依頼4:ある老人宅にて
少々緊急性の高い依頼が舞い込んできたため、リーピとケイリーは常よりも急ぎ足で現地へと向かっていた。
顧客が政治家の場合は急がない、というわけではないが……往々にして段取りや根回しが周到な連中と違い、一般市民は事態が切羽詰まってから助けを乞う羽目に陥るケースが多い。
それでも、決して報酬額の安くはない探命事務所へと仕事の依頼を入れるだけの事情があるならば、仕事を引き受ける側としても切迫の中へ急ぎ踏み込まぬわけにはいかない。
街の中央からは外れた地区、裕福とは言えない住民たちが暮らしている古びた平屋建ての一戸を、リーピは指さして告げた。
「あのお宅、ですね。依頼者も、玄関先で我々を待っています。」
「私たちの姿は依頼者にも見えているはずだが……この恰好では、遠目からは気づかれづらいか。」
リーピとケイリーは、共に作業服に身を包んでいた。
必ずしも汚損を伴う恐れがある労働を指示されるわけではなくとも、改まった服装が必要とされない場合には作業服の着用が常となっていた。
この街においてはそこまで露骨に嫌悪されはしなかったものの、やはり愛玩用自動人形の姿を見ていかがわしい用途を連想する人間が全く居らぬわけではない。そのため、作業用自動人形と変わらぬ恰好をしておくのが無難な選択なのだ。
……それに、今回の依頼は、現場の状況次第では作業服を要する可能性もあった。
目的の住宅前まで到着した後、目深に被って顔面を隠していたヘルメットやフードを外し、リーピとケイリーは今回の依頼者に向かって頭を下げる。
「ご依頼いただきありがとうございます、探命事務所です。」
「あぁ、あなた方が……!思ったより早く来ていただいて、ありがとうございます。」
依頼者は中年女性であった。元は小柄で痩せ型だったのだろうが、加齢でじわじわ緩みつつある体型と、ついでに顔の小皺が目立つ外見である。
市議会議員や市長の屋敷とは比べようもなく小ぢんまりとした住宅を背景にして、染めきれていない白髪が幾本も頭に混じっている中年女性の姿は、一般市民の生活苦をそのまま体現したかのようであった。
彼女は声色に焦りを浮かべながら、しかし自分が喋るべき内容を既に決めていたかのように、淀みなく語り始める。
「先ほど連絡した通り、家の中に、私の父が居るんです。もう高齢で、私も仕事が忙しくて介護まで手が回らないので、ヘルパーさんにお世話を頼んでいるんですが……ずっと連絡が取れない状態が続いているんです。」
「なるほど。直接、家の中に入って確認はされたのですか?」
「……していません。ちょっと、怖いんです。その……ヘルパーさんは、自動人形なので。誤作動とか、不具合とかで、自動人形が人間に危害を加える事故も、あったりするんでしょう?家に入ったとたん、私まで襲われたらと思うと、怖くて。」
他でもない自動人形であるリーピとケイリーの前で、中年女性は多少なりと遠慮気味に告げた。
そも人形は感情の模倣を示しはするものの、人間同様の感情を発揮して気分を害することはないはずなので、遠慮する必要はなかったのだが。
リーピは“お気になさらず”と言外に伝えるように頷きつつ、返答する。
「はい、そのような事例が実在することは、稀ながら確認されています。あくまで、製造コストを抑えられた廉価版の自動人形に限っての話ではあります。」
「だったら、なおさら、危ないかもしれません……!お恥ずかしい話ながら、ウチでは高い料金をヘルパー派遣会社に払い続けるお金もなくって、格安のところに頼んでいるので。」
「ちなみに、警察への通報は?」
当然のごとく生まれる質問に対し、中年女性から返ってくる答えは少々意外なものであった。
「……していません。変に疑われたくないんです、もしも父に何かあったとしたら、私が疑われるかもしれませんから。」
「疑われるような心当たりがあるのですか?」
