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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
不審の探求に覗かれる兆し
49/50

依頼21:警邏隊備蓄庫における滅菌剤識別作業 1/2

 作業用自動人形に変装したリーピとケイリーが製剤会社内部を密かに調査したことについては、その後の各企業の動きを窺うにつけても露見の恐れはなかった。


 製剤会社からは、ガリティス市長の訪問を受けて不良品の存在を認め謝罪、および生産体制の改善を確約する声明が発表された。並行して市長自身も製剤会社の対応に感謝を表明していたが、実態は既に従業員が全滅していた製剤会社内部を市長一派が乗っ取ったのだから、盛大な自演に過ぎない。


 一方、リーピとケイリーの調査を通じてそんな実態を知っている自動人形メーカー、ロターク社はすぐさまに真相を突きつけ糾弾するような振る舞いを控えていた。


 情報を獲得した手段について探られることを防ぐ目的もあり、また製剤会社から供給される滅菌剤の品質が保証されること自体は歓迎すべき事態には違いなかったためだ。今回の件に水を差すことは、自分たちの得にはならないと判断したのだろう。


 ただ、時を同じくしてロターク社は、自社内で菌糸制御用に生産している粘液タイプの滅菌剤を一般販売開始する旨について広告を出していた。


 新聞の隅に小さく載せられた広告の、老眼の人間にはとても読めないような細かな字を見つめつつ、リーピは呟く。


「本来は、こんな小さなサイズで掲載するはずではなかった広告だと思われます。粘液タイプ滅菌剤の広告に、紙面上で割り当てられる面積が制限されたのは、白粉タイプの滅菌剤供給を行っている製剤会社からの圧力が新聞社にかけられたためではないでしょうか。」


「製剤会社というより、実質的に支配しているガリティス市長の意向と言えるだろうがな。何にせよ、これまで広く普及してきた白粉タイプの滅菌剤が取って代わられる兆しは無さそうだ。」


 新聞紙を広げているリーピを、彼が座っている椅子ごと移動させ、箒を手に床を掃いているケイリーが答えた。


 入り口のシャッターを開けたばかりの、朝の探命事務所。


 いつも通りの光景であったが、心なしかリーピもケイリーも身体の動きが軽やかであった。自動人形である両名には“気のせい”など無く、モースによって念入りにメンテナンスされた身体パーツを装着しているおかげだった。


「いかに表向きは円滑に問題解決が為されたようであっても、僕らの調査結果においては今後、製剤会社から供給される滅菌剤の品質が改善される可能性は低いと判断できます。何しろ、薬剤の生産ノウハウが完全に失われた後で、薬品供給においては素人同然の市長一派が現場を引き継いでいるのですから。」


「そのことも鑑みて、ロターク社はこれまで社内でしか使用してこなかった粘液タイプの滅菌剤を、一般販売する決断を下したのだろうな。今後、白粉タイプと粘液タイプ、どちらの品質が信頼されるようになるのかについては、世間からの評が固まるのを待つしかないといったところか。」


 新聞を掲げているリーピを、またも椅子ごとヒョイッと持ち上げ、ケイリーは彼を事務机の前に戻してやりながら喋った。


 そもそも、滅菌剤として本質的に高い効果を発揮するのは、粘液タイプの薬剤である。


 菌糸を培養して思考回路や駆動系を製造している自動人形メーカーが、菌糸制御の必要性に応じて自ら開発した薬品なのだ。水分を吸収するという菌糸の性質に沿って内部まで浸透させ、菌の細胞膜を破壊し内部の化学構成を変質させ、確実に枯死に至らせる。菌糸の全てを知り尽くしている企業だからこそ開発できた代物であった。


 一方で、白粉タイプの滅菌剤は、外部の民間企業が開発したものである。


 こちらは菌糸が乾燥に弱く、水分が尽きれば枯死するという生態を利用した、いわば間接的な滅菌手段だ。散布することで強烈な脱水効果を発揮し、菌糸が繁殖困難となる環境を作り出すことで菌糸漏洩に対処する。むろん、菌類の細胞膜を破損させる成分も含んではいるが、粘液タイプと比べれば薬効自体は低い。


