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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
まだ破られない安寧
24/45

依頼13:アントンの花屋の汚染状況調査 1/3

 ディスティから告げられた不穏の兆しは、翌日早くも現実となりつつあった。


 とはいえ、ディスティが懸念していた通りに、彼女の両親がリーピの探命事務所へよからぬ仕事の依頼を持ち込んできたわけではない。彼らも、策を成就させるための下準備を進める段階にあるのだろう。


 明確な異変は、アントンの花屋にて真っ先に見いだされた。


 それに気づいたのは、午前中の通勤混雑が収まった頃、仕事依頼の通話待ちをリーピに任せて外出し、アントンの店の様子を覗きに行ったケイリーであった。


「いらっしゃいませ、おや、今日はケイリーさんおひとりですかい?」


「あぁ、その、散歩がてら……。」


「いいお天気ですからね、ごゆっくり見ていってください。」


 人間とは違って、日光を浴びたり外気を吸ったりすることには別段意味もない自動人形。散歩は本来必要性を見出されない行為であったが、そんなケイリーの発言をアントンは別に気にも留めずに流していた。


 そこまでであれば、喋り下手な来客と店主の日常通りの振る舞いに過ぎなかったのだが……商品を眺めながら店内に立ち入ったケイリーは、見慣れぬ対象と鉢合わせることになる。


 無機質な声が、店の奥の暗がりから投げかけられた。


「いらっしゃいませ。ごゆっくりごらんください。」


「どうも……。」


 ケイリーは返答しつつも、思わず二度見する。店の奥で作業をしていたのは、一体の自動人形であった。


 ほとんど抑揚のない声、精密ながら直線的かつ無機質な身体の動き。


 人間の振る舞いの模倣に日ごろから努めているケイリーと比べれば、遥かに人形らしい言動を示す個体であった。ケイリーの素性を知らぬ者が見れば、完全に人間と人形が遭遇した場面にしか見えないほど、その性能差は歴然としていた。


 自動人形メーカー、ロターク社の正規品ではないことは明らかである。


 間違いなく、この街で非合法に解体された自動人形パーツを組み立てて作られた、廉価な自動人形であった。ケイリーは店先に戻り、アントンが他の客の応対を終えたタイミングを見計らって尋ねる。


「アントンさん、この店では新たな働き手を雇ったのか?」


「そうなんですよ、ほら、ケイリーさんもご存知の通り、前までウチに働きに来てくれていたヴィンスさんは、不審な自動人形のなりすましでしたから。」


「その事情は知っている、他でもない私がアントンさんに伝えた一件だ。災難なことだったな……だが、新たに雇ったバイトにも、自動人形を選んだのか?」


「お恥ずかしい話ですけど、俺の店もあんまり余裕は無くてですね。そんな中でもお客さんに還元できるよう、商品の価格はなるたけ抑えてお出ししているんです。偽者のヴィンスさんを働かせてた時も、世間一般と比べりゃ格安のバイト代しか出してなくて……ここだけの話、ですよ。」


 まさに、あまり公言できない内容にアントンは声を低め、ケイリーは頷いて応えた。ケイリーが噂話を流す人間ではなく、秘匿事項を確実に守る自動人形であるがゆえに教えられる話でもあった。


 先日までアントンが花屋のバイトとして雇っていた、市議会議員の息子であるヴィンスは、生活費のため切迫した働き方をしていたわけではない。そもそもが自動人形のなりすましであったのだから、いよいよもって賃金の安さに文句を言うことなどなかったろう。


 もとはアントンが独りで営んできた花屋であったが、いったん増えた働き手が急に抜ければ、手が回らないと感じる思いも強まるのだろう。


「同じ条件で働いてくれる人なんて来ないって、募集を出す前から分かり切ってたんですけどね。丁度良く、格安で自動人形を販売するってチラシが入りまして。購入契約を申し込んだら、即日で来てくれたのがアイツです。」


「あの自動人形か……名前はつけたのか?本来は自動人形を購入した際、雇い主が呼び名を決めるものだが。」


「いや、ウチの店に来た時に、スクルタと名乗ったんで、それで行ってます。まぁ、俺が名付けをしようにもネーミングセンスは無いんで、元から名前が決まってたのは助かりますよ。」


