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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
不審の探求に覗かれる兆し
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依頼21:警邏隊備蓄庫における滅菌剤識別作業 2/2

 滅菌剤の充填された容器に、ひとつひとつ不良品か否かを識別するためのマークを書き込んでいく作業はその後も続けられた。


 街路巡回から戻ってきたフィリック警邏隊長も、帰還して即座に作業に参加するつもりだったらしい。が、ずっとペンキを使っていた部屋の換気が必要でもあり、また休憩を挟むようトロンドから進言されたこともあって、一旦は休憩室へと下がっていった。


 隊長は下がらせつつも自身は尚作業続行しているトロンドに対し、リーピは尋ねる。


「トロンドさんは、お体に問題ないのですか?この換気していない部屋で、ペンキを用いてマークを書き込む作業を続けていたため、フィリック隊長は入室するや否や咳き込んでおられましたが。」


「えぇ、自分はあまり呼吸量が多くない体質なので。運動量が増えても、息が上がることが無いんです。」


 答えるトロンドの身体は、四肢こそ警邏隊員に求められる運動量を示して引き締まっていたものの、確かに胴体部分は無駄な肉が極限まで削ぎ落されたかのごとく異様に薄かった。


 出動時は内側に防護具を着込む制服を身につけているため、彼女の体型を目にすることは普段そうそう無いことだった。これだけ身軽なら大抵のことでは呼吸量も増えないだろうし、単純作業を続けるのみの現状ならば尚更だろう。


「化学成分や有害物質を吸い込んでしまう恐れが低いため、捜査においても私が率先して駆り出されがちなんです。以前、倉庫区画にて死臭の出元を捜索した際も、私が現地に向かわされましたから。」


「覚えています。確か、警察本部からはトロンドさん自身が現場に入り遺体を視認しろとの命令が下されていましたね。さすがに腐敗した遺体からの感染が危惧される現場に、人間の身で入り込むのは無茶な話でしたが。」


「あれは事実上、捜査を断念しろとの指示に他なりませんでしたね……とても放置できるものではありませんでしたが。」


 あの件においては、自動人形であるリーピとケイリーが代わりに現場の状況を確認し、遺体を現認したことでようやく本格的に捜査部隊が派遣されたのであった。


 人間の身で警邏隊員を務め続けるということは、無理難題を押し付けられつつ活動することであり……他の人間よりも優れた点を有していることは、無茶な状況でも仕事を求められる結果を呼ぶものであった。


 まもなく休憩を済ませたフィリック警邏隊長も、この作業に加わる。


 が、幾本かの滅菌剤充填ボンベを抱えて作業台に向かったフィリックは、間もなく手元の光量を増すために携行照明を持ち出すこととなった。


「あの……トロンド。この作業を進めるには、倉庫内の照明だけでは暗くありませんか?リーピさんとケイリーさんも、この光量で細かなシリアルナンバーの字を読めるのですか?」


「問題ありません。」


 トロンドは素っ気なく一言だけ返答し、没頭していた作業から顔を上げていない。


 単純作業ゆえ、自動人形としての思考回路使用領域に大きく余剰を残していたリーピとケイリーの方が、もう少し丁寧にフィリックへ返答した。


「自動人形の視覚受容器は、低光量環境への順応が人間よりも優れているのです。僕らの体内にて視神経へと分化している菌糸が、もとより暗所で進化してきたためと考えられています。」


「実用においても、人形が作業を行うために照明をわざわざ用意していては不便だしな。警邏隊においても、自動人形隊員は夜間の視界確保に優れているだろう。」


「たしかに……こうした環境で並んで作業していては、自動人形の利便性が浮き彫りになりますね。」


 リーピとケイリーからの説明にフィリックは頷きつつ、滅菌剤ボンベに刻まれたシリアルナンバーに照明を近づけ、どうにか目を凝らして読み取る作業を始めていた。


―――――


 滅菌剤のシリアルナンバーは、商品を識別する番号に続いて製造年月日を示す数字の羅列、さらに同日内の何番目に完成した製品であるかを示す番号までが、区切りなく無機質に並び刻まれている。


 製造年月日にあたる部分だけを見出し、それが製剤会社内で問題発生した日時よりも以前か、以降かを判断する。問題発生以前の製品なら品質が保証されているため「〇」を、問題発生以降の製品なら高確率で不良品であるため「×」を、ペンキでボンベ表面に塗りつける。


