依頼15:滅菌剤の効果検証への一部協力 2/2 および別件の追加依頼
自動人形メーカー本社の方でも、モース研究主任は再びの遠出に備えて目下の仕事を片付け終えたところらしく、リーピからの通話は思いの外すんなりと繋がった。
新たな調査の必要が生まれたことをリーピが伝えている送話器の向こう側で、モースは呆れかえって髪を掻きむしっているようであった。菌糸漏洩に対する危機管理意識が疎かな街であることは分かっていても、これほどまでとは思いもよらなかったのだろう。
彼も人間らしい所作を示すことがあるのだ、と思いつつもリーピは語る。
「菌糸漏洩に出動する特殊清掃で用いられる滅菌剤が、効果を発揮していないとの疑いが挙がっています。警邏隊の面々が滅菌剤のサンプルを確保する予定ではあるのですが、実際に菌糸を枯死させる効果を有しているか否か検証するうえでは、信頼のおける研究者の協力が必要と判断されます。ご協力いただけるでしょうか、モース研究主任。」
「……確かに、自動人形の製造過程においても、日常的に菌糸漏洩への対策は続けているため、その現場の主任である私に依頼されるのは適切な判断でしょう。しかし、まず確認させてください、現地警察から直接依頼が来ず、民間の事務所であるあなたから連絡が来るのは……どういうわけですか。」
「警邏隊の方々は積極的に状況の対処に当たっていますが、警察上層部は今回の件を公にしていません。ことを表沙汰にして滅菌剤への信頼低下を招き、製剤会社経営陣から批判あるいは訴訟を起こされる恐れを考慮しているのだろうと考えられます。」
暫しモースは無言となって、小さく溜息を吐く声だけを漏らした。
リーピ達が活動している街の体制が、統治側の都合や利益を最優先したものであり、自動人形からの菌糸漏洩リスクを軽視していることは既に分かり切ってはいた。そうであればこそ、雇い主の居ない自動人形でありながら、リーピとケイリーが独立して活動を続けることが出来ているのだ。
とはいえ、あらためて具体的にその内情を知らされれば、自動人形製造の最前線にいる人間としては感情を通り越して脱力感までも抱かされても無理はない。
じっと返答を待っているリーピに対し、モースは考えをまとめ終えて告げる。
「放置するわけにはいかない状況ですね。仮に警邏隊の方々が現地で使用されている滅菌剤を確保したとしても、そのサンプルを本社に持ち帰り検査し後日結果を送付する、などと悠長なことをしている場合ではなさそうです。ただでさえ、その街の市長は文書を揉み消すのがお得意ですし。」
「はい、最新型自動人形の回収を求める文書に応じなかった前例もあります。本来あってはならないことですが、今回もまた行政を通してしまっては、検証結果も日の目を浴びずに破棄される可能性が高いです。」
「さらには、取得した滅菌剤サンプルを、搬送中に別の物とすり替えていないことの確証も必要でしょう。滅菌剤が確保されたその場、現地にて効果の検証を行わなければなりません。」
「それが出来れば理想的ではありますが、実現可能でしょうか?この街には適正な実験環境を備えた施設などありません……あったとしても、貸してもらえるほど協力的ではないでしょう。」
新たな犠牲者が出るまでの時間的猶予を鑑みても、また検証結果の取り扱われ方を鑑みても、サンプルを確保したその場で検証し結果を出すべきだとのモースの判断は間違いではない。
だが、現地において真っ当な実験設備を備えている場所があるとすれば……他でもない滅菌剤の製造元、製剤会社の研究部門ぐらいのものだろう。自社製品の効果が発揮されていないことの証明に彼らが協力するとは、とても思えない。
とはいえモースには十分に現実的な手立てがあった。
「本社の方から、緊急対応用の特殊車両を出します。重篤な菌糸汚染が発覚した現地での活動が想定されており、サンプル採取および厳重な隔離設備と検証を行う実験室を内部に備えています。現状にはうってつけです。」
「たしかに……ですが、それは滅多なことでは出動しない緊急車両ではありませんか?自動人形メーカー本社からの許可は下りるのでしょうか。」
菌糸を活用する技術が発達したこの時代、筋繊維として分化した無数の菌糸の収縮力を車輪の回転に伝える形で動力とする自動車両が開発されている。