 アントンの喋る内容を前に、ケイリーは胸中で懸念を強めていた。彼女の顔面パーツが仮に表情豊かであれば、眉間に皺が寄っていたことだろう。


 格安で販売され、購入契約から納品までにかかる期間もごく短く、雇い主が決めずとも既に名前が決まっている……いよいよもって、公式メーカーの生産品ではない、非正規品の自動人形であることを確定させる材料が揃っていた。


 粗悪品の自動人形ともなれば、体内からの菌糸漏洩のリスクは高まる。


 とはいえ状況証拠だけで、そして一来客に過ぎない立場では、即座にその自動人形の運用を止めろと伝えるわけにもいかない。アントンも、どうにか店の運営を続けていくための手段を見出したところなのだ。


 この場にリーピが居れば、より的確にアントンへ警告を発することが出来るだろうに、と思いつつもケイリーは彼女なりに告げるべきことだけを口にした。


「自動人形の運用は初めてのことだと思うが、身体パーツの破損リスクには常に気を配るようにしてくれ。この店内で、自動人形からの菌糸漏洩が発生したら、営業どころじゃなくなってしまうからな。」


「えぇ、そりゃもちろん注意してますよ。ま、そんな激しい労働はさせません、草花の形を整えたり、商品を並べたりするだけですんで……あ、いらっしゃいませー。」


 ケイリーの忠告に対し、アントンはにこやかに頷き、既に次の来客へと声をかけている。そもそも客の前で示すわけにもいかないだろうが、彼の表情に懸念や不安はいっさい見られなかった。


 店の奥では、スクルタと名乗る自動人形が、ただ黙々と品出しの作業を続けていた。


 アントンの花屋から立ち去る際、ケイリーの認識に引っ掛かった対象は他にもある。大通りを挟んで花屋の向かい側、金融機関の入る事務所建物の前に、スーツ姿の男二人組が並んで立ち続けているのだ。


 一見、仕事の合間に休憩時間を取っているかのように振舞っている二人であったが……その顔立ちはとてもサラリーマンや行員には見えない、ガラの悪く目つきばかりが鋭い男たちであった。


 一応は高級そうなスーツのジャケットを羽織ってはいたが、シャツは薄汚れて皺が寄り、靴も革靴ではなくボロボロに履き慣らした作業靴である。


(監視役か……?)


 プロタゴとアリシア自身が直接現場に来るはずもない今、彼らが現地の監視を命じた人間を送り込むことは充分にあり得る。アントンの店舗と土地を奪うための計画が無事に発動するまでの間、邪魔が入るようなことがあれば即刻介入できるように。


 明らかに不穏な要素が集まりつつある様をケイリーは見出しつつ、その場を後にした。


―――――


 探命事務所へと帰った後、ケイリーは今しがたの出来事をリーピへと告げた。


 当然ながら、リーピの推測するところもケイリーが思い至った内容と同じであった。が、彼は更に推測を先へと進めた。


「いかに非正規品かつ粗悪品の自動人形といえど、注文を受けて即日納品ということはまずありません。性能の低い廉価な自動人形であればこそ、顧客が求める用途に合わせ、挙動の調整が必要になります。」


「どんな状況や仕事をあてがわれても、問題なく対応できる自動人形は、すなわちメーカー正規の高級モデルぐらいだろうからな。花屋で雇われたスクルタという自動人形は、商品の陳列を正確に行うことだけに重点を置かれ調整されていたようだった。」


「自動人形を売り込む宣伝用チラシも公認を得られない商品を載せている以上、不特定多数にばら撒かれたものではあり得ません。アントンさんの店を狙って差し込まれた可能性が高いです。」