「だって、自動人形は、人間の指示通りに動くものでしょう。私が、危害を加えるように指示したと思われるかもしれませんし。」
いかに人間を疑うのが警察の役目とはいえ、流石に一般市民がそのような計画を実行したとの仮説へ、捜査官たちが真っ先に飛びつくとは考え難い。
この中年女性の内に、自らに疑いを向けられる心当たりは、確かにあるのだろう……と、リーピは黙って推察していた。肉親の身に危機が迫っている割に、こうして会話する時間を設けている振る舞いも訝しい。
老親の世話をヘルパーに委ねているとはいえ、要介護な身内が居る時点で心労は相当に蓄積しているだろう。親の面倒を自ら見ないことについて、親戚や近隣の知り合いから向けられる目も気にならぬはずはない。この苦労が早く終わってほしい、との思いを抱えている可能性は高い。
リーピがじっと考え込むような仕草を見せたのを気にしたのか、中年女性の口調はあからさまに急かすような色を帯び始めた。
「ともかく、警察を呼べないから、あなた方に依頼を出したんです。ご近所から不審がられる前に、早く行って原因を突き止めてくださいよ。」
「承りました。では……現場へ入りましょう、ケイリー。」
黙ってやり取りを背後から見つめていたケイリーに声をかけ、中年女性から家の鍵を手渡され、リーピは玄関口へと向かう。
自ら玄関を解錠するために近付くことすら、依頼者の中年女性は厭っている様子であった。
この場に到着した時と同様に、リーピはフードを、ケイリーはヘルメットを目深に被ってから、玄関扉を開けて住宅の中へと入った。老人の様子を見るだけであれば不要なはずの保護具が、役立つ可能性のある状況であった。
不用意な音を立てぬよう、そっと扉を閉めているケイリーと背中合わせに、リーピは聴覚情報を注意深く集める。
「奥の部屋から、物音は聞こえますね。足音です、人間の。」
「ということは、依頼者の父親は立ち上がって行動できる状態にはあるのか。」
依頼者の言が正しければ、家の中に居るのは自動人形であるヘルパーと、依頼者の父親だけである。
人形の足音であれば、重量こそ人間に近しいといえど、より硬質の物が床に触れる音になっているはず。だがリーピは間違いなく、靴下越しに柔らかな皮膚と筋肉を有する人間の足音を聞いていた。
ならば、状況はさして切迫していないのかもしれない。単に出不精な父親が、心配する娘からの連絡に応じていなかっただけ……という拍子抜けな結末もあり得る。
「ヘルメットは外した方がいいでしょう、ケイリー。依頼者のお父様の立場からすれば、見知らぬ自動人形が予告なく自宅に踏み込んできた、との認識になるのですから。」
「たしかに、余計な警戒を招くべきではないな。」
介助ヘルパーを務めていた自動人形の誤作動に備えるためならば、ヘルメットの着用は役立ったろう。が、普通に生活していただけの老人の住宅を訪問するうえでは相応しい恰好とは言えない。
リーピもフードを被らず、ケイリーと共に顔を見せるようにしてから、物音のする部屋の扉をノックした。
「呼び鈴無しに失礼いたします。娘さんからのご依頼で、お父様の安否確認のため参りました……。」
「どうぞ、お入りください。」
室内から返ってきた声は、高齢男性のものではなく、女性の声であった。
それも人間の声ではないことは、ひび割れた発声器官特有のノイズが混じっていることからも明瞭であった。おそらくヘルパーを務めている、女性型の自動人形が返事したのだろう。
だが変わらず、人間が歩き回る足音は聞こえ続けている。室内の状況はいよいよもって予測の難しいものとなり、リーピは直ちに扉を開いた。
いきなり視界に飛び込んできたのは、老爺が手を振りかぶり、女性型人形の側頭部に平手打ちを食らわせている様であった。
「この、役に立たん、ガラクタ……座っとれ。」
ペチッ、と力ない音で人形を叩いた後、モグモグと口を動かし、聞き取りづらい嗄れ声で呟く老人。
