依頼19:市長夫人の身体異常を調査
これで三度目の訪問となる市長邸宅は、相変わらず豪奢な装いであった。
庭園の隅々から邸内に至るまで隙なく調度品や装飾が備えられ、常に誰かしら使用人たちが手入れや清掃に立ち働いているため、広大な敷地面積から賑わいが消えることはない。
フィンク議員邸やロターク本社も大型建築という点では負けていなかったが、多少殺風景なそれらと内装を比べれば、市長邸宅は殊に華美な印象を見る者に抱かせた。
今回は、大人に頼らず自分の意思で探命事務所に依頼を出したという自負があるためだろう、幼いプルスが玄関口でリーピとケイリーを出迎えた。
背後に執事を従え、小柄ながらも腰に両手を当てて堂々と胸を張り、事前に幾度か練習したのだろう口上を述べる幼女の姿は、それなりに威厳のようなものを備えていた。
「あら、いがいと、はやく来たのね。いま、お茶をいれるようにめいじた、ところなの。待たせるのもわるいから、おかまいなく、どうぞあがっていらっしゃい。」
「これは、プルスお嬢様みずからのお出迎え、恐れ入ります。せっかくのお茶のご用意ですが、僕ら自動人形は飲料を摂取することはありませんので、どうかお気遣いなく。」
「わかってるわよ。きまりもんく、ってやつだから。」
リーピからの理屈っぽい返答に対してもきっちりと言い返し、スタスタと屋敷の中へ入っていくプルス。小さな足は歩幅も狭いながらせかせかと、来客がついてくるか否かなどお構いなしに、あっという間に屋内へと姿を消してしまった。
彼女の背後に控えていた執事が申し訳なさげに頭を下げ、リーピとケイリーを応接間まで案内した。
応接間のテーブルには、きっとプルス自らが主な楽しみとして使用人たちに用意させたのだろう、焼き菓子やケーキの皿が綺麗に並べられ、茶を注がれたカップが芳香の湯気を立てていた。
いかに市長の孫娘とて、邸宅へと来客がある時でもなければ、これだけの甘味とともに朝のティータイムを楽しむこともできないと思われる。更に今回の来客は、飲食を行わない自動人形であるリーピとケイリーであり、テーブル上の甘味は全てプルスが独占できる状況となっている。
客が着席するのを待つことなく、既にムシャムシャと焼き菓子をむさぼっているプルスの姿を見るに、彼女が探命事務所に依頼を出した主な目的はこのティータイムではあるまいかとも思われた。
当のプルスとしては、それでも正式に探命事務所への依頼を行うという体は崩すつもりはないらしい。
「さっき、つうわで、はなしたこと、おぼえてる?わたしの、おばあちゃん。ちょっと、ようすがへんなの。」
「はい、確か今回は、その件でお呼びいただきましたね。それで、お祖母さまの様子というのは、具体的にどのように変なのでしょうか?」
「どのように、って……へんなのは、へん、としか、いいようがないわ。あなたたちが、じっさいに、かくにんしなさいよ。」
リーピの質問に対し、プルスはそれだけ言い放ち、焼き菓子の欠片がついた口元をもぐもぐさせつつ、湯気の立つティーカップから甘いミルクティーを啜っている。
現時点でプルスから直接聞き取れる用件は以上、らしい。
リーピはケイリーと目を合わせ、ついで部屋の隅に立っていた執事とも目を合わせた。相変わらず、執事は申し訳なさげに頭を下げるのみである。
斯くして、リーピとケイリーは応接間に通されて数秒のみ着席しただけで、即座に立って調査に向かうこととなった。調査目標はプルスの祖母、すなわち市長夫人となる。
「……では、お祖母さまのご様子を確認してまいります。只今、お祖母さまはお屋敷にいらっしゃるのですか?」
「えぇ、いまごろは、自分のへやで、しんぶんよんでるわ。きちんと、しらべてきて。あなたたちには、きたいしてるわ!」
祖父である市長に似て、声の威勢だけは良いまま客にはもはや目を向けていないプルスに見送られ、リーピとケイリーは応接間を出る。
むろん、市長夫人の私室へと案内するのは、すでに状況を弁えている執事である。
廊下を進み、応接間へと声の届かないあたりまで来たところで、執事はボソッと口を開く。
「……何となくお察しかもしれませんが、このところお嬢様は甘い菓子や飲料を殊に好んでお召し上がりになるのです。健康上の問題も懸念されますのでお止めしたくとも、市長は孫娘可愛さに注意もなさらないものですから。」
「僕は人医ではないので厳密な判断は下しかねますが、良質な栄養を欲するのは人間のみならず生命体として正常な反応だと考えられます。過剰になれば、自然と食べ飽きるものではないでしょうか。」
「過剰であってもお構いなしに食べ続けてしまうのが、人間というものなんですよ。」
