依頼16:特異菌糸漏洩状況の確認 1/3
昼すぎの花屋は来客数も落ち着き、その日仕入れられた新鮮な草花が店頭を彩りつつも長閑な時間をゆったりと流している。
モースから不穏な情報を受け取って足早に現地へと駆けつけたリーピとケイリーであったが、今のところアントンの花屋に異変はなく、平常通りの営業を続けているのみであった。
今ごろは街の別の区画にて、警邏隊の面々が製剤会社から滅菌剤を搬送してくる荷車を取り囲み、効果検証のための押収を行っていることだろう。物々しい空気は、あちらに集約されているものと思われた。
花屋の店主アントンは店の奥で作業しているのか、店頭で接客を担っているのは自動人形スクルタである。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりごらんください。」
相変わらず、機械的な口調とぎこちない振る舞いを来客に対して示しているスクルタ。
非公式に組み立てられた格安自動人形らしい挙動も、モースによる観察を経た今となっては、わざとそのように見せかけていることが明白である。本来は、リーピとケイリーを超えるほどの性能を秘めているはずなのだ。
リーピとケイリーは共に無言のまま、会釈だけをスクルタに送って店内へと入った。
(しかし、モース研究主任はスクルタさんについて『性能自体は想定を超えていない』とも仰っていました。本来、非公式に組み立てられた自動人形が持ち得ない性能であるにもかかわらず、何故……?)
発言をそのままの意味で受け取れば、現状スクルタが秘めている性能はモースの想定の範囲内だ、ということでもある。
自動人形メーカー本社の正規品ではなく、この街の非正規の整備士の手によっても実現するはずのない性能。となれば、人形体内の菌糸自体がおのずと成長した……いわば自己進化した、とでも言うのだろうか。
リーピが抱える謎は、モースから十分な判断材料が得られない限り、答えの出せぬものであった。
花と土の香りで満たされた店内の客は疎らであったが、その中に見知った顔をケイリーは目聡く見出していた。
「ラーディ?」
「わっ……あ、ケイリーさん、リーピさん、こ、こんにちは……。」
ケイリーから声を掛けられ、小柄な女性はおどおどとした視線で振り返る。
靴職人ラーディの視線が下を向きがちであるのは、その内気な性格のためのみならず、他人の靴を観察する習慣がついているためである。
しかし、今日に限っては、ラーディは抱える不安の大きさゆえに俯きがちになっている様子であった。
「あ、あの、ケイリーさん、リーピさんも、今日、アントンのこと、見てませんか……?」
「いや、私たちも今しがた花屋に来たばかりだ。」
「僕もまだ今日はアントンさんとは会っていませんね。とはいえ、スクルタさんだけで開店および営業は出来ないでしょうし、アントンさんも常通りいらっしゃるのでは?」
ケイリーとリーピからの言葉を受けても、ラーディの顔から不安の色は消えない。
理屈の上では、自動人形であるリーピが語る推測に無理はなく、平穏無事に営業が続いている花屋の様子に見いだされる不安要素はない。
しかし、人間しか持ち得ない“勘”という判断基準については、リーピとケイリーが持ち得ない分野である。そしてその“勘”がことのほか鋭いラーディは、現状に言い知れぬ不安を抱き続けている様子だ。
商品の花々を眺める仕草は続けつつも、リーピはラーディに問いかけた。
「ラーディさんも、まだ今日はアントンさんのことをお見掛けになっていないんですか?」
「はい……。前にも言いましたけど、最近の彼には、ちょくちょく変な所があって、気になってて……更に今朝は嫌な夢、見ちゃったもので。」
「夢、というのは、人間が睡眠時に体験するという、非現実的イメージのことですか。」
リーピによる自動人形なりの解釈に、ラーディは黙って頷いた。
睡眠時に見るという“夢”もまた、当然ながら自動人形には経験しようのない現象である。
リーピやケイリーは一応知識として有してはいたが、現実を観測した結果ではない情報が勝手に思考内に入り込んでくるのは、いかにも不便な現象だと評価するのみであった。
しかし、人間にとっては……感覚的な分野を重く受け止めがちなラーディにとっては、夢に見た内容は無視できない情報源の一種であるらしい。
ますます顔を俯け、ボソボソとした喋り方になりつつも、ラーディはその内容を語りはじめた。
「夢の中で、私は子供時代に戻って……故郷の田舎で、アントンと一緒に遊んでました。もう門限が迫る頃の夕暮れの頃で、生真面目なフィリックは先に帰っちゃってましたね……遊ぶって言っても、遊具も何もない田舎です、ただ追いかけっこするだけで、アントンは女子の私相手に下手な手加減ばかりしてましたっけ。」
「それは、実際にラーディさんが体験した記憶の内容でしょうか。」
「似たような経験は、あります。けど、その後に起きることは、現実なはずがなくて……私を追いかけていたアントンが、何の脈絡もなく『助けて』と叫び始めるんです。」
「本当に、唐突な言動ですね。」
