依頼8:特等市民住宅の一室にて
かつて父親の私財を勝手に売り払い遊ぶ金を得ていた若者であったが、今は文字通り“人が変わったように”真面目に花屋で働き始めた、フィンク議員の息子ヴィンス。
本物のヴィンスが既にこの世におらず、彼の姿を借りて成り代わっている存在が自動人形であろうことは、既にリーピとケイリーが気づいているのだ。
息子の変貌ぶりが異常であると、実の父親が気づかぬはずもない。
「彼がヴィンス氏本人でないことを証明する過程は、意外とスムーズに終わるかもしれません。何しろ、他人であることの証明ではなく、人間ではないことの証明でも構わないのですから。」
「いかに自動人形が精巧に人間を模倣できると言っても、模倣項目が生活の全てに亘れば、流石に綻びが生じるだろうからな。」
リーピとケイリーは連れ立って、探命事務所を出発し街の中心部へと向かっていく。
フィンク議員からの依頼遂行のため実地調査に乗り出す道程、リーピは現時点で既に掴めている内容をケイリーと確認していた。
「先日、僕らが自主的に確認しに行った際に判明した内容は、ヴィンス氏の声と体型がごく短期間ではあり得ないほどに様変わりしていたこと。そして、手を水に漬けても指先に皺が寄らないこと、ですね。」
「花屋で働いている以上、長時間水に触れていることは多いはずだというのにな。店主のアントンも、一時は奇妙に感じていたようだが、ヴィンスがあまりにバイトとして優秀であるため疑念は忘れ去ったようだった。」
ケイリーが言及した長所もまた、明確な異常とは言えぬものの、多大な違和感を抱かせる要因ではあった。
議員である親の私財を当てにしてロクに働きもしなかった人間が、急に店頭に立たされて非の打ち所の無い接客が出来るものではない。だが実際、リーピ達が花屋に様子を見に行った際、ヴィンスは来客を一目見て最短の思考時間のもと、最適な応対をこなしていたのだ。
これらの要素は皆一様に、現在“ヴィンス”として行動している存在が、人間ではなく自動人形である可能性を示していた。
「しかし彼が自動人形であると断定するに際しても、疑念は残ります。そもバイト募集をしていなかったアントンさんの花屋を敢えて選び、押しかけていって仕事を貰うなど、自動人形の思考では至り難い行動決定です。」
「独立して働いている我々も、人間から依頼を引き受けるまで行動の必要性を見出せない。ヴィンス氏本人の遺体からはぎ取ったと思しき顔面を、腐敗させず着用し続けていることも含め、かなり特異な個体だ。」
人間の感性に照らし合わせれば最も不気味で物騒な特徴まで含めて、自動人形としての視点から見ても得体の知れぬ存在であることは確かだった。
それが人間でないことを表沙汰にする手段は、慎重に選ぶべきでもあった。
何しろ、人間の殺害を一度実行した自動人形なのだ。備えもなしに追い詰めれば、次にいかなる行動へ走るとも知れない。
花屋でバイトしている若者、としての立ち位置に対象が落ち着いている現状は、安寧のためにも可能な限り維持するに越したことはない。
―――――
しかし今日、リーピとケイリーが向かう先は、調査対象が働く花屋ではなく、ヴィンスの住居である。
街の富裕層が住まう、高級住宅街。
政治家や企業経営者の住まう邸宅がずらりと立ち並ぶ区画であるが、その地域の隅にも集合住宅は建てられている。
特等市民権を有する人間、すなわち街の政治に携わる者の親族だけが住むことを許された、高級アパートだ。議員たちのために建てられたものの、多忙であり自身の邸宅も有している市議会議員が実際に滞在する時間は短い。
家賃は無し、食事の提供も為されるため、議員の家族や親戚、さらにはその友人までもが無職のまま居座って管を巻いている状況は度々揶揄される。フィンク議員の息子ヴィンスも、以前まではそんな住民たちの一員たる道楽息子であった。
リーピとケイリーは、作業用自動人形の恰好で高級アパートのエントランスへと入っていった。
貧困地域に建っているアパートとは比べ物にならない清潔な設え、磨き上げられたタイル張りの床、下手をすればホテルとも見紛うほど豪奢な玄関である。
その一画に開けられた窓口から顔を出した管理人は、読みかけの雑誌をテーブルに伏せ、ノンビリ過ごしていたのを邪魔されて若干不機嫌そうに作業服姿のリーピとケイリーへ問うてきた。
「清掃作業か?昨日来てもらったばかりだが。」
アパートの管理人を務めるにしては珍しく若い男である。
