依頼26:市長派議員への勧誘通達 望外の学び
リーピとケイリーは、立て続けに出されるフィンク議員の依頼によって、彼の手元に置かれる状況が続いていた。
議員が現時点で最も警戒しているのは、多数の犠牲者が出た一連の菌糸漏洩事故を巡り、自動人形メーカーであるロターク本社との対立構造が明白となってしまう事態である。
この街の市議会議員は例外なく、街での活動を黙認された違法人形解体業者から利益を吸い上げているため、正規メーカーを相手取って争ったところで勝ち目はない。いよいよ隠蔽しきれない被害規模となった今になって、市長がロターク社への賠償請求に踏み切ったのは、議員たち全員を共犯者として巻き込める目論見もあったためだ。
しかし、特異菌糸を内包する新型自動人形の回収指示をメーカーが出していたにもかかわらず、市長がそれを無視していたことが明確となれば、市長の独断を全ての元凶として槍玉にあげることが可能となる。非合法な人形解体は“表向き”には行われていないことになっているので、日の目を見るのは市長が無視したメーカーからの書簡だけだ。
事ここに至ってフィンク議員は、状況把握にリーピとケイリーを重用しつつも、両名が自らの製造元であるロターク社の命令を受けて不用意な振る舞いをせぬよう警戒もしているらしかった。
「よぉ、戻ってきたか。ポケットの中身が随分軽くなってんな、ダン。やっぱり羽虫どもがたかってきやがったか。」
リーピ達の護衛を終えて戻ってきたダンとレメは、庭先に出てきたフィンク議員へと頭を深々と下げる。
ダンは更に歩を進め、フィンク議員へと耳打ちした。
「邪魔を入れてきた連中の雇い主は、口元に小皺がある、化粧臭い女だったそうです。」
「前々からアンテナ張って準備してねぇと、このタイミングで書簡強奪は実行できないよな。それが出来るのは議員連中だけだ。……で、街に今残っている議員の中年女となれば、キナしかいない。なるほど、市長一家に嫁いだ身じゃあ、あっさり反旗を翻すわけにもいかねぇか。」
市長一家に嫁いだ後に議員となったキナは、市長の息子の妻、すなわちプルスの母にあたる人物だ。
これまた自身の権勢を固めるために、市議会内に同族を極力増やそうとする、市長らしいやり方が生んだ関係性であった。
市長の孫娘プルスが生前、ほぼ実親との交流なく屋敷の執事に面倒をみられていたことを思い返すにつけても、愛娘プルス夭逝から間を置かず市長の保身のために働いているキナには親としての情が欠けているのではないかとも思われた。
しかし根っからの政治家であるフィンク議員にとっては、何ら意外なことではなかったらしい。
「旦那と舅が製剤会社に出張してる間、この街を預かってる俺を監視するように仰せつかってたんだろうな、あのオバハン。さておき、無事に例の書簡を持ってきてくれたんなら、見せてもらっていいか。」
「はい、こちらにお持ちしました。」
リーピは答えながら、作業服やシャツの裾をまくり上げ、身体パーツの腹部外殻を開いて体内から書簡を取り出す。
自動人形だけに出来る隠し持ち方には、フィンク議員や周囲の護衛達も興味津々に視線を向けていた。その一方で、書簡の内容については直接読む前からさしたる心配も向ける様子はなかった。
市長の親族であるキナ議員が、雇った人間を使って即座に強奪しようとしたということ自体が、書簡内容の重要性を間接的に証明しているも同然であった。
透明な樹脂シートで保護された書簡にざっと目を通し、フィンク議員は満足げに笑んでいた。
「十分だ。ロターク社から発行された日時、市庁舎に届けられた日時の証明印も入ってる。市長自身の認印だけは流石に押されてねぇが、市庁舎に届いた重要書簡を読んでませんでした、と言ったところで危機管理責任を問えることには違いない。」
「市長邸宅から持ち出され、僕らの事務所で保管する過程で折り畳まれた跡はついてしまいましたが、読むうえで支障はありませんか?」
「あぁ、むしろ市長が揉み消そうとした過程に信憑性が湧くってもんだ。で、俺たちはこいつを旗印に、市長殿に謀反つかまつる!ってな。んじゃ、この原本は俺が預かっておくが、複写をいくつか作っておくぞ。」
傍らに控えていた秘書が書簡を受け取りに立ち上がったが、フィンク議員は彼を手で制し、自分自身の懐に書簡をしまい込んだ。この秘書はフィンク議員が最たる信頼を置く相手であったが、それでもなお自分以外の者に預けなかったのである。