 バイト募集の広告などは出していないアントンの花屋が、新たな働き手を必要としているであろうタイミングを見計らったかのように入ってきた宣伝チラシ。


 ほとんど並行して、彼の購入希望に合わせた格安の自動人形を用意できるのは、前もっての準備あってこそに違いなかった。


「いったい誰が、何の意図をもって、アントンの店に自動人形を売り込んだ?この街の非合法な自動人形業者が、そこまで気の利く連中だとは思えないが。店の前で監視を行っていた二人組も、よもや自動人形の挙動を確認するアフターサービスというわけではあるまい。」


「不穏な目論見をもって行動を起こす人物については、既に先日、僕らはディスティさんから忠告を受けています。そして彼女の懸念は、確かに現実となりました。」


 言いながら、リーピはデスクの上に置いていたメモ用紙を取り、ケイリーの方へと差し出した。


 ケイリーが外出している間に、仕事を依頼する通話が掛かってきていたのだ。リーピのメモした内容を読み、ケイリーは彼の言わんとするところをすぐ理解した。


「依頼者は、プロタゴと、アリシア……ディスティの両親の名前、だな。」


「偽名を用いる可能性が高いと予測していたのですが、自分たちの呼び名を無駄に増やす必要性は見出さなかったのでしょう。僕らが人間ではなく自動人形である以上、依頼者についての情報は確実に秘匿されるものと信頼していただけたようです。」


 命令と報酬さえ用意すれば仕事を引き受ける自動人形、となれば後ろ暗い連中が見逃すはずもない。


 とはいえ、さすがに明確な犯罪行為を直接指示しに来たわけではなかった。リーピとケイリーが市長や警察からの依頼を引き受けていることについても、先方は把握しているのだろう。


「『街の大通りにて営業しているアントン氏の花屋にて、自動人形からの菌糸漏洩による汚染が発生している恐れがあるから、明日、調査してもらいたい』……調査日時は、明日?今すぐ、ではないのか。」


「えぇ、そんな恐れがあるなら即座に調査を行うべきだというのに、調査日時をわざわざ指定してくるのは実に奇妙です。そも、僕らのような民間の探命事務所ではなく、警察ないし行政に訴え出るべき件です。」


 裏を返せば、今すぐアントンの花屋を調査したところで、菌糸漏洩は確認されない……と、依頼者が確信しているということになる。


 確かに、先ほどケイリーが花屋を覗きに行った際には何も異変は無く、幾名かの来客も体調に異状を示すことなく出入りしていた。いかなる仕込みがあるのかは定かではないが“明日”菌糸漏洩が確実に発生する仕掛けが作動する予定なのだろう。


 そこから先の推測は、今となってはリーピに聞くまでもなく、ケイリーにも容易く行き着ける内容であった。


「あのスクルタという自動人形、か。明日になれば、前もって組み込まれていた仕掛けによって奴の身体パーツが開き、体内の菌糸が露出状態となるわけだ。」


「明日ではなく、今晩かもしれません。人形の体内が露出して即座に、周辺へ菌糸や胞子が散逸するわけではありませんから、定着まで相応の時間を要します。今日ただちに菌糸の散逸が発生しないのは、店主であるアントンさんや来客が自動人形に生じた異常に気付き、早期に対応されてしまうリスクを避けるためでしょう。」


 自動人形の体内で活動する菌糸は、密閉状態にあればこそ繁茂し続けることが可能だが、外部環境に晒された場合、乾燥状態や貧栄養状態が一番の大敵となる。


 花屋の店内は扱っている商品の性質上、ある程度の湿度こそ保たれているものの、それでも人形や人間の体内のように水分や養分が潤沢に存在するわけではない。運よく店内で草花が植わっている土壌に定着できても、更に胞子を飛ばすための形態まで成長する速度は、人間の体内に侵入した時と同等とはいかない。


 菌糸漏洩が他所以上に頻発するこの街では、対処も迅速である。異常に気付かれ、特殊清掃員が駆けつけ滅菌剤の噴霧を行うまでに、ひとりの犠牲者も出ないことは充分にあり得る。


「だが夜間ならば、働かせている自動人形は店内にて待機状態のまま放置される。その間であれば誰に気づかれる暇もなく菌糸をばら撒けて、それらが十分に生育するだけの時間的猶予もあるというわけか。」