社会経験の少なそうな、締まりのない顔つきや目つきからするに、彼もまた自主的に職に就く意思が薄弱で、政治家である親族のツテでこの仕事を得たのだろう。
彼に向けて、一室の鍵を示しながらリーピは告げる。今回の調査を引き受けるに際し、実際にフィンク議員から融通された合鍵であった。
「ヴィンスさんのお父上、フィンク議員から合鍵を預かっております。またご子息が、お父上の私物を勝手に持ち帰っておられるとのことで。」
「なるほど、抜き打ちチェックってところか。アイツ、今日も朝から仕事にちゃんと行ったし、すっかり心を入れ替えたかと思ったんだが……悪癖は抜けてないんだな。」
親の私物を勝手に持ち出し、遊ぶ金欲しさに売り払っていたヴィンスの素行は管理人の知る所にもなっているのだろう。
相手がそれなりに事情を知っているのなら、今回の調査活動についても円滑に進めやすい。リーピは少し顔を管理人の方へと近づけ、声を低めて告げた。
「ヴィンスさんの部屋に探りを入れたことを内緒にしておいてもらいたい、とのフィンク議員の意向です。約束していただけますか?」
「あぁ、もちろんだ。バカ息子を持った父親は気苦労が絶えないもんだな。」
若い管理人は、議員相手に秘密を共有するという状況そのものを楽しむかのように、ニヤニヤしながらリーピとケイリーをアパート内へと通し、自分は管理人席の背もたれに身を預けて雑誌の続きを読み始めた。
彼がここ以外では仕事を得られないだろうと判断されるのも無理はない、世間知らずの人間そのものな振る舞いだった。
たっぷりと空間を使った緩やかな屋内階段を上り、四階にヴィンスの部屋はあった。
「こちらのお部屋ですね。」
「依頼を開始する。」
発言内容を誰に聞かれるとも知れない廊下では、リーピもケイリーも自動人形そのものらしく、必要最低限の発話だけを口にしていた。
世間一般の人間は既に仕事へ出ているはずの、平日の昼間。とはいえ、この高級アパートの住民たちであれば、何ら関係なく在宅していてもおかしくない。
合鍵を用いて解錠して室内へと入り、分厚いドアを背後で閉めれば、遮音性の優れた壁に囲まれた部屋の中は静寂であった。
ヴィンスは既に花屋へと働きに出た後であったが、彼の部屋に想定外の同居人が残っている可能性は皆無ではない。リーピとケイリーは、作業用自動人形としての言葉を発しながら、各部屋を隅々まで確認してまわった。
「お邪魔いたします。フィンク議員からのご依頼で、お部屋の清掃片付けサービスに参りました。」
「各室内の状況を確認させていただきます。」
リーピとケイリーは、ドアを開けて回ったが、室内に残っている人間は居ない。
独り暮らしの若者が住むには贅沢な、五部屋ほどの空間。施錠された扉はなく、広々としたリビングダイニングを中心に、キッチンやクローゼット、ベッドルームまで綺麗に片付いている。
収納の一つ一つも開けて内部を確認したが、整然と衣服類が並んでいるばかりだ。
自分たちの声が聞かれる恐れも無いことを確認できたリーピとケイリーは、ようやく口を開いて本来の会話を開始した。
「隅々まで整理整頓された部屋ですね。怪しげな物品、事件性を感じさせる要素は何一つありません。ゆえにこそ、不自然です。」
「親の私物を勝手に売り払って遊ぶ金を得ていた男が、こうも神経質なまでに整然とした部屋を維持できるとは、とても思えないな。」
本来の自動人形であれば持ち得ない感覚であったが、探命事務所の仕事を通じて人間らしさを学んできたリーピとケイリーには、十分に抱かれる違和感であった。
ただ、疑念の域に留まる程度の状況を知ったところで、今回の依頼に求められている材料にはなり得ない。
室内の観察を更に続けつつ、リーピは喋った。
「ヴィンスさん……に成り代わっている個体は、こうして自室を直接調査されることも予測済みだったのでしょう。見られても問題の無い物品だけしか、ここには残っていないようです。」
「不用意に、本来のヴィンスではないことを悟られる要素を残さぬよう、生活に不必要な物はことごとく廃棄したのだろうな。」
おそらく本物のヴィンス存命中は、出されなかったゴミが室内に積み上げられていたのだろう。部屋の隅の壁紙にカビのこびりついた黒い染みが残されている。
体内の菌糸が活動力の源である自動人形は、カビの細胞膜を破壊し除去する洗剤も触りたがらない。
「これほど丁寧に物を片付ける人間であれば、壁紙にカビの繁殖痕が染みついているのも気になる筈です。」
