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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
まだ破られない安寧
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二件完了:滅菌剤効果減衰および特異菌糸漏洩

 自動人形メーカー本社の研究部署から探命事務所へと報酬の現金が送付されたのは、いろいろと慌ただしかった一日が過ぎ去った翌朝のことであった。


 事の顛末はさておき、研究主任たるモースとしては上々の結果ではあったろう。以前回収しそこねて現地で枯死処分となった特異菌糸が、現地で生存していた経緯を確認でき、さらには人体に感染した後の経過についても観察機会を得られたのだから。


 とはいえ、罪も無くただ巻き込まれただけの一市民、花屋の主人アントンが犠牲となった事実には変わりない。一旦は菌糸汚染の憂き目を逃れたと思われた花屋も、今は空き店舗としてシャッターの閉めきられた状態となっている。


 幾重にも巻かれた粘着テープで厳重に密閉された現金の封筒を、事務用ナイフを手に開けているリーピの傍らで、ケイリーは呟く。


「アントンは偽ヴィンスを花屋のバイトとして受け入れて間もなく、感染させられていたのだろうか?」


「ほぼ確実に、そう考えられます。バイト募集もしていない店にわざわざ押しかけて働き始めるという行為を自動人形が行うのは不自然でしたが、アントン氏の屈強な肉体に自らの菌糸を感染させることが狙いであったのであれば発想は理解できます。」


 手元の作業は続けつつも、リーピはケイリーに対し頷く。


 既存の自動人形に用いられてきた通常の菌糸と異なり、特異菌糸は自主的に思考回路を構築できる。


 その代償として、生存にはより多くの水分や養分を必要とする……モース研究主任が、漏洩発生時に備えたセーフティとして意図的に付与した生態上の欠陥だ。


 そのため人形体内から漏洩しても、よほどの湿潤環境でもない限り空中や地表で生き延びることはなく、自然と枯死してしまう。思えば、あの倉庫区画で顔の無い死体が発見された一件においても、自動人形が破損した痕跡として路面には枯れ果てた菌糸ばかりが残されていた。


 空中に散逸した菌糸による感染が不可能となれば、標的とする人体を定めて直接体内に菌糸を植え付けるほかにない。


「ヴィンス氏になりすましていた自動人形は、自らの正体を長らく隠せはしないと自覚できていたでしょう。製品回収を逃れ、解体設備からも逃亡した自身の所在を突き止められる前に、アントン氏の体内に菌糸の居場所を移せば、菌糸としての消滅リスクは分散できます。」


「随分とアントンとも親しくなっていた様子だったからな……とはいえ、いかに物理的に距離の近い状態で働いていたとしても、相手の体内に菌糸を侵入させる機会などあるものだろうか?」


「一定の養分が保たれ、湿潤状態であれば菌糸は生き延びるのですから、それこそ飲み物にでも菌糸を混ぜ込んでアントン氏に飲ませるだけでも十分でしょう。口腔内に菌糸が触れた時点で、脳へと繁茂を伸ばすのにも時間はかかりません。」


 ようやく開けた封筒の中身を取り出し、モースからの報酬額を数えながらリーピは答える。


 偽ヴィンスを雇って日も浅いタイミングで、アントンは菌糸に感染し、その知能と振る舞いを模倣されていたことになるのだろう。幼馴染であるラーディが、アントンに本人らしからぬ違和感を抱き始めたのも、時を同じくしている。


 ただもう一つ、ケイリーとしてはリーピの推測を聞いておきたい疑問が残っていた。


「アントンが菌糸に感染した経緯は分かったが、そのさらに後、花屋の労働力として雇われたスクルタに関する謎は何だったんだ?格安の非正規品でありながら、正規品並みの知能を有していたのは、あれもまた特異菌糸の影響なのか。」


「そのはずです、解体されて再構築された後も、自主的に思考回路を構成できるのが特異菌糸ですので。スクルタさんの場合は、アントン氏の花屋で働き始めた直後、体内に特異菌糸を植え付けられたものと思われます。」


「偽ヴィンスが拘束された後のことだから……確かに、そうだろうな。後から雇われた自動人形に細工できるのは、店主であるアントン以外に居ない。正確には、アントンにとりついた菌糸の意図、ということになるが。」


 まとめれば、製品回収や解体から逃亡した自動人形がヴィンスになりすまし、彼を雇ったアントンの体内へと菌糸をうつし、さらにアントンからスクルタへと菌糸が分けられた、という流れになる。