とはいえ、一般市民がそれを保有することはごく稀である。自動人形サイズとは比べ物にならない運動エネルギーが求められる車両用の菌糸は、維持にも稼働にも相当量の養分と水分の摂取が必要となる。さらには破損時の菌糸漏洩リスクも、含有する菌糸量が桁違いであるだけに一個人が担い切れる範疇にない。
ゆえに、菌糸動力による自動車両を保有しているのは大企業か富豪のみであり、その出動にもかなりのコストがかかるものであった。が、モースとしては躊躇の余地はない。
「市民生活に多大な被害が予測される菌糸汚染リスクが発覚した際にのみ出動する車両ですが、今回の件はまさに当てはまっているでしょう。今はそちらの街の中のみで確認される状況とはいえ、製剤会社の滅菌剤を採用している他の地域においても無縁ではないのですから。」
白粉タイプの滅菌剤は、確かに多くの自治体にて特殊清掃に使用されている。
自動人形メーカー内で用いられている透明な粘性の液状滅菌剤が採用されることは少ない。広範囲の噴霧には向かず、実際に塗布した際には粘性の高さゆえに周囲の塵埃が付着して汚らしい外見になってしまう。
何よりも、目立つ真っ白な薬剤を噴霧することで“仕事した感”を分かりやすく示せる滅菌剤が、自治体の長に好まれるのはほぼ必然であった。そんな経緯で全国シェアの殆どを単一の製剤会社が占めている現状は、薬剤の効果に対する信頼低下がそのまま全国に広がりかねない事態なのだ。
モースが言った通り、よほどの緊急時にしか出動しない特殊車両をメーカー本社が出動させるに相応しい状況であった。
想定していたよりもずっと心強い助けが来ることを聞かされたリーピは、心なしか声色を明るくして答えた。
「お力添え、ありがとうございます。これなら、当初の計画以上にスムーズに事態対処が可能となりそうです。今後の連携のため、現地警邏隊の詰め所への通話番号もお伝えしておきます。」
自動人形メーカー本社のモース研究主任と、滅菌剤の確保を行う現地警邏隊が直接連携できるようになれば、以降は彼らだけで作戦を進めるのがスムーズとなるだろう。リーピの探命事務所は、この時点で十分な作戦への協力を行えたことになる。
とはいえ、リーピは念のためにモースへ注意を促しておいた。
「……あくまで、連絡先は、警邏隊詰め所ですよ。警察本部の方には、直前までこの件を知らせないように願います。」
「心得ていますとも。私もさして交流もないままではありますが、既にその街の公的機関への信頼は抱きかねていますから。」
「それでも、ちっぽけな探命事務所を運営している僕からの連絡は信頼してくれるのですね。」
「キミの判断力と、積極的に嘘は吐けないという性質を、キミを製作した私が誰よりも詳細に把握していますので。」
その後、警邏隊との連絡手段やその他のこまごました情報をリーピから受け取り、モースは通話を切った。
受話器を置いた後、リーピは満たされた思考の中に、どこか寒々しい明るみを感じていた。思索の藪の中を知り尽くされ、何もかもが照らされ、模索の必要が失せた明るさである。
確かにリーピとケイリーをはじめとした、メーカー本社の純正自動人形はいずれも、モースの目、手足の延長上にある存在だと言えなくもない。あるいは、生みの親に実の子が似ているとも言い換えられるであろうか。
モースと対話をするたび、リーピは自分のことを誰よりも理解してくれている相手の存在を実感すると同時に、自分が作られた存在であるという事実もまた強く認識するのであった。
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さておき、特殊清掃のもとへ納入される滅菌剤の確保、および現地における効果検証の計画段階は綿密かつ円滑に進み、決行当日を迎えたのは早くも二日後である。
警邏隊内部における実行部隊の結成、自動人形メーカー本社における特殊車両の手配、いずれも一日の間に済まされたのだ。その一日間にも、いつどこで菌糸漏洩が発生し、効果のほどが定かでない滅菌剤の噴霧が行われているとも知れないとなれば、遅すぎるほどではあった。
民間に警邏隊の作戦詳細を漏らすわけにはいかないとのことで、直接には決行の日時や場所を伝えられていなかったリーピであるが、間接的にモースからは伝えられることとなった。他でもない、アントンの花屋で働く異常個体スクルタの観察を同日に行うためである。
モースも、この作戦自体については他言無用と伝えられていたろうが、別件の用事として語る上であれば制約はない。
