追加依頼:フィンク議員の懸念事項
リーピとケイリーが直接屋敷まで出向いて調査報告を行った時、フィンク議員は即座に成功報酬を支払った。
ヴィンスの部屋から採取された、枯死した菌糸の検査が完了しない限り、フィンク議員の息子ヴィンスが人間ではなく自動人形のなりすましであることは証明できないはずであったが……当のフィンク議員はほぼ推測が当たったものと判断したらしい。
彼の屋敷の応接室に通されたとき、リーピとケイリーは屋敷の中がせわしない音や人の動きに満ちているのに気づいた。フィンク議員自身も、今回の件について独自に調査を続けているらしい。
尖った鼻先と禿げあがった頭、以前よりも少し落ちくぼんだように見える眼窩から鋭く目を光らせながら、フィンク議員は直々にリーピとケイリーに現金入りの封筒を手渡しつつ告げた。
「その気になれば、俺の部下に命じて内々に調査しても構わなかったんだがな。権力者に取り入って気に入られるのが上手いお前たちが、今回は俺の味方になることを確認出来て何よりだ。」
「ご依頼には、常に真摯かつ公正に対応いたします。」
「フン、俺の息子の死体を見つけた時も真摯であってくれれば、こうも後手に回ることはなかったんだがな。」
定型通りの返答を口にするリーピに対し、フィンク議員は鼻先で笑いながらも愚痴る。
少なくとも、以前、倉庫区画で発見された身元不明の遺体が、フィンク議員の息子ヴィンスであることは察しがついているのだろう。その際に警邏隊員トロンドに代わって現場確認を行ったのがリーピとケイリーであることも、議員の立場から警察へと探りを入れれば知れる情報だ。
むろん、無人の倉庫にて、顔面の無い状態で見つかった遺体が誰なのか、あの時点でほぼ察しがついていても確定し得ない以上はリーピ達も断言できなかった。
その点についてフィンク議員は愚痴りはすれど、追及するつもりはないらしかった。
「済んだ話を弄り回しても仕方ない、今後について話を合わせておこう。先約が他になければ、引き続きお前たちに依頼を出させてもらうが、構わないか?」
「はい、承ります。今回の件は、我々としても憶測の域にとどめておくべきではない事項を多々見出しております。」
「切迫感を人形と共有する日が来るとはな。さて……先ほど提出してもらった、枯死した菌糸のサンプルだが、検査結果は昼過ぎには出るそうだ。」
「それは正式な検査ですか?本来ならば、自動人形メーカーの本社へ送り、研究部署に検査を引き受けてもらうまでのプロセスに、相応の時間が必要なはずですが。」
リーピが聞き返したのも無理はない。
正式に自動人形の菌糸を検査することが可能なのは現状、唯一の自動人形メーカーであるロターク社の研究部のみである。
大企業の研究部門ともなれば、よほどの緊急性が見いだされない限り、外部から予告なくねじ込まれる仕事が優先されることはない。他の仕事が遅れれば、直結する損害額は一般市民には到底肩代わりできぬ額となる。
だが、フィンク議員の場合は、一般市民とは立場も財力も大きく違っていた。
「自動人形メーカー本社の研究者が今、俺の屋敷に来ている。丸一日、ここで調査を手伝わせるだけの金を俺が支払ったからな。」
「ロタークの本社から人を呼ぶ、となっては、相当な高額報酬を要求されたのでは?」
「老い先短い俺が、財を貯めこんでいても仕方ないだろ。ともかく、俺の息子になりすましている自動人形について、この街に居る期間中に僅かでも証拠を見つけさせるつもりだったが……お前たちが菌糸を直接採取して来てくれたおかげで、想定よりもはるかに早く結論は出せそうだ。」
フィンク議員の狙いは、ここに来て綺麗に現状とかみ合い、真相の確定へ大きく前進したことになる。
ヴィンスの部屋から採取された菌糸を本社の研究者が直々に検査すれば、それが枯死しているとしても、自動人形に用いられる菌糸であることは判別できるだろう。
さらに詳細に特定することで、元の自動人形の個体識別まで明らかとできるかもしれない……そこまで特定するのには時間がかかるだろうが、少なくとも「人間にとっては致死的な菌糸まみれの寝具でヴィンスが就寝している」ことは今日中に明らかとなるわけだ。
現在“ヴィンス”として振舞っている自動人形が菌糸漏洩を引き起こしていると明かされれば、警察も動かざるを得まい。
フィンク議員は続けて語った。
「検査結果が確定し次第、俺は正式に警察へと通報する。俺の息子が自動人形に成り代わられていること、その自動人形が菌糸を撒き散らしながら行動していること、についてだ。こればかりは邪魔の入りようもないだろう、危険な菌糸がこれ以上街にばら撒かれ続けるリスクを、喜んで放置しようだなんて人間は居ない。」
