依頼20:製剤会社内情調査 1/3
束の間の休日を過ごした翌朝。リーピとケイリーは、チャルラット医院へと足を急がせていた。
今回の用件は、単に看護師ディスティからの相談というだけではない。闇医師チャルラット自身からも、急を要する用件として依頼が入ってきたのだ。
チャルラット医院は、相も変わらず手狭な雑居ビルの一室である。今回は来訪者の受付をしているディスティのみならず、チャルラットもまたリーピ達を出迎えていた。
「すんませんな、朝も早ぅからお呼びだてしてしもて。」
「ご依頼があればすぐに駆け付けるのが僕らの仕事ですので。毎度ご贔屓いただきありがとうございます。」
「人形さん相手やないと、安心して話せへんようなことやからね。」
リーピ達との話に集中するためだろう、既にチャルラットはいつも忙しく進めている書類仕事をひと段落終えて、今回の用件について書きまとめたメモ以外は机上を綺麗に片付けていた。
そればかりか、通話機も布で幾重にも巻き、封じているらしかった。通話線を介して特異菌糸が通話機に侵入した件については公になっていなかったはずだが、そもそも混線によって他者に話を盗み聞かれる恐れは普段から想定しているのだろう。
皆がテーブルを挟んで向かい合って座った後、ディスティも入り口に受付終了の札を下げて扉を施錠し、チャルラットの隣に座る。
心なしか、彼女は顔色が悪いようであった。ケイリーはディスティの状態を分析するにおいて情報不足を見出したが、ともあれ現状全体を把握する方が優先である。
チャルラットは間を置かず喋り始めた。
「順を追って話させてもらいますわ。まず、事の始めは、俺が市長さんに呼び出されたところからですねん。呼び出し、言ぅても、医者としての仕事を頼むっちゅう建前ですけどね。」
「その時点で、奇妙な話ではあります。市長さんであれば、総合病院に勤務する医師を呼びつけるぐらいのことは出来そうなものを……チャルラットさんに失礼かもしれませんが。」
「かまいませんて、普通こんな闇医者を、市長さんみたいなお偉いさんが呼ぶわけあらへんってのは、ホンマのことですから。もちろん、そん時も頼まれたんは治療やなくって、死亡診断書を作成する仕事です……市長さんの奥さんの話、ご存知です?」
知っているも何も、その件はつい先日、リーピとケイリーが市長邸宅で実際に確認した一件である。
市長夫人は特異菌糸に感染しており、体内組織がことごとく菌糸に置き換わっていたのだ。すなわち、既に人間としては死亡し、菌糸の構築した思考回路が市長夫人としての振る舞いを模倣するのみの存在と化していた。
おそらくは、アントンの花屋が健在だった時、そこで市長夫人が購入した鉢植えの土壌を介し、特異菌糸に感染したものと思われる一件であった。
リーピは頷き、チャルラットに返答する。
「存じております、他でもない、僕とケイリーが市長の孫娘さんから依頼を受け、調査を行った一件です。市長夫人は特異菌糸に感染しており、既に正常な人体ではなくなっていました。公には報道されないままではありますが、チャルラット先生は市長夫人の死亡診断書を作成せよと命じられたのでしょう?」
「あぁ、ほな、話は早いわ。まぁ要するに、市長夫人が菌糸に感染して亡くなりはったやなんて、しかもよりによって市長のお屋敷の中でって……大っぴらに出来るわけあらへんっちゅうことですわ。結局、経歴に傷がつくことも気にならへん医師、ついでに市長からの命令に絶対逆らわん医師として、俺に白羽の矢が立ったっちゅう話ですねん。」
いちおうは正式な医師免許を有しているからこそ、チャルラットは死亡診断書を作成することだけを専門とする闇医師として仕事を続けられている。
免許を剥奪されずにいるという状態が、そのまま首枷となり市長に手綱を握られているも同然なのだ。
チャルラットは引き続き口を開く。本題は、その先にあった。
「まぁ、俺に関しては、そもそも市長さんに逆らわず言うこと聞いてたら済む話ですけどね。気になったんは、そん時にディスティさんを連れてこい、って注文をつけられた件です。」
「連れてこい、というのは、市長さん自らの指示ですか?」
「そうです。ディスティさんの身の上もありますから、ウチで看護師として雇ってるっちゅう話は外に持ち出さんようにしてたんですけどねぇ……まぁ、ウチに来るお客さんの誰かから、市長が聞きだしたっちゅうのが妥当なところやと思います。」
話すチャルラットの傍らで、ディスティは黙って俯き続けている。
ディスティの両親は、この街の市議会議員秘書を務めていた人物であった。架空の道路拡張工事をでっちあげてアントンの店舗へ立ち退き指示を出し、自分たちの親族が出店するための便宜を図った。後に、その不正を問われ、街を追われたプロタゴ氏とアリシア氏の両名である。