再びこの街にやって来たモースは、ケイリーとリーピによって出迎えられながら、探命事務所の入り口をくぐった。彼とは度々連絡は取っていたものの、直接探命事務所へと招くのは初めてのことだった。
「へぇ、これが、キミたちの運営している事務所、ですか……。装飾や書籍など、業務に不可欠ではない物品も備えているのですね。」
「人間の社会の中で働くことの本質を学ぶため、人間らしさの模倣に努めておりますので。」
リーピから応接用のソファに座るようすすめられたあとも、モースは興味深げに事務所の内装を見回していた。まるで、独立した我が子の営む店を覗きに来た親のようでもあった。
ケイリーが差し出したお茶を一口すすり、目元に寄せた小皺とともに愛おしさを確かに彼は味わっていた。
メーカー本社で日々多忙な業務と研究に追われるモースにとっては、確かにごく稀な落ち着ける時間でもあったろうが……今日という日は、ふたつの計画を同時進行せねばならない切迫した状況でもある。
急かすようにリーピは切り出した。
「モース研究主任、本日の警邏隊との連携は、万全でしょうか。結局僕らは、民間の事務所ゆえに詳細な計画そのものに触れることは出来ていませんが。」
「問題なく準備が完了しています、現地での調査検証を行う特殊車両は警邏隊詰め所の敷地内で待機しており、決行と同時に出動可能です。この件はこちらに任せていただくとして、キミたちと話をつけておかなければならないのは、所在把握をお願いしていた異常個体についてです。」
「スクルタさんのことですね。モース研究主任に街まで来ていただくこととなった、そもそもの理由ですので、もちろん把握しております。」
滅菌剤の効果を検証する、という目的は警邏隊からの依頼で追加されたものであり、本来は異常個体スクルタの調査を行うことがモースの目的である。
メーカー本社が販売した正規品ではない、この街の中で非公式に組み立てられた安価な自動人形、スクルタ。にもかかわらず、本社の正規品でなければクリアできない動作チェックを完璧にこなしており、本来あり得ない性能を有していることが明確となっている。
そのうえスクルタ自身は安価な自動人形らしい、ぎこちない動作をわざと示している……すなわち積極的に虚偽を出力している、となればモースにとっては調査せずにはいられない対象であった。
リーピ達の想定よりも早く、モースは行動を起こしていた。
「この街に到着した際、既に私は一般客として件の花屋を訪れています。」
「……問題は、何も起きませんでしたか?出来れば、あの花屋には近づかないでいてもらいたかったのですが。」
「向こうも私の外見は知らないはずですので、多くの来客に紛れて覗きに行くだけであれば何も問題はありません。その上で私は、あの店舗で雇われている自動人形スクルタの観察を行いました。わざと機械的な挙動に努めているだろうことは、明瞭に確認できました。」
自動人形のことは、自社製品でなかろうとも知り尽くしているモース。
せっかく自分の素性を知られていない状態で接近できた以上、わざわざ自らの身分を明かして直接調査を申し出ることはしなかったのだろう。ただ挙動を観察するだけで、自動人形の性質を見抜けるのだから。
そして、その観察の結果……彼は思いもよらぬ指示をリーピとケイリーに下した。
「本来持ち得ない性能を有している点でスクルタが異常個体であることに違いありませんが、しかしその性能自体は私の想定を超えていません。あなた方には、むしろ花屋の店主、アントン氏の監視を頼みます。」
リーピは表情を動かさぬままながら、目を見開いていた。
確かに、アントンについても以前から訝しい要素は見出されていた。彼がいつの間にか自動人形の非合法ビジネスについて知識を得ていたのは、今も解けぬ謎だ。幼馴染であるラーディは、アントン本人らしからぬ挙動をいくつか気にかけている。
しかし、アントンが自動人形になりすまされているという推測も、無理のあるものだった。
筋骨隆々としたアントンの肉体は、人形として製作するには手間がかかり過ぎる。誰がそんなコストをかけて、単なる花屋の店主の姿を作るのか、動機も不明だ。
先に口を開いたのは、ケイリーである。
「……スクルタではなく、アントンの監視が必要なのか?」
「何故でしょうか。アントンさんは、単なる花屋の店主です。僕らが直接確認する限り、彼は人形ではなく人間であるはずですが。」
ケイリーとリーピから次々に言われても、モースは黙していた。