予想できたことではあったろうが自動人形であるリーピからの助言は役に立たず、執事は丁寧な口調こそ崩さぬまま、弱り果てたように頭を掻いてボヤくのみであった。
仮に市長夫人の身に些細な異変が起きたとしても、執事や使用人がそれに気付けていないのは、わがままお嬢様であるプルスの面倒を見ることに忙殺され続けているかもしれない……と、リーピは推察した。
執事の案内で到着した市長夫人の部屋は屋敷の二階である。
この部屋の構造自体も夫人の好みに合わせるように作られたものらしく、大きな出窓からは豊富に取り込まれる日光が降り注ぎ、窓外には屋敷の庭園をすぐ見下ろせるようになっていた。
草花の手入れをするのも、市長夫人の趣味らしい。リーピとケイリーが部屋に入ってきたとき、窓際のプランターに向かっていた彼女は液体肥料の容器を手にしていた。
開きっぱなしになっていたドアを執事がノックする音に振り返った市長夫人は、リーピとケイリーの姿を見て顔をほころばせた。
「あらまぁ、こないだのお買い物にお付き合いいただいた自動人形さんたちじゃないの。今日は、遊びに来てくれたのかしら。」
「いえ、本日はプルスさんから依頼を引き受けまして、このお屋敷にお招きいただいた次第です。」
「あの子ったら、通話機でお話しするのが大人っぽいと思っているのか、最近はほうぼうに通話を掛けているのよ。ごめんなさいね、子供の気まぐれにつきあわせてしまって。」
市長夫人は微笑みつつ、窓辺を離れてソファに腰掛ける。
彼女からすすめられるままにリーピとケイリーもテーブルを挟んで向かい合うソファに腰を下ろし、一応の本題となる会話に入った。
「今回、プルスさんから依頼のあった調査というのは、他でもない、奥様ご自身についてです。」
「あら、私のこと?いったい何かしら。」
「申し訳ありませんが、詳細についてはプルスさんからも説明が無いのです。ただ『おばあちゃんの様子が変』だとのみ伝えられております。」
「これまた、私自身が心当たりを探すのに時間がかかりそうな調査ね。」
市長夫人は困り顔を作って言いつつも、やはり孫娘の思いつきを可愛らしく感じているためか、口元は微笑みながら考えこみはじめた。
リーピとケイリーも、彼女の助けになるヒントを得られないかと部屋の中を見渡し始める。
すぐにリーピは、ある気付きを口にした。
「あの屋内用給水タンクは、最近置かれたものでしょうか。他の家具に比べて、かなり新しい印象を受けます。」
「そうね、部屋の中でも鉢植えに水やりできるように、つい先日置かせたものよ。……あ、もしかすると、プルスが気にしてるのは、このことかしら。」
テーブルや書棚、クローゼットといった他の家具が経年による深みを感じさせる色味であるのに対し、樹脂製の屋内用給水タンクはくすみのない白のボディと鮮やかな青色のキャップが眩しく、その真新しさは確かに異質である。
その傍らにはジョウロも置かれており、市長夫人はこれを用いて室内の鉢植えやプランターの世話を行っているらしかった。
「もともと、私は庭でお花のお世話をするのが趣味だったのだけれどねぇ。やっぱり歳なものだから、最近は二階と庭を行き来するのも足腰がつらくって。」
「なるほど、それで室内でもご趣味を堪能できるように、給水タンクや液体肥料の備蓄などをお部屋に置かれているのですね。」
「以前はプルスが庭で遊んでいる間、私が庭園の水やりをしているのが日課のようになっていたのだけれど……今は部屋の窓からプルスの様子を見下ろしていることの方が多くなってしまったわ。あの子も、ちょっと寂しかったのかもしれないわね。」
人間が老いることを、幼いプルスが同じ人間であるからと理解しているわけではない。老化の概念とは無縁な自動人形たるリーピとケイリーも、知識が無ければ今しがた市長夫人が語った内容を理解できなかっただろう。
普段から身体を動かしていなければ、老化による筋力低下は避け難く、階段を行き来することも困難となってしまう。
庭に出てくることが少なくなり、遊び相手になってくれなくなった祖母の振る舞いを、プルスは不審がると同時に寂しく感じていたのだろう。
「けれど、身体を動かさなくっちゃ、ますます部屋から出るのが億劫になるばかりよね。あの子の成長を見に長生きするためにも、今後は庭まで出ていく日課を続けようかしら。」
「奥様の健康維持のためにも、その判断が相応しいと思われます。先ほどプルスさんもお菓子を多量に召し上がっておられたため、外に出て遊ぶ行為の必要性はますます高まっていると判断されます。」
「あらっ、もしかしてあの子、応接間に来客用のお茶とお菓子を用意させていたんじゃないかしら。」