独り置いていかれ、身寄りが無くなったディスティは市長邸宅にて使用人として働いていた。が、自動人形メーカー本社からの重要通達を揉み消そうとした市長の画策に利用され、重要書類を紛失したとの口実で屋敷を追い出されたのだ。
その後、路上で衰弱していたところをリーピとケイリーに助けられ、チャルラット医院に担ぎ込まれたディスティ。当然ながら、彼女は自分の両親と会うことや、市長邸宅に戻ることを望むはずもない。
眉間に小皺を寄せながら、チャルラットは話を続ける。
「ディスティさんも事務仕事があるからっちゅうて、俺も連れてくのは一旦渋ったんですけどね。そしたら市長さんが医師免許の剥奪をチラつかせてきたもんで、これは本気やっちゅうことで断られへんかったんですわ。」
「本来の目的は、市長夫人の死を秘匿したまま処理することでしょうから、チャルラット先生だけが来れば済むというのに……それほどまでにして、ディスティさんを連れて来させた理由は、何なのでしょうか。」
「こっから先は、ディスティさん自身に喋ってもろて宜しいですか?俺も仕事中はディスティさんと引き離されて、直接は話を聞かされてないんですわ。」
チャルラットはサラッと言いつつも、視線はディスティを気遣うように見つめていた。
当のディスティは、俯き続けてはいたものの、それは気落ちしているためばかりではなかったらしい。むしろ積極的に、自分が告げるべき内容を整理していたものと思われた。
チャルラットから喋りを譲られてすぐ、ディスティは口を開く。
「私が市長から確認されたのは、以前、お屋敷から追い出された際、私が紛失したことになっている書類の件です。」
「自動人形メーカーであるロターク本社から、製品回収指示について記載された書類でしたね。市長はそれを無視するため、屋敷の使用人であるディスティさんが紛失したという体裁を取っていました。」
「えぇ、まさにその書類です……市長は昨日、私を呼び寄せた際……自動人形メーカーから届いていた書類は、確実に紛失したかと、繰り返し問われました。」
「はい?」
リーピは思わず聞き返していた。ケイリーは隣で眉根を顰めている。いずれも自動人形には不必要な振る舞いであったが、この場においては人間の情動の模倣が自然とあらわれていた。
ディスティの言を傍らで聞いていたチャルラットも、市長の器の小ささに呆れかえるかのように、首を小さく横に振りながら額に手を当てている。
街のトップに立つ人間の言動としては、あまりに見下げ果てたものであった。
現時点で存在していては困る書類が、確かに無くなっているか否か、市長は今さらになって不安になってきているのだ。それも、市長自身が責を負わずに済ませるため、でっちあげた失態を擦り付けて追い出した使用人をわざわざ呼び出しての確認である。
もはやディスティは市長に対してわざわざ抱く感情も無いのか、淡々と語るのみであった。
「私は、『確かに紛失しました、例の書類は手元にありません。』とのみ答えました。それは事実ですから。あの書類を私は所持していませんし、この医院内にも保管されていません。」
「確かに、返答内容は正確ですね、現在あの書類は、僕らの事務所内で厳重にお預かりしておりますので。」
書類紛失の責を負わせるという体裁で市長邸宅を追い出されたディスティは、最後の抵抗として件の書類を処分することなく、自分の肌着の下に押し込んで持ち出していた。濡れ衣を着せられるぐらいなら、罪を実際のものとする捨て身の行為である。
その後ディスティがチャルラット医院に運び込まれた際の手当中に書類は発見され、リーピとケイリーはそれを探命事務所に持ち帰っていた。
「おそらく市長は、菌糸感染被害が目に見えて増えつつある現状に際し、自動人形メーカーであるロターク本社に責を問うことも視野に入れているのでしょう。」
「だが、ロターク本社から事前に製品回収指示が出されていたにもかかわらず市長が無視した結果、感染が広がったとなれば……責を問う声は市長自らに跳ね返ってくることにもなり得る。ディスティが紛失したことになっている書類の存在が、市長にとっては決定的な弱みになるだろうな。」
リーピに続いて、ケイリーも言葉を重ねた。
ロターク本社からの回収指示を市長が無視したことが公となれば、無視した理由についても話は広がるだろう。この街が、自動人形の廃棄時にメーカー正規の手順に則って返品せず、解体して組み立て直し、非正規に販売して利益を得ていることについても問題視されるはずだ。
