休日:書店での出会い
街の書店は、ごく限られた娯楽を担う場である。
市庁舎から延びる大通りに面した一等地が、たった一軒の花屋を除けばほぼ不動産や金融関係の店舗で占められているこの街で、芝居小屋や劇場は街の中心部から離れた位置に追いやられている。
市長の意向ゆえに繁華街が建設されることなく、要人たちが暮らす高級住宅地から遠く、労働者たちが集まる地域に酒場が点在するのみ。注文さえすれば自らの屋敷の中で全ての娯楽が完結する富裕層にとって、街の中に建つ娯楽施設は喧噪の元でしかない。
治安維持の目的で警邏隊の巡回が重点的に行われることも、娯楽施設の居心地を損なっていた。酒場にて酔客が騒動を引き起こしていないか、芝居小屋にて市民を煽動するような演目が実施されていないか等々、あらゆる場で目が光らされているのだ。
そんな煩わしさに、今のところ巻き込まれていないのが書店であった。
立地に制限がかかることもなく、街の至る所に書店は建っている。
市民に対する教養の普及、という表向きの看板を掲げられるがゆえに、規制の手が入ることはほぼ無い。刊行物は検閲を一度通った後のものであり、店内に喧噪を生む要素はなく、警邏隊から睨まれる理由もない……とされている。表向きは。
実際のところは、娯楽を得る手段を大いに制限された市民たちが、欲求のはけ口を見出しうる書籍を求める場であった。いかがわしい刊行物に検閲をすり抜けさせる手段など、海千山千の出版社ならばいくらでも有している。
ページをめくっている立ち読み客も、会計のために並んでいる客も、自分の選び取った本の中身を脳内で温め妄想に耽っているがために、静かなのだ。あらゆる癖に対応する需要を取り揃えているだけあって、客層は多種多様であった。
他者の邪魔さえしなければ体裁を繕わずとも良い空間であるだけに、入店にあたってリーピもケイリーもわざわざ作業用自動人形に姿を窶す必要はない。
普段着のまま、本を買いに来た人間の姉弟のように……気安い振る舞いで本棚を見て回れるのであった。
「リーピ、あっちの本棚の方に客が多く集まっている。人気の本があるんじゃないのか?」
「その推測は正しいでしょうけれど、おそらく僕らの事務所に並べて見せるには憚られる内容の書籍ばかりでしょう。大衆文学のコーナーから外れたエリアは混雑していません、こちらの本棚を見てみましょう。」
実際は、小柄なリーピの方が年上らしい振る舞いとなっていた。
多くの来客からは退屈な内容として遠ざけられがちな純文学も、この社会においては目立たぬままながら常に一定の供給が保たれるジャンルではあった。
自動人形が人間同様の生活を模倣して暮らしている現在、人間本来の在り方について自問する瞬間は誰もが一度は有するものなのだろう。どれほど精巧な自動人形にも真似されない、人間でしか見いだせない境地を求めるかのように、文学作品群は旺盛に生み出され続けている。
そのような人間たちの自問について、書籍から学んだ自動人形がますます人間らしい情動を理解し、本物の人間との差異を縮めていくという皮肉な効果も、今まさにリーピが実行していたが。
とはいえ、あまり興味をそそらない題名ばかりが並ぶ背表紙を眺め、ケイリーが問う。
「これらは面白い、という感情を誘発するのか?……人間たちは、退屈だと感じないのだろうか。」
「実際のところ、退屈そうに見えるからこそ、この本棚周辺に来客の姿は疎らなのでしょう。ケイリーに興味あるタイトルが見つからなければ、僕がいくつか選んだものだけ購入しましょう。」
必要に駆られることなく、前もって購入するつもりもなく、書店で背表紙だけを眺め、その場で初めて手にしたい本を見つける……という買い方も、リーピが身につけつつある人間らしい振る舞いの一種であった。
とはいえ立ち読みに耽ることまで、人間の真似をするわけにもいかない。自動人形の精密な記憶力をもってすれば、それは内容を複写するも同然の行為となる。
目を光らせている店員に不審がらせる猶予を与えぬよう、選び取った書籍を手にしたリーピはそのまま会計に向かい、代金を支払った。
「では、帰りましょうか、ケイリー……どうしました?」
「……店先に、不審な行為中の人間がいる。」
ケイリーが目を細めている方向に、リーピも視線を向ける。