「はい、きっと警察も積極的に、標的となる自動人形の拘束に動くはずです。」
「問題は、その拘束の現場そのものだ。奴は俺の息子になりすました偽物、だが一般市民からすれば『フィンク議員の息子が警察に拘束される』光景にしか見えない。分かるか?俺の政敵どもに、都合のいい宣伝材料を与えちまうんだ。」
フィンク議員の懸念は、リーピが想定していたのとは少し方向性がずれていたが、リーピは間を置かず頷いた。
そもそも、今回の調査を依頼される時点で、ヴィンス氏になりすます存在の正体や目的は明かされなくても良いとの条件だったのだ。フィンク議員にとっては、公衆の面前で自分の息子が逮捕される、という汚名を先んじて跳ね除ける土台を得ておくことが一番の目的であった。
実の息子への愛着などとっくに喪失していた、とは断言できないが、少なくとも今、フィンク議員は政治家としての立ち回りに徹していた。
「今回の件を穏便に流そうとしている市長は特に、俺の思惑通りに事を運ぶまいとするだろう。それこそ、本物のヴィンスを逮捕するという体裁で警察を動かす恐れもある。」
「菌糸漏れを引き起こしている自動人形を自由に行動させていた、となれば市長としても危機管理能力を問われるでしょうからね。」
「その通りだ。ということで、お前たちに引き続いて依頼したいのは、今“ヴィンス”として行動している奴が本物じゃないって事実を、少なくとも警察による拘束を目撃する範囲の市民に周知することだ。」
フィンク議員と目を合わせ続けていたリーピであったが、一瞬ながら視線を外して傍らのケイリーと目を合わせる。
依頼内容については当然ながらフィンク議員が求める状況には違いなかったものの、それを実現することと警察による拘束を邪魔しないことは、ほとんど矛盾する振る舞いとなる。
アントンの花屋で働いているヴィンスが本物の人間ではない……と声高に喧伝してしまっては、そもそも警察が現地に到着する前に、標的となる偽ヴィンスに逃亡する隙を与えることに他ならないのだ。
リーピの懸念は既に想定済みなのか、フィンク議員は言葉を続けた。
「手段は指定しない。万が一、奴を逃亡させてしまったとしても、今言った条件が達成されてさえいれば報酬は支払う。菌糸を漏らしながら逃げ回る自動人形を解き放っちまうのは、大惨事の引き金には違いないが……あくまで別件だからな。」
「承りました。極力、警察による標的の拘束をも阻害しない手段に努めます。では……。」
「あぁ、ちょっと待て。お前らが持ってきた菌糸のサンプル、検査結果が出たみたいだ。出発は結果の確認をしてからだ。」
ケイリーと共に立ち上がりかけたリーピであったが、フィンク議員の言葉に引き留められる。
これまでの予測が的中していることはほぼ確実ではあったものの、わざわざ自動人形メーカーのロターク本社から呼び寄せた研究員による検査結果を聞くことは、無意味ではなかった。
応接室の扉が開かれ、議員の秘書に案内されて現れたのは、研究員という肩書とはずいぶん離れた印象の風貌を有する男であった。
白衣ではなく真っ黒なスーツに身を包み、ひょろりと長い手足。高身長の割に胴体に肉がついていないためか、スーツの胸部から腹部の布がぶかぶかに浮いている。短く切りそろえた髪に、こけた頬、くぼんだ眼窩は頭蓋骨の形がそのまま浮かびあがったような顔立ちである。
人間離れした風貌ではあったが、自動人形として作られがちな理想的な体型から程遠いこと自体が、人間でしかありえない容姿を物語っており……リーピとケイリーにとっては見覚えのある相手でもある。
低い声でボソボソと喋る彼の声は、しかし部屋の天井にまで反響し、聞く者の耳の奥まで勝手に入り込んでくるかのようであった。
「検査結果をお持ちしました、フィンク議員。先ほどの菌糸、弊社の製造した自動人形に用いられたものに間違いありません。製造番号も判明しました、本社リコール担当が回収を行っている自動人形の一体です。」
「この短時間でそこまで分かったのか、流石はロターク本社の研究主任だな、モース博士。」
「博士号は取っていません、自分はあくまで企業の人間です……今回の菌糸は、あまりに特徴的すぎるものだったので特定も容易だったにすぎません。」
フィンク議員と会話しながら、モースと呼ばれた男は横目でリーピとケイリーの方へちらちら視線を向けてくる。