「えぇ、ガキ大将だったアントンのことだから、本気で追いかけずに、演技をして油断させようって魂胆だろうと思いまして……私は構わず笑いながら走るんですけど、アントンは必死な様子で『助けて、助けて』って、連呼して……。」
完全に顔面が床を直視し、前髪ですっかり顔が隠れた状態でボソボソ喋り続けるラーディの様子は、事情を知らぬ人間が見れば不審者そのものである。
ケイリーは周囲を気遣うように見回したが、幸いながら客の疎らな時間帯ゆえにこちらを気にしている別の来客は居なかった。店先ではスクルタが接客を続けているし、店の奥では当のアントンが商品の草花の形を整える作業を続けている。
リーピの方はと言えば、ラーディの語る内容の続きを真剣に聞いていた。
「そのような子供の頃の記憶は、現実には無かったのですね?」
「はい、実際にあれば、忘れるはずがありません。これは、あくまで今朝見た夢の内容です……助けを呼ぶアントンの声に振り返って見れば、彼の身体が……崩れているんです。」
「人体が崩れるというのは、バランスが保てず転倒するとの意味でしょうか。」
「……違うんです、本当に、身体の形そのものが……まるで、泥を固めて作った人形が乾いて、ひび割れて砕けていくみたいに、崩れていって……私は、ただ見ているだけしかできなくて、アントンは最後まで『助けて』って言い続けていたのに……何もできない私の前で、最後まで崩れきって、アントンはただの砂の山みたいになってしまって……」
人体が乾いた砂の塊のように壊れていく光景は、それが自分にとって親しい人物であればなおさら、思い描けば衝撃的な絵面ではあろう。
とはいえ、それは現実ではなく、あくまで睡眠中に見た夢の内容だ。
すっかり俯いてしまったラーディの背に、ケイリーは手を当て、彼女が自ずと顔を上げるように声を掛けた。
「いわゆる、悪夢として分類される内容を経験したんだな。でも心配ない、たった今、私は店の奥で作業しているアントンの姿を確認した。現実での彼は無事だ、夢の内容にそこまでショックを受ける必要はない。」
「……で、ですよね……お気遣い、すみません……けど、妙にリアルな記憶の中、だったので……まるで、アントンの魂が、私に危険を知らせているみたいに。」
「魂、ですか。それも、僕ら自動人形には備わっていない概念です。」
リーピは小さく首を傾げつつ、ラーディの発言を受け止める。文字通りに機械的構造によってのみ駆動する自動人形は、人間が肉体とは別に活動すると仮定した“魂”の存在も勿論理解できない。
しかし、今しがたラーディが語った夢の内容と、リーピが現時点で得ている情報の一部には、奇妙な一致点があった。
先んじてアントンの花屋を観察したモース研究主任は、アントンの指先にひび割れを見出した、とのことだった。通常の人間が負う皮膚の裂傷とは違った、硬質化した表皮に荷重がかかった際の現象だ、と。
その事実について確認する機会は、間もなく訪れた。
店先に並べる草花の形を整える作業を終えたのだろう、アントンは大きなトレイに植木のポットを並べて持ち上げ、店の奥から出てきた。
「おや、いらっしゃいませ、リーピさん、ケイリーさん、それからラーディさんも。ちょうど今、仕入れた商品を並べてるタイミングですよ、お誘いあわせて来ていただけたんですかい?」
「いえいえ、僕らはラーディさんと偶然ここで会ったところです。」
リーピはアントンに言葉を返し、ケイリーもいつも通り軽く会釈を示していたが、ラーディはアントンの姿を一瞥するなり両名の背後に身を隠した。
ラーディの顔面が蒼白になっている様を、ケイリーは視界の隅で確認していた。
幼馴染であるはずのアントンが、ラーディを「さん付け」で呼んでいる違和感は以前から続いていたが……ラーディの直感は、もはや目の前にいるアントンが本人ではないことをほぼ確信しているのだろう。
モースが、現在のアントンのことを、既に人間ではないと表現したのは、文字通りの意味であったのだ。アントンの指先には、損傷を隠すようにテープ型の膏薬が幾枚も貼られていた。
ラーディを連れて一旦店の外へと出ていくケイリーにそちらは任せて、リーピはアントンとのやり取りを続ける。
「アントンさん、指を怪我されたんですか?しっかりと治療されているようですが、目立ちますね。」
「そうなんですよ、トゲがある草花を扱ってると、どうしても傷を作っちゃいまして。明日には病院に行って塗り薬でももらって来ようかと考えてるんですけど、今日の内はひとまずこれでしのぐしかなさそうです。」
「もしかすると、それでスクルタさんを店頭の接客に回しておられるんですか。」
「いやぁ、それは偶然のタイミングです、アイツには細かい作業は任せられないんでね。とは言っても、ちょっとは接客を練習して上達してもらえればありがたい、ってのが本心ですな。」
安価な自動人形の場合は、雇用主の元へ納品した後の学習能力にもさほど期待は寄せられないのだが……本来のスペックを隠しているスクルタには、想定されていない学習能力も充分に備わっていることだろう。
