事務所内への菌糸侵入リスク確認、および新規依頼
自動人形メーカー本社でのモースとの対面を済ませ、元の街へと戻ってフィンク議員へ調査結果報告も伝え、事務所まで帰ってきたリーピとケイリー。
探命事務所に戻ってきて真っ先に行ったのは、事務所内でいつも使っている通話機の分解、内部構造の確認であった。
「菌糸通話線を経由して、特異菌糸が通話機内に侵入する可能性があるとはいえ、通話機の使用を今後断念するわけにはいきません。」
「仕事の依頼は、通話によってもたらされるのが大半だからな。そも、現代社会において通信インフラを用いず過ごすこと自体が非現実的だ。」
通話機の底板を外す工具を手にしたリーピの言に、裏返した通話機を支えながらケイリーも頷いた。
通話線に頼らぬコミュニケーション手段は、直接会って話すか、あるいはフィンク議員のように書面を送付するか、といった選択肢も無くはないが……より利便性の高い手段のある中では、あまりに悠長な意思疎通である。
大量生産されている通話機の常として、モースの指示のもと分解した端末と、この事務所内に設置している通話機も構造は同じであった。
難なく底板を取り外したリーピは、内部構造が本来の想定通りに収まっている様を確認した。
「送話部の聴覚受容器を密閉する被膜に破損なし、当然ながら本来あり得ない繁茂を起こしている菌糸は存在しません。続いて受話器内部も確認します。」
「まぁ、今のところ問題なく通話機として使用できているわけだから、特異菌糸の侵入は無いと見ていいだろうな。」
ケイリーも言った通り、カバーを外して確認した受話器内部も通常通りの状態であり、菌糸飛散防止用に密閉されたケース内で発声器官を構成している菌糸に異状は見いだされなかった。
内部構造の確認を終えた通話機を、リーピ達は速やかに元の状態に戻した。こうしている間にも通話が掛かってくる可能性もあるし、不意の訪問者に通話機を弄っている様を見られてもいけない。
自動人形である両名による作業であればミスは起きないものの、通話機はそも通信公社からの貸出品という扱いであり、許可なく分解することは法律で認められていない。通話線と接続している以上、端末を勝手に分解ないし改造してしまうと、通信網全体に混乱をきたす恐れもある。
そもそも菌糸技術を用いたガジェットゆえ、不用意に内部の菌糸を露出してしまっては菌糸漏洩のリスクに直結する。専門知識、資格を有さぬ者が通話機の分解を実行することは必然的に禁じられていた。
フィンク議員が古い通話機を通信公社に返却せず、モースの元へ持ち込ませて解体させたのは、彼が市議会議員であるという立場あっての実現であった。
ともあれ、ひとまずの問題なしに通話機内部の確認を終えたリーピとケイリーは、互いに推測を語り合う。
「ロターク本社での通話機解体検証を行った後にモース研究主任も仰っていましたが、特異菌糸の蔓延が直ちに発生するわけではなさそうですね。」
「一度、通話機内に入り込んだが最後、特異菌糸も短期間で枯死してしまうわけだからな。」
製造時の機能を勝手に超えることが出来ない既存の菌糸と異なり、自己増殖および分化によって自主的に思考回路を構築可能な特異菌糸。
その代わり、特異菌糸は生存のための養分や水分を、既存よりもはるかに多量に必要とする。例えば自動人形であれば補給なしに長期間の活動が可能なはずのところ、特異菌糸を内包する自動人形は頻繁に養分液の補充が為されなければ数日で枯死に至る。
通話機の場合、通常であれば地中に埋設された菌糸通話線が被覆越しに水分をじわじわと吸収し、接続された端末内の菌糸も通話線からもたらされる僅かな水分のみで半永久的に稼働可能な状態を維持している。
が、特異菌糸が通話機内部に侵入したが最後、生存に必要な水分はあっという間に枯渇してしまう。その末路は先日ロターク本社にて分解した通話機内部の様相通り、乾燥しきった菌糸の残骸が塊となって出てくるのみである。
「考え無しに通話線を経由して通話機へと侵入しても、短期間での枯死という結末を避け難いことは特異菌糸も理解しているのかもしれません。」
「そもそも、一般人の使用する通話機を乗っ取ったところで、個人レベルでの嫌がらせ程度のことしか出来ないだろう。たかが菌糸とはいえ、自らの命を賭してまでやることじゃない。」
ケイリーの意見に、リーピも頷く。今回、特異菌糸が侵入したのがフィンク議員邸の通話機であったからこそ、市長が下す判断にも影響を及ぼし得る問題となったのだ。