フィンク議員の判断はそこで終わりではない。行動を起こすことを決した以上、彼の計画遂行は迅速だった。
「書簡を入手できた件についてはこれでいい、だがこの街に居る以上、キナ女史を放置するわけにもいかん。奴が次の手を打ってくるか、あるいは市長の所へ逃げ込むかする前に、お伺いを立てねばならんな。」
「俺たちの元へ丁重にエスコート、ですかね?」
庭先に控えていた護衛連中の中から、ダンが声を上げる。キナが市長の親族であるとはいえ、今後急速に人数を増すであろう反市長サイドが圧倒的に有利であると知らせれば、翻意を促すことは可能だ。
が、フィンク議員はその提案を文字通り払い除けるように手を振って言葉を続けた。
「ダメだ、たとえ最上級のお姫様扱いしたところで、拉致監禁の被害者面されんのがオチだ。せめて招待状が無けりゃあな。だいいち、お前らみたいな男連中が押しかけたら、指一本触れなかったとしても『恐怖で抵抗できなかった』って言い分が通用しちまう。」
街に不在の市長に対し反旗を翻す、という大それた計画を一気に進める以上、多少の綻びも許容できないことをフィンク議員は承知していた。
ロターク社を敵に回して議員全員で共倒れするより、市長ひとりを元凶として差し出すほうが良いことは全議員が首肯するところであろう。が、フィンク議員にとって重要なのは、その後自分が実権を握る過程に僅かな瑕疵も与えぬことである。
後々になって、義父や夫の不在時に同意を強要された、などとキナ議員に証言される材料を与えるわけにはいかない。
「そこでだ、ここに丁度良く小綺麗な人形さんがいらっしゃる。今はちっとばかし薬剤を被っているが、着替えさせりゃあキナ議員へのお遣いには十分だ。頼まれてくれるか?」
市長邸宅解体現場から撤収する際に噴霧された滅菌剤を、完全に除去する暇も無く今まで行動を続けていたリーピとケイリー。
それだけフィンク議員が実行に間を置くことを厭っている証でもあり、ここでもリーピは即座に返答した。
「はい、僕もケイリーも、引き続きご依頼を承ることは可能です。僕らの体表に付着している滅菌剤の残滓清拭と、着替えには多少お時間を戴くことになりますが……。」
「心配すんな、薬剤をはたくのも、衣装に着替えんのも、この屋敷で出来ることだ。」
そうフィンク議員が返答している間にも、邸内に一旦引っ込んでいた秘書が使用人のひとりを連れてきていた。
これまた長年フィンク議員の元で働いてきたのだろう、老婆でありながらしゃんと伸ばした背が男たちと比肩するほどの使用人は、状況を一目見て自分の為すべき役目を察し、マスクを口元につけながら衣服用ブラシを手にしていた。
臨時で人を雇うことなく、長きにわたって自分についてきてくれる人間を選ぶフィンク議員の信条は、私邸においても徹底されているらしかった。
フィンク議員はリーピとケイリーを指さしながら、使用人に告げる。
「こいつらを、キナ議員の元へ向かわせる遣いにふさわしい恰好にしてやってくれ。すぐ出発させたいから、そう徹底しておめかしせんでいい。子供用の礼服、来賓用に残してあったよな?」
「えぇ、ございます。では、おふたりさん、こちらへ……。」
柔らかな老婆の声でありながら、有無を言わせぬ響きを纏わせた言葉をもって、使用人はリーピとケイリーを衣裳部屋へと連れて行った。
―――――
フィンク議員の意向通り、リーピとケイリーの身なりを整える過程はごく短時間で完了した。
思い返せば今日という日は、市長邸宅解体現場で発見された地下室内部の確認から始まり、市長が揉み消そうとしたロターク社からの書簡をフィンク議員まで届ける依頼もこなしている。そして今、キナ議員の元へ伺いを立てに行くという三つ目の依頼まで、たった一日のうちに行っているのだ。
日は高く、まだ夕方には遠い時間帯である。フィンク議員に関わると、実に慌ただしく濃厚な一日を過ごすことになる。
身体から滅菌剤を念入りにはたき、礼服姿に着替えたリーピとケイリーは、キナ議員の居所へと向かっている。
「慣れない恰好で歩きづらくありませんか?ケイリー。」
「スカートは問題ないのだが、私の関節部がタイツの布地を巻き込んでしまう恐れがあるから、慎重に足を運ばねばならない。」