その後、ヨタヨタと台所へ向かい、何も載せられていない調理台を前に腕組みしてブツブツ呟き、冷蔵庫を開けて空っぽの中身を見つめ、再び部屋の中を歩き回る……という行動を繰り返している。
今しがた部屋へと踏み込んできたリーピとケイリーの姿は彼の視界に入っているはずだが、老人は両名に対し何も反応を示さない。
介助ヘルパーを担当している女性型人形は、座っていろとの命令に従ってリビングの椅子に腰かけたままであったが、仮に彼女に感情があれば、ただ途方に暮れた表情を浮かべていたことだろう。
この場で意思疎通が可能な存在が、この女性型人形だけであることを見てとったリーピは、彼女に向けて問いかけた。
「状況を説明してください。」
「私は、この方の介護を担当しております。現在は、椅子に座れという指示を実行中です。」
「あなたの介護対象は、何を目的とした行動をとっているのですか?」
「私がお出しした料理にご不満があり、私の代わりに調理を行うことを決定されました。」
人形同士であれば、情報交換は端的に済む……はずだったのだが、このヘルパー自動人形は格安で雇える個体らしく思考回路も発達しておらず、受け答えはあまりスムーズではない。
徘徊し続ける老人をケイリーが警戒して見つめている傍ら、リーピは辛抱強く問いかけを続けた。
「この場で見る限り、食材の備蓄は確認できません。料理を作るという目的が達成できないことを、あなたは介護対象に伝えましたか?」
「はい。しかし、話しかけるなとの指示を出されたため、従いました。」
この会話をしている最中も、老人はヨタヨタと頼りない足取りで部屋の中を歩き回っている。
台所から部屋を一周して戻ってきた老人は、再びこの介助ヘルパーを担当していた人形の近くまで来て、ペチッと力なく頭部を叩き、呟く。
「この、役に立たん、ガラクタ……座っとれ。」
その後、老人は台所へ向かい、何も載っていない調理台、何も入っていない冷蔵庫を眺め、ブツブツ呟いている。ヘルパーの自動人形の頭をはたくことも含め、彼は一連の行動を延々と繰り返し続けているらしかった。
老人にもはや正常な判断能力が残されていないことは明白であった。彼が身につけているのは寝間着であったが、漏れた排泄物が股間部分を汚し、それもとっくに乾ききって黒ずんだ塊になっていた。
事態を凡そ把握しつつ、リーピは尋ねる。
「あなたの介護対象は、この行動をいつから続けていますか?」
「1週間前からです。」
思わずリーピはケイリーと顔を見合わせた。思考回路が高度に発達した自動人形でなくとも、まともな思考回路が生きていれば状況の異常さは理解できた。
いかに判断能力を失っているとはいえ、年老いた人間が1週間も、体力を尽きさせることなく歩き回り続けられるはずがない。
このヘルパー自動人形の報告内容が誤っている可能性も充分にあったが、リーピは尚も彼女の顔を覗き込むようにして質問を続けた。
「介護対象の行動は、一切の中断なく続いていますか?夜間の睡眠や、食事、飲料などを補給する時間は設けられていますか?」
「中断されていません。睡眠や食事を一度も要求されていません。」
他に同居人のいない、家の中。夜が訪れても、照明を点けることなく、老人は壊れた自動人形のごとく、意思なく目的もなく、延々と一連の動作を繰り返し続けていたのだ。
リーピからの問いかけに答えるヘルパー自動人形の声は、母音を発するたびに内部構造が擦れるためか、ノイズが走った。
老人から繰り返し頭部の同じ箇所をはたかれつづけていた彼女は、顔面パーツが一部歪んでひび割れ、内部構造の菌糸が僅かに露出している。
またしても一連の行動を終えた老人が部屋を一周して戻って来て、全く同じ行動を繰り返している。
「この、役に立たん、ガラクタ……座っとれ。」
ペチッ、と人形の頭部を力なく叩く掌。
生命力の限界を無視したように何度も繰り返す異常行動に入る前……言葉を選ばず言えば、生前は、おそらく勢いよく人形の頭部に叩きつけられていたのだろう。