フィンク議員邸から、フィンク本人になりすまして掛けられた通話内容は、製剤会社に対する製品回収の要請を中止する提案であった。その意見が通っていては、不良品の滅菌剤が今後もしばらく使われ続け、菌糸漏洩対策の脆弱性が改善されない時期が延びていただろう。
そういった菌糸による通話介入内容を鑑みれば、まだ表面化していないものの更なる危険が潜んでいる恐れはあった。
「すなわち、水分や養分が枯渇するまでのタイムリミットの中で、最大限の効果を発揮し得る計画を特異菌糸が自ら立て、実行しているとも考えられるわけです。」
「フィンク議員邸の通話機に特異菌糸が侵入したのも偶然ではなく、政治家の権限を理解している特異菌糸が意図をもって選択した結果、ということか。」
「しかし、この仮説にも疑問点は残ります。いかに特異菌糸が自主的に思考回路を構築できるといえど、単なる菌糸に過ぎない形態では思考能力を有しません。通話機に侵入してから生成される思考回路は、侵入先の選択を含めた計画立案に影響しているはずがありません。」
リーピの挙げた疑問点は、確かに現状において説明のつくものではない。
菌糸通話線を伝うようにして特異菌糸が通話機内部へ進入するにしても、通話線内部ではただの菌糸に過ぎない。
思考回路として機能するためには、自動人形の人工頭脳、あるいは人間の神経回路のごとく、複雑に絡み合う接続パターンが実現していなければならず、それには一定の物理的空間が必要となる。通話機内部を埋め尽くすほどに繁茂していた特異菌糸は、そのほとんどが思考のために用いられる菌糸回路だったろう。
ともあれ、通話線内部のごく細いスペースでは思考回路は構築され得ず、どこかまとまった空間を得られる箇所で侵入先の選定も含めて計画を立てる中枢のようなものが存在すると思われた。
「街の随所に張り巡らされた通話線が集中する場所といえば、やはり通話局でしょうか。現状の通話は市内、市外ともに、通話交換手さんによる通話線接続が不可欠なのですから。」
「確かにあり得るが、それこそ通話局内で特異菌糸の異常繁茂があれば、交換手や局員が真っ先に気づくはずだろう。自動人形が普及した現代においても、接続ミスがあってはならない仕事は、人間が担当しているわけだから。」
「その通りですね。考えたくない可能性として、人間である局員までも特異菌糸に感染している恐れもありますが……アントン氏の前例でも見られたように、特異菌糸に感染した人体は短期間で水分と養分が枯渇し、乾燥しきったうえで崩壊してしまいますから、いよいよもって異常事態の露呈は早い段階となるでしょう。」
リーピの言に、ケイリーも頷く。
特異菌糸に感染したアントン……既に本人の意思は消滅しているため、偽アントンとでも称すべき存在は、数日のみ本人の外見と行動を模倣して感染を隠蔽し続けていた。が、まもなく身体の乾燥と崩壊が始まり、感染を隠し続けていられなくなったのだ。
とりついた肉体が大柄であればあるほど、必要とする養分と水分は急速に枯渇し、ごく短時間で飢渇状態となる。通常よりも多量の水分と養分が必要になるという特異菌糸の生態的欠陥は、かなり的確に漏洩および蔓延時のリスクを抑えていた。
モース研究主任が施したセーフティは、適切なものであったと思われた……感染者がまず助からない危険度については、既存の菌糸と変わりなかったが。
「……そういえば、結局ロターク本社の研究棟において、回収された後のスクルタさんやアントン氏の身体にお目にかかることは出来ませんでしたね。モース研究主任も、言及を避けておられるようでしたし。」
「これだけ漏洩時の危険性が、既存の菌糸とは比べものにならないんだ。特異菌糸の扱いは、極秘中の極秘なんだろう……漏洩の原因となった、特異菌糸を使用した自動人形の出荷を行った社員の処分についても、モースは口にしなかったな。」
自動人形メーカー、ロターク本社内における状況も複雑なことになっているのだろう。
思い返せば、あれほど大勢が働く大企業でありながら、研究員や社員はいずれも気が沈んだように無口であった。リーピとケイリーが本社にて聞いた人間の声は、エントランスのセキュリティを担当する職員と、モース研究主任が発したもの以外になかった。
「現にこうして、人間への健康被害に留まらない悪影響が現地に残り続けていますからね。高い知性を有しうる菌糸は、漏洩後の制御が非常に困難となることが実証された結果が現状と言えるでしょう。」