不特定多数の人間が出入りするばではあったものの、ケイリーが注視している対象はすぐに判明した。確かに、不審な……というより、不可思議な行為を、一人の若い女性が実行していた。
彼女は本を見るでもなく、店先に張り出された広告を見るでもなく、ただ床を見つめていたのである。
何も置かれているわけではない、来客たちが踏んで歩く床を、彼女はじーっと凝視し続けていた。よくよく見れば、その視線は左右に揺れているため、ただ一点を見つめているわけでもないらしい。
一応、女性の小脇には書店で会計を済ませた証である紙袋が抱えられていた。この店で買い物をしてはいるのだろう……その紙袋が、持参した物ではないのなら。
少し観察した後、リーピはケイリーに返答した。
「確かに、奇妙な振る舞いではありますが、明確な犯罪行為というわけでもありません。仮に来客の中から不審者に対する声が上がったとしても、対処するのは店員さんか、あるいは警邏隊の仕事でしょう。」
「……そう、だな。」
ケイリーも同意見ではあったが、床を凝視し続ける女性の前を通り過ぎるのは、多少なりと警戒の念を引き起こす状況であった。
とはいえ、大多数の来客たちは気にせず通過しており、女性も自分が見つめている床を他人が踏んだり、視線を遮られたりすることに不服は示していない。
リーピとケイリーも、余計なことに巻き込まれぬよう、何事にも気づいていないかのようなフリをして店を出て行く。
……が、背後から呼び止められた。
「あ、あの、あのっ、ちょっと待ってください、あなたたち。」
ケイリーとリーピが人間であれば、一気に動悸が高まり、冷や汗が浮かんでいたことだろう。
自動人形であるがゆえに、身体には変化を生む要素などなかったが……両者の思考回路内には、あらゆる非常事態、敵対行動に対応するためのパターンが瞬時に想定され、最高レベルの警戒状態で振り返ることとなった。
やはり、声を掛けてきたのは、先ほど書店の店先でじっと床を凝視していた若い女性である。
ケイリーは変わらず、組みつかれたり殴打されたりする想定で身構えていたが、リーピの方は相手の顔つきを観察した上で、敵対の意思は見いだせないと早々に結論付けていた。目が泳ぎがちで、気弱そうな印象が先行する女性であった。
無駄に警戒しすぎないようケイリーに目くばせで伝えつつ、リーピは若い女性へと返答する。
「どうかされましたか?」
「すみません、初対面で急に呼び止めちゃって。……あっ、私、この街で靴職人をしているんです、今日は休みで、大勢の人が集まる場所でいろんな方の靴を観察していたところなんです、決して怪しい者ではないです。」
どうやら、先ほどまで視線を床に向け続けていたと思われた彼女の振る舞いは、正確には書店の来客たちの靴を注視していたものらしい。
そうはいっても、そもそも彼女の振る舞いそのものが普通からかけ離れており、通常ならば聞く耳を持たれず立ち去られる類の発言であることは、疑う余地もない。おどおどした様子の見知らぬ女性から話しかけられれば、人混みの中で聞こえなかったフリをする人間が大半であろう。
しかし、リーピは彼女に興味を抱いた。探命事務所としての仕事を得る機会には、いついかなる切欠で遭遇するとも知れない。
「そうなのですね。なぜ、僕らを選んで呼び止めたのです?」
「その、あまりにも、あなた方の靴の状態が良好でしたので。歪みや蒸れもなく、靴底の摩耗も均等、劣化が最小限のまま、履き続けておいでの様子。どのような手入れをされているのか、それだけお聞きしたくって。靴づくりにつきましては私、職人が完成させた瞬間で終わるのではなく、お客様に履かれ続ける時間まで含めるものと心得ておりまして……」
堰を切ったように喋り続ける女性と向かい合い、リーピは相槌を打ちながらも相手の容姿を隅々まで観察していた。
不審人物を相手取る際の確認事項として最優先される、凶器の所持については無さそうだった。顔つきや表情変化からも、害意を内に潜ませている兆候は見いだせない。
服装は小綺麗ではあったが、あまり彼女に似合っていなかった。
街の服屋で薦められるがままに、流行りのアイテムを身につけたといった印象である。都会住まいが長ければ、最新のファッションというものが早ければ数日で廃れる概念である、と十分に認識できているはずだ。
垢ぬけない顔だちからも、彼女が田舎出身で、就職してから都会住まいを始めた類の人間であることは確実だった。見た目通りの印象が示すがままに、純朴な人物とみて間違いなさそうでもあった。
