依頼7:遺体安置所にて 2/2
闇医師チャルラットからの依頼を受けた翌日、リーピとケイリーは警察の遺体安置所へと向かっていた。
当然ながら、自前の作業服や私服姿では進入を許可されるわけがない。
警察組織が運用している作業用自動人形と同じ格好を、両名とも身に纏っていた。この衣装を入手する目的が、市長の意向と合致したからこそ、提供を許されたものであった。
遺体安置所の入り口にて、公認を得た作業用人形である身分証をリーピは示す。
「登録作業用人形106番および107番、場内清掃の担当です。」
「認証した。入れ。」
確認を終えた警備員が開いた金属扉の奥、地下へと降りていく薄暗くなだらかなスロープへと進んでいく。
背後で扉が閉まる音を確認した後、リーピは小声でケイリーへと告げた。
「先ほど、警備員さんたちに混じって、制服姿ではない人間が一名居ました。おそらく、フィンク議員が送りこんだ監視役でしょう。」
「死亡診断書を作成する医師が到着し次第、フィンク議員へと連絡を入れる手筈になっているのだろうな。我々も、完全に作業用人形と同じ格好で来て正解だった。」
リーピもケイリーも今、愛玩用自動人形として作られた顔面パーツや頭髪パーツは装備しておらず、警察で運用されている作業用人形と同じ無機質なパーツで頭部を構成していた。衣服だけではなく、身体パーツまで取り換えられる自動人形だからこそ可能な変装である。
作業服や身分証のみならず身体パーツまで融通されたのも、今回のチャルラットからの依頼が、市長の思惑に沿う内容であったおかげであった。
街から黙認されていた、非合法な人形解体ビジネス。その仕事現場で、自動人形による殺人事件が発生。よりにもよって殺害されたのが、マトモな職に就いていなかったフィンク議員の息子。この事件が明るみに出れば、芋づる式に街の汚点が次々と白日のもとにさらされることになる。
ゆえに、市長および警察組織は、今回の一件は何の事件性もない、単なる事故として処理したがっていた。だが、犠牲者の父親であるフィンク議員は、真相を闇の中に葬ることをよしとしていない。
「流石にフィンク議員も、死亡診断書が作成された後では遅いと分かっているでしょう。彼が直々に動くとすれば、死亡診断書が作成される現場をおさえられるタイミングです。」
「書類作成の現場であれば、虚偽の記載についての言い逃れも出来ないからな。人間である医師が安置所に入れるのだから、遺体周辺の衛生状態を理由に接近を拒むことは出来ないだろうし。」
そもそも、フィンク氏が市議会議員であるという立場自体、警察としても介入を強く拒めない理由になっていただろう。何の権限もない一般市民が相手なら、簡単に門前払いも出来ただろうが。
ゆえに、リーピとケイリーはチャルラットが死亡診断書を書きに来る前日、こうして安置所の保全作業を担当する自動人形に扮して隠蔽工作をしに来たのだ。
事件性を見出せないよう、遺体の状態に細工するために。
地下の遺体安置所まで続くスロープは、一定間隔で照明が並ぶ以外は排水用の溝が掘られているばかりの寒々しい光景である。
遺体搬送用のストレッチャーが滑落するのを防止するため、スロープは幾度も折れ曲がりながら地下へと向かう。
その最下部を塞ぐ金属扉の前に、警備用自動人形が立っていた。無数の遺体が保管された区画、単なる気味悪さゆえのみならず、細菌感染のリスクも負う場所の警備を、人間が担当することはない。
警備用自動人形は、ロクにメンテナンスもされていないのだろう、ひび割れたような無機質な声で告げる。
「身分証の提示を。」
リーピとケイリーは、無言のままに身分証を示し、直ちに扉は開かれた。
スロープを下っている際の話し声が聞こえていたためか、警備用自動人形はてっきり人間が来たものと考えていたらしい。気密性の高い金属扉がゆっくりと開いていく最中も、単なる作業用自動人形に過ぎないはずのリーピとケイリーのことを、彼は不思議そうに見つめていた。
厳格に命令に従うことだけを求められる自動人形にも、感情に似たものは芽生えるようだ。殊に、人間の遺体が搬入される様を幾度も間近で見つめ、長期間ひとりきりで居続ける人形には、自由にできる思考の余白も広いのかもしれない。
自動人形同士において不必要な振る舞いではあったが、リーピは警備用自動人形の傍らを通り抜ける際、ちょっと頭を下げて声を掛けた。
「長らくのお勤め、お疲れ様です。扉は閉めておいてください、滅菌剤が飛散して安置所から出てしまう可能性があります。僕らは人形なので換気も不要です。」
「……どうも……了解しました。」
