依頼24:市長邸宅解体現場調査 2/2
暗闇に満たされた地下室であったが、入り口扉にはこじ開けられた際の隙間が残り、廊下まで音と光が入り込んでくるため閉塞感はない。
どうやら、好奇心に駆られた解体作業員たちが押しかけているのだろう。口々に喋る男たちの喧騒と、入り口に近付かぬよう牽制する作業責任者の声が内部まで聞こえてくる。
地下室自体も、短期に増設できるユニット式工法で建造されたためか、さして広くはない。廊下は短く、すぐに突き当たる。扉はふたつだけであった。
「……。」
リーピは無言のまま、入り口に近い方の戸をケイリーに指さして示す。
当然ながら退路を断たれぬための選択であり、ケイリーも畳んだ防護傘を握り締めつつ言葉なしに頷き返した。地下室入り口がこじ開けられた時の音は、既に部屋の中に潜んでいる存在にも聞こえている筈である。
今は、中からコトリとも音はしない。警戒して動きを止めているのか、侵入者を迎撃するつもりなのか、あるいは既に体力が尽きているのか。
そもそも作業員たちが聞いた物音が気のせいであり、元より何も居ないというオチが一番安穏ではあるのだが。
「カラララ」
ケイリーが手を掛けた戸は、真新しいローラーの音を軽く立てて開いた。
地下室内部の扉は、いずれもレールに沿ってスプリング付きのローラーを載せ、スライドさせる引き戸であった。完全に蝶番で固定されるドアと違い、災害時に建造物の歪みが発生しても開かなくなるリスクが低く、固定されていないだけあって戸自体を取り外すことも可能だ。
ユニット式で短期間に増設できる地下室ゆえ、元は災害対策用の物資備蓄、および避難部屋として設計されたのだろう。
戸の上下に隙間を生む構造ゆえに気密性は低く、内部で菌糸汚染が発生していれば漏洩しやすくなってしまう。見物しに来る解体現場の作業員たちには、もっと離れて待機するように伝えるべきだった、とリーピは自身の判断不足を自覚した。
とはいえ、今は目の前の状況に集中すべきである。内部に潜んでいる存在が、敵対的行動をとらぬ保障はない。
「……ここには、居ないか。」
「はい。ですが、これは……。」
室内には照明器具は無く、人間の視力ではマトモに見えない。
が、自動人形であるリーピとケイリーは、僅かに光が差し込む廊下から、さらに減少して室内に入り込んでくる光量のみで十分に室内を確認できていた。
この部屋には、大量の液体肥料の原液が保管されていた。
むろん、それ自体に不審な要素はない。市長邸宅には広大な庭園があったし、また生前の市長夫人は室内にも鉢植えやプランターを持ち込み、草花の世話をしていた。液体肥料の備蓄を、地下室にて保管することは不自然な振る舞いではない。
しかし、こと市長邸宅においては、それは不穏の塊であった。
「……市長夫人の身柄は、あの後収容されたはずでは?」
「常識的に考えればそうですが、市長の判断次第では、そうとも限りません。」
市長夫人が特異菌糸に感染していたことが判明したのは、市長の孫娘プルスの感染が発覚するよりも更に前のことである。
室内に貯水タンクや液体肥料の備蓄を持ち込み、草花の世話ではなく自分自身が飲むことで養分水分の補給を行っていた市長夫人。当然ながら、それは人間の振る舞いとしては余りにも異様すぎた。
依頼を受けて調査を行ったリーピとケイリーが、市長夫人が特異菌糸罹患者であると断定。執事が通報を行い、市長夫人の身柄は確保され、彼女の部屋は滅菌処理が行われ……それで一件落着したはずであった。
しかし、この街のあらゆる機関へ影響力を及ぼせる市長の権限をもってすれば、菌糸罹患者発見時の手続きを部分的にでも歪めることは可能だ。
自分の妻を、焼却処分場へと送りたくない。その思いを市長が抱いた可能性はゼロではなかった。
「奥の部屋を確認しましょう。」
「あぁ。」
小声で短いやりとりを済ませ、リーピとケイリーは足音を忍ばせつつ廊下へと出る。