市長や議員たちの元へ向かう際はこれまでパンツスーツを着用してきたケイリーであったが、フィンク議員邸に用意されていた女性用スーツは膝丈のスカートであった。
愛玩用自動人形として製造時の状態であれば、関節部は滑らかな表皮で覆われていたリーピとケイリー。しかし、以前モース研究主任によってメンテナンス性と持久性を重視した身体パーツに換装した際、関節部は可動カバーのみで覆われ、人工的な関節部であることが外観から確認できる形状となっていた。
スカートの裾から覗くケイリーの膝に関節の溝が浮いて見えても、使用人の老婆は狼狽することなく彼女にタイツを履かせたのである。
歩を進めるごとに、膝、ついでに股関節に布の巻き込みが発生していないか気にかけているケイリーに、リーピは声をかける。
「いざという時の疾走に支障が無いのであれば問題ないでしょう。それに、仮にタイツの生地を関節に巻き込んで破いてしまっても、フィンク議員が弁償を要求する可能性は低いと思います。」
「思い切り走ったら、スカートまで破いてしまうかもしれないが……今回の依頼内容であれば、そのような荒い事は起きないと期待したいな。」
ケイリーが自身の足取りを気にする時間は幸いながらさほど長引きはしなかった。
キナ議員が住まいとしているのは、特等市民向けアパートである。以前から市長邸宅に姿の無かった彼女は、普段より夫と共に議員向けの共同住宅で暮らしていたのだ。
一階エントランスにて管理人室から顔を出したのは、リーピも以前会ったことのある若い男だった。
「お、あんた、たしかヴィンスの事件の時に……。」
「お久しぶりです、管理人さん。本日もまたフィンク議員のご依頼で、キナ議員のもとへ訪問しに参りました。」
リーピからそう告げられ、管理人は表情を多少こわばらせた。
以前も、フィンク議員の依頼でリーピとケイリーがここを訪れ、そして後日、ヴィンス本人が既に殺されており、容姿を模倣した自動人形になりすまされていた事実が発覚したのだ。
また面倒ごとに巻き込まれることを警戒したのだろう、彼は気の進まぬ様子で口を開いた。
「フィンク議員の名前を出されたら、こちらとしても拒みづらいんだが……というか、キナ議員と面会するにしても、いきなり自宅に来るか普通?というか、昼間なら仕事に出てるって考えるのが普通じゃないのか。」
「既にキナ議員が帰宅されていることは、フィンク議員の調べで判明しています。おそらく、この街を離れるために私物をまとめていらっしゃる最中だと考えられますので、こちらへ来させていただいた次第です。出来ましたら先んじて、キナ議員へ荷造りの手間が不要であるとお伝えいただければ手間が省けるのですが。」
「い、いや、そう言われても、管理人だって議員の私生活に干渉できるわけじゃないし、そもそも住民のプライバシーに関することを口外できないし……。」
リーピとケイリーに迫られつつ、管理人の男は明らかにしどろもどろになりつつある。
現状のキナ議員は、金で雇った面々がフィンクの護衛に買収されてことごとく街から離れていき、身の回りを世話する秘書を引き連れて街を離れる準備を進めるので手一杯なのだろう。一縷の望みをかけて、このアパートの管理人に人払いを頼んだのだろうが……この若い男では、あまりに頼りない。
招かれざる客を即座に追い払うことが出来ずにいる管理人と向かい合い続け、時間を稼いだリーピの狙い通り、上階から降りてくる靴音が響いてきた。
「おや、既に荷物をまとめ終えられたようですね。キナ議員が降りてこられました。」
「いやー……人違い、じゃないかなー……?」
社会経験の薄いままに、トラブルの少ない高級アパートの管理人を任されてきた若者には、有無を言わさず他者を追い払うなどという芸当は到底不可能であった。
階段を下りてきた足音と共に、先んじて姿を現したのはキナ議員の秘書であった。
背に大荷物を担いだ黒スーツの男は、リーピとケイリーの姿を見るなり立ち止まり、忌々しげに役立たずの管理人を睨みつける。そのまま、背後に小声で何事かを呟き、大荷物を担いだまま再び階段を上がっていこうとする。
すかさず、リーピは声を張って呼び止めた。
「キナ議員、アポ無しの非礼をお詫びいたします、リーピ探命事務所です。この度は、フィンク議員からお誘いの文面をお持ちいたしました。」