「清潔さを尊ぶ人間なら、掃除せずに放っておくことは不自然だな。独り暮らしで掃除する暇がなかった、と言われてしまってはそれで終わりだが。」
綺麗に部屋を掃除してあるにもかかわらずカビ汚れが残されているのは、やはり今この部屋に住んでいる存在が自動人形である可能性が高いことを示す証拠であった。
いずれにせよ、状況証拠にすぎないが。
この部屋に住んでいるヴィンスが人間ではないことを証明するのは、やはり容易なことではなかった。リーピはキッチンを見て回りながら言う。
「自動人形は人間同様の食事を行わないため、食品が保管されていれば、ヴィンス氏本人の好みとの不一致を指摘できるかとも考えたのですが……そもそも食糧備蓄がありませんね。独り身の男性ゆえ、普段は外食で済ませていると説明が通ってしまいます。」
「自動人形が行わない行為となれば、入浴や排泄などが挙げられるが……トイレや浴室なども、一応は使用した痕跡を残すため水は流しているようだ。」
「あと、人間が生活している時にのみ残される痕跡を期待できる場所といえば、寝室でしょうか。」
睡眠もまた、自動人形が模倣するしかない人間の行動の一種である。
ベッドルームを覗き込んだリーピとケイリーであったが、寝具にはしっかりと使われた形跡があった。これまた、想定外の訪問者が来た時に備え、実際に寝床に横たわることはしているためだろう。
現在のヴィンスが人間でないことを証明する手立てが、ほぼ全て尽きたかと思われた状況であったが、リーピはベッドに顔を近づけてじっと観察を始めた。
ケイリーが不思議そうに問う。
「何をしているんだ。寝床に残された体温や臭いで判別しようとしているのか?」
「いえ、人間が実際に寝ているのであれば、頭髪の抜けているものが残されているはずです。その有無を確認しようと思ったのですが……これは、想定以上のものを発見してしまいました。」
リーピはベッドの上にそっと手を差し伸べ、白い埃の塊のようなものをつまみ上げる。
寝具に使われている繊維がほつれたものかと思われたそれは、リーピが少し指先で力を加えただけで、乾ききった微細な音と共にパリパリと折れて散っていった。
「布地の繊維であれば、乾燥によって割れたり折れたりすることは無いはずです。これは、自動人形に用いられている菌糸が乾燥し枯死したものです。」
「……あり得ないな、人間がこの寝具で眠ることは。」
人間をはじめとした既存生物の体内に入り込めば、たちまち増殖して身体を乗っ取る危険な菌糸。
自動人形の体内でのみ活動しているはずの菌糸が、人間の住空間、それも無防備に眠っている寝具の上に残されていることなど、まず発生し得ない事態だ。
「現在は乾燥によって枯死しているようですが、先ほどの菌糸の塊は、それなりに生育するだけの猶予を得ていたことを示しています。生きている状態の菌糸を睡眠中に吸い込めば、人間が無事でいられるはずもありません。」
「だが、この部屋に住むヴィンス氏は死ぬことも胞子性壊死脳症を引き起こすこともなく、今日もバイト先の花屋へと仕事に出かけた。奴は自動人形ということで間違いないな。」
ケイリーに頷き返しながら、リーピは懐から密封可能な小ケースをいくつか取り出した。
寝具から細い菌糸が綿埃のように固まっているのをつまみ上げ採取し、検査機関に渡す前提で複数のケースに小分けにして保管していく。
他の事項に関しては周到に、自分が自動人形である証拠を隠滅していた偽ヴィンスであったが、寝具の繊維と見間違えやすい菌糸を残してしまっていることについては気づかなかったようだ。
「これが自動人形に用いられる菌糸であることが確認されれば、何よりもの証拠となります。精密に検査すれば、ヴィンス氏に成り代わっている自動人形の型番、製造日時も判明し得るのではないでしょうか。現状は正規の顔面パーツではなく、ヴィンス氏の遺体からはぎ取った顔面を装着しているわけですから、その接合部には隙間が開いてしまっているのでしょう。」
「ちょっと待て、ということは、ヴィンスになりすましている自動人形は現在、体内から菌糸漏洩を引き起こしっぱなしだということか?」
「そうなりますね。」
言ったあと、数拍置いてからリーピはケイリーと顔を見合わせた。
むろん、この寝具に残された菌糸に気づいた時点で、その事実にもリーピは思い至っているが……思い返せば、事態はより深刻である。