たかだか数歩の移動であったが、両名の動作は共にごく慎重となっていた。自分たちの存在を隠すためではない、それはこの地下室入り口をこじ開けて踏み込んだ際に内部へ十分伝わっている。
むしろ自分たち以外が立てる物音を、極力聞き逃さぬためであった。
「ヒュゥゥウ」
今まさに、か細い息遣いが、奥の部屋の中から漏れ聞こえてきた。乾ききった木の洞を、寒風が吹き抜けるような音だ。
菌糸罹患者は生存のための呼吸を必要としない。だが、人間の身体構造をそのままに菌糸へと置き換えている以上、発声器官を動かすための呼吸は続けている。
必要としない振る舞いゆえに、菌糸罹患者たちは自らが呼吸している事実をしばしば意識の外に置く。ゆえに、隠れようと気配を消していても、意図せぬ息遣いで自らの存在を露呈してしまうのだ。
リーピと頷き合い、ケイリーは畳んだ防護傘を改めて握り直し、戸に手を掛けた。
が、開かない。
施錠するための構造は見られず、僅かにガタリと隙間が開いたあたり、内部から障害物を置いて戸がスライドしないように固定しているのだろう。
とはいえ、災害発生時に歪んで開かなくなる恐れを排する構造ゆえ、立てこもるには不向きな入り口であった。
ケイリーは取っ手を握り締め、戸を持ち上げる方向に力を込める。戸に内蔵されていたスプリング付きローラーがレールから外れたのを確認し、そのまま奥へと押せば、ごく簡単に戸は部屋の内側へと倒れ込んだ。
「ヒッ!!」
倒れた戸が床を打つ騒音に、室内に籠っていた存在が小さく悲鳴を上げる。
今の音は外で待っている作業員たちにも聞こえたのだろう、作業責任者が入り口扉の隙間から覗き込んでくるのに対しリーピは警告の声を上げた。
「入り口に誰も近づかせないでください。気休めではありますが防塵マスクの装着を皆さんに指示して、それから特殊清掃に通報し、滅菌剤散布の用意を。ここに菌糸罹患者が居ます。」
「おう……分かった。」
こじ開けられた痕跡の隙間越しに作業責任者の返答が響き、彼が周囲に指示を出す声が遠ざかっていく。
リーピが外部の人間へ警告している一方、ケイリーは目の前の、地下室に潜んでいた存在をじっと睨みつけていた。それは敵愾心を示す存在ではなく、むしろ弱々しい外見ではあったが。
内部に潜んでいたのは、市長夫人だった。
正確には、市長夫人の肉体に特異菌糸が感染した存在、と称すべきモノだ。リーピもケイリーの隣に立ち、口を開く。
「あなたの罹患事実に僕らが気づいた際に、きちんと身柄の搬送および処理まで行われていることを確認しておくべきでした。」
「ひぃ、ひっ……また、見逃してくれないのかい……?」
リーピに返答する市長夫人の声は、ごく弱々しい。通報以降も罹患者として処理に回されることなく、急造の地下室内で養分と水分の備蓄のみを与えられ、保護されていたのだろう。
自分の孫娘や邸宅が菌糸に侵されたと見るや、躊躇なく処分する市長も……自分の妻にだけは未練があったのだ。
しかし、数日の間、養分水分の摂取以外の行為をせず、ただ真っ暗闇の地下室内で生存するのみの行動を続けてきた老婆は、もはや見るに堪えない容姿へと変貌していた。
「遅かれ早かれ、限度は来ていたでしょう。その身体のご様子では、液体肥料の保管場所までの移動にすら難渋するのではありませんか?」
「そっ、それを分かってるなら、助けてくれたって……罰は当たらないんじゃないかい……身体が乾いて、乾いて、苦しくて仕方ないのさ……。」
市長夫人の右脚は、ちぎれて目の前の床に落ちていた。
人間の身体構造の中でも、殊に強固な腓骨で支えられている部位が、まるで焼き菓子を床に落とした時のようにあっさりと砕け、乾燥しきった身体破片が周囲に散らばっていたのだ。なんとか無事に本体に繋がっている左脚も、あらぬ方向にねじ曲がり、皮膚は身体下部に溜まった体液でパンパンに張りつめている。