秘書の男は構わずキナ議員を押して上階へ戻らせようとしていたようだったが、当のキナ議員本人は彼を押し返し、そのまま階段を降りてきた。
リーピの発したのが、少年の声であったがゆえの反応だった。
むろん、先ほどの妨害行為を言い詰る男たちがエントランスにたむろしていれば、迷わずキナ議員は逃げただろう。が、自身に危害が加えられる恐れが無いためだけではなく、キナ議員はリーピの声に聞き覚えがあったのだ。
秘書が渋々ながら道を開け、階段を降りてきたキナ議員の顔を見て、リーピも思い出した。小柄ながら緩み始めた体型、日々の苦労を物語る小皺が顔に刻まれた、中年女性。
「あなたは……以前、僕らの事務所にご依頼いただいた方……ですね?」
「そうよ。まさか、その依頼内容をここで喋らないでしょうね。」
「依頼者に関する情報を漏洩することはありません。」
リーピは即座に答えた。漏らして良い依頼内容ではなかった。
以前、ヘルパー自動人形と暮らしている老爺との音信が途絶えたため、様子を見に行ってほしいとの依頼が入ったことがあった。
依頼者は中年女性、彼女の父親はかなりの高齢で、頭に血が上るとすぐ暴力を振るう癖があった。老人は、格安で雇われたヘルパー自動人形に対して、自分の意図が円滑に伝わらないことに腹を立て、人形の頭部を殴っていた。
その結果、ヘルパー自動人形の頭部は破壊され、菌糸漏洩が発生。菌糸汚染によって老人は胞子性壊死脳症を発症したのだ。
実態が判明して即座に、死亡診断書を作成するためだけに医師が呼ばれ……それがチャルラット医師であったが……不自然なほどに円滑に事後処理が進んだ点を見るに、この依頼者はすぐ暴力を振るう上に痴呆を患っている父親をさっさと“片付け”たかったのではないか、とリーピは推察していた。
今、それなりに小綺麗な服装を身に着け、白髪も染めてあるキナ議員であったが、あの時の依頼者である中年女性に間違いなかった。リーピは改めて口を開く。
「またお会いできて光栄です、まさかこんな形での再開になるとは。」
「私の方も、あなたたちとまた会うことになるとは思わなかったけれど、そっちは私の顔と名前を知らなかったの?選挙ポスターなんて自動人形には関係ないから見ないのかしら。」
「お見それいたしまして申し訳ございません、依頼者の素性については特段鈍い方が、この仕事には都合良いのです。」
「私の動向の推測についても鈍くあってほしかったのだけれど。で、何?あのネズミ爺からの文書を持ってきたって?」
フィンク議員の禿げあがった頭と小柄な体躯を、ネズミ爺と形容していることは説明されずともリーピは理解できていた。あきらめ顔で近づいてきたキナ議員に、持参した封書を差し出す。
雑に破いた封筒から便箋を取り出し、文面に目を通したキナ議員は、小さく溜息を吐いた。
「まぁ、予想通りね。フィンク派にくだれば、次期以降も議員の席は用意してやるってさ。この手紙を週刊誌にでも持ち込んでやろうかしら、民意を無視した取引をもちかけた証拠として。」
「その場合、フィンク議員はたいそう失意を抱かれるでしょう。」
「ついでに、今度こそ私に対する直接的な報復でもやりそうね。手紙は返すわ、ついでに奴に伝えといてくれる?ウチの夫もうだつの上がらない男だけれど、ジジイに乗り換えたと世間から見られる方が、よっぽど不名誉だって。」
ほぼ投げ返すような動作でキナ議員はリーピへと手紙を渡し、背後に控えている秘書について来るよう目くばせし、このアパートの出口へと足を向ける。
キナ議員が提案を拒んだ際の文言もリーピは用意していたのだが、それより先に彼女を呼び止めたのはケイリーであった。
「あなたは、家族のことを何だと考えているんだ?」
「いきなり何の話。」
「以前の依頼で、菌糸感染による逝去が確認されたのは、キナ議員の実の父親だろう?それに、あなたは実の娘であるプルスも先日喪ったばかりだ。……私は短からぬ期間、人間の感情の模倣に努めてきたつもりだが、それでも理解できない。悲しみや、それに近しい感情をあなたは抱かないのか?」
今回の件に直接関係の無い問いかけであったが、リーピはケイリーの発言を制止しなかった。
それはリーピ自身も解決できない謎であり、図らずも目的達成より謎の解消を優先する判断を下していたのだ。それに、このままリーピが喋りつづけたところで出てくるのは理詰めの説得ばかりであり、成功率は高く見積もれない。
