依頼23:人身略取および故意菌糸漏洩に関する調査 3/3
リーピから情報伝達を受けたとはいえ、警邏隊が貧困地区に対応してくれるか否かは確証の持てぬところであったが……翌日の夕にはトロンド率いる警邏隊員たちが到着した。
とはいえ、自動人形隊員が二体だけである。それも、つい先ほど出動から帰還したばかりだったのか、身体の随所に滅菌剤の白粉が付着していた。
リーピとケイリーが合流した時には、トロンドが自動人形の警邏隊員たちに付着した滅菌剤をブラシを手にして払い落しているところであった。リーピが先んじて口を開く。
「探命事務所のリーピ、ケイリー、両名ともに到着いたしました。警邏隊の即応に感謝いたします。」
「情報提供ありがとうございます、リーピさん。状況次第では増援を呼び寄せることも試みてはみますが、期待は出来ません。この場にいる者たちだけで、状況に対処しなければならないと見るべきでしょう。」
「今回の反抗内容や、実行犯であるプロタゴ氏とアリシア氏の容姿を鑑みるに、数十名単位で捜査官が動員されるべき事案であるとは思うのですが……警察本部がこの地区の治安維持を優先しないとの判断を下しているのならば、致し方ありません。」
場所は、例の簡易宿泊所から離れた路地の一角。現地に対策本部が設置されるわけでもない、路上で合流して臨時の打ち合わせを行う他に無い状況である。
それでも、リーピとケイリーだけ対応に当たるよりは、遥かにマシであった。リーピはさっそく、状況を端的に説明する。
「昨日、この先にある簡易宿泊所にて、プロタゴ氏とアリシア氏が宿泊客に危害を加え身柄を持ち去る現場を、我々が目撃しました。周囲にも目撃者は居ましたが、彼らには通報を行わぬよう現金を渡して口止めしていたようです。翌日にも同様の行為を実行するとの旨を口止め相手に伝えていたため、今夜は犯行現場を高確率でおさえられると思われます。」
「状況は理解しました。彼らが虚偽を告げていない限り、今夜にでも行方不明者続出の件に終止符を打つことは出来そうですね。」
トロンドは返事しながらも、滅菌剤まみれになっている隊員たちの身体をパタパタとはたき、付着している白粉を取り除いている。
その様子をリーピとケイリーは見つめながらも、現時点の戦力では状況への対処能力が不足している可能性を見出していた。人間の感情に言い換えれば、不安を感じていたのである。
警邏隊所属の自動人形たちは、確かに民生品の自動人形よりは物理的出力も高く、頑丈に作られているものの、あくまで街中を巡回し事件を早期発見することが運用目的である。狭い路地や屋内へスムーズに入り込めるよう、人間の水準に照らし合わせれば小柄な体格で製造されている。
この街の警邏隊で唯一の人間、それも女性隊員であるトロンドとなれば、ますます細身であった。むろん無駄な肉がついておらず引き締まった身体であればこそ、狭隘な路地を通り抜けての被疑者追跡や身柄取り押さえも可能なのだろう。
が、昨日目撃した、全身の筋繊維が人体の限界近くまで膨れ上がったプロタゴとアリシアの体つきを思い返すに、あの二名を警邏隊員やトロンドが取り押さえることはごく難しそうであった。むろん、リーピやケイリーが参戦したところで、多少の助力にもなりはしない。
リーピと同じことを考えていたのだろう、今度はケイリーが口を開く。
「情報提供時にも伝えたが、プロタゴとアリシアは、かなり……本当に、尋常ではない肉体強化を得ているんだ。特異菌糸に置き換えられた筋繊維は、大量の養分補充さえ持続できていれば、ごく短期間で増殖できる。体重も生前の三倍近くにはなっているだろう。犯行現場での取り押さえを実現するためであれば、警邏隊員を十名招集しても足りないかもしれないぞ。」
「ご忠告ありがとうございます。ただ、捜査官や警邏隊員を多数動員する必要があるのは、犯行現場や実行犯の足取りを特定する段階です。犯人確保の現場よりも遥かに、前段階の捜査に費やす手間の方が多いのです。今回は、あなたたちから重大な情報提供をいただけたため、この少人数だけでも対応可能な目処が立っています。」