 無機質に換気用ファンの音が鳴り続ける倉庫内にて、この単純作業を黙々と続けることは自動人形には容易い仕事であったが、人間も同様とはいかない。


 倉庫一杯に保管されたボンベを全てチェックする作業が、いつ終わるとも知れぬ分量であることも精神を擦り減らす要因である。


「あ痛たた……流石に、目の疲れと、腰への負担は無視できませんね……。」


 至極真面目な性格で、一般市民よりは体力もあるフィリック隊長とて、延々と続く単調作業の中では流石に疲弊を感じたのだろう。


 時刻は、そろそろ傾きかけた陽射しが夕映えの色を含み始める頃である。


 右手でぎゅっと閉じた目元を抑え、左手で伸ばした腰をさすっている彼の姿を見て、トロンドは進言した。


「お疲れでしたら、作業を中断して休憩に向かってください。この後、夜間の警邏巡回もありますし、万一の際に隊長が疲弊していては指揮系統に支障が出ます。」


「その通り、ですね。トロンドも休息は挟んでくださいよ、先ほどから中断なしに、この作業を続けているじゃありませんか。」


「お気遣いありがとうございます、リーピさんとケイリーさんだけでも作業完了できる分量まで済めば、私も休憩に移ります。」


 作業を中断し倉庫を出ていくフィリックからの声を背に受けつつも、トロンドは作業の手を止めていなかった。同じ人間の身でありながら、心身をじりじりと削る単純作業を延々続けられる忍耐力は、トロンドは抜きん出て有しているようだった。


 とはいえ、流石に補給も休息もなしで作業続行するのは厳しいのだろう。


 フィリックが去っていった後、トロンドは床の隅に置いてあった彼女の私物の鞄を開け、中から樹脂製のチューブ状容器を取り出した。


 そして、容器を封じていたキャップを外し、口を付けて内容物を吸い始める。真面目なトロンドは、両手が空いている状態にもかかわらず作業を中断するわけにはいかない、とも考えたのだろう。


 口にチューブ状容器を咥えて内容物を吸いながら、トロンドは作業台前まで戻って来て作業を再開した。


 自動人形としては現状の作業続行に必要な情報ではなく、すなわちトロンドの行為の意味について問いただす理由は無かったものの……リーピは尋ねずにいられなかった。


「トロンドさん。その、口に咥えておられるのは、何ですか?」


「これは、流動栄養食です。立て込んでいる仕事や、作業を続けながらも食事を摂るために常備しています。」


 リーピもケイリーも、そのような食品が存在すると聞いたことはあったが、まだ世間一般で常用されるほど行き渡っているわけではない。どちらかと言えば、大怪我や疾病で内臓機能が低下した患者向けに、医師の判断で供出される品であった。


 先ほどからちょくちょくトロンドの常人離れした体質が気にかかっていたのか、今度はケイリーが尋ねる。


「もしかして、トロンドは任務で大怪我を負った経験があるのか?その際の後遺症で、吸収されやすいよう加工されたものしか摂食できないようになってしまった、とか……。」


「いえ、そういうわけではありません。通常の食品も口に出来ますが、仕事時間を無駄にしないようにと私がこれを選んでいるだけです。」


 チューブを口に咥えながらも、トロンドは既に内容物をほぼ吸い上げてしまったのか、チューブの残留物を絞り出すようにすっかり小さく畳んだ容器を口から外し、廊下のゴミ箱へと捨てに向かった。


 トロンドはしっかりと口を閉じて、吸った流動栄養食を飲み込んでいる様子であったが、リーピが一瞬だけ見た彼女の口の中は鮮紅に染まっていた。むろん、それは栄養食の色であったろうが、通常の食品をただ加工しただけの液体には少々不自然な色でもあった。


 リーピとケイリーはお互いに訝しみを覚えたのか、暫し目を見合わせていたが……今ここで言及しても詮無きことと判断し、そのまま作業を続行した。


 滅菌剤の容器に、規格品と不良品を識別するマークを塗りつける作業自体は恙なく完了した。


 ペンキが乾き終えたボンベを元の棚へと全て片付け終え、トロンドは口を開く。


「結局のところ、この貯蔵庫内の滅菌剤の一割程度が不良品でしたね。製剤会社内部の異変が明確になって即座に新規の搬入を止めたおかげで、不良品の混在を最低限に防げたのが功を奏しました。」