「何にしても、状況をこのまま放置していた場合、明日の朝頃にはアントンさんの花屋は深刻な菌糸汚染状況に陥る可能性が高いです。もちろん、アントンさん自身にも危険が及びます。」


 明日、花屋にて菌糸漏洩が発生したとなれば、店主であるアントンが第一の被害者となるだろう。


 空中に舞う菌糸を吸引してしまった人間は、たちまち体内で繁茂する菌糸によって体細胞を乗っ取られ、胞子性壊死脳症を引き起こす。開店作業のために店舗に入ったアントンは、店のシャッターを開ける暇もなく店内で倒れていることになる。


「アントンさんが明日の朝、開店することもかなわず菌糸を吸って倒れてしまった場合、一般客への被害こそ防げるものの、店内の様子が不明なままでは通報や内情発覚まで時間がかかることでしょう。様子を見に他の人間が店内に入れば、その方も確実に菌糸に冒され倒れてしまいます。」


「下手をすれば、アントンの遺体が腐敗し始めるまで放置される恐れもあるか。そうなると、あの店舗や土地の乗っ取りを計画している連中にとっても、損害は大きくなってしまうが。」


「だからこそ、自動人形である僕らが調査に入るようにと依頼を掛けてきたのでしょう。脳症の発症時点でアントンさんが搬送されれば、死者が発生したという事実だけは防げますから。プロタゴ氏とアリシア氏自身が下手に警察への通報を行えば、見ることが出来るはずのない店内の状況を何故知っていたのか、との嫌疑が発生してしまいます。」


 汚染源が発覚すれば間もなく周辺地域も一時封鎖され、特殊清掃業者が滅菌剤を念入りに噴霧し、薬剤で一帯は真っ白に染められるだろう。店の営業どころではなくなる。


 街の中心地、大通りに面した土地は商売に最適な位置取りではあるのだが……菌糸による汚染、および被害者が発生したという瑕疵が生じれば、その一等地とて他に入りたがる店舗もすぐには現れない。


 リーピは表情こそ変えなかったが、声色を暗くして言葉を続けた。


「仮に彼らの計画が順調に進んだ場合、アントンさんの花屋があった土地には空き店舗だけが残される形になります。今度こそプロタゴ氏とアリシア氏の思惑通り、甥が役員を務める製剤会社によって、一般客向けに滅菌剤を販売する小売店が入るのでしょう。人形からの菌糸漏洩による実害があった後となれば、それに対抗する手段の需要は否応なしに高まるはずです。」


「店舗と土地の乗っ取りが、滅菌剤の宣伝まで兼ねているというわけか。あくどすぎる、そして効率の良い手段だな……“両親は、今度こそ手段を選ばない”とディスティが言ったのは正確な推測だった。」


 ケイリーも、彼女の装備している声帯パーツが出し得る限り低い声で言った。


 むろん、原則としては顧客からの依頼をこなすことが、自動人形であるリーピとケイリーにとっての優先事項ではある。


 が、前もってディスティから告げられた情報が、今回の依頼に従うことを拒む前提を作っていた。さらには人間の思考の模倣に努め続けてきた今、リーピとケイリーには善悪に関する評価基準がそれなりに備わりつつあった。ついでに、それらを認識した際に抱かれる、疑似的な感情も。


 ケイリーはリーピの目を真っすぐ見据え、尋ねる。


「依頼は、このメモに書かれている内容が全てか?『明日、アントンの花屋にて、菌糸漏洩が発生しているか否か調査すること』だけか?」


「はい、それ以外の指示はありません。警察が同じ通報を受ければ、明日を待つことなく即座に現場へ出動し、疑わしき要素を排除するでしょうが、それは依頼者の思惑を崩す行為です。僕ら自動人形が、指示に忠実であることを前提とした依頼です。」


「だが、前日に現地へ行くな、とも指示されていないのだろう。ならば今すぐアントンの花屋へ行こう、そしてあのスクルタという自動人形を店から引き離そう。店の監視を行っていると思しき男二人についても警戒しつつ、な。」