 明確な身体の損傷が生じ始める前から、アントンに宿った菌糸は自らの肉体にガタが来ていることを察していたのかもしれない。スクルタの体内へと菌糸を宿したのは、リスク分散の意図もあるだろうが、やはり人形の身体でなければ長期間の活動に耐えないと判断したためでもあったろう。


 アントンの肉体が崩れてもスクルタさえ無事であれば、さらに別の肉体や人形体へと特異菌糸の保存先を広げる、言い換えれば感染を拡大させる目論見も通ったろうが……アントンもスクルタも共々、モースによって回収された今となってはそれも不可能である。


 一件落着とも取れる状況ではあったが、リーピとケイリーの探命事務所としてはもう一つ、完了を待つ依頼があった。


 警邏隊員3名で連れだってトロンドが事務所の扉を敲いたのは、朝の陽射しが高く昇った頃。


 几帳面な彼女らしく、前もっての連絡通りの時刻である。


「失礼いたします、警邏隊のトロンドです。滅菌剤の効果検証についての前準備に協力いただいた件につきまして、依頼内容の完了確認および報酬のお支払いに参りました。」


「お待ちしておりました、どうぞお入りください。」


 リーピがそう声をかけると、事務所内に入ってきたのはトロンドのみである。彼女に追随してきた他の二名は、どちらも自動人形の警邏隊員であったが、彼らは共に事務所入り口の両脇を固めるように立ったままであった。


 現金の報酬を持参しているがための護衛でもあり、この場でのやり取りを傍受されないか監視する意図もあるのだろう。何しろ今回の一件は、警察上層部が捜査を渋るほどの、大手製剤会社の製品についてのスキャンダルでもあるのだ。


 応接用の席につくとすぐに、トロンドは肩に提げていた硬質ケースから一束の書類を取り出し、テーブルにのせた。


「こちら、今回の滅菌剤検証における結果をまとめた報告書となります。あくまで、民間の方に対し公示できる内容に限られていますが、協力いただいた探命事務所様へ警邏隊からの感謝も込めてお届けいたします。」


「これは律儀に、ありがとうございます。」


 本来であれば、文書の公開を請求し、申請が通らなければ見られない文書である。滅菌剤の効果検証結果は公的機関内および製剤会社での問題であり、その過程でいかに探命事務所が協力していようとも結果を知らなければならない理由はない。


 それでも、協力者に対する義理を通そうとトロンドは警邏隊としての立場を用いて検証結果の文書を持参したのだ。リーピとケイリーが、自動人形メーカー本社のモース研究主任を紹介したおかげで、今回の滅菌剤の効果検証実験を実施できたという事実には間違いない。


 文書内にはところどころ黒塗りとなっている行はあったが、検証結果を知ることは十分に可能な状態であった……本来ならば、警察が世間一般に公開したがらないような文面も黒塗りを免れていた。


 目を通したリーピは、少し言葉に詰まってから口を開いた。彼が人間であれば驚きのあまり、さらにしばらく声を出せなかったろう。


「滅菌に関しては多少の効果減衰が見いだされるのかと思いきや……まったく効果を発揮していない、という結果になったのですか。ことによっては特殊清掃において、何の効果も無いただの白粉が振りまかれるだけの状態になりかねない、ということですか。」


「その通りです。昨日、集まった市民の皆様の前で大々的に検証実験が行われたこともあり、今回の検証を受けて流石の警察上層部も製剤会社へと本格的に捜査の手を入れる決定を下しました。」


 倉庫区画で死臭が漂ってもなお捜査人員を出し渋っていた上層部にしては、異例なまでにスピーディーな意思決定である。


 これが多少滅菌剤の効果が薄れている程度であれば、公的に動くことも無かったのだろうが、全く効果の無い状態になっているとなれば話は変わってくる。下手をすれば、今後いっさい効果のない滅菌剤しか供給されないという事態にも陥りかねないのだ。


 白粉タイプの滅菌剤とは別に、自動人形メーカー本社では粘液タイプの滅菌剤が用いられていたが、そちらはあくまでメーカー内の研究者や整備士が用いる分しか生産されず、量産配備する体制など整っていない。