他の提案を述べるよりも、ケイリーの純粋な問いかけは、キナ議員の足を止める上では効果を発揮していた。
「感情出してる暇、無いから。」
「家族という親密な繋がりにおいても、か?」
「自動人形が、家族を理解できるものかしら。」
キナから言い返され、ケイリーは返答できずに視線を下げる。
しかし、キナはこの場を立ち去ろうとしなかった。あるいは彼女自身、この場を流してしまうと二度と得られない機会を見出していたのかもしれない。
「私の父については、わざわざ説明要らないわね、あれと一生付き合わされるのは無理。プルスのことは……可哀想だけれど、自分の腹を痛めて産んだ、ってワケでもないし。」
「代理母出産、か。」
「市長は自分の遺伝子を孫の形で見たがったけど、そうでもしないと、議員の仕事続けられないでしょ。要するに私の家族は、仕方なく、必要だから保ってるだけの関係。そういう人間も居るってこと、学習しときなさい、お人形さん。」
キナ議員は言い終えたが、再び歩み出そうとはしない。
秘書の男は大荷物を背負わされたまま、足を止め続けている彼女の顔色を窺っているばかりであった。間が悪くなって引っ込んでいた管理人も、妙に長く続く沈黙が気になったのか、窓口から恐る恐る顔を覗かせている。
暫しの静寂の後、キナはぼそっと呟いた。
「……じゃあ、もう、泥船に義理立てする意味、ないわね。」
靴の踵を床に少々強く打ち付け、踵を返してキナは戻ってくる。大荷物を抱えた秘書は、議員の動向を読めぬままにウロウロと振り回されている。
リーピに向かって手を差し出しつつ、キナは口を開いた。
「気が変わった。さっきの手紙、やっぱり貰っておくわ。私も現市長を見限るって、フィンクのジジイに伝えておいて。ついでに念のため、ご自慢のボディガードを何人か私にもつけてちょうだい、と。」
「承りました。フィンク議員もお喜びでしょう。」
「それから、あなた。」
続いてケイリーへとキナ議員は視線を移す。
じっと彼女の目で見据えられ、ケイリーは思わず立ちすくむ。
化粧で多少は誤魔化されているものの、日常的なストレスにさらされつづけて目の周りに無数の小皺が刻まれた様は、言葉無くとも、感情を示さずとも、人間の歩む人生の時間が、いかに個人を押し殺した上に築かれているか雄弁に物語っていた。
限りある命をもって人生を渡り歩く人間は、しばしば自己という個人を尊重していられないのだ。
キナが最も伝えたかったことは、その無言のみで十分に示せたと判断したらしい。
「あなた、スカートを履き慣れてないわね?」
「……え?あ、あぁ……。」
「タイツの上にハンドクリームでも塗って、湿度を保っておきなさい。静電気でスカートが足に貼りついてる。」
確かに、タイツの布地が関節に巻き込まれることばかりを気にしていたケイリーの両脚は、今やスカートの布地を静電気でぴったりと吸いつけており、平べったいズボンのごとき形状となり果てていた。
慌ててバサバサとスカートの裾を広げようと試みているケイリーに背を向け、キナは靴音を立てながらカツカツと階段を上がっていった。
再び大荷物を担いで階段を上がらねばならない秘書の男が疲れ顔でうなだれているのに対し、リーピは労いの会釈を送りつつケイリーに告げる。
「すぐにフィンク議員の元へ、今回の依頼達成を報告に向かいましょう。あなたのおかげです、ケイリー。」
「私も一瞬、余計な口出しをしてしまったかと感じたが……人間に関わるほどに、自動人形には想定できない思考を見出すものだな。」
喋りながら、ケイリーは一旦広げたスカートの裾から手を離す。
が、もとより乾燥しきっている自動人形の体表から静電気が簡単に去ることはなく、再びピタリと足に布地が貼りついていた。
「やはり、慣れませんね。ケイリーには作業服が一番似合います。」
「……早めに帰ろう。このままでは、お借りした服の布地にダメージが蓄積し続ける一方だ。」
往路よりも更に強く脚にまとわりついてくるスカートを気にしているケイリーへ、リーピは腕を差し出し、二体の自動人形は手を取り合って歩き出した。
街の権勢をひっくり返すフィンク議員の策謀が進行していく傍らで、リーピとケイリーはごく小さな学びを得ているのであった。