そうなってしまった原因は、市長夫人の体重が大幅に増加したことにあると思われた。
極力、養分消費を少なく抑え、生存を長引かせるために液体肥料を大量に摂取し続けたためだろう。既に肉体は被服に収まっておらず、きつく首回りを締め付けている婦人服の下から、老婆の皺だらけの皮膚が水風船のごとく内側から押し上げられ、膨らんでいる。
生存のためには大量に養分と水分を必要とする特異菌糸とはいえ、ほぼ栄養を消耗しない状態では過剰すぎる摂取量となっていたのだ。
膨れ上がった胴体とは裏腹に、貧弱な手足が不気味なアンバランスさを示している。立ち上がろうと体重を前に掛けようとしては、すぐに諦めて床に転がっている市長夫人の変わり果てた姿を見下ろしながら、リーピは告げた。
「製造時の状態を維持する既存菌糸と異なり、自主的に思考能力や身体能力を進化させていく特異菌糸ではありますが、このような閉鎖環境では備蓄に特化する形状に進化してしまったようです。」
「備蓄だなんて……出来てるものか……まだ、まだまだ、足りない、渇いてるんだよ……!」
「これも、モース研究主任が生態上の欠陥を彼らに与えた結果か。この状態になってもなお生存の欲求だけは健在なのだから、避けがたい状況だな。」
ケイリーも言いながら、胴体に殆ど埋もれた老婆の膨れ上がった手が、新たな養分をもとめてバタつき、垂れた皮膚が派手に揺れ、空中を掻いている様から目を背けた。
この市長夫人以外に特異菌糸罹患者が長期間生き延びた例は、今のところプロタゴとアリシアだけであったが、彼らも行動しながらの大量の養分摂取を経て、元の人間としての姿から離れつつあった。
リアルタイムで身体が変容していく彼らは、現状に見出した必要性がダイレクトに身体的特徴へ反映されるのだろう。下町の住民を養分源として狩る必要があったプロタゴとアリシアは、異常発達した筋繊維が背中から両腕まで盛り上がる、まさに怪物のごときシルエットになっていた。
一方、外部環境から遮断された地下室にて、ただ出来るだけ長く生存することを目的とした市長夫人は……移動能力を退化させ、極力養分と水分を大量に保持できるよう、膨れ上がった肉体へと変わり果てたのだ。
老婆の皺まみれの口元が、まるで酸欠の水中からあえぐ魚のごとくパクパクと開く。
首回りでブヨブヨと膨れる皮膚に埋没しかかった顔は、まさに自分自身の身体に溺れるがごとき様であった。
「水の一杯ぐらい、くれないかい……?本当に、辛いのさ、老体を労わってくれたって、いいじゃないかい……?」
「いけません、あなたの身体の含有水分量が増えるほどに、焼却処分に要する時間が長引くだけです。菌糸罹患者に痛覚は無いでしょうが、しかし状況に苦痛を覚えるのなら処置を長引かせないに越したことは無いでしょう。」
「焼却……処分……だなんて、嫌だよ、嫌……!出来るだけ、生き延びたいのさ、私は……!」
リーピの言葉に対し、ほとんど動かない首をどうにか横に振りながら言い返す市長夫人。
この反応は、以前拘束されたプロタゴとアリシアの示した反応とは全く対照的であった。彼らもまた自分たちが菌糸罹患者である以上、身柄を搬送され、焼却処分されることは分かっていたはずである。
が、プロタゴもアリシアも、抵抗したり拒否の意思を示したりしなかった。人間の肉体を養分として摂取してまで、生き延びようとしていたにもかかわらず。
彼らはただ喜びを示していた……生態上の欠陥を有さぬ完璧な特異菌糸を保有している、警邏隊員トロンドと出会えたことを心から喜んでいた。生き延びるだけのことがあまりに困難な特異菌糸たちにとって、自分たちの運命を塗り替える救いの存在は、常に希求されるものに違いない。
試しにリーピは、市長夫人へと尋ねてみた。
「あなたは、何の目的で生き延びようとしているのですか?身体がその状態となっては、自由に行動することも困難と思われますが。」