リーピは、老人のその皺だらけの掌に、べったりと付着した黒ずみを見出した。
傷跡を塞ぐことなく固形化しなかった老人自身の血液が、時間と共にただ乾いた後であった。
自分を介護する自動人形にかんしゃくを起こした老人が人形を殴り、その際に破損した人形パーツによって掌に傷を負い、さらに人形内部の菌糸に直接傷口が触れたとなれば、現状に至った経緯は絞り込まれる。
「ケイリー、この老人は、胞子性壊死脳症の発症初期段階にある可能性が高いです。言語らしき発声は確認できるものの、体内に菌糸が入り込んだのなら、もはや本来の脳機能は失われているでしょう。」
「身体が本来の疲労を感じず、歩行を続けているのも、菌糸の影響か。筋繊維が菌糸に置き換わりつつあるならば、水分が枯渇しきらないかぎり行動可能だな。」
自動人形たちの内部で発達し、神経細胞や筋繊維に分化する菌糸。
ウィタミーキスと学名をつけられた、この菌類は自動人形の根幹であり、労働力や話し相手を製造するうえで大いに重宝される存在であったが……万が一、直接生物の体内に侵入するようなケースがあれば、危険な代物であった。
既存の生物の体内に入り込んだ菌糸は、豊富な栄養源を得て爆発的な速度で繁殖し、短時間で脳へと達する。人体に本来備わった免疫系の機能では、とても排除は間に合わない。
菌糸は殊に人間と近しい遺伝子系を有するためか、神経系や筋繊維を容易く菌糸へと置き換え、身体を乗っ取るような働きを見せるのだ。人間本来の脳を侵食するように菌糸は発達し、本来の思考能力は失われ、代替として自動人形並みの思考力が再構築されることも殆どない。
罹患者は理性を失い、辛うじて生前の習慣をただ繰り返すだけの存在となり果てる。
そもそも人形の内部で菌糸を繁殖させて行動させるという発想自体、人間の身体に宿って行動能力を奪取する菌糸の働きに着想を得て開始された、自動人形の製造法であった。
この危険性はむろん自動人形の製造メーカーが重々把握しているところであり、仮に菌糸が露出するような破損があっても飛散しないよう粘性をもたせ人形内部に定着させる措置が徹底されている。しかし、十分な安全基準による認可を受けず、廉価に製造された自動人形については、話は別である。
リーピはケイリーとともに、顔面が一部破損しているヘルパー自動人形から後ずさりつつ、口を開く。
「この室内で、菌糸ないし胞子の飛散による汚染が発生していることは確実です。特殊清掃局に通報します。」
「依頼者は、警察への通報を拒んでいたが、構わないのか?」
「あくまで通報先は警察ではなく、特殊清掃業者ですから。近隣住民の目に留まる可能性は高まりますが、この汚染の漏洩をこそ最優先で防がねばなりません。」
外部への連絡手段が生きていることは幸いであった。部屋の壁面に取り付けてある通話機へとリーピは向かい、呼び出し音を鳴らす。
この通話機も、神経系へと分化した菌糸を、保水性の高い被膜で覆ったコードとして繋ぐことで実現している技術であった。
ほどなくして、通話機内部から交換手の声が答えた。
〈はい、こちら通話局です。〉
「最寄りの特殊清掃に繋いでください、緊急です。」
リーピが送話口に向かって通報を行ってから、数分と立たずに清掃士は現れた。
警察や救急搬送の依頼と同様に、菌糸や胞子の汚染に関する通報には素早く対処が為される。公的な財源で運営されており、通報自体は無料である。
仮に、胞子性壊死脳症の罹患者が発見されることなく放置された場合、人体の水分を吸い尽くす頃には菌糸が子実体を形成し、胞子を撒き散らし始めてしまう。そうなっては、まさに火災と同じように広範囲に被害が及ぶため、自動人形が普及した現代、早急な菌糸清掃活動も市によって確保されていた。
依頼者の中年女性がこわごわと覗き込んでくるのを背に、玄関口から乗り込んできた作業用自動人形に対し、リーピは速やかに状況を告げた。