見知らぬ相手に躊躇なく話しかけるのも、家の外で出会う相手が大抵顔見知りである田舎の感覚が、そのまま残っているがための振る舞いだろう。
そんなことを読み取っているリーピからじっくりと見つめられ、ついでにケイリーから警戒の視線を突き刺されながら喋り続けていた女性であったが、ハタと気づいたように話題を急転換させる。
「あっ……すみません、私の話ばかり、一方的に喋っちゃって。名乗るのが先、ですよね。私の名前はラーディです、この街で靴職人をしてます……って、それは先ほどお伝えしましたよね。ごめんなさい、喋る順番ごちゃごちゃさせちゃって。」
「初めまして、ラーディさん。お目にかかれまして光栄です、僕の名前はリーピです。」
あまりにも、とっ散らかった発言を続ける謎の女性。常人ならば、もはや相手するのもそこそこに適当な口実を残して場を離れるだろう。
しかしリーピはあくまで自動人形、能動的に人間に嘘を伝えることは出来ない……命令された場合は例外として。同時に、自動人形であればこそ、相手の奇妙な言動を前に思考を混乱させることもなく、最適な返答を構築することもまた可能だ。
発言内容にまとまりが無いのはさておき、相手への返答、および気の逸りを鎮めることを同時に達成する回答を、リーピは端的に喋った。
「お気づきではないかもしれませんが、僕らは自動人形です。歩き方に癖が無く、体温や発汗によって靴の素材を劣化させることもないのは、必然的な結果です。」
「あ……そうだった、んですね……。ごっ、ごめんなさい、私一人で興奮して、勝手に話しかけちゃって、失礼しました……。」
「いえ、お気になさらず。僕らも今日は休みでして、急ぐ用事はありませんので。」
リーピの返答に対し、ラーディと名乗る女性の方が目をぱちくりさせ、不思議そうな表情を浮かべることとなった。
田舎出身であれば、外出して行動している自動人形は全て、人間から命じられた用件のために行動している個体ばかりであったろう。
リーピとケイリーのように、命令を受けることなく独立して活動し、本来必要ではない書籍をあてもなく漁りに来る自動人形の存在など、ラーディには思い至りもしないだろう。
「えっと、失礼かも、ですけど……自動人形さんが、用件なしにお店に来ることなんて、あるんですか?」
「はい、僕たちは平常から人間の皆さんと同様の思考を得ることを目指し、行動面においても模倣に努めています。もちろん、このような事をしている自動人形は稀有でしょうけれど。」
「な、なるほどぉ……あ、わ、私の行動も、人間の中では稀有な方だと思いますよ!書店に来て、ひたすら他のお客さんの靴を眺めつづける人間なんて、私以外に居ないでしょうし。こんな変な人間の行動、学習しないでいいですよ!」
「えぇ、それは分かります。」
焦ったように語りながら、ラーディは目の前の二体、リーピとケイリーの姿をしげしげと見つめ続けていた。
至近距離で観察すれば、首元や手首など関節部分の表面に切り込みが入っていることには気づけるものの、遠目には人間と変わらぬ容姿の自動人形そのものが、珍しいようだった。人間に好まれる容貌をわざわざ手間かけて作られる愛玩用人形は、都会以外ではほぼ活動していない。
じろじろと見続けてくる女に対し、ケイリーは依然として警戒の視線を返し続けていたが、リーピはますますもって興味の対象を見出していた。
「行為自体が稀であることは理解できますが、貴方が他人の靴を観察する場として書店を選んだ理由については、僕は推測できません。せっかく知り合えた縁、と言っては何ですが、差し支えなければお聞かせ願えますか?」
「え、縁、ですか、最近の自動人形さんはそんな概念までご存知なんですね……その、確かに、多種多様な方の靴を観察するだけなら、街の大通りでも構わないんですよね。実際、散歩ついでに道行く人の靴を観察するのが日課ですし。でも、今日に関しては私自身が本屋さんに用事があったんです。靴の観察は、そのついでに、ってところでして。」
急に口数が多くなったあたり、ラーディは靴に関する話となると急に熱が入る傾向があるらしい。
あるいは、普段から彼女は面と向かって会話してくれる相手が居ないのかもしれない。口に出す内容がとりとめもなく、頭に浮かんだ順でしか喋れないラーディは、会話相手としては歓迎され難いだろう。