「僕も、そのつもりです。」


 リーピは既に立ち上がって着替えを開始しており、丈夫な作業服を着こみ、ゼリー状の滅菌剤が充填されたチューブ状のケースをポケットに捻じ込んだ。以前の依頼で、モースから手渡されたままになっていた代物である。


 広く用いられる真っ白な粉状の滅菌剤とは異なり、広範囲に噴霧するには向かないゼリー状。だが、自動人形の体内に浸透させれば内部の菌糸を枯死させ、確実に機能停止させることが可能な、文字通りの特効薬でもある。状況次第では、スクルタと名乗る自動人形を活動停止させる手段として用いるつもりであった。


 が、リーピとケイリーは、間もなく身支度する動きを止めた。


「誰か、来ている?」


「僕も足音は聞こえます。」


 ともに警戒を露わにして、小声で言い合うリーピとケイリー。


 まさに今から、今回の依頼主であるプロタゴとアリシアの意に反した行動へと移ろうとしていた矢先であり、よもや自分たちが監視されているのではないかとの推測も容易であったのだ。


 ……が、これまた以前と同様に、その警戒は足音が近づくにつれて薄れていった。


 小柄な女性程度の体重で、全く足音を忍ばせるつもりもない人物が、スタスタと探命事務所の前までやってくる。


 彼女が何者であるか、ケイリーは一応覗き穴越しに確認した後、ノックされる直前に扉を開いた。


「ようこそ、ラーディさん。」


「わ、わわっ……!?ま、また、私が来たことに気づいておられたんですね。凄いなぁ、ずっと入り口で見張りを続けておられるんですか?」


「以前も伝えたが、足音が聞こえたから待っていただけだ。」


 ケイリーに迎え入れられ、オドオドと見回しながら事務所内へと入ってきたラーディ。


 またしても前もっての通話を入れず、直接やってきたのは彼女なりの用件があってのことであったろうが、作業服に着替え終わったばかりであるリーピの姿を見て、更に慌てたように彼女は口を開いた。


「あっ、も、もしかして、お仕事に出ていくところ、でしたか?ごめんなさい、アポなしにいきなり来ちゃって。リーピさん達にも予定がありますよね、今日のところは失礼しまして……。」


「いえ、急ぎではありませんので、わざわざご足労いただいたラーディさんからの依頼を優先いたします。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 アントンの花屋で菌糸漏洩が起きるリスクは、確かに人命にかかわるものではあるが、本日中には発生しないことだけは担保されている。


 それよりも、わざわざ事務所まで直接やって来た顧客からの依頼の方が急務となる可能性は確かにあった……当のラーディは、さほど切迫した様子ではなかったが。


 作業服の上着を一旦椅子の背もたれに掛け、リーピとケイリーはラーディにも応接用のソファに腰掛けるよう促しながら席に着く。


 相変わらず、本題に入るまで詰まり詰まりの喋り方であったものの、ラーディなりに気がかりな話をリーピ達へと持ってきたことには違いなかった。


「そのぉ……確実な話、じゃないんですけれど……最近、アントンの様子がおかしくって、ですね……。」


 リーピとケイリーは、思わず顔を見合わせる。


 急を要する用件ではないにせよ、今まさに関わろうとしていた対象についての話だ。


 確信なくとも、人間特有の“勘”が強く働く彼女は、今回も期せずしてリーピ達と大いに関わる話を持ち込んだのである。


 ラーディは、明確に様子が変わったリーピ達を前にして狼狽えている。


「あっ、あのっ、なんか、変な事、私、言っちゃいましたかね……?」


「いえ、ちょうど僕らも花屋のアントンさんに会いに行こうとしていた矢先でしたので。話の腰を折って申し訳ありません、続きをどうぞ。」


 話の続きをリーピは促したが、ラーディはそこから先を語るのに改めて心の準備が必要なようだった。


 幾度か小さく開きかけた口を、言葉をまとめる猶予のために閉じ、それを三度繰り返したのちにようやく言葉を発した。


「私、靴職人として、他人の靴を観察する習慣を続けてまして……リーピさん達と初めて出会った時も、そうしていたので、覚えておいでかと思いますが……。」


「えぇ、あの書店の店先で、来客の方々の靴を観察しておいででしたね。僕らが自動人形であるためあまりにも靴の状態に劣化が無いことを気にされ、それがラーディさんと僕らの出会いでした。」