「それでも、既存の菌糸よりも容易く思考回路を構築できる菌糸を、研究室内に眠らせておけないと考えた社員がいたのだろうな……よりにもよって、製品回収に応じない市長が居るこの街に出荷してしまったのが、最大の過ちかもしれないが。」
「あるいは、危険度を顧みず、入荷される自動人形の価値にばかり目がくらんでいる市長相手だからこそ、研究主任が安全性を認可しないような自動人形も出荷できたということかもしれませんが。」
今となっては過ぎた話について憶測を語り合っても仕方ないが、それでも互いに思考を整理する時間が必要だと判断する程度には、リーピもケイリーも人間の模倣に慣れてきていた。
ともあれ、探命事務所内に設置された通話機が正常であることを確認し終えた今、新たな依頼が舞い込んでこない限りは今日も用事はない。
リーピとケイリーがロターク本社へと遠出していたのは一日のみであり、帰ってきた時にも郵便受けは空であり、通話機の呼び出し履歴テープにも打刻の跡は残されていなかった。
ケイリーと並んで、一日間留守にしていた事務所床の掃き掃除を始めたリーピは、ふと思い出したように口を開いた。
「あ、そういえば、ラーディさんのことです。」
「何かあったか?そもそも一昨日からリーピは私と行動を共にしていたのだから、リーピのみが新たに得られる情報はないはずだが。」
「これは情報ではなく、推測です。幼馴染であるアントン氏が犠牲となった件の後、ラーディさんはかなり気落ちされているのではないか、と今になって僕は気になり始めまして。」
リーピの発言を聞き、ようやくケイリーも同じ可能性に思い至った。
共にほぼ同じ思考回路を有する自動人形とはいえ、思い至るのに時間がかかったのも無理はない。人間の感情を推測することは、ときに自動人形にとって非常に困難な思考処理である。
振る舞いを模倣することでしか再現できない感情というものを、その人物が見聞した事物、置かれた状況から更に推測しなければならないのだから。今回の場合は“仲の良かった幼馴染が既に事実上の死を迎えていたことを、予告なく、自らの調査の結果知ることになる”という状況を元にした推測である。
あとは、先日のアントンの花屋からラーディが立ち去る際の表情が直接的な手がかりであったが、あの時のラーディは感情の整理がつかないまま無表情で固まっており、これまた自動人形が彼女の内面を推察することは難しかった。
とはいえケイリーも今、リーピと同じ意見を抱いたのだろう、手にしていた箒を直ちに用具箱に片付け、外出の支度にかかる。
「しまった……ラーディの経験した出来事を考えれば、精神面に多大な負荷が掛かっているだろうことに気付いているべきだった。人間であれば、真っ先にラーディへの心配を念頭に置いているだろうに。これでは、彼女の友人として振舞うには程遠い。」
「仕方ありません、僕らもあの直後、フィンク議員からの依頼、そしてロターク本社へ出向いての通話機分解調査、と用件が立て続けでしたので。しかし今日、時間が空いているとなれば、ラーディさんの様子を見舞いに行くのが相応しい選択かと……」
ケイリーと共に外出の準備に取り掛かりかけたリーピの言葉を、通話機からの呼び出し音が遮った。
用事が無ければラーディの見舞いに行けただろうところ、今まさに用事が発生してしまったのである。
既に作業服のジャケットを羽織りかけていたケイリーであったが、動きを止めてリーピが通話に応対するのを待っている。心なしか、ケイリーの表情パーツには無念そうな色が浮かんでいた。
受話器を取って喋り始めるリーピ。
「ご連絡いただきありがとうございます、こちらリーピ探命事務所です。」
「もしもし?えっと、わたし!プルス。おぼえてる?」
思いの外に幼く、そしてたどたどしい声がリーピに返答する。
さすがに想定外すぎる通話相手に、リーピの人工頭脳も過去の情報を引き出すのに多少のラグを要した。プルスとは、市長の孫娘の名である。
遊び相手として呼び出された時と、買い物に付き合う相手として呼び出された時、その二度しか会ったことはないが、プルスの側はしっかりとリーピとケイリーを覚えていたようだ。
幼いながら、政治家の孫娘らしくしたたかで頭の回る彼女は、ちゃっかりと探命事務所への通話手段も知っていたのだろう。
リーピは喋る速度を遅めにして、極力易しい言葉を選びつつ、丁重に返答した。
「これはプルスさん、おひさしぶりです。あなたとまたお喋りできて、僕もうれしいですよ。」
「あいさつはいいから。“ほんだい”に入りましょ。」