どれだけ未整理の情報が羅列されても、聞くと同時に内容を整序し理解できる自動人形でなければ、スムーズな応酬は望めまい。
リーピは、彼女が言わんとする内容をも補いつつ返答した。
「本屋さんであれば、取り揃えられている書籍の需要も幅広く、客層も狭くはないでしょうからね。性別や年齢層、性格を問わず、ありとあらゆる人々の靴を観察するには向いているのでしょう。ところで、あなた自身の用事というのは、やはり靴に関する資料探しでしょうか?」
「いや、さすがに、私も靴づくりのプロですからね、一般のお客さんが手に取れる類の書籍を、今さら資料にすることはそうそうありませんって……そのぉ、ちょっとお恥ずかしいんですけど、かなり個人的な趣味、というか思い入れ、みたいな目的で、雑誌を買いに来たんです……これです。」
恥ずかしがるほど個人的な趣味の内容であれば、わざわざ見せなくてもいい……とリーピが告げるのを待つことなく、ラーディは抱えていた紙袋の中から今日買ったばかりであろう雑誌を取り出した。
やはり彼女には、自分の個人的な趣味を語れる相手は普段から居ないのだろう。そして、相手が人間ではなく、自動人形であればこそ、知り合って数分であるにもかかわらず、数年来の知己のごとく自らの趣味を語る対象として気を許しているのだろう。
当の雑誌の内容はといえば、さして特殊な趣味でもなかった。リーピは表紙の文字を読みあげる。
「月刊、警邏隊公論ですね。警邏隊員になることを目指す奇特な方に向けて、最新情報や試験対策等を公示する雑誌です。隠すことはないのではありませんか?」
「いや、まぁ、そうなんですけどね。私、靴屋ですし、縁もゆかりもない職業の雑誌をわざわざ買うだなんて、不真面目な目的で購入するのが丸わかりじゃないですか。その……自動人形さんにおかれましては、察されますかね?」
「推察は可能です。街のご婦人方に人気の、警邏隊長さんの特集が目当てでしょう?」
リーピの発言に対し、ラーディは無言でリーピを指さしながら口角を上げつつ何度も頷いた。
言葉にするのを憚るように恥じらうように振る舞いつつも、同時に自分の内心を言い当ててもらえたことが嬉しい、といった様子である。仕草の隅々まで、生身の人間同士であれば付き合いを疎まれる要素で満ちていた。
自動人形が相手であればこそ、会話は持続していたが、リーピの背後でケイリーは相手を不審人物として認識したままであった。
「警邏隊公論は真面目な雑誌ではありますが、息抜きの企画として連載小説が掲載されたり、話題のトピックが特集されたりする場合もありますからね。それに現在の警邏隊長さんに一般市民から人気が集中しているのは周知の事実です、ますますもって隠す必要はないでしょう。」
「えっと、ですね、私の場合は、ちょっと事情が違ってまして……あ、もちろん、警邏隊長のことが好きじゃないってワケじゃありませんよ。主に気になってるのは、若干別の対象でして。」
ラーディは言いながら、パラパラとページをめくりはじめる。
このやり取りはずっと書店の店先で行われており、リーピは機を見てどこか腰を落ち着けられる場所に移る提案を示そうかと考えていたのだが、話題を切り替える契機を見出すことは難しかった。傍から見れば、買ったばかりの雑誌について友人同士で語り合っているようにしか見えないのが救いであった。
さておき、ラーディがページをめくる指を止め、示したのは一枚の写真が掲載されている箇所であった。数少ない人間の警邏隊員が就任時に整列し、撮影された時のものである。
黒インクのみで大量に刷られる雑誌の常として画像は粗かったが、ひとりひとりの服装や顔立ちを判別することは出来る。ラーディは画像を指さしながら喋りつづけた。
「この中央で堂々と立っておいでなのが、もちろん彼、隊長なんですけれど、そのすぐ隣……って言うか、正確には斜め後ろ、ですかね。ともかく隊長さんから一番近くにいる女性、見えますか。」
「はい、この画像内に写っているということは、彼女も人間なのですね。自動人形が大半を占める警邏隊の中では、ごく希少な存在でしょう。」
「ですよね、女性で警邏隊に入るなんて、かなり珍しい人のはずなのに……妙に話題にならないんですよ。この雑誌の特集でも、全く触れられてないし。」