ようやく、警邏隊員たちの身体からあらかたの滅菌剤を払い除け終え、トロンドは手にしていたブラシを腰の道具袋に仕舞う。
無論、自動人形である二体の警邏隊員たちには表情などない。トロンドに付き従う時に備え、待機し続けるのみである。リーピとケイリーばかりが、現状の戦力不足の恐れを思考回路内に泳がせるばかりであった。
―――――
日が翳っていき、食事を済ませた労働者たちがその日のねぐらへと入り込み、街区は静まりかえる。
日没に先んじて件の簡易宿泊所へと向かった一同は、今回は宿泊料金を支払って部屋の中に潜んでいた。管理人と宿泊客が互いに顔を確認できない、現金と鍵を受け渡す隙間だけを開けた窓口ゆえに、警邏隊員が部屋を借りることへの不審は向けられずに済んだ。
とはいえ、事前の予約などあるはずもなく、管理人とのやり取りも不可能である以上、部屋の指定も出来ない。
二部屋借りたうち、一階の隅にある部屋にリーピとケイリーが入り、二階の部屋にトロンド率いる二名の警邏隊員が潜むこととなった。
「外観を見るだけでも劣悪な環境は察せたが……この室内の衛生状態で、人間は安眠できるのだろうか?」
「大半の宿泊客は昼間の労働によって体力が尽き、睡眠環境など留意している余裕などないものと思われます。」
隣の部屋からは熟睡している客のイビキが響いてきているが、その騒音ばかりが安眠を妨げる要因ではない。
小声でリーピと話しているケイリーの目の前の壁面を、まだ幼体と思しき百足が這い上っていく。獲物と見定めた羽虫が休憩のために壁面に止まったところを狙ったらしく、一気に距離を詰めて百足は羽虫に食いついた。
床には、茶とも黄色ともつかぬ汚れに染まった布団がじかに敷かれ、それだけで部屋の幅を占拠している。
長年にわたって湿度を吸っては自然乾燥に任せていたのだろう、菌類のコロニーがいくつも円形の染みを布の上に残している。それを餌に繁殖している壁蝨が、おそらく何百万匹も布団の綿に棲息しているだろう。
菌糸漏洩のような致命的な汚染ではないにせよ、この仕事を終えれば即座に全身を消毒しなければならない、とリーピとケイリーは共に考えていた。
「トロンド達が潜んでいる部屋も、同様の不潔さだと思われるが、大丈夫だろうか……。」
「人間であるトロンドさんに関しては、何らかの疾病に罹患してしまわないか心配になりますね。そうでなくとも、人間には耐えがたい悪臭が建物全体に染みついているのですし。」
人間よりも嗅覚に劣る自動人形でも、何世代にもわたって部屋に染みついた利用客の体臭をハッキリと感じ取れるのだ。
警邏隊の使命のためとはいえ、この劣悪な環境に耐えて張り込み続け、更に危険な存在を取り押さえに向かわねばならない、トロンドの負担は相当なものではないかと思われた。
遅々として流れぬようであっても、時間は刻々と過ぎていく。
プロタゴとアリシアが現れると思しき深夜になるにつれ、リーピは口数を減らして聴覚受容器を集中させ、極力静かに待っていたのだが……壁を這う虫たちを眺めていたケイリーがふと口を開いた。
「ん?……いや、おかしい……。」
「どうかしたのですか?」
「壁を張っている虫たちが、床にポトポト落ちていく。まるで、殺虫剤でも撒かれたように……。」
ケイリーに言われてリーピも壁際へと視線を向ける。
確かに、先ほど壁を張っていた百足が床に転がり、その無数の足を縮こめてヒクつかせていた。周囲には、壁に止まって羽を休めていた羽虫たちもひっくり返っており、弱々しく痙攣するばかりである。
異常な状況には違いなかった。自動人形であるリーピとケイリーには気づけない、既存生物の生存を脅かす環境変化が知らぬ間に発生したものと見えた。
「酸素濃度の低下?しかし、隣室の客のいびきは変わらぬ調子で響き続けています、呼吸困難に陥っている様子はありません。」
「まさか……菌糸汚染の発生、か?」
菌糸が既存生物に感染した場合、本来の細胞を菌糸へと置き換えていくプロセスが開始される。真っ先に乗っ取られるのが神経細胞であり、人間の場合は脳の思考能力が奪われることとなる。