 各地の自治体で白粉タイプが広く採用されたのは、粘液タイプが散布現場の埃を吸着させて外観を汚してしまうため厭われただけでなく、白粉タイプが散布行為をわかりやすく示し“仕事した感”を出しやすいこと、という行政上の都合が優先された結果にすぎなかった。


 事務机前に戻ってきたリーピは、あらためてデスク上に新聞記事を広げて置きながら言う。


「ことの本質に立ち戻れば、滅菌剤の供給が求められること自体、許容されるべき環境ではありません。人間社会の日常生活で運用される自動人形は、内部の菌糸が漏洩する可能性が皆無であるべきです。滅菌剤が供給されなければ安全な生活が保障されない社会は、すなわち菌糸漏洩が日常的に発生する前提の上に成り立っています。」


「まさに、この街のように、だな。正規メーカーの製品を、廃棄のたびにメーカーへ返品せず、非正規の業者に解体させて組み立て直され、格安の自動人形販売される。そんな人形が増えれば、菌糸漏洩事故の確率も上がって当然だ……だからこそ滅菌剤を生産する企業も利益を上げ続ける、ってところだろうが。」


「ことによっては、滅菌剤の効果が低下したがために、従来よりも多く散布が必要であるとして大量消費が促される事態になるかもしれません。その振る舞いが製剤会社の利益向上につながることは、言うまでもないでしょう。」


 リーピは新聞を畳んでデスクの隅に押しやり、このあまりに非効率的な人間社会の様を思考内に収めようと、暫し宙を見つめて思考を整理している。


 とはいえ、実態は今後の経過を待たない限り確定しない。市長の主導で生産再開された滅菌剤が十分な効能を発揮するかもしれないし、街に巡る資金が豊富となれば非正規に組み立てられる自動人形の品質も上がり、菌糸漏洩の事案も減少するかもしれない。


 いかに合理的な思考を有していようとも、将来を予測できないのが人間社会というものであった。


―――――


 何事も無ければ休日となるところであったが、その日は朝から一本の依頼の通話が入った。


「警邏隊のトロンドです。お手伝いいただきたい作業があるのですが、警邏隊詰め所まで来られますか?他所への移動は伴わない依頼です。」


 無駄な前置きを述べず、端的に本題を切り出す話者はやはり警邏隊所属の彼女であった。


「承りました。直ちにケイリーと共に向かいます。」


 リーピも必要な返答だけを述べ、通話を切って即座に作業服を着こみ、事務所を発つ。


 警邏隊詰め所は、街の中心部からやや外れた位置、警察本部の大きな建物の影となる路地に面している。


 応援要請があれば街のいずこにでも急行できるように道路アクセスこそ良かったが、もとより薄暗い路地に物々しい装備を身につけた警邏隊員が常に往来しているため、好きこのんで近づく一般市民は居ない。


 リーピとケイリーも、今まで警邏隊と共に依頼をこなすことこそあれど、彼らの拠点となる詰め所そのものに足を踏み入れるのは初めてであった。


 報せておいた到着予定時刻通り、入り口で直立して待っていたトロンドに案内され、建物内へ入っていく。周囲を見回しながらリーピは言う。


「警察本部と比べるとこじんまりとして見えますが、内部は意外と広々しているのですね。」


「あちらの本部が無駄に大きすぎるだけです。ここでは隊員たちが装備品を揃えて装着したり、場合によっては怪我人や確保された現行犯を一時預かる必要があるため、スペースには常に余剰が生じるよう床面積が確保されています。」


 淡々と答えつつトロンドはスタスタと歩き、リーピとケイリーを詰め所の奥へと案内する。


 建物自体は災害発生時にも耐えうる堅牢性に特化した構造を示して、灰色のゴツゴツとした建材がむき出しの無骨な印象であった。


 起きるべきではないが暴動発生時にも対応可能なように、エントランスの門から内側にも幾重もの隔離扉が設けられ、建物内の通路はいくら進んでも代わり映えのない光景のまま分岐や屈曲、階層移動を繰り返している。内部の立体的構造を把握できぬ者が無断で入り込んでも、方向感覚を容易く喪失し迷ってしまうだろう。