そもそも警邏隊自体、身の危険が伴う現場に駆け付けることが仕事であり、だからこそ自動人形による職務執行が主流となっているのである。人間の身で、それも女性が志願することとなればなおさら、ごく限られたケースに違いない。
しかしラーディの言った通り、確かにこの女性隊員についての情報は、今のところ世間一般には公表されていなかった。
リーピは頷きつつも返答する。
「もちろん人間の隊員さん達にもプライバシーはありますし、必ず情報が公表されなければならないというわけでもないでしょう。」
「まーそうなんですけど……気になってるの、私だけなんでしょうか。あんなに人気のある警邏隊長のすぐ近くで働いてる女性だなんて、少しでも噂になりそうなものだと思うんですよ、この方も顔立ちは整ってますし、距離感が近いと妙な勘繰りもありそうですし。こないだの隊長さん自らの定期巡回では女性隊員さんの姿はなくて、それで余計にどういうポジションにいるのか、気になっちゃって……。」
実質、妄想によって殆どが占められている内容をラーディは語っているのだが、語れば語るほど自身の内だけで辻褄が合っていくような感覚を主に抱いていることだろう。
彼女の機嫌を損ねぬ程度に、リーピは返答内容を調整した。これも自動人形であれば気にならぬ労力であり、人間であれば神経を使う応答だ。
「あくまで警邏隊であり、芸能事務所ではないのですから、距離感の近さについては意識されないと思われます。が、警察当局の方でも隊長さんの見られ方や人気度については把握していないことはないでしょうし、この画像でもあえて隊長さんと女性隊員を近い位置に立たせている、というのは奇妙ではありますね。」
「でしょー?やっぱり、なんかありそうなんですよねー、隊長と、この女性隊員との関係。」
初対面で話しかけてきてから数分と経っていないにもかかわらず、ラーディの口調は既にくだけきったものとなっていた。
人付き合いにおいて距離感を保つことが、やはり彼女は苦手なのだ。自動人形であるリーピが仕事において顧客との受け答えに長けているおかげでもあったが、ここまで会話が続いた経験は初めてなのだろう、ラーディの頬は喜びによって紅潮しつつあった。
とはいえ、書店の前での立ち話にしては長すぎる雑談である。
多忙な店員から怪訝そうな視線を向けられつつあるのをケイリーが気にする傍ら、リーピは話題を打ち切るついでにひとつの提案をラーディに示した。
「あなたの同意があれば、詳細をお調べすることは出来ますよ。」
「……し、調べる……って、警邏隊の内情を、ですか……?」
「場所を変えましょうか。いえ、そう身構えなくとも大丈夫ですよ、何も非合法な仕事の提案ではありません。すこし、歩きながら話しましょう。」
リーピからの提案を聞いたラーディの瞳が、沸き出した不安と好奇心によって輝きだしている。
ひとりで妄想しがちな癖もあるのだろう彼女の脳内では、警察当局の庁舎内へと人目を避けて潜入し、極秘に情報を盗み出してくる自動人形の姿が勝手に思い描かれていただろう。依頼内容を聞く際も、隠れ家のごとく窓にブラインダーをおろした薄暗い事務所に招き入れられ、ひそひそと潜入計画について告げられる絵面まで浮かんでいたかもしれない。
そんな彼女の先入観を拭う意図もあって、リーピは書店から続く道を歩きながらの説明を選んだ。
明るい昼間、人通りの多い往来の中、世間話でも続けているかのような調子で喋る方が、よほど周囲からも怪しまれない。
「こちらも申し遅れました、僕は相棒のケイリーとともに、探命事務所を営んでおります。お客様からのご依頼次第で、調査対象の身辺調査、情報収集を主に承っておりますが、他のお仕事もご用命次第、幅広いニーズにお応えいたします。報酬のほどは、依頼内容次第となりますが。」
「えっ自動人形に報酬が……?って、ごめんなさい、そりゃ、要りますよね、お仕事ですもんね……。」
「恐縮ながら戴いております、事務所設備の維持や、装備の購入および保全のための支出は必要ですので。今回の件についての調査依頼でしたら、危険は伴わないためお安くできますよ。」
「危険じゃない、ですか?警察の中に潜入だなんて、気づかれたら終わりじゃないですかね。」
「いえ、そのように違法な手段を敢えて選ぶことはありません。公式な調査活動として情報開示を請求するか、あるいは更にシンプルに、事情を知る方から直接お話を聞き出すか、といったところです。」