「台所を歩き回っている老人が住民ですが、彼は既に胞子性壊死脳症を発症しています。リビングの椅子に腰かけている自動人形の顔面パーツが破損しており、菌糸漏れの発生源です。我々は調査に入って数分、この部屋に滞在しています。」
「了解。直ちに室内の滅菌清掃を開始する。清掃完了次第、住民の身柄搬送を行う。あなた方は、身体パーツに破損は無いか?」
「ありません。」
「清掃作業中は部屋から出ず、そちらの壁面に並んで立っていてくれ。後から入室したあなた方にも、被服や身体表面に菌糸が付着している恐れがある。」
つるりとした表面を有する作業用自動人形は機械的な声で告げた後、間もなく真っ白な粉末状の滅菌剤を部屋中に吹き付け始めた。
この濛々と立ち込める白粉は、菌糸研究が進むと同時に開発された、制御手段のひとつである。殺菌能力と同時に、強力な乾燥剤としての性質を有するこの粉末は、いかに繁殖力旺盛な菌糸もたちまち枯死させることが出来る。
リーピとケイリーたちに対して、身体パーツの破損が無いことを事前に確認したのも、この滅菌剤の強烈な性質ゆえである。
不備や破損の無い自動人形であれば、この粉末を頭から被っても問題はない。だが、身体内部に滅菌剤が入り込む破損部分があれば、菌糸を根幹とする自動人形にとっては致命的な結果をもたらす。
リビングの椅子に腰かけていた、ヘルパー自動人形は……間もなく力が抜けたように椅子から頽れて、床に倒れたまま動かなくなった。
ケイリーと並んで真っ白な薬剤の粉末を浴びていたリーピは、倒れた自動人形を見下ろしながらボソッと呟いた。
「顔面の破損部分から薬剤が入り込んだため、内部の菌糸が枯死し機能停止してしまいましたね。彼女は命令通りに働いていただけですが、仕方のない処置です。」
「……リーピ、ちょっと気になっていたんだが……先日の依頼、市長の孫娘の遊びに付き合った時、私の投げたボールを受けて、リーピの片手にヒビが入っていなかったか?」
それはごく僅かなヒビであり、いつも周到なリーピが思考の外に置く程度の些細なものであったのだが、ケイリーは今になって気になりだしていた。
もしも、ヒビの隙間からこの強力な薬剤が僅かでも入り込めば、その箇所の内部の菌糸は枯死してしまう。が、リーピは掌を見せながら返答した。
「問題ありません、修復済みです。形状保持樹脂が本来の性質を発揮しています。」
リーピとケイリーの身体に用いられているパーツは、高額なモデルだったおかげでもあったが、多少のひび割れや傷ならば時間経過で自ずと塞がっている。
成形された際の形状を保つ性質を有する樹脂は、自動人形の表皮にて人間の治癒能力に近しい修復力を発揮する。
破損した後、外部からの圧力や熱が加われば、分子レベルでの再結合が促進されて微細な破損を埋めなおすことが可能なのだ。あまり大規模な損傷の場合は、修復はすれども痕跡が残ってしまうあたりも、本物の人間に似ていた。
自動人形が製造されだした黎明期には生体に近しい人工皮膚の採用が検討されたこともあったが、損傷時の自己培養を可能とする構造、ないし培養の制御は非常に困難であり、現在は形状保持樹脂の採用が主流となっている。ともあれ菌糸漏れが致命的な健康被害を引き起こす事実は広く認識されており、自動人形の表皮修復技術が発達することは必然であった。
「自己修復機能の確保は、現在すべての自動人形メーカーに義務付けられているはずですが、このお宅に雇われたヘルパー自動人形は製造基準を満たしていなかったのでしょう。」
「あるいは、頭部の同じ箇所を繰り返し叩かれ続けたため、修復が間に合わなかったのかもしれない。」
全身に滅菌剤の白粉を浴びながら部屋の様子を見つめているリーピとケイリーの前で、もはや生前本来の意思などなくウロウロし続けていた老人も徐々に行動が鈍っていった。
もとより、含有する水分量が少ない老体である。