「仰る通りです奥様、僕らは自動人形ゆえに飲食は辞退したのですが、お構いなしにプルスさんはお菓子とお茶を楽しんでおられました。」
「やっぱり……お客さんを屋敷に招けば、お菓子を用意させる口実が出来るって学んでしまったのね。まったく、誰に似たのか悪知恵ばかり働く子ね、ほほほ。」
さきほどのリーピの推測は当たっていたようだ。むろん、孫娘のことをよく理解している市長夫人もプルスの魂胆に気付かぬはずはない。
困り眉の下ではありながら、愉快そうに笑声を立てる市長夫人。
富裕層の淑女らしく、口元を隠しながらの笑い方であったが……口元が隠される直前、リーピとケイリーは瞬間的に横目で互いに視線を交わした。
リーピとケイリーは共に、今になって明確な異常に気付いたのだ。
……市長夫人の舌、そして口腔奥部が、異様なまでに青色に染まっている。比喩ではなく、まさに青い染料を口に含んだかのごとく、綺麗に真っ青であった。
普段から口を大きく開けたり、奥まで覗かせたりしないのだろう市長夫人。この異常に気付いたのが、祖母と遊ぶ機会の多いプルスだけであることも頷けた。
ただ、リーピは別の懸念も同時に抱いたため、この場で自分たちが“気づいた”ことを市長夫人自身へ即座に告げることは控えた。
笑い終えた市長夫人に、リーピは告げる。
「プルスさんが奥様と遊びたがっていた、という真相も解明できたことですし、僕らはこれにて失礼いたします。……その前に、奥様がお世話されている鉢植えを見せていただいても宜しいでしょうか。」
「まぁ、あなたたちも草花に興味があるの?」
「えぇ、僕ら自動人形も、人間らしい振る舞いを身につけるため、要不要にかかわらず様々な事物を学んでいるのです。」
それは事実ではあった。業務に不必要ではありながら、リーピとケイリーも探命事務所内に花の鉢植えを飾っているのだ。
ただ、この場で確認したい事項は、花の育て方ではなかった。
窓際に置かれているプランターを覗き込みながら、リーピは尋ねる。
「こちらは、キモノケイトウですね。以前、アントンさんの花屋でお買い上げになったものでしょう。」
「よく覚えているわね、まぁ、あの日にわざわざ買い物に付き合ってもらったのが、あなたたちだものね。それにしてもアントンさんの花屋さん、急に閉店してしまったわね。何でも店主さんが急病だったとかで……。」
「えぇ、せっかく街の大通りを華やかに飾っていた店舗だったのに、残念です。このプランターの隣に置かれているのは、液体肥料ですか?」
ここに植えられているのが、かつてアントンの花屋で購入された植物であることもまた、重大な懸念をはらんでいる事実ではあった。
が、あまり詮索事項を増やして不審がられるわけにもいかないリーピは、現時点で明確にすべき疑問を一点に絞っていた。
リーピが指さしたのは、プランターの脇におかれた、薬品の瓶である。無論リーピの知性であれば、そのラベルに記載されている内容を見れば、わざわざ質問せずとも内容物の何たるかは充分に理解できる。
しかし今確認すべきは、市長夫人がこの容器の内容物を何だと認識しているのか、であった。
ボトルの半分ほどを占めている、青色の液体を見つめながら市長夫人は頷き答える。
「そうよ、鉢植えやプランターは土の量が限られているから、肥料の与え過ぎには気を付けないといけないの。その点、液体肥料は濃度や量を調整しやすいから、重宝しているのよ。」
「なるほど。これほど鮮やかな青色だとは知りませんでした。」
「もともと無色透明な液体肥料が多いのだけれど、水と区別がつかないと不便でしょう。誤使用や誤飲を防ぐために、わざと色や臭いをつけてあるのよ。原液のままか、水で希釈したものか、見分けるためでもあるわ。これも人間の知恵ね。」
すらすらと答える市長夫人。彼女の語る内容に、間違いはない。
正気を保てない状態にあるわけでもなく、老化した人間に起きる認知症を患っているわけでもないようだ。
だからこそ、その市長夫人の舌や口の奥が、液体肥料と同じ青色に染まっている事実がますます異常なものだと判断された。
リーピとケイリーは無言のままにチラと目くばせしあい、そして今度こそ退室を申し出た。
「たいへん参考になるお話、ありがとうございます。僕らも帰ったら、事務所に飾っている鉢植えの手入れにとりかかろうかと思います。」
「私も専門家ではないけれど、育てているお花の話なら喜んで聞かせてあげるわ。またいつでも遊びにいらして。」
にこやかな市長夫人から見送られ、彼女の部屋から出て行ったリーピとケイリー。