「あー……そういう感じ、なんですね。」
ラーディの表情には僅かな落胆に似た色が浮かんだが、仕事内容について虚偽を語ることなど出来ないのが自動人形たるリーピ本来の性質である。
それに、現実的な手段を、先んじて顧客候補に伝える必要性も大きかった。
実際に発見されれば即失敗となる潜入行為を、相応の高額報酬を支払う条件まで揃えられて依頼された場合は、これまたやはり自動人形の性質として、人間からの指示に逆らうことは出来なくなる。
先入観を崩されつつも、自分の気になっていることを現実的に知る選択肢を示されたラーディは、既に乗り気となっていた。
「本当に、確実に知ることが出来るんですか?謎に包まれた警邏隊の女性隊員さんが何者で、どんな人なのか。」
「はい、本来、街の治安維持を担う警邏隊員が任命されるに際し、彼らに任せても良いと判断するために情報を得る権利は全ての市民が得ています。が、その情報を得るための手続きは煩雑ですし、仮に実際に一般市民が請求しても公務の中で優先されることは無く、実質的に公表されていないも同然です。そもそも、生活のための仕事に追われる市民の大半は、そんな制度自体を知らないでしょう。」
「えぇ、私も今初めて知りました……じゃあ、その手続きを、リーピさんたちがやってくれるってことですか?」
「報酬の支払いを確認し次第、調査は開始できます。が、一点だけ、お聞きしてもよろしいでしょうか。女性隊員さんについての情報を要求する目的は、単なる好奇心だけですか?僕たちも周囲からの信頼が命となる仕事をしておりますので、積極的に事件や騒擾を引き起こす目的での調査は引き受けかねるのです。」
このまま話が進めば新たな依頼を得られそうな局面ではあったが、リーピの中には一つの懸念が残っていた。
警邏隊長の美貌に魅せられた市民の一員だと思しきラーディ。そんな彼女が、警邏隊にて隊長と距離が違い女性隊員の素性を知りたがっている理由が、ごく身勝手なものである可能性もあった。
一方的に抱いた恋愛感情の上で、まるで邪魔者であるかのように女性隊員を見做している恐れもあるのだ。
万が一、女性隊員の本名や役職を調査によって知った後、ラーディが相手に嫌がらせ行為を繰り返すようになれば、リーピの探命事務所を通じて警邏隊員の個人情報が漏れたとの悪評が広まる恐れもある。その懸念を生まぬよう慎重な調査活動を行わねばならない、との名目で要求報酬を大幅に引き上げざるを得ない。
……その引き上げられた報酬までもきっちり支払われて命令されれば、いよいよ断ることなくリーピとケイリーは依頼を実行せねばならなくなる。
しかしラーディの返答は単純なままであった。リーピの懸念を本気で理解できていないように、僅かな困惑が彼女の表情には覗かれた。
「えぇと、単なる好奇心、っていっちゃうと、軽薄な動機かもしれませんけど、その通りです……そのぉ、実は私、あの警邏隊長と幼馴染でして。」
「それは真実ですか?」
リーピは自動人形でありながらも、信じられないことを耳にした人間と同じように聞き返す。
むろん本物の人間であればなおさら、信じることのない内容であった。いよいよもって、このラーディという女が、警邏隊長に勝手に惚れこみ、勝手に幼馴染という脳内設定を語っているだけではないか……と疑って然るべき発言であった。
先ほどからずっと黙ってついてきているケイリーが、訝しさと呆れの混じったような視線をリーピの背後から送る中、ラーディは語り続ける。
「ウソじゃないですよ、私とはまるでつりあわない存在に見えるかもですけど……彼、フィリックという名前なんです。数年前に、田舎から集団で就職のために街まで出てきた同期の仲間でして……ん-と、他には、そうそう、今は大通りで花屋を営業してる大男、彼も私らの同期です。ご存知です?」
「存じております、アントンさんですね。」
「わぁ、知ってるんだ……さすがは街の情報屋さん。」
「いえ、これに関しては偶然です。彼からは一度依頼を引き受けたことがありますから。」
以前、架空の道路拡張工事計画を持ち出されて土地や店舗を騙し取られかけていた、あの花屋の男だ。アントンがラーディの知り合いというのなら、依頼者の信用の程について確認する手段にもなってくれるだろう。
田舎から街に出てきた数年で、警邏隊長にまで昇り詰めているフィリックと、工場勤務を数年続けたうえで花屋を開業したアントン。