他でもない自動人形の製造メーカー本社で働いている人間であるためだろう、精巧に人間に似せて作られているリーピとケイリーのことも、一目で自動人形であると識別したようだ。
その自動人形が、フィンク議員に使われる立場ではなく、応接間で客人のごとく扱われている状況がさすがに気になったのだろう。
モースは間を置かずフィンクへ尋ねた。
「こちらの人形たちは?」
「あぁ、俺の所有物ではない。本社の方でも噂だけは聞いていないか?この街で、独立して仕事をしている自動人形だ。先ほどの菌糸サンプルを回収してきたのも、こいつらの仕事だとも。」
フィンク議員はわざわざ紹介を行ったが、自動人形メーカー本社の研究主任に対し、他ならぬ製造品である自動人形たちからすれば初対面の相手ではない。
リーピはケイリーと共に立ち上がり、恭しく頭を垂れて挨拶した。
「お久しぶりです、モースさん。」
日々数え切れないほどの自動人形を世に送り出しているメーカーの人間からは見覚えられておらずとも、出荷前の最終検査に携わる立場の人間のことは、自動人形側は記憶している。
自動人形としての活動を開始し、動作や言語による受け答え、表情変化など品質のチェックに立ち会うのが、ロターク本社におけるモースの仕事だ。
リーピとケイリーにとっては、モースこそが生まれて初めて目にする人間になる。
人形製造に携わる人員は数多く居れども、敢えて生みの親を挙げろと言われれば、ほぼ全ての自動人形はモースを指しただろう。実際、研究部門の主任となれば、現代の高機能な自動人形群のノウハウを築いた人物でもあり、生みの親という肩書は誤りではない。
“お久しぶり”との言葉を受けて、モースの顔には初めて表情らしい表情が宿った。
口元を僅かに歪める、苦笑に近い表情だった。
「なるほど、独立して仕事する自動人形、ですか。本社からは、雇用主の元を離れた人形は正規の処分業者へと搬送するように、再三頼んでいるのですが。」
「文句なら、こいつらじゃなくて市長に言ってやれ。まぁ、非正規の人形解体業者どもからカネを吸いあげている市長は、相変わらず聞く耳を持たんだろうがな。」
「とはいえ、自己で目的を設定して活動を持続させる、というのは自動人形の知能が新たなステージへ上がった証左かもしれません。それにしても、メーカー正規の品質保証も切れているというのに……君たちは、自分で自分の身体をメンテナンスし続けているのですか。」
彼はリーピの頬へと手を伸ばし、耳元から顎にかけて撫で始める。
急に始まった接触に傍らのケイリーは不安そうな視線を送っていたが、むろんこれは製造主が製品のチェックを行う手順に他ならない。リーピはモースの手に頬を委ねたまま、おとなしく触られるに任せていた。
自動人形の構造を知り尽くしている研究主任なだけあって、目視と触診だけによるチェックにさほど時間はかからなかった。
「つい最近、顔面パーツを取り換える措置を行ったようですね。菌糸接続のポートには養分ゼリーをもっと潤沢に塗ってから交換作業すべきです。表情筋を構成する菌糸の一部が養分不足で反応しづらくなってしまっています。一部が枯死すると、連鎖的に表情筋の機能が崩れ、顔面パーツの買い替えが必要となってしまいます。」
「気づいていませんでした、忠告ありがとうございます。」
リーピは自動人形らしい淡白な言葉で、しかし声の奥に温かみを示しながら返答する。
顔面パーツを取り換えた、というのは先日、警察の遺体安置所へと入り込んだ時のことだ。作業用自動人形と同じ頭部パーツへと取り換え、フィンク議員が送り込んだ秘書の目をかいくぐって潜入した一件だったが、今ここでフィンク議員がそのことに気づく由もない。
礼を述べながら頭を下げるリーピに続いて、モースはケイリーの両肩を掴んで自分の正面に向かせた。
人間の行動を模倣する習慣が染みついていたケイリーは、不用意に父親からのスキンシップを受けた年頃の娘であるかのように表情をこわばらせていたが、モースの視線は彼女の身体バランスへのみ向けられていた。
「きみは、右手に重いものを持つ機会が多いようですね。重量を支えようとして体内の菌糸が偏った発達をした結果、右肩がバランス悪く上がってしまっています。自動人形体内の菌糸も、日々の行動習慣で生育の状態が変化していきます。重量物は左右バランスよく抱え直す習慣をつけるべきです。」
「ど、どうも、気を付けます……。」
ケイリーが日常的に所持する重量物、とは防護傘のことだろう。平時は単なる傘と変わらぬ見た目で、開けば応急の盾としても使え、単に鈍器としても扱える護身用のガジェットだったが、危険が予想される現場への携行を繰り返していたことは事実だった。