 隊員の殆どが自動人形で占められている以上、人間向けの居住性や快適さを考慮する必要などなく、出動準備や待機さえ可能であれば良い。トロンドやフィリック隊長のように、人間の身で警邏隊に属する者たちは、この詰め所で長期間を過ごせるだけの適応力も求められた。


 そんな詰め所の奥部へと案内されたリーピ達がたどり着いたのは、頑丈な金属扉で隔てられた倉庫の一室であった。内部の様相を指さしつつトロンドは告げる。


「こちらは、滅菌剤の備蓄庫です。あなたがたに手伝っていただきたいのは、滅菌剤充填容器に識別用マークを書き込むことです。」


「膨大な量の備蓄ですね。これらについて、何を識別するのです?」


「不良品か、そうでないかの識別です。より正確に言えば、容器に記されたシリアルナンバーを読み取り、製剤会社にて不良品が確認されて以降の商品か否かを確認することです。」


 トロンドの説明は簡便な内容であったが、リーピとケイリーは事情をすぐに察して頷いた。


 製剤会社から供給された滅菌剤は、かつては一切の問題なく作用していたのだ。すなわち、不良品が確認される以前に生産された物については効能を信頼して使用できる。


 状況をややこしくしていたのは、不良品が発見された後も製剤会社は供給を自粛せず製品回収もせず、そして市長が製剤会社へ向かった後も同じ外見の容器に充填されて供給が続けられたことだ。これでは、製造された時期によって全く信頼性が異なるというのに、ぱっと見では不良品か否かの区別が出来ない。


 製剤会社、もとい今はそれを牛耳っている市長は、わざわざ区別する必要など無いとの主張を有しているであろうが……文字通りに命が掛かっている現場の人間としては、滅菌剤の信頼性はより厳格に識別されるべきであった。


 現在、滅菌剤の貯蔵庫内では、どうにか通常警邏任務の合間に時間が取れたのであろう、自動人形の隊員が数名のみ作業台前に座っている。


 彼らはペンキを付けたブラシを手にして、滅菌剤のボンベを一本一本確認し、シリアルナンバーを読み取っては印をつけるという気の遠くなるような作業を律儀に続けていた。


 彼らを示しながらトロンドは言う。


「警邏隊内部でも、この作業を進められる限り続行しているのですが、なにぶん本来必要とされない作業ですので手が空いている時にしか従事できないのです。あの隊員たちも、間もなく定時巡回のために出動しなければなりません。」


「事情は理解しました。時間を要する作業である上に、警察上層部の意向に沿っていない内容となれば、携われる存在は限られてきますね。僕らにお任せください。」


「お願いします。掛かった時間分の報酬はお支払いします、この場を外す必要がある場合は遠慮なく告げてください。しばらくは私も同じ作業を行いますので、疑問点があれば今の間に伝えてください。」


 間もなく作業台から離れた人形隊員たちと入れ替わり、リーピとケイリーは作業に取り掛かる。


 内容自体は非常にシンプルであった。シリアルナンバーを確認し、製造時期が不良品の確認された日時よりも前であれば「〇」、不良品が出始めて以降の製品には「×」をペンキで大きく塗りつけるだけだ。


 シリアルナンバーさえ確認すれば判断できることとはいえ、急を要する事態では一目で識別可能なマークがあるに越したことはない。自動人形の視覚受容器であってもじっくりと近づけねば読み取れないほど、ナンバーは小さい字で記載されているのだ。


 とはいえ、この作業過程にもひとつの工夫が含まれていることにリーピ達は気付かされた。


 滅菌剤の容器にマークを書きつける作業を始めて間もなく、用意されているペンキ缶の内部に光沢のある細かな粒子が混ぜ込まれている様が見えたのだ。


「トロンドさん、このペンキには、何か不純物が混ざっていませんか?」


「はい、この場で行われた識別作業であることを保証するため、低波長の特殊光を当てると蛍光を発する塗料が混ぜ込まれています。なにぶん、警察上層部は全ての滅菌剤が不良品ではない、との態度を崩していませんので……。」