彼らと同期であるにしては、まるで都会に馴染めず垢ぬけない様子のラーディであったが、職人気質で靴の工房に引きこもりがちなためでもあるのかもしれない。彼女が人付き合いに慣れていないのは、これまでの喋り方からも明瞭である。
自分の身の上話をする機会が他に皆無であるためか、ここでもなおラーディは聞かれてもいないことまで喋り始めていた。
「ガキ大将だったアントンが花屋さんになるだなんて意外でしたけど、フィリックは子供の時から超が付くほど正義感が強いイケメンでしたからねぇ、彼が警邏隊長になったって聞いても全然意外じゃなかったですよ。そう、それからあの見た目もねぇ、田舎生まれの田舎育ちだとは信じられないぐらいの美形でしょ?私は子供の頃からあれを見慣れちゃってるんで、男性に求める基準がむやみに高くなっちゃいまして、そのせいで今も独身なんですけどね、へへ。」
「なるほど。それで、今回の調査依頼は彼の現在の仕事場での人間関係を懸念して、ということでもあるのでしょうか。」
ラーディに好き勝手に喋らせていては、また話が思わぬ方向に発展し、無意味に長くなる。まだ若いと称して良い年齢のはずのラーディであったが、喋り続ける姿は世間話好きな中年女性めいていた。
リーピは推測内容を交えつつ、本題を結論へと軌道修正して返答した。ラーディは頷きながら言葉を続ける。
「そうなんですよ、正義感も強いし真面目過ぎるしで、フィリックが悪い女に騙されちゃってないか私は心配でしてねぇ。いや、警邏隊なんだから悪い人が中にいるはずないと思いたいんですけど、でもたまに警察の中で不祥事があったりするでしょ?それに、あれだけ全方位からチヤホヤされるポジション、妙なやっかみに巻き込まれて失脚させる罠に嵌められたりしないかと思うと、どうにも気になって気になって……。」
リーピにも、ラーディの抱いている懸念の全貌がようやく明らかになった。
警邏隊長という立場を若くして得た幼馴染が、不名誉な形で現状の座から引きずりおろされることがないか、不安なのだ。街の市民からも特に女性人気が高いだけあって、万が一女性絡みの不祥事でもあれば、隊長としての人望を大きく失墜させかねないスキャンダルとなりかねない。
とはいえ、実際に調査を行えば、思ったほど深刻ではない、拍子抜けな結果に終わる可能性の方が高かった。リーピは改めてラーディに告げる。
「事情は理解しました。あくまで、正式に公開可能な情報のみ、必要以上に個人のプライバシーについて踏み込まないという前提であれば引き受けられます。今回が初回ということもありますので、料金はお安くしておきますが……正式にご依頼を承りましょうか?」
「じゃあ、はい、よろしくお願いします。いやー、どきどきするなぁ、こういう調査をお願いするだなんて、小説の中だけの話だと思ってましたよ。」
「まずは依頼内容の確認および同意書への署名、そして依頼者に関する情報の取り扱いについての説明を行いますので、僕らの事務所まで来ていただけますか。あるいは日を改め、ご都合の良い日程でお待ちしましょうか。」
「あ、ですね、口約束だけでお願いってわけにもいきませんよね。はい、今いっしょに行きます……。」
やはり今日は暇だったのだろう、ラーディはリーピに率いられ、共に依頼内容を確定するために事務所へと向かうこととなった。事務所へ戻る道を歩きながらの会話を続けたおかげで、さして距離は遠くない。それもリーピの計算に入っているとおもわれた。
ケイリーは無言のまま後をついていくだけであったが、内心ではリーピの会話能力を改めて評価していた。
最初に話しかけられた時から今に至るまで、殆ど無為ではないかと思われるやり取りを続けた挙句、こうして仕事をひとつ得るに至っているのだ。それも、緊急性はない、依頼者の判断次第ではわざわざ報酬を払ってまで調査を頼まないような内容について、依頼の意思を確定させている。
ラーディが普段会話相手に恵まれていないことを見抜いたのも、リーピの観察能力が為せる業であったろう。人間に雇用されず、独立して仕事を続ける自動人形には、それだけの実用的な能力が求められるのだ。
そんなリーピだからこそ自力で仕事を得ることが出来ている現状は、人間からの命令に従う大前提を刻まれた自動人形の大半が、実質的な廃棄の末路に至ることの裏返しでもあった。