本物のヴィンスが死亡してから、彼になりすました自動人形は菌糸漏洩をいつでも引き起こし得る状態で街の中を歩き回り、今もアントンの花屋で接客していることになるのだ。
人間であれば、顔を蒼ざめさせているところであるが、リーピは菌糸を採取し終えたケースを密封しつつ言葉を続けた。
「とはいえ、直接的な被害はまだ出ないでしょう。見ての通り、寝具に水分を吸われるだけでも菌糸は枯死します。完璧に活動を止めたいなら滅菌剤を使うのが確実ではありますが……このところ晴天が続いていましたし、乾燥した路面で菌糸が漏洩しても繁殖する機会は無いでしょう。」
「だがアントンの花屋では、花を活かすために水を大量に使うぞ。」
「……それに関しては、これまで何事も無かった数日の偶然が、今後も続くことを祈るしかありません。とはいえ、この報告は急いだほうがよさそうです。」
あくまで、ヴィンスになりすましている自動人形の開口部は顔面であり、水に直接触れる指先が破損しない限りは菌糸漏洩における直接の危険性はない。
が、それがごく確率の低い偶然とはいえ、顔面の隙間からちぎれ落ちた菌糸が、運悪く湿度の高い環境で繁殖し始めれば、アントンの花屋は一瞬にして危険地帯と化す。
おそらく、現在ヴィンスに成りすましている自動人形自身も、自分が菌糸漏洩を引き起こす危険性に気づいていない。一歩間違えれば街に死が蔓延しかねない紙一重の状況で、先日は皆、和やかに花屋で談笑していたのだ。
さらに最悪のシナリオを想起するならば……ここ数日続いていた晴天が途切れれば、危険エリアは急激に増加するだろう。
「仮に雨天となれば、彼が活動する範囲、移動経路となった路上の全てで菌糸漏洩および菌糸の無制限な繁茂が予想されることとなります。」
「急ごう。我々の憂慮が空振りではないのなら、波風を多少立ててでも今回の件に早急に終止符を打たねばならない。」
一応は部屋に入った時と同様に、扉や収納を閉め、この高級アパートから出ていくリーピとケイリー。
アパートのエントランスで、管理人の男は変わらず椅子にダラダラと腰掛けて雑誌をめくっていたが、二体の作業用自動人形が上階から降りてきたのを見て声を掛けた。
「お疲れさん。ヴィンスの部屋の抜き打ちチェックは、スムーズに終わったのか?」
「えぇ、おかげさまで。繰り返しになりますが、フィンク議員からの依頼で我々が来たことは、秘密にしてくださいよ。彼は息子さんが自主的に謝罪しに来るのを期待していらっしゃるのです。」
「はいはい、内緒ね、内緒。」
管理人の男は浮薄な笑みと共に、いいかげんな相槌だけを返していた。彼が口の堅い人間ではないだろうことは、リーピもケイリーも充分に推測できていた。
だが今となっては、自分たちがヴィンスの部屋に入り込んだことに気づかれようとも、それは大した問題ではない。
―――――
アパートから足早に離れていきながら、ケイリーはリーピに尋ねる。
「リーピ、私は先に花屋へ向かって、ヴィンスとして働いている奴の頭部に袋を被せて密閉してやるべきかとまで考えているんだ。」
「僕もほぼ同意ですが、実行すべき案ではないでしょう。我々が彼の正体に気づいたと直接告げるも同様の振る舞いです、彼がその場で逃走ないし攻撃行動に移る可能性も高いのです。」
せめて今日の仕事時間が終わってヴィンスに成りすましている自動人形が帰宅すれば、アントンの花屋は騒動に巻き込まれずに済むのだ。
現在為すべきことは、今回採取した繊維が自動人形に用いられる菌糸であると出来る限り早く特定し、翌朝ヴィンスが仕事に出る前に彼を拘束することだった。今までの憶測を全て確定に変じる決定的証拠が出れば、警察が動かざるを得ない状況にも持ち込める。
今まで誰も気づかぬまま抱えていた危険性が現実にならぬことを願いつつ、リーピが向かう先はフィンク議員の邸宅である。
「ヴィンス氏の部屋の寝具から採取した、枯死した菌糸の検査を急ぐべきです。フィンク議員の立場であれば検査を急がせることが可能かもしれません、この提出をもって調査結果報告といたしましょう。」
「そのまま、フィンク議員に渡して問題ないのか?」
「枯死しているとはいえ、危険性は伝えます。それに、複数のケースに分けて採取しているため、こちらでも独自に保管し、紛失のリスクを分散可能です。」
ケイリーに対して返答するリーピの言葉は、不必要な内容を削ぎ落した無機質なものとなっていた。
自動人形らしい振る舞いに戻るほどに、それはリーピが事態の切迫を強く実感していることの表れであった。