 “仕事した感”を演出しやすい白粉の滅菌剤の配備に自治体が一本化してきたツケを、今になって支払わされている形となっていた。


 続いてトロンドは分厚い封筒を取り出し、リーピとケイリーに差し出す。


「こちらが今回の協力に対する謝礼となります、検めていただけますか。」


「はい……確かに。あと、もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか。フィリック警邏隊長は、問題なく職務を続けておられますか?昨日のことで、随分とショックを受けてらっしゃったもので。」


 リーピからの問いかけに、トロンドは暫し口を噤んで視線を僅かに伏せた。


 昨日の現場は、モース研究主任にとっては既に想定済みであり、自動人形たるリーピとケイリーもさほどショックを受けることはなかったものの、フィリックにとっては同様ではあるまい。


 花屋の店主アントンは、ラーディと共にフィリックにとっては幼馴染の相手だ。同じ田舎から都会へと出てきて、それぞれ就いた職は別とはいえ共に街で暮らしてきた間柄だった。殊に花屋を開業したアントンは、街の大通りでいつも朗らかな笑顔を見せ、明るい雰囲気の中心にあったろう。


 そんなアントンが知らぬ間に菌糸に冒され、既に本人としての意識が消滅しており、その肉体も生きたままボロボロと崩壊していく様。


 何の心の準備もないまま見せられれば、警邏隊長といえど心に何も抱えずにいられはしないだろう。


 かなり言葉を選んだのだろう、それなりに長い沈黙の後にトロンドは口を開いた。


「昨日の件については収拾がつき、現場の鑑識および検証も終え、本部への捜査報告までフィリック隊長は無事に済ませております。ただ、今日については体調がすぐれないとのことで休息を取っておられます。」


「……ご無理をなさらないようにと、僕らが申していたとお伝えください。」


 リーピの喋る傍で、ケイリーも無言のままに頷いていた。


 ありきたりの言葉しか出てこない自身の思考回路は、まだ人間に程遠いのだと強く実感された。自動人形には人間の感情は模倣する他になく、それがごく特異な環境に起因するものとなれば尚更のこと理解するのは困難を極めた。


 それでも自動人形なりにフィリックのことを気遣うべきだ、という判断だけはリーピもケイリーも下せてはいたのだ。


 深々と礼をして、トロンドと警邏隊員たちは帰っていった。


 静まり返った事務所内にて、リーピもケイリーも席についたまま思考内の整理を続けていたが……不意にケイリーが口を開く。


「トロンドが喋っている時に割って入るわけにもいかなかったが、やはり気になる。滅菌剤が全く効果を発揮しないというのは、ただの製造時の不手際じゃないよな。」


「えぇ、偶然に引き起こされる事態であると考えるのは不自然です。警察内に貯蓄されている滅菌剤、すなわち過去に生産された薬剤が効果を発揮している以上、新型の菌糸が耐性を獲得したという仮説も成立しません。」


 ちょうどタイミングを同じくして特異菌糸を内包した偽ヴィンスや偽アントン、スクルタが活動してはいたものの、彼らが直接の原因であるとは考えづらい。特異菌糸は構成する知能こそ高いとはいえ、外部環境での耐性面に関しては既存の菌糸よりも脆弱である。


 徐々に効果が薄れるのでもなく、急に一切の効果を発揮しない滅菌剤が生産されるようになったとなれば、それは意図的に引き起こされた事態だと推測される。


 そうなれば、製剤会社内部に元凶が存在する可能性が高い。


「わざわざ社内の人間が引き起こすとは思えません、製品の悪評が世に知れ渡るような事態など。社内でいかなる立場に居たとしても、自分自身への損害にしか繋がらない行為です。」


「では、ライバル企業から入り込んだ人間が、生産体制を混乱させて引き起こしたのだろうか。人間は自由競争によって経済を回しているから、競合相手の妨害が違法行為であると分かっていても実行する恐れがある。」


「しかし、白粉タイプの滅菌剤は現時点で全国の自治体における特殊清掃に用いられています。それとは異なる粘液タイプの滅菌剤は自動人形メーカー本社でしか使われておらず、世間に普及していません。白粉タイプを供給する製剤会社の競合相手となり得る企業など、現時点では存在しません。」


「だな……いよいよもって、滅菌剤の生産体制に混乱を引き起こした者の意図が読めない。」


 リーピの発言を聞き、ケイリーも首肯するのみだった。


 目下の事態は収まったかのように思われたが、尚も不可解な状況は残されている。それも全国に供給される滅菌剤に不具合が見いだされているとなれば、影響はこれまでになく大きくなりそうであった。

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