人間と違って、食事や休憩や睡眠を必要としない自動人形にも、労働による消耗は確かに見出されるのだ。
自動人形メーカーであるロターク本社の意向通りであればとっくに廃棄処分されているべき個体を目の前にしながら、リーピとケイリーの身体を気遣うようにモースは言葉をかけていた。
とはいえ、時間を自由にできる状況ではない。
彼の振る舞いを横でイライラしつつ見ていたフィンク議員は、緩みかけた空気に割って入るように口を開く。
「フン、あたかも我が子の面倒を見る父親ってところか?羨ましい光景だが、そろそろ俺の依頼を実行するため、そいつらを出発させてもらっても構わんか。」
「えぇ、失礼いたしました、つい引き留めてしまいまして。ですが、この子たちを向かわせる前に、あとひとつ忠告を与えさせてください。」
自動人形に向かって“この子たち”という呼び方をするのも、製造を担当した研究員らしい言動であった。
むろん、リーピとケイリーは依頼主であるフィンク議員の意向を最優先に行動する意図はあったものの、やはり自動人形たちの生みの親であるモースの言葉が引き留める力は強かった。
リーピとケイリーに向かって語り掛けるモースの表情には、いまやはっきりとした心配の色が浮かんでいた。
「本社リコール担当が回収を率先するだけのことはあり、今回の問題を引き起こした個体はごく特殊な存在です。物理的に暴れることはないでしょうが、人間をも凌駕する高い知能を有しています。予想を超える状況に直面することについては、常に警戒を。」
「度々のご忠告、ありがとうございます。では。」
立ってこちらを見送るモース、応接室のソファに座ったままのフィンク議員に対し、それぞれ頭を下げたリーピとケイリーは、顧客の意向を汲むように足早に部屋を出て行った。
―――――
フィンク議員の屋敷から出れば、アントンの花屋がある街中心の大通り、ヴィンスの偽者が働いている場所まではさほど遠くはない。
街の空気が昼の穏やかさに満ち、大通りにも騒動とは無縁の日常が流れている様を見つつ、ケイリーは口を開いた。
「モースからは、警戒するよう言われたが……ヴィンスに成りすましている奴が、わざわざ自分から騒ぎを起こすはずは無いか。」
「えぇ、少なくとも今の彼の認識では、誰にも自分が偽者だとバレていないことになっています。フィンク議員の息子ヴィンスとして活動し続けることが、現状を安定させる一番の手段なのですからね。」
「奴が偽者であることを、奴自身に伝わらないよう周囲に知らせなければならない、ってのが今回の任務なんだがな。」
フィンク議員の面子を潰さぬことだけが目的の依頼であり、今日のうちに偽ヴィンスを警察が確実に拘束するためには、何も余計な干渉をしないのが最適解には違いない。
それでも、仕事を引き受けた以上は、自分たちへの信頼を損ねぬためにも、依頼者の意向は極力遂行すべきであった。
「万が一、警察の部隊が到着するまえにヴィンスが逃亡を図った場合、花屋の店長であるアントンに協力を頼むか。あの巨漢であれば、偽ヴィンスがどれだけ抵抗しても取り押さえるのは容易だろうし。」
「彼ならば僕らの頼みにも応えてくれるでしょうが、そもそも彼の花屋で騒動を引き起こすこと自体避けるべきです。それに、ヴィンスになりすましている自動人形を取り押さえた衝撃で、漏洩した菌糸をアントンさんが吸って脳症を引き起こすリスクの方が大きいです。」
「手段は慎重に選ばなければならないか。」
リーピとの会話の末、当たり前な結論に戻ってくるしかなかったケイリー。
とは言っても、じっくりと考え込んでいる時間的猶予は無さそうだった。
既にフィンク議員の屋敷から警察への通報は為されているだろうし、議員の秘書が直接警察署に出向いて事態への対処を急ぐよう迫ってもいることだろう。
状況を整理し、警察の活動を阻害せずに依頼者の意向を最大限に通すための手段を、リーピが思考内で組み立てはじめた矢先……唐突に声をかける存在があった。
「あ、リーピさん、ケイリーさん!偶然ですね、おふたりそろってお買い物ですか?」
靴職人のラーディであった。
一度会話を始めれば、話題を散らかすタイプの話下手ゆえに、大して内容もないお喋りを延々と続けるラーディ。
ある意味では最も人間らしい、同時に最も多大に時間の浪費を強いる話し相手であるラーディと、よりにもよって今この場面でリーピ達は鉢合わせてしまったのである。