さておき、アントンが自らの身体に起きた異変を隠そうとしているのであろうことは、ほぼ確実となっていた。
出来れば、彼の指先に貼られているテープ型膏薬を剥がして、直接アントンの指先の状態を確認したいリーピであったが、どのような口実を使ってもそれを実現するのは不自然である。
商品を眺めているフリを続けながら思考を巡らせているリーピの傍らで、アントンも一切の不自然さを示さぬまま仕事を続けていた。
「水耕用のトレイも、水を入れ替えないとな……よいっしょ……。」
水で満たされたトレイを持ち上げかけたアントンであったが、直後、ガタンと音を立ててそれを取り落とす。
さして大きな音が立ったわけではなく、店内で彼の振る舞いを凝視していたのはリーピだけであったため、状況の異常性に気付いた者は他に居なかった。遠目からは、アントンが持ち上げかけた物からただ指を滑らせ、取り落としただけにしか見えなかったろう。
だが、正確には、アントンの指がポロリと取れたのであった。
まさに、乾ききった泥人形のごとく。その断面は、言いようのない生々しさであった。
体内も同様に水分が枯渇しきっていたかのように血が噴き出しもせず、しかし確かに皮膚や筋肉、骨などの構造物が断面に覗かれていた。指に巻き付けられていたテープは、この欠損を防ぐにはあまりにも頼りないものだった。
時が凍ったかと思われるほどの沈黙と緊張が一瞬張りつめた後、アントンは多少小声になり、何ほどのことでもないかのように喋り始めた。
「……っと……あぁ、すみませんね、びっくりさせちゃいましたかね。いや、これね、実は工場で働いてた時に、工具の扱いを誤って指を切り落としちゃってまして……知り合いにも黙ってたんですけど、これ義手なんですよ。」
もはや発言内容の矛盾を隠す手段すら見いだせなかったのだろう、アントンの喋りは開き直ったかのように淀みなかった。
言うまでもなく、指先に傷を作ったためテープ膏薬を貼り付けていたという言い訳と、自分の手が義手であったために破損したという釈明は、完全に食い違う内容である。
しかし、リーピはアントンが虚偽を語っているのではないかとの指摘を行わなかった。
自分が無事にこの店から出ていくための振る舞いを優先した。
「そうだったのですね。ご心配なく、他言はいたしません。」
「どうもすみません、お気を遣わせちゃって。」
リーピと言葉を交わしつつ、ポロポロと取れた指先を手早く拾い集め、指が欠落した手と一緒にポケットに押し込むアントン。
その状態では物の運搬など出来るはずもなく、ましてや片手の指が欠損した状態で接客などますます不可能であり、アントンは先ほど持ち上げかけた水耕用トレイをそのままにして店の奥へと引っ込んでいった。
リーピは、それ以上アントンを追及することは一旦止めて、足早に店を出る。
店頭では変わらずスクルタが接客を担当しており、さらに店から離れた位置にラーディとケイリーが待っていた。
無事にリーピが店から出てこれるか、思いもよらぬ事態でリーピが拘束されでもしていないかと不安がっていたのだろうケイリーは、無事にリーピが出てきたことで表情を辛うじて緩めていた。
「リーピ……問題は起きなかったか?」
「起きたと言えば起きましたが、表沙汰にはなっていません。僕はしっかりアントン氏が人間ではない証拠を目撃しましたので、状況次第では僕に危険が迫るかもしれません。」
小声でリーピから伝えられる報告内容は、ケイリーに付き添われているラーディには既に意外ではない様子であった。
しかし彼女はいよいよ顔色を失っていた。いかなる経緯によってアントンが本人ではなくなってしまったのか、彼女には知る由もなかったが、夢で見た内容が現実の示唆であることは確かとなっていた。
ラーディの顔色をリーピは一瞥し、ケイリーに提案する。
「まずはラーディさんの安全確保が優先です。今はまだ、ラーディさんが真相に気付いていると先方には伝わっていないはずですので、速やかにこの場を離れるべきです。」
「そうだな。ラーディ、歩けるか?」
「……はい。」
か細い声を一言だけ返し、ほとんどケイリーの肩に体重を預けるような体勢で、どうにか歩き始める。
歩を進めている間も、リーピは必死で思考を回し、今後の方策を組み立て続けていた。人間になりすましている存在、それも既存の自動人形ですらない何か、彼らの意図が全く掴めないことが最たる難点であった。
「モース研究主任への報告が次です。先ほどは詳細を教えていただけませんでしたが、あらためて重要な情報提供を行えば、僕らにも開示する内容は増やしてくれるかもしれません。」
「それに加えて、リーピや私の身を保護してもらえればありがたいのだが。意図不明とはいえ、アントンが人間ではない事実を今まで隠していたというのは、知られるのが不都合であるとの証でもあるはずだ。」
リーピに応えるケイリーも小声でありながら、その声色はハッキリと切迫していた。
世間に知られぬ間に、一市民が人間ではない、自動人形でもない存在と入れ替わっている異常事態。生物と異なり生存本能も持ち得ないリーピとケイリーまでも、身の危険を感じる状況には違いなかった。