人体内部に入り込んでいた菌糸が直ちに枯死するわけではなかったが、じわじわと動作は緩慢になっていき、やがて膝をつき、身体を支える猶予もなくドスンと音を立てて床に倒れ伏した。
真っ白な薬剤に覆われて横たわる人体は、まるで雪原の中で行き倒れた遭難者のごとくであった。
「……状況は、おおかた終息したようですね。」
「あぁ……依頼者にとって、これが納得のいく結末かどうかは、分からないが。」
自身が被疑者となる恐れ、および近隣住民の前で目立つことを厭い、通報すること自体を拒んでいた依頼者の中年女性。
濛々と立ち込めていた滅菌剤の粉塵が収まり、出てきた自動人形たちを出迎える彼女の表情には、意外にも不満の色は無かった。
むしろ心なしか、事態が思惑通りに進んだかのような、得心が目の奥に覗かれるようだった。
リーピは出来る限り丁寧に、身体に積もった白粉を払い落としてから、頭を下げて告げる。
「状況確認は完了しました、既にご覧になった通りではありますが。あなたのお父様は、ヘルパー自動人形が引き起こした菌糸漏れにより、胞子性壊死脳症を発症しておられました。心よりお悔やみ申し上げます。」
「そう……ですか。ですけど、まぁ、父も既に、医師からは長くないと告げられていたので……。」
「ご依頼にあった内容は以上ですが、ご希望であれば今後の処置についてもお手伝いいたしましょうか。自宅での遺体発見という扱いとなりますので、医師に連絡し死亡診断書を作成する必要があります。」
「お構いなく、既に医師には連絡していますので。」
特殊清掃が呼ばれた時点で、依頼者の女性は最寄りの公衆通話機で、父親のかかりつけ医師へと連絡していたのだろう。
表情こそ暗く作ってはいるものの、相変わらず女性の立ち居振る舞いに狼狽の色は皆無である。この結末が、彼女の予想ないし期待からさほど遠くない内容であろうことは、さらに続いたリーピとのやり取りからも窺えた。
「事件性が見いだされない限り、警察による捜査が行われることはないでしょうが、菌糸漏れを起こした自動人形のメーカーについては問責することが可能です。手続きについてはご存知ですか?」
「いえ、それについても、きっと父が原因を作ったのでしょうから……問責はせず済ませようと思っています。昔から、腹を立てたらすぐ手を上げる人だったので、父に殴られてヘルパー自動人形さんも破損してしまったのでしょう。」
原因はさておき、表皮破損の修復能力を有さず、破損後の菌糸飛散を防ぐ手段も無い自動人形の製造は、明らかに安全基準を満たせていない。
司法に訴え出れば、このヘルパー自動人形を派遣した会社、および製造したメーカーに裁きを受けさせることは充分に可能な状況だったが、この点についても依頼者の中年女性は不満を述べる意思はないらしかった。
深々とお辞儀し、リーピとケイリーに依頼の完了を告げる彼女の目の内には、もはや重荷から解放されたかのような輝きすらあった。
「結果はともあれ、事態が判明して良かったです。あらためまして、今回は助かりました、成功報酬は今日じゅうにお支払いします。」
「お待ちしております。探命事務所をご利用いただきありがとうございました。では、行きましょう、ケイリー。」
どこか腑に落ちない様子で、無表情のまま立ち尽くしているケイリーに声をかけ、リーピはスタスタと現場を去る。
入れ替わるように、依頼者が既に通報していた通り、現場へと薄汚れた白衣を羽織って近づいてくる医師と助手たちの姿があった。
着古した白衣の汚れが妙に似合っていたのは、無精髭が蓄えられた顔立ちに荒んだ雰囲気が宿っていたおかげでもあったろう。医師の助手を務める自動人形たちも、本来は白かったはずの身体パーツが薄汚れ、医療機関に相応しい容姿とは言えない。
現場が滅菌剤の白粉まみれであっても、医師に驚く様子はない。