市長夫人に聞こえる位置では迂闊に喋るわけにはいかなかったが、もはや彼女がマトモな人体を保っていないことは確定していた。
執事に連れられて一階に降り、屋敷の玄関口から外に出て扉を閉めたところで、リーピとケイリーは執事に向かって畳みかけるように早口で告げた。
「執事さん、早急に市長夫人の部屋を隔離してください。使用人の皆さんが誰も接触しないように、そのうえで市長夫人の身体を診断する医師および清掃業者を呼び寄せる必要があります。医師や業者は感染防護装備を万全に、状況によっては密閉可能な状態で市長夫人の身柄を搬送することも求められます。」
「そ、そんなに奥様の容態は危ういものなのですか。しかし、私どもが見る限り、奥様は健康そのもの……。」
「彼女の体内は既に菌糸に汚染されていると思われる、口腔内が液体肥料に用いられる染料と同じ色に染まっていた。特異菌糸は生存に多量の養分と水分を必要とするが、市長夫人は液体肥料を原液のまま飲んで補充しているようだ。」
「仮に人間の身で誤飲したのだとしても健康被害が予想されますし、菌糸汚染の影響で積極的に養分補充を行っているのだとすれば尚更放置すべきではありません。」
ケイリーの言に、リーピもさらに説明を付け加える。
表向きの口実としては、老化によって庭と二階の行き来がしづらくなったため、自室で鉢植えの世話が出来るよう給水タンクや液体肥料を室内に設置させた市長夫人。
だが、彼女の体内が既に特異菌糸に侵されており、菌糸が生存のため多量の養分と水分を必要としているがゆえに、そのような措置を取らせたと考えた方が正確だろう。
その推測が外れていたとしても、液体肥料を原液のまま飲むという行為が異常であることには違いない。狼狽しつつも、執事はようやく口を開いた。
「そっ、それが事実であるとは、あまり考えたくありませんが、分かりました……そ、その、出来れば、この件は内密に……。」
「承知しております、依頼者に関する情報は堅く秘匿いたします。今は状況収拾を急いでください、特異菌糸は空中感染のリスクはほぼ無いものの、直接接触があっては感染が屋敷全体に広がります。」
早口でまくし立てている間にも、リーピとケイリーは執事の口の中に視線を向けていた。
幸いながら、執事の口腔内は血液の色を示して正常な人間の組織が保たれているようであった。
これが菌糸に感染し、体細胞が菌糸に置き換わっていると、身体内部は血液の色が抜け、真っ白な状態となる。経口摂取した液体があれば、その色のままに染まってしまうだろう。
いわば、一旦脱色した後で染料がしみこんだような状態なのが、市長夫人の体内なのだ。誤飲防止のために鮮やかな青に着色された液体肥料が、市長夫人の口腔内に揺るがぬ証拠を刻み込んでいることとなる。体表は化粧によって誤魔化せても、頻繁に養分液を流し込む口腔奥部の色は口を閉じて隠すしかない。
人体に感染し、本人の意思を乗っ取った後も、生前の人物の行動を模倣しつづける特異菌糸。
偽ヴィンスが元凶となって漏洩した菌糸からアントンの体内へ、そしてアントンの花屋で購入したポットを通じて市長夫人へとさらに感染したものと見て間違いなかった。
他の使用人たちを呼び寄せるベルを鳴らし、メモ帳を取り出して今後の段取りを冷や汗拭いつつ書きまとめている執事に、リーピは尋ねる。
「屋敷内で、土に直接触れる作業を行っていた方は他に居られませんか?具体的には、市長夫人がアントン氏の花屋から鉢植えの植物を購入して以降の期間内に。」
「庭師はおりますが、鉢植えやプランターの世話は奥様が主に行っております。庭園全体の水やりを担当する使用人はおりますが、直接土に触れるほどのことはしていたかどうか……。」
「医師を呼び寄せた際は、土壌の菌糸汚染調査や、草花の世話を担当した使用人の身体検査も同時に行わせるべきだ。想定外の感染拡大が、既に起きている恐れがある。もちろん、市長夫人の部屋にある鉢植えは残らず焼却処分する必要がある。」
リーピに続いてケイリーも言いながら、事態がすでに大規模であり、そして対処が後手に回っている恐れが濃厚となりつつあるのではないかと懸念していた。
アントンが特異菌糸に感染した後、彼の花屋から商品を購入した市民を全て特定することは至難の業である。
空中ではすぐに枯死してしまう故に空中感染のリスクが限りなく低い特異菌糸。だが、植木鉢の中、十分に養分と水分を含んだ土壌内部であれば、生存は格段に容易となる。
そのことを考えれば、今さらながら……かつて、特異菌糸を内包した偽ヴィンスが、バイト募集もしていない花屋を敢えて選び店員として働き始めた時の狙いも、透けて見えるようであった。