自動人形同士の対話においては起きえない、人間のみが作り出す、意図を有する沈黙。モースは、返答が不可能ではないものの、率直に答えるべきか否か判断するのに時間をかけているのだ。
とはいえ、我が子同然の自動人形たちがじっと返答を待つ前で、答えも与えず立ち去る気にもならなかったのだろう。
「確かに、アントン氏の堂々たる体格は、自動人形の規格には収まりません。彼が“製作された”自動人形でないことは明白です、が……今日、私が観察した際、アントン氏の指先にひび割れを見出しました。」
「ひび割れ、ですか。人間は冷たい水に触れる仕事を続けていると、皮膚の炎症に起因するあかぎれが指先に出来るそうですが、それとは異なるのですか?」
「全く違います。あれは、広範囲にわたって硬質化した皮膚に荷重が繰り返し掛かった結果の現象です。自動人形から漏洩した菌糸に感染した、人体に見られる特徴です。」
一拍置いてから、モースは最後の最後まで言うべきか迷っていた内容を、結局口にした。
「現在のアントン氏は自動人形ではありませんが、既に人間でもありません。キミたちに伝えられる情報は、以上です。では、長々とお邪魔しました、失礼します。」
言うだけ言って、モースは席を立った。
リーピとケイリーは、ただ目を見合わせるばかりであった。ふたりが人間であれば、共に顔面蒼白となっていたことだろう。
自動人形ゆえに感情は模倣に過ぎず、表情は顔面パーツによって再現可能な範囲にのみ抑えられているリーピとケイリーは、共にほとんど無表情のままであったが。
しかし、アントンについてモースが断言した内容が、ふたりの思考に衝撃を与えたことには違いない。
既に探命事務所から出ていこうとしているモースの背に、リーピは慌てて声を投げかける。
いつもの彼に似ず、切迫した声量であった。
「モース研究主任。出来ればもう一つ、お聞かせ願えますか。」
「伝えられる情報は以上だ、と言ったはずです。……提示された条件外の成果を求めるようになるとは、キミたちは随分と人間の模倣を頑張っているのですね。」
当のモースは、背は向けたままながら、リーピの言葉を聞くために足を止めはした。
自らの製造品が、まさに人間の子供のごとく成長していく喜びは、どれだけ冷淡な態度を取ろうとしてもかき消せない感情だったのだろう。
それに、リーピの無感情なはずの声色に、祈るような響きを聞き取った小さな驚きも手伝っていたろう。
「モース研究主任、僕もケイリーも、あなたには全幅の信頼を置いています。僕らも、モース研究主任から信頼していただけるでしょうか。お伝えいただいた内容は、決して口外いたしません。」
彼の言葉は、確かに祈りに似ていた。
創造主に対し、自らの存在をすっかり預け、それ故に恩寵を願うこと。
図らずも、それは人工物なりの信仰であった。
「一つだけ、ですよ。何を聞きたいのです?」
モースは、極力感情を抑制した声で答える。
リーピの思考内には山のように聴き質したい内容が溢れていたが、この数秒で最も重要な質問を選び出し、口にした。
「人間ではなくなったアントン氏から、他の人間に菌糸が感染するリスクはないのでしょうか。」
「ありません。彼の体細胞を切り取って、直接他人に移植するような真似でもしない限り。……今度こそ、私はこれ以上喋りませんよ。」
言い終えたモースは、後ろ手に扉を閉め、探命事務所から歩み去っていった。
細く差し込んでいた眩しい外光が扉の音と共に遮られ、事務所内は創造主との邂逅を終えた後の静寂と薄闇で満たされていた。
リーピとケイリーは、沈黙を続けていたが……やがて放心状態から戻る人間のごとく、弾みをつけて椅子から立ち上がった。既に滅菌剤の確保及び検証はモースと警邏隊に任せきっていい状態だ。
リーピ達が優先して実行すべきは、やはりモースからの指示内容であった。、
「不明点は数多く残されていますが、モース研究主任がこれ以上語る意思を示さないならば、僕ら自身で確認しに行く他にありません。今すぐ、アントンさんの様子を観察しに行きましょう。」
「あぁ。しかし……どういう状態なんだ、自動人形でもなければ、人間でもない、というのは……。今のところ、アントンはマトモに花屋の営業を続けているはずだが。」
ケイリーはボヤいたが、もちろん、その疑問に対する答えはリーピも持ち得ない。
しかし、アントンの身体に明確な異常が発生している様を実際に確認するまでは、思いのほか時間もかからなかった。