 不良品であるか否か判明するのは、滅菌剤を実際に使用してからのことではある。が、そんな実使用を待つまでもなく、トロンドは製剤会社での異変以降に製造されたものを不良品と断じて憚らない様子であった。


 当然、命が掛かっている現場の人間としては、僅かでも性能に疑いの余地がある薬剤を持ち込むわけにはいかない。特殊清掃に用いた滅菌剤が不良品であると分かった時には、既に菌糸感染による犠牲者が出ているのだから。


「信頼に足る滅菌剤を明確に識別できたおかげで、今後しばらくの出動でも安全性の確保は可能です。今回はお手伝いいただき、ありがとうございました。報酬は本日中にお支払いいたします。」


 リーピとケイリーは作業台の周囲を軽く片付けつつ、礼を言っているトロンドに頭を下げかえす。


「お役に立てて何よりです。僕らにとってもメンテナンス後の動作性を再確認出来て、有意義な時間でした。」


「全く今回は、自動人形である私たちの特性を最大限に活かせる作業に違いなかったからな。」


 別れの言葉を告げるリーピとケイリーに向けて、トロンドは小さく頬を緩めて歯を見せた。


 彼女の口腔内を染めていた紅は、既に薄れていた。まるで体内に浸透していった後であるかのように、先ほど啜った流動栄養食はトロンドの身体の奥にしみ入っていったようだった。


―――――


 帰途を挟み、探命事務所へと戻ってきたリーピとケイリーが話題に上げるのは、やはりトロンドに見出した違和感についてであった。


「換気不足でペンキを使用した部屋での呼吸に支障なく、光量不足の環境下にて細かな字を見続けても疲労感を全く示さない……違和感があるといえばありますが、人間の挙動として不可能なものではありません。」


「流動栄養食を常用することも一般的な人間の振る舞いには稀有なものではあるが、任務を遂行する警邏隊にとっては日常的な行為、なのかもしれないな……。」


 依頼を引き受けた立場としては、依頼者が求めもしない域にまで立ち入って詮索することは出来ない。


 それゆえに、確定し得ない事項について、憶測を巡らせるだけで精一杯である。とはいえ、リーピは流石に観察できる範疇で最大限の判断材料を得ていた。


「僕が気にかかったのはトロンドさん自身についてよりも、フィリック警邏隊長の反応です。彼の生真面目さであれば、換気されていない部屋でペンキを使っている様を見出した時、口元を覆って呼吸を我慢しながらでもトロンドさんの身柄を部屋の外へと連れ出そうとするのではないか……と僕は推測したのですが。」


「だが実際には、彼は換気されていない旨を注意しただけでトロンドを助けようともせず、自身はそそくさと現場を離れていたな。あれも、隊長自身が倒れるわけにはいかない、と判断したが故とも言えなくはないが……。」


「元より、トロンドさんが呼吸をさほど必要としていないことを知っていたがため、かもしれません。彼女が液状の栄養食を摂取しているのは、まさか……。」


 既に、トロンドが菌糸に感染しているがため、だろうか?


 菌糸によって体内の細胞を置き換えられた存在は、直接養分を吸収できる液状でなければ栄養摂取が困難となる。


 その推測は同時にリーピとケイリーの思考内に浮かんだものの、それを肯定する材料は余りに乏しかった。


「既存菌糸の感染者であれば、新たな思考回路を構築できないため、あれだけの会話と作業を実行すること自体不可能です。特異菌糸の感染者であれば、思考能力は自前で構築できるものの、大量の養分および水分を摂取し続けなければ短期間で人体が崩壊してしまいます。」


「しかしトロンドの摂取養分量は、下手をすれば通常の人間よりも少ないほどだった。そもそも、フィリック隊長が彼女の体質を理解しているということは、あの状態を長期間続けているということでもあるだろう。隠す必要のある行為なら、わざわざ我々の目の前で摂取を行わないだろうし……あるいは、彼女は自動人形であることを隠しているのか?」


「いえ、以前、自動人形ゆえに嗅覚の劣る僕らでは気づけない死臭に、トロンドさんは真っ先に反応していました。今のところ、僕らの判断においてトロンドさんは『稀有な体質を有する人間』であると結論づけるほかに無いでしょう。」


 今回の依頼自体は難なく完了したため、リーピとケイリーは何も疑念を抱くことなく済ませても良いものであった。


 それでも、両名の内には人間が抱く所の違和感……自動人形に相応しく言い換えれば、判断材料の明瞭な不足を認識せずにいられない状態を維持し続けていた。

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