それは他の生物についても同様であり、虫類もまた神経系を菌糸に侵され、身体機能が健常であっても感染時点で既に自らの意図通りに動くことが出来なくなる。
一度も扉を開けていない、この部屋の中で菌糸汚染の影響が出ているということは……空気感染する既存菌糸が、この簡易宿泊所全体に蔓延している恐れがある。
何者の意図であるかについては、推測の余地は少なかった。
プロタゴとアリシアが、効率よく養分とする肉体を入手するため、大規模に菌糸汚染を発生させることは充分にあり得るのだ。
「建物全体が菌糸汚染されているとすれば、トロンドさんの身に、危険が……。」
最大の危惧に気づいて口を開いたリーピに対し、ケイリーが手振りで黙るよう制する。
廊下を近づいて来る足音が聞こえる。
他の宿泊客らとは全く違い、重量感のある足音。ドスドスと床板を踏み鳴らしながら、彼らが発する声は不気味なまでに丁重であった。
「ご宿泊の皆様、お休みのところ、お騒がせして申し訳ございません。お目ざめでしたら、お出かけになりませんか。」
「どうぞ皆様お誘いあわせのうえ、街外れの工場までお越しください。枯れ果てる前に、命を作り替えましょう。」
昨晩聞いたのと同じ、聞き間違えようもない、プロタゴとアリシアの声である。
彼らの足音と同時に、カラカラと無機質な音も響いている。
菌糸漏洩を意図的に発生させているのだとしたら、解体された自動人形を引きずって歩いているのだろう。自動人形内部の菌糸が露出した状態であれば、空気感染する既存菌糸を周囲に蔓延させることが可能である。
プロタゴとアリシアの声が廊下に響いて間もなく、あちこちから客室の扉が開く音が聞こえた。
「……。」
睡眠を邪魔された労働者たちの怒声が響くことはなかった。
彼らはただ無言で、先ほどの指示に従うように足を進め、宿泊施設の出口へと向かっていく。
リーピとケイリーは扉を閉ざしたまま、無数の足音が遠ざかっていくのを聞くばかりであった。既に足元には、部屋に住み着いていた虫たちが幾匹も転がって悶えている。もとより人語を解する能力を有さぬ虫たちは、いかに菌糸に感染したとて指示には従わないのだろう。
廊下からは、プロタゴとアリシアの満足げな話し声が聞こえてくる。
「想像していたより、はるかに首尾よく進んでくれるものですね。既存菌糸感染者の思考能力が急激に低下する様を見て、もしやと思い試してみて正解でした。」
「肉体たちが、自らの足で移動してくれるのでしたら、私たちがわざわざ運搬する必要もありません。下級の菌糸に多少の養分を吸われはしますが、こんなに楽であるのなら最初から試せばよかったのです。」
自主的に思考能力を構築できる特異菌糸と違い、既存菌糸は感染後に新たな知性を生むことはない。
すなわち、空気感染によって大規模に感染者を発生させうる既存菌糸は、単純な命令に従う肉体を大量に発生させることにも直結するのだ。現場の目撃者がことごとく感染者となってしまえば、いよいよもって通報を危惧する必要も無い。
プロタゴとアリシアが気づいてしまったこの作戦は、より大規模に犠牲者が発生する事件の序章であった。既に実行されてしまってはいるが、現場はこの簡易宿泊所内に限定されてはいる。
「既存菌糸の感染力は流石に高いですね、よほど密閉された空間でもない限り、菌糸の侵入を防げないとは。上階にもきっちりと感染が広がっているかどうか、様子を見に向かいます。」
「では、私は建物出口で感染者たちが詰まってしまわないよう見張っておきますね。この子達、従順なのはいいけれど知能が足りなさすぎるのですもの。」
相変わらずプロタゴとアリシアは、丁重な口調で、かつ楽しそうに話し合っている。
どうにかして彼らの凶行を止めねばならない、との考えはリーピとケイリーの思考回路に同時に浮かんだものの、二階にて待機している警邏隊員とトロンドの動向を把握できないのは厄介であった。
上からも無数の足音が響き、階段を降りてくる、あるいは人体が転がり落ちてくる音が聞こえているということは、菌糸感染は上階にも及んでいるのだろう。