「はい、本題ですね。今回は、いかなるご用件でしょうか?」
「あのね、わたしの、おばあちゃんの、ようすがへんなの。ちょっと、みにきてくれない?」
場合によっては子供らしい悪戯で通話してきたのみ、という想定もしていたリーピであったが、今のプルスの発言を聞くと同時にハタと視線を上げる。
受話器から流れる声を聴いていたケイリーもリーピと同様の推察を抱き、目を合わせて頷いた。
プルスにとっての祖母、すなわち市長夫人は、自らの足で歩いて買い物に行くことは出来るものの、高齢であることには違いない。身体に異状があれば、ことは急を要する。
リーピは言葉を選びつつ、プルスが返答しやすい情報だけはこの通話で確認した。
「お祖母さんは、どんなご様子なのですか?怪我をされたのでしょうか、それとも苦しそうなのですか?」
「うぅん、そんなんじゃない。だったら、わたし、きゅうきゅうたい、呼んでるし。」
いくら幼いとはいえ、プルスも身内が急病となれば救急隊に連絡する程度の発想が出来ないわけではない。そもそも、市長邸宅であれば、急を要する状況においては執事や使用人が通報を行うだろう。
祖父から気の短さも遺伝しているのか、焦れたようにプルスは言葉を重ねた。
「とにかく、ちょっとへんなの、わたしのおばあちゃん。さっさと、きてくんない?」
「はい、承りました。ところで、お近くに執事さんか、お手伝いさんはおられませんか?」
「いるけど。わたしの話じゃ、つたわらない、ってわけ?」
大人と同様に通話を行い用件を伝える、という振る舞いを独りでこなしたがっていたのだろうプルスは、分かりやすく不機嫌な声を出した。
とはいえリーピの側としても、プルスからの通話を市長邸宅からの正式な仕事依頼であると受け取ることは難しい。
さすがに、通話機の置かれたテーブルにぎりぎり届く程度の身長であるプルスが手を伸ばして受話器を取っている様は、執事も冷や冷やしながら見ていたものと思われる。
通話の向こう側で、執事が何やかやと小声でプルスを説得し、通話を代わるのにはそれなりに時間がかかった。
「通話を代わりました、執事でございます。此度はお嬢様のお話にお付き合いいただいて申し訳ございません。」
「いえいえ、プルスさんのお話であれば、いくらでもお付き合いいたします。それで、お祖母さまこと市長夫人について、僕らが何かお手伝いできることがあるのでしょうか?」
「正確には、市長夫人ではなく、プルスお嬢様のお相手を手伝っていただければ幸いです。お嬢様が何について『ちょっと変』だと仰っておられるのか、私どもでは判断いたしかねるところでございまして。先ほどもお嬢様自身がお伝えしましたとおり、市長夫人は健康そのものですので。」
そう喋っている執事の声の背後では、他の使用人たちがプルスの相手をさせられているのだろう。あぁだこうだと言い募る幼い声を宥めるように、大人の声が混じっていた。
今回もまたリーピとケイリーは、執事や使用人たちが相手しあぐねる状況を押し付けられることになりそうであった。
「では改めまして、今回の依頼を承ります。プルスさんが仰る“お祖母さんのちょっと変な様子”について解明し、調査報告をお出しすることを達成目標として設定します。」
「たびたび、緊急性を要さない件ばかりでお呼びだていたしまして、申し訳ございません。では、お待ちしております。」
相変わらず声は冷たい執事であったが、自動人形相手とはいえ丁重に謝罪しつつも通話は切られた。
一度目は「かくれんぼの相手」、二度目は「買い物への同行」、そして三度目となる今回もまた、確かに必須とは言えない用件で市長邸宅へ赴くことになる。
とはいえ、市長からの心証を悪くせぬためには、無下に依頼を拒むわけにもいかないのだ。依頼元が市長邸宅なだけあって、どれだけ急を要さない、ばかりか不必要とも思える用件であっても、ちゃんと報酬は支払われる。
受話器を置いた後、リーピはケイリーと視線を合わせて喋った。
「ラーディさんへのお見舞いは、また後日ということになりそうですね。」
「仕方ない。明確に依頼という形で確定した用件が優先だ。」
羽織りかけていた作業服のジャケットをリーピとケイリーは脱ぎ、権力者の邸宅へと赴くための小綺麗なスーツが収められているクローゼットを開けた。
かつて要人警護を兼任する愛玩用自動人形だった頃、共に誂えた正装であり、現時点での一張羅である。独立して探命事務所として働き始めた今も、人間の都合を優先してこなす自動人形としての立場を象徴する装いであった。