「……そうなんです。人間であれば、どれだけ姿勢や振る舞いが丁寧な人でも、僅かに靴には体重の掛け方や歩き方の癖が出るものなんです……それで……その……アントンは、最近になって急に、体重の癖が消えて、靴への負荷も完全に左右均等になってるんです。」


 ラーディは、そこまで一気に言い切った。この機を逃すと、再びこの事を口にする勇気が湧かないかのように。


 さすがのリーピも、ラーディが言わんとする所を理解するには多少の時間を要した。彼が人間であれば、思考が答えに達しても、感情が理解を拒んだかもしれない。


 数多の人間の靴を見てきたラーディの目をもってしても、アントンの体重の掛け方が完全に左右均等にしか見えない状態。それは人間ではあり得ず、身体の癖が出づらい自動人形の特徴に他ならない。


「ということは、ラーディさん。あなたが得た判断材料によれば、アントンさんは人間ではなくなり、自動人形同然の状態になっている、ということですか?」


「いや、その、突拍子もないこと、だと、思うんですけど……ごめんなさい、確かなことは言えなくって。でも、靴の状態以外にも、なんか、こう、最近のアントンは、変なんです……まさに、私の勘でしかないんですけど。ほら、以前、ヴィンスさん……の偽者が、花屋で働いてるところ、私と一緒に見にいったの、覚えてます?」


 それはつい先日のことであり、自動人形たるリーピもケイリーも正確に記憶している。


 偶然居合わせたラーディがついてきてしまったが、リーピは彼女の存在を上手く活用し、偽ヴィンスの靴があまりに汚れていることを指摘した。アントンの花屋から彼を連れ出し、靴職人の工房へと向かう路地にて偽ヴィンスを警察部隊に拘束させたのだ。


「あの時……アントンは、私のことを『ラーディさん』とヴィンスさんの偽者に紹介しました。でも、前にもお話した通り、私とアントンは、同じ田舎出身の幼馴染です。アントンは、私のことを『ラーディ』って呼び捨てにするはずなんです……。」


「……ラーディさんが仰いたいことは、理解しました。ヴィンス氏における前例もあることですので、アントンさんが偽者に成り代わられている可能性も想定し、調査に向かいます。」


「おっ、お願い、します……いえ、どっちかというと、全部、私の勘違いであってほしいんですけど……。」


 俯きがちになったラーディであるが、先んじて席を立ったケイリーがそっと手を彼女の肩に置くと同時に立ち上がる。


 リーピは現状の整理を急がねばならなかった。


 アントンの花屋で故意に菌糸漏洩を引き起こそうとしている連中が居り、アントンが既になりすましの自動人形と入れ替わっている可能性もある。この二件が互いに関与し合っているのかどうか、判断材料はまだ得られていない。


 ラーディに付き添って事務所を出るケイリーに向かって、リーピは告げた。


「僕は先んじて、アントンさんの花屋に様子を見に行ってきます。ケイリーは、ラーディさんをお願いします。」


「えっ、いえ、私は、別に、これから帰宅するだけですので、何もお構いなく……。」


「そういうわけにもいかない、多少なりと心的ストレスを強いる証言を持ってきてもらったんだ。ラーディが無事に帰宅できるまで、私が付き添う。リーピとは後に合流する。」


 リーピとは別方向、おそらく今日は仕事も早めに切り上げることにしたのだろう、自宅へと戻るラーディの背は確かに小さく、心細げに見えた。


 アントンについては靴の状態を見ただけとはいえ、自分への呼び方も含めて、既に彼本人ではなくなってしまっている可能性がラーディの中ではほぼ確実になっているのだろう。


 花屋と靴職人。ごく平凡に暮らしていただけの人間達に、知らぬ間の別れが訪れている。


 利益を追う者たちの思惑次第で、一般市民の生き様そのものが大きく狂わされるこの世間は、いびつな構造であると称して差し支えなかった。

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