感染者たちの群れを押しのけつつ階段を上がっていくのだろう、プロタゴの声が扉越しに聞こえる。
「おっと、皆様、階段を踏み外さぬようにお気を付けくださいね。もう痛覚もないでしょうから、転んでも何も感じないでしょうけれど。ちょっと失礼いたしますよ、私を上の階へ通してくださいね。」
人間の身であるトロンドは、既に菌糸に感染してしまっているのだろうか。
彼女からの指示を得られなくなった警邏隊員たちは、増援を期待することもできない状況で判断を下しかねているのかもしれない。
リーピとケイリーは、自分たちが身を潜めている客室の扉を開けるに開けられず、ただじっと時が過ぎるのを待つばかりであった。
これまでも、数え切れぬ犠牲者の肉体を養分として吸ってきたのだろう、プロタゴとアリシア。彼らの膨れ上がった肉体に対し、リーピとケイリーがいかに懸命に格闘したところで勝ち目はない。せいぜい、解体された自動人形となって菌糸感染源として活用されるのがオチだろう。
もはや事件の解決など絶望的な状況で、自分たちが見つからぬよう、この感染者の行進と共に殺人鬼が去ってくれるのを待つばかりかと思われた。
「ドズンッ……。」
建物全体を揺らすほどの衝撃と共に、上階から重い音が響いた。
むろん、先ほどから扉を閉ざし続けているリーピとケイリーには状況を知る由もない。大きな衝撃を引き起こし得る要因といえば、さきほど二階へ上がっていったプロタゴの体躯だけであろうが。
建物の出口で感染者たちが円滑に移動できているか見張っているアリシアにとっても、今の音は想定していない要素だったのだろう。続々と降りてくる感染者の群れをかき分けつつ、彼女は不安げに上階へ呼びかけていた。
「どうかしたのですか?ただ転んだだけですか?多少の抵抗があったとしても、あなたが阻害されることはないでしょうけれど……聞こえてます?返事を……」
アリシアの言葉は、急に途切れた。
ついにリーピが細く扉を開けて覗き込んだ先、廊下は薄暗い照明の下でゾロゾロと歩く感染者の群れで満たされている。窓口隣の扉も開き、宿泊所の管理人も既に感染者の仲間入りを果たしていると見えた。
が、その群れの中からヒラリと布のようなものが飛び立ち、アリシアの顔面に巻き付いた。
完全に顔を覆われたアリシアは、言葉を発せず、視野を塞がれたまま、顔に貼りついている布を取り去ろうとして太腕をばたつかせている。しかし布は意思を有するかの如くアリシアの顔面に頑強にしがみつき、力尽くでも引き剥がせない様子であった。
アリシアが正常な認知能力を奪われている隙に、感染者の群れの中に潜んで接近していたのだろう、小柄な人影が飛び掛かった。トロンドであった。
トロンドは床から天井へと飛び移り、跳ね返るように勢いをつけてアリシアの首元へと強烈な蹴りを突き刺す。
制圧に必要な時間は、ごく短かった。
「アァ゛ッ……!ガァ゛……。」
細く開いた扉の隙間から、リーピとケイリーが目撃できたのはそこまでだった。
ようやく顔面にしがみつく布から解放されたアリシアが喉から絞り出すような声を上げ、彼女の巨体が感染者の群れの中に倒れ込み、ズズンッと建物全体が震え……そのまま静かになった。
菌糸に感染した宿泊客たちの行進はそのまま簡易宿泊所から出て行ったが、流石に警邏隊もその集団を制御しきることは出来ない様子であった。
ヨタヨタと歩き去っていく彼らの行く先を追跡するには、人手が足りなさすぎる。
何しろ今は、制圧に成功したプロタゴとアリシアの身柄を搬送する方が優先だ。
上階からプロタゴの身柄を引きずって、二体の自動人形警邏隊員が降りてくる。先ほどのトロンドと同じように、感染者の集団に紛れて不意を突き無力化したのだろう。一階の廊下に寝かされたプロタゴは、四肢が弛緩しきったようにダラリと床に伸びていた。
アリシアもまた、一応は両手足に拘束具は掛けられているものの、既に体内の筋繊維を弛緩させる薬品を注入されているのか、力が抜けきった様子でプロタゴの隣に寝そべっていた。全身の菌糸を発達させるために摂取した養分は相当な量だったのだろう、仰向けに寝ているアリシアの顎に溜まった肉は今、下唇を押し上げるように垂れている。