 そこから先をトロンドは詳しくは伝えなかったが、彼女が警戒している内容は充分に伝わってきた。


 信頼できる滅菌剤は「〇」、不良品は「×」と識別マークを付けて警邏隊が運用している、と知れ渡った場合、市長主導で生産が行われた以降の滅菌剤に悪評がつくことをお偉方は気に入らないだろう。最初からすべて「〇」を付けた状態での供給を命じる可能性もある。


 仮にそのような措置を強要されたとしても、なお識別が機能するようにと二重の対策をトロンドは行っているのだ。


 理想的ではないとはいえ、警察内部をも信頼できない現状の表れであった。


 リーピとケイリーは淡々と命じられた通りの作業を続けていたが、備蓄庫内に保管されている滅菌剤ボンベは数百本に及ぶ。


 すぐに終わるはずもない作業を手元で続けつつも、リーピはトロンドに別件について尋ねた。


「そういえば、フィリック警邏隊長はお元気ですか?以前、アントン氏の葬儀からお帰りになった所をお見かけしたのですが、フィリック隊長は少々やつれたご様子でしたもので、気になっておりまして。」


「ご心配なく、本日も任務に従事なさっておいでです。真面目な方ですので、この滅菌剤に識別マークを書き込む作業にも隊長自ら取り掛かっておいででしたが、倉庫内の作業では気も晴れないでしょうから、今は隊員たちと共に街路の巡回に出ておられます。」


「よかったです。たしかに、この薄暗い中で作業を続けていては、人間は気が滅入ってしまうかもしれませんね。トロンドさんは、大丈夫ですか?」


「私も、つい先ほどまでは外に出ておりましたので。休憩を挟みつつ、こちらの作業を続行しています。……あ、隊長が帰還されたようです。」


 トロンドは顔を上げ、備蓄庫の出口へ視線を向ける。


 間もなく、通路を進んできた足音の主、フィリックが姿を現した。


 以前の喪服を身に纏っていた時とは違い、やはり警邏隊長の制服を着ている姿が似合う。彼が気力を取り戻した今改めて見ても、やはりフィリックは美男子であった。


 単に目鼻立ちが整っているだけではなく、責任感や義理堅さをも覗かせる精悍な顔立ちが、警邏隊長という立場の責任を伴って引き立っているのだ。ケイリーも作業の手をつい止めて、フィリックの顔へぼうっと視線を向けている。


 ……が、フィリックの表情が歪み、彼が鼻と口元を覆うのは直後のことであった。鼻をつまみ、咳き込みながらの声で、フィリックは慌てて告げる。


「かっ、換気を!トロンド、換気扇が動いていません!ペンキを使用する際は忘れないようにと言ったでしょう!」


「あっ……失念していました、すみません。自動人形の隊員たちばかりが作業に従事していましたため……。」


 トロンドは立ち上がり、急ぎ足で部屋の隅へと向かい、換気扇から垂れ下がる紐を引っぱって稼働させている。


 リーピとケイリーは自動人形であったため呼吸の必要が無く、全く気にかけていない状況であった。確かに、人間にとって多量に吸い込むと健康被害を誘発する成分を空中に発するペンキは、密閉空間で扱うべきではない。


 人間であるフィリック隊長が、部屋を覗き込んで即座に口元を覆ったのも、有害物質の充満に匂いで気づいたためである。


「……?」


 だが……リーピとケイリーは、共に同じ疑問点に突き当たり、顔を見合わせた。


 トロンドもまた人間であるはずだというのに、全く支障なく作業を行っていたのだ。今も、作業台の前から立ち上がり、急ぎ足で換気扇の元へ向かったトロンドの足取りは、フラつく様も全く示していない。


 何食わぬ顔で作業を再開しているトロンドの顔色にも、これといって不調の兆候は見いだせない。


 むろんペンキから揮発する成分を吸ったからといって、あらゆる人間が直ちに健康被害を発症するわけではない。トロンドは体質上、化学成分に敏感に反応しないのかもしれない……リーピとケイリーは、一応そう認識することとして、作業を続行した。

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