという単純業務には作業用自動人形が従事しており、ますますもって通報の機会は失われていた。
トロンドは眉間に皺をよせながら、口を開く。
「情報提供があった日から、二日。今の時期の気温であれば、死体の内部にガスが溜まって膨張し始める頃です。やはりあの日、解体業者にとって想定外の事態が発生したものと思われます。」
「……えぇ、この倉庫内部である可能性が高いです。」
ずっと地表を凝視しながら進んできたリーピは、一棟の倉庫の扉前で脚を止めた。
やはり人間には視認が難しい痕跡であったが、倉庫の出入り口付近の路面には枯死した菌糸の痕跡が、ごく薄く広がって張り付いている。そして、鼻腔の奥をつくような酸っぱい死臭が、この倉庫の中から最も濃く漂っていることもトロンドは嗅ぎ取っていた。
違法な人形解体施設で何らかのトラブルが発生し、解体予定だった一体の自動人形が逃亡。その際に、業者から犠牲が出た……これまでの推測を組み合わせれば、そんな経緯が考えられる。
リーピは跪き、じっと路面を見つめながら口を開いた。
「解体施設から逃げ出した人形が命令に不従順であったことは間違いないですが、積極的に人間へ危害を加えることは考え難いです。人間同士、業者の仲間割れによって死者が出るほどの暴行事件が発生、その隙に自動人形が逃亡した、と推察することはできます。」
「なるほど……何にしても、この先に遺体があることは、ほぼ確実です。この倉庫内部の調査は、その危険性ゆえに警邏隊が引き継ぎます。すぐ本部へと連絡しますので、リーピさんとケイリーさんは一旦、私と共に現場を離れてください。」
トロンドは切迫した声で伝え、リーピもケイリーもそれに従い、やはり周囲に不審な存在が居ないか警戒しつつ、死臭が漂う倉庫から離れていった。
人間の遺体が残されていることは、直接的なリスクが二重に存在することでもある。遺体の腐敗が進んでいれば、病原菌の繁殖は避けられない。それに加えて自動人形の解体施設ともなれば、遺体から水分や養分を吸って生きている菌糸が繁殖している可能性もある。
先ほどの公衆通話機の所まで戻り、トロンドが専用の回線を呼び出すよう交換手へ伝えているところから少し離れ、リーピはケイリーにぼそっと告げた。
「まだトロンドさんには伝えていないのですが、今回の件、まだ引っかかっている点があるんです。」
「なぜ彼女に伝えていないんだ。私に言われても、推理力なんて皆無だぞ。」
「結論の出せない疑問ですので。最大の疑問は、起きたであろうトラブルの経緯です。違法な人形解体施設といえど、業務に当たる人材の選択はある程度慎重に為されているはずです。精巧な自動人形のパーツを一つでも売りさばけば大きな儲けとなるのですから、トラブルの種は事前に可能な限り排除すべきであると業者たちも理解しています。」
トロンドと違って、ケイリーは自分の推測を披露する余地など無いと割り切っているため、ただ黙ってリーピの発言に頷くばかりである。
だからこそ、リーピは相手の推測を混乱させる恐れもなく、解消しない疑問について語り続けられた。
「先ほどは、一応の仮説として、解体業者間で何らかの仲間割れがあった、と語りましたが……人形解体の現場で揉め事が発生するとは少々考え難いです。そういったトラブルが仮に起きるとすれば、計画段階で表面化しているか、あるいは実際に報酬を分配する場ではないかと思われます。」
「確かに、自分たちの目の前で菌糸が漏れる事故を起こすわけにはいかないし、そもそもが高額な品だから、人形解体作業に集中しているはずだな。」
世間一般においても同様のことだが、非合法な事業を営んでいる連中にとっても、人死にを出してしまうことは最大級の失態である。ただでさえ目立ってはならない場で、隠し通すことが非常に困難な、そして隠し通すこと自体が犯罪となってしまう事態が発生してしまうのだ。
仮に人死にが出る前提であれば、完璧に真相を隠蔽するだけの相応の準備が必要となる。彼らが遺体を放置して撤収したのは隠蔽が間に合わないと判断されたためでもあるし、人形の解体現場という性質上、菌糸が遺体に宿って成長し始めるのが確実だったためだろう。
遺体から養分を吸い上げて菌糸が繁茂し、胞子を飛ばし始めれば、いよいよもって被害が拡大する。絶好のロケーションにある解体施設をひとつ放棄してでも、その中に封じ込めておくのが最善だったのだろう。
「人間同士の暴行事案が無かったとなれば、人形が解体施設から逃亡することはますます困難です。モデルによっては人間を超える膂力を発揮し得る自動人形ですが、万一に備えて業者側も無力化策は有しているはずですし、荒事によって無理矢理脱走するのは非現実的でしょう。」
「人間を超えるパワーで暴れたとなれば、当日に駆けつけた警邏隊が何も痕跡を見つけられないはずはないな。ごくわずかな菌糸が路面に残されてるだけ、ってこともないだろう。」
ケイリーは周囲を見回し、ついでに公衆通話機の前で喋り続けているトロンドに目を向ける。今しがたの件を報告するためにしては、妙に時間がかかっている。
リーピも、トロンドの報告が長引いていることについては違和感を抱いていたが、とりまず言葉は続けた。
「ですので、脱走した自動人形は荒事ではなく、変装などの手段を用いて密かに抜け出したものと思われます。作業服を身につけ、ヘルメットで顔も半ば隠れていれば、薄暗い倉庫の中では誤魔化せるかもしれません。」
「……そうだろうか?解体業者も、そんな大人数でやってるわけではないだろうし、仲間じゃない奴が紛れているのはすぐ分かるんじゃないか。そもそも解体対象として運ばれてきた自動人形が、変装のために着替えている余裕なんて無いだろう。」
「えぇ、それに、平穏の中でこっそり脱走が行われたというのなら、なおさら人間の遺体があることに説明がつきませんからね。だからこれは、結論の出せない疑問なんです。」
言い終えて、リーピは今度はしっかりとトロンドの方へ視線を向ける。
彼女はようやく、本部とのやり取りを終えて公衆通話機から離れるところであった。その表情は芳しくない。
リーピ達のもとへ近づく数歩の間にも、トロンドは深く考え込んでいる様子であったが、まもなく意を決したように口を開いた。
「私自らが現場を確認するように、との本部からの指令がありました。間接的な証拠では動けない、遺体を現認しない限り、捜査は開始できない、と。」
それは、警察本部がこの件への着手に消極的である姿勢を、暗に示した命令でもあった。
トロンドの生真面目な面立ちは、上層部からの絶対的な命令の中に含まれる理不尽を受け止めて、小さく眉間の皺を浮かべながら歪んでいた。