むろん正規の手順に則って自動人形が廃棄されない街だからこそ、リーピとケイリーは雇い主の元から離れた現在も、独立して仕事を続けられているわけだが……特異菌糸漏洩が発生している現状を鑑みれば、市長の判断に褒められる点は見いだせない。
ディスティはそれ以上詳しくは語らなかったが、リーピは彼女が確認したかった事項を推測し、あらためて答えた。
「ご安心ください、自動人形メーカー本社からの製品回収指示を記載した書類は、現在も保管されています。必要な状況となれば、すぐさまお持ちいたします。」
「ありがとうございます。でも、今回お頼みしたいのは、その書類の件ではないのです。」
そこから先を喋ろうとするディスティの目に、ようやく感情らしいものが浮かび上がった。
器の小さい市長の件よりも、よほど重要な話なのだろう。いつも人生に疲れたように細めている彼女の目の内には、僅かな恐怖も混じった不安が浮かんでいるようであった。
「私の両親のことです。」
「プロタゴ氏と、アリシア氏、でしたね。確か、議員秘書の座を追われた今は、滅菌剤メーカーである製剤会社の非常勤参事として勤めていらっしゃる、とか。」
「えぇ、そのはずではありますが……これも市長が私に告げた話なんですが、既に私はチャルラット先生以外に頼れる先の無い状態、だそうです。」
言い換えれば、ディスティは両親に頼れない状態だ、ということでもある。
かなり遠回しな表現ではあったが、市長はディスティが隠し事をせぬよう追い詰めたつもりだったのだろう。
そもそもディスティは自分を見捨てて街から逃げ出した両親を嫌っており、今さら頼ろうとはしないだろうが、市長にはそんな彼女の胸中を察することなど出来まい。両親が一大企業である製剤会社の役員であるとなれば、ディスティはそれを後ろ盾として利用しようとするはずだ……とでも思っているのだろう。
リーピとケイリーは互いに目を見合わせ、それぞれの推察を述べた。
「なぜ、そのような断言が可能なのでしょう。市長は、プロタゴ氏とアリシア氏に対し、ディスティさんの保護を行わぬよう指示したのでしょうか。」
「彼らがそんな指示に従うだろうか?彼らの人格はさておき、既に大企業の重役ポストに落ち着いた今となっては、一介の市長の言いなりになる理由もないだろう。」
ケイリーの発言には、チャルラットも頷いている。
長年、人命よりも経済を優先する街で闇医師として働いてきた彼には、資産を有している人間たちの思考は容易に察せるものであった。
「金払いで言うこと聞かすっちゅう手が使われへん以上、確実に思い通りにできる手段はそうそう残されてへんわ。プロタゴさんとアリシアさん、もう死んではるんとちゃいますか。」
「いくらあの市長とはいえ、自身の意を通すためだけに人死にを出すような真似をするでしょうか。露呈時のリスクがあまりに大きすぎます。」
「そら意図的に死なせたらあきませんけど、既に死んでた、っちゅうことなら話は別でっせ。」
むろん、そう言うチャルラットの憶測には何らの根拠もないが、長らく裏社会の人間たちを相手してきた彼の言には妙な説得力があった。
仮にプロタゴとアリシアが死んでいたとしたら、その原因も気になる所である。文字通りに天涯孤独の身となってしまった、ディスティの身の上も。
しかし、ディスティは全く別種の不安を抱いているようであった。
「そんなことよりも懸念されるのは、私の両親が居た製剤会社内部の状況です。覚えていらっしゃいますか……以前、リーピさんとケイリーさんは、私の両親に直接会われましたよね。」
「えぇ、アントン氏の店舗における菌糸汚染状況の調査を報告する際に。ディスティさんからお聞きしていた評判とは裏腹に、随分とお優しい方たちであるとの印象を記憶しております。」
「本来の私の両親は、自動人形に対し、丁寧な振る舞いを示す人間ではありません。あの時点で既に、菌糸に汚染され、本来の人格が消えていたのではないかと私は考えています。そんな両親が製剤会社内部で自由に振舞った結果、製剤会社の社員さんたちに菌糸汚染が広がったのではないかと……。」
リーピとケイリーは、重大な事態へと繋がる推測の入り口を、ようやく見出した。
全く想定に無い推測の繋がりを見出す能力は、どうしても人間に劣るところであった。
アントンの店舗乗っ取りを画策したプロタゴとアリシアが菌糸に汚染する機会があるとするならば、それはアントンの花屋にて働かせるため送り込んだ自動人形、スクルタを経由してのことである。
スクルタは、あの時すでに特異菌糸に感染していたアントンの判断で、一旦修理に出されている。もちろんアントンの店舗で菌糸汚染が発生しなければ困る面々が実際に修理を許すはずもなく、整備士に扮した監視役の男たちがスクルタを修理するという形だけ作るために連れて行ったのだ。