「決まっているさね、私たちの救い、未来を示す存在に会うためさ……!いや、会えなくたっていい、ただ、この世に存在することさえ……分かれば!私たち特異菌糸が……すっ、救われる未来さえ……あると知れれば、それでいいのさ……!」
興奮したためか、言葉に詰まりながら、どうにか喋っている市長夫人。リーピは、ケイリーと目を見合わせた。
特異菌糸にとって「未来を示す存在」とは、生態上の欠陥を有さない原初の特異菌糸である。警邏隊員トロンドの体内にそれが実在していることを、彼女は知らないのだ。
これは市長夫人、もとい市長夫人に取りついた特異菌糸にとっては無念なことであろう。が、プロタゴとアリシアが知り得たはずのトロンドの体質の真相について、ここまで情報が伝わっていないと確認できたのは、一つの収穫であった。
少なくとも、通話線も繋がっておらず、気密性は無いとはいえ閉め切られていた地下室内部へと、情報を伝える手段を特異菌糸たちは有していないのだ。
彼らが生き延びる目的、すなわち完全な特異菌糸の発見という目的を共有しているであろうことは間違いないが、それは情報交換によるものではなく、あくまで個々が同様の欲求や衝動によって見出している目的なのだ。
特異菌糸という種全体で、情報交換の必要も無く、生存目的を共有できることもまた、確かに異様ではある。
とはいえ、彼らが情報を得る手段が、今のところ既知のものでしかないことは、状況制御の余地が十分にある証でもあった。
特殊清掃が到着したのか、暫し物音が遠ざかっていた地下室の入り口に足音が近づいてくる。
この場を離れる前に、リーピは市長夫人に告げた。
「これから、この現場にて応急の滅菌処理が為された後、あなたの身柄は焼却処分場まで搬送されます。生前の故人の名誉を傷つけることが無いよう、従順かつ理性的な振る舞いをお願いします。」
「そんなもの、知ったことじゃないさ……私は生きていなきゃ、生きていかなきゃいけないんだから……!あの騒々しい作業員どもに、ひとりかふたりでも、私の菌糸を感染させれば……!」
「現場作業員の方々には、極力離れるようにお伝えしております。生前の市長夫人のように、丁重に対応願います。ご協力いただければ、一連の処理が円滑に済むのです。」
そう喋るリーピの言葉は、もはや相手の耳に届いていない。
特異菌糸はブクブクと膨らんだ市長夫人の身体であがき、この場から逃げようと懸命にもがいている。どうにか一度の寝返りを打つだけで精一杯であったが。
間もなく地下室入り口の扉が開け放たれ、滅菌剤のタンクを背負って噴霧用ノズルを構えた自動人形が踏み込んできた。リーピとケイリーが慎重に探索した地下空間は、実のところたかだか数歩で最奥に辿り着ける狭さであった。
リーピは特殊清掃の自動人形へ告げる。
「この部屋の内部に特異菌糸罹患者が居ます、焼却処分場への搬送が必要です。現状、既存菌糸は確認されないため空気感染の恐れは低いですが、罹患者と接触した僕らにも滅菌剤の噴霧をお願いします。もう片方の部屋は液体肥料の備蓄室で、こちらにも罹患者が進入していたようです。」
「了解。先にお前たちの滅菌処理を済ませる、動かないでくれ。」
特殊清掃の自動人形は無機質な声で返答し、リーピとケイリーに向かって真っ白な滅菌剤の粉末を吹きかけはじめる。
まだ室内からは何かをわめいている老婆の声が聞こえてきたが、それは薬品散布のノズルが発するけたたましい噴出音にかき消されていった。市長夫人より遥かに短い生を閉じた、市長の孫娘プルスや、若き使用人ミュールの方が、特異菌糸の意思とはいえ、よほど往生際が良かった。
生前の人間の思考を特異菌糸が模倣することを鑑みれば、この街いちばんの邸宅で長く暮らしてきた者たちが、いかに生き汚く生き延びてきたことか、透けて見えるようであった。