先ほどトロンドが放った蹴りは、比喩ではなくアリシアの肉体に刺さったと見え、アリシアの首元には傷跡が開いていた。むろん、菌糸感染者ゆえに流血は無く、色を失った体細胞が灰色を覗かせていた。
既に警察本部への連絡を済ませたトロンドは、リーピとケイリーに向かって告げる。
「リーピさんとケイリーさんは、建物の出入り口近辺で見張りをお願いできますか。特異菌糸罹患者が生存に要する養分量を鑑みれば、他に協力者は存在しないと思われますが、念のためです。」
「承りました。」
リーピとケイリーは互いに頷き、トロンドから伝えられた役割へと向かった。
トロンドに尋ねたいこと、それも非常に重大なことは無論あったのだが、それに触れるのは後ほどでもいい。じっくりと話を聞ける状況であるべきだった。
……が、その旨をトロンドに尋ねたのは、床に伸びているプロタゴとアリシアだった。
相も変わらず、その容姿とは似つかわしくない異様なほどに丁寧な口調で、彼らは口々に言ったのだ。
「あなたは、菌糸汚染された空気を吸ってなお、正常に活動していますね。しかし自動人形ではない、人間の肉体を有し、そして知能は特異菌糸同等の水準に達しておられるじゃありませんか。」
「さっきの身体能力も、間近で見させていただいて惚れ惚れいたしましたよ。ね、ね、あなた、完全な特異菌糸の保菌者?あぁ、ついに見つけたのね、やっぱり実在したのよ、原初の特異菌糸が!」
プロタゴとアリシアは、無力化され拘束された姿のまま、大いに感激している様子であった。
当のトロンドは、何も答えなかった。
しかし彼女が沈黙していようとも、もはやトロンドが通常の人間ではないことだけは、リーピとケイリーにも分かることだった。
宿泊客がことごとく菌糸に感染する状況で、トロンドだけは防護服やマスクを着用することなく、平然と活動できていたのだ。自動人形ではない以上、既に菌糸を彼女が体内に有している以外に考えられない。
人体に感染後、十分な知性を構築できるのは、特異菌糸だけである。
そして、毎日大量の養分と水分を摂取していなければ枯死してしまうという生態上のデメリットについては、これまでのトロンドの振る舞いには見られなかった。
すなわち、市長邸宅でプルスが存在を予測していた『原初の特異菌糸』は、既にトロンドの体内に存在していたことになる。
興奮した様子でプロタゴとアリシアは、床の上に並んで寝そべりながら口々に喋っている。
「よかった、よかった!ならば我々は、枯死するためだけに生み出された種族ではなかったのですね!進化の結果、未来を奪われるだなんて、そんなことがあろうはずもありません!」
「どうか、私たちに未来をお見せください!我らを救い、我らの道を示す存在よ……」
「黙ってください。」
トロンドは、これまでリーピ達が聞いたこともないような、冷たい声を発した。
と同時に、彼女の警邏隊制服の背中から二枚の布がヒラリと剥がれた。
布は意思を持つように空中を羽ばたき、プロタゴとアリシアそれぞれの顔面にしがみつき、口や目を塞ぐ。よくよく見れば、単なる布一枚ではなく、内側に人骨や関節のような構造物が貼りついているようだった。
マジック、手品の類ではない、被疑者の身柄確保に用いられるれっきとした装備品なのだ。先ほどアリシアを無力化する際に用いられたのが、これだったのだろう。
菌糸技術を活用したものではないかとリーピは推測したが、世間一般に公表されていない技術ゆえ詳細は不明である。
声色をほとんど変えることなく、トロンドはリーピとケイリーに対しても一瞥しつつ告げた。
「……私の体質については、他言無用に願います。」
「承知いたしました。」
当然、リーピは即答し、ケイリーも首肯する。
とはいえ、この約束は、その重さを即座に実感できぬほどの内容である。
自動人形の創造主たるモース研究主任が、特異菌糸へ意図的に与えたはずの生態上の欠陥。それを有さぬ、まさに原初の特異菌糸が実在することは、創造主の意図に反した事実であった。