彼はすっかり手慣れた様子で助手たちに老人およびヘルパー自動人形の身柄搬出を命じ、当事者から話を聞く前に死亡診断書の上にペンを走らせていた。
―――――
リーピとケイリーは、まだ全身からはたき落としきれていない薬剤が残っていたため、住宅街を避けて街はずれを移動しつつ事務所へと帰ることにした。
自分の胸中に蟠っていた言葉がようやく形を為したのか、ケイリーはボソッと口を開く。
「まだ、私は理解に至っていないんだが……本来の人間は、家族が死に至った際、悲しむものではないのか?」
「今回に関しては、例外と言えるでしょう。」
リーピは即答し、傍らのケイリーの顔を見上げる。
例によって表情パターンの少ない顔面パーツを有するケイリーは殆ど無表情であったものの、目の奥には戸惑いの色が強く浮かんでいた。
「我々人形と違って、人間は模倣ではない、純粋な感情を有しているはず。だが、先ほどの依頼者は、私が観察する限り、本来の悲しみや落胆を表情に示していなかった。私の見間違いだろうか?」
「見間違いではありません、ケイリー。依頼者は、望んだ通りの結果を得ていましたから。破損時に菌糸漏れを起こす自動人形も、詳細を聞かず死亡診断書を作成する医師も、今の社会においては敢えて依頼しないかぎり得られない存在です。」
日常的に介助が必要なまでに年老いた親が居たとしても、仕事の時間を割いて世話し続けられるほど生活に余裕のある人間ばかりではない。
よほどの富裕層でもない限り家事に専念していられる立場は得られないだろうし、独身であればなおさらだ。自動人形による介助サービスを依頼したとしても、支払い続ける料金は重い負担だろう。
「それに、肉親であれば必ず情愛の念で繋がっているというわけでもありません。幼少期から生活空間を共にしてきた相手であればこそ、嫌悪の対象ともなり得ます。」
「そういうものなのか……リーピは人間のことをよく知っているんだな。」
「様々な依頼内容を目にしてきましたので。」
今回の件においても、腹を立てたらすぐ暴力を振るう父親の癖を把握しているからこそ、依頼者の中年女性はこの状況を作り出せたのだろう。
老人の死によって、その娘は多少なりと生活苦を脱し、そして長年の精神的苦痛から解放されたのだ。
間接的な殺意を見出せれば警察の捜査対象ともなり得る一件であったが、リーピはこれ以上の詮索を行わないのが望ましいと判断していた。そも、余計な詮索が入らないと期待できるからこそ、警察ではなく探命事務所に依頼が来ているのだ。
昼下がりの生ぬるい風が倉庫に挟まれた路地を吹き抜け、両名の身体に残留していた薬剤の粉を徐々に吹き払っていく。
人形が人間を模倣したに過ぎない振る舞いながら、リーピは気分を変えるかのごとく声色を明るくして口を開いた。
「……さて、ケイリー。今日は事務所に帰って着替えるとして、明日は本屋にでも行きましょうか。事務所内の本棚も、仕事に用いる資料ファイルばかりで埋めていては味気ないでしょう。」
「しかし娯楽用の書籍を入れるのはいかがなものだろう、依頼者からの信頼は揺らがないだろうか?」
「僕らが自動人形であるにもかかわらず読書の趣味を示していることは、むしろ信頼につながると思われます。人間らしい事情を優先できる前提での依頼は、今後も舞い込んでくるでしょうから。」
それは事務所を訪れる顧客からの印象を操作することに尽きるだけの提案ではなかった。
リーピには理解できても、ケイリーには理解できないことが残されたままであることは、出来れば解消されるべき状況であった。依頼遂行の円滑さのためばかりではなく、リーピはケイリーと共有できる感情を欲していたのだ。
人間の模倣に過ぎない感情でありながら、本物の人間が有する感情と遜色なく、繊細かつ根源的なレベルで理解できるほどにリーピは優れた思考回路を有していた。
自動人形の頭脳を埋め尽くしている、神経系へと分化した菌糸が抱くうえでは、重荷に過ぎる思考処理でもあった。