スクルタの身体に直接触れていた監視役の面々が特異菌糸に感染、さらに彼らが報告を行う際にプロタゴ氏とアリシア氏へも感染したとなれば、そのまま特異菌糸の感染が製剤会社内部に人知れず拡大した可能性もあり得る。
通常の菌糸と違い、自主的に思考回路を構築可能な特異菌糸は、発症を悟られることなく感染を広げる。感染後は、人体内の水分と養分が枯渇するまでの短期間のみ活動し、数日の後、肉体維持の限界が来て崩壊するものの……感染者が理性を喪失した振る舞いを示す既存菌糸よりも遥かに、特異菌糸の罹患者か否かの識別は困難である。
最悪の推測が当たっていた場合、感染拡大の認識や隔離が完全に後手に回り、製剤会社内部は壊滅している恐れもある。現在の製剤会社内部には、かつて人体だった残骸が多数残されているばかりではなかろうか。
思考を整理し終えたリーピは口を開いた。
「……製剤会社内部で特異菌糸の感染が蔓延していたとなれば、生産される滅菌剤が不良品ばかりになってしまった理由も見出されるかもしれません。既に製剤会社内部の人間たちは軒並み死亡しており、自動生産ラインだけが動いている状態となっている恐れもあります。」
「だとすれば、犠牲者の量は尋常ではないだろうに、惨事の報道は全く為されていない。そんな異常事態に誰も気づかないということがあり得るのか?そもそも、この街の市長が公的に製剤会社へと生産体制の改善を勧告するため、直々に向かったはずではないのか。」
「この街の市長さんの性格、ご存知ですやろ。もしも、製剤会社の中にボロボロの死体の残骸ばかりが残ってて、全国シェアを誇る、需要も尽きることがない滅菌剤の生産ラインだけが目の前にあったら……何を思いつきはるやろなぁ。」
リーピとケイリーの発言に、割って入るチャルラット。
確かに、あの人命より経済を優先する市長が、製剤会社における惨状を正確に世間へ公表するとは思えない。そんなものよりも、彼の思惑を動かすのは、莫大な利益を生み出し得る滅菌剤の生産ラインである。
自動人形をはじめとした菌糸技術が不可欠な現代社会において、競合他社も事実上存在しない製剤会社。滅菌剤を独占販売することは、巨万の富に直結する。
市長は政治家であり、製剤については素人そのものであるが、自身の言いなりとなる研究者を出自問わずかき集めてでも、滅菌剤の生産を自らの下で行わせるだろう。他の研究機関や企業を通さず、自分の懐に入ってくる利益だけを求めて。
自身の懸念がようやく伝わったのを見越したように、ディスティは改めて告げた。
「これから先、世間に供給される滅菌剤が、品質の保証されないものとなることは想像に難くありません。リーピさんとケイリーさんには、現在の製剤会社の内部状況を確かめてもらいたいのです。」
「依頼とあれば手は尽くします、確かに社会全体における菌糸感染危機に繋がりかねない状況でもありますので。しかし今回ばかりは、真相に辿りつくことが難しいかもしれません。」
「すべてを白日の下に出来ずとも構いません、リーピさんとケイリーさんが危険な目に遭いかねないなら即撤収してください。僅かな情報の断片だけでも調査依頼報酬はお支払いします。ただ……誰も気付かず、誰も状況を止めに入らないままでは、いずれ致命的な事態に陥りかねませんから。」
そう語るディスティの眼差しには、やはり感情の欠片が覗かれていた。
理屈の上でも、確かに野放しにすべき事態ではない。憶測のまま放っておかず、事実として確認すべき件でもある。
が、それ以上に、私腹を肥やすことを最優先に判断する市長に対し、数多の人生を狂わせ続けてきた罪を贖わせるべきだとの信念が、ディスティの胸中には強く抱かれているようであった。
もうひとつ気がかりなことがあったリーピは、チャルラットにも話を振った。
「チャルラット先生は、今回の調査をディスティさんの依頼として実行することについて、賛同していただけるのですか?調査結果次第では、市長の意に真っ向から反することになりかねませんが。」
「構いません。そもそも、リーピさんとケイリーさんは、依頼者の情報漏らしたりせぇへんのでしょ?まぁ、バレたらバレたで、えぇですけど。いいかげん、あの市長の言いなりになり続けんのも飽きましたし。」
医師免許を有していること、言うなれば自身の生活そのものを質にとられる形で、どれだけ不本意な仕事でも黙々と引き受け続けてきたチャルラット。
生き続けるために稼ぐだけであれば、従順でありさえすれば良いのだが……人形同然に指示に従い続ける以外の道を見出すのは、意志を有する人間だけが至り得る結論であった。