むろん警備用自動人形に、愛玩用人形のごとく表情変化のある顔面パーツは装着されていなかったが、彼はますますポカンとした様子であった。製造されて初めて向けられた労苦への気遣いが、彼の胸中では奇妙に温かかった。
遺体安置所は地下深くに存在するとはいえ、搬入作業や検死時に備えて常に煌々と照明が点灯している。
内部はいくつもの小部屋に分かれており、各部屋には壁内に埋め込まれるロッカーのような形で遺体の保管場所がある。足音はすぐ近くの壁面で明瞭に反響し、歩けばすぐ背後に何者かがついてきているかのような錯覚を聴くこととなる。
検死を待つ遺体でこれら保管場所の全てが埋まるほどの事態はそうそう無いだろうが、しかし災害発生時の利用も想定されているのだろう、随所に滅菌剤のタンクと噴霧器が備え付けられていた。徹底して湿気が追い出され、菌類を中枢とする自動人形にとっては居心地の悪い空間であった。
リーピは内部を見渡し、早急に目当てをつけて小部屋の一室へ向かっていった。ケイリーは後を追いながら、リーピに尋ねる。
「例の遺体が保管されている位置は、分かっているのか?流石に、そんな情報を事前に得られはしなかったが。」
「えぇ、この制服と身体パーツをお借りする以上のことはお願いできませんでしたし。ですが、見当は付きます。」
そもそも今回の件の主たる問題の種、倉庫区画の地下で発見された遺体は、顔面を剥がされるという激しい損壊のうえ、自動人形から漏洩した菌糸が繁殖し、人間であれば接近すること自体が困難なほどに酷い汚染状態にあった。
それを、地下に隔離された空間とはいえ警察署の死体安置所へと運び込む以上は、相当念入りに滅菌処理が為されたはずである。
無人の空間ながら、惜しげもなく照明が点けられているおかげで、その痕跡は明瞭に見出せた。一つの小部屋の床にだけ、滅菌剤の白粉が散らばった痕があったのだ。多少は清掃されてはいたものの、うすら白くなった一面は遠目にも目立った。
リーピは床が白くなっている小部屋を覗き込んで、口を開いた。
「見つけました、この場所です。それに、この状態であれば痕跡を見出すまでもなく、直接発見出来ましたね。」
「ああ、保管用のロッカーに遺体が収まらなかったのだろうな。」
ケイリーも部屋を覗き込んで、口を揃えた。もしも彼女が今、愛玩人形用の顔面パーツを装備していれば、眉根に皺を寄せるぐらいの表情は浮かべていたかもしれない。
遺体は、保管用のエリアに収納されることなく、小部屋の中央、ストレッチャーに乗せられたままの状態で置かれていた。
もとより太り気味だった犠牲者の遺体は、体内で蓄積した腐敗ガスによる膨張がピークに達し、さらにブクブクと一回り膨らんでいた。
それを抑える効果を期待してか、あるいは膨らんでいる遺体への応急措置として必要だと判断されたのか、まるで雪が降りしきったかのように滅菌剤の白粉が遺体の表面を覆い尽くしている。被服を身につけていないことも相俟って、この遺体は塩釜焼きにした肉塊のごとき様相であった。
使い捨て用の手袋を填めてリーピは遺体の顔に触れ、損壊部分がしっかりと滅菌剤で埋め尽くされている様を確認しながら言う。
「マトモなエンバーミングも為されていないようですね。滅菌剤漬けにして、そのまま検死の日まで放置するだけの処理が施されたようです。」
「滅菌剤には強力な脱水乾燥効果もある、このまま放置されては腐敗も中途半端に終わって残りの体細胞が乾燥しきるだろう。警察にはハナから元の遺体の状態を保管する気などない、ということだな。」
「予測していた状況とは少し異なりますが、しかし予定していた細工が不可能になる状況ではありません。仕事を始めましょう。」
さっそくリーピは腰に提げていた工具袋から刷毛を取り出し、遺体の顔面を覆っていた滅菌剤を払い除け始める。
ケイリーも、背負っていた掃除用具の一式を床に下ろし、本来の体裁通りに清掃用の箒や塵取りを用意し、遺体から零れ落ちる薬剤の粉末を掃いていく。
あらかた滅菌剤を除去し終えた後、リーピは自分の作業服の腹部をたくし上げ、そればかりか自身のボディの表皮もめくる。
自動人形だけが持ち得る体内の隠しケースから取り出したのは、人間の顔面であった。
もちろん、本物ではなく、愛玩用自動人形のスペアパーツである。ボディとの接続面に張られた保護用フィルムを剥がしているリーピに、ケイリーは言った。
「高かったんじゃないのか、それ。」
「流石に、使う機会もありませんでしたので。」
リーピとケイリーは、常用している顔面パーツとは別に、替えも複数用意している。破損時に備えてのスペアとしてだけではなく、本格的に変装が必要なケースに対応するための顔面である。
今、この現場にリーピが持ち込んだのは、いつも愛用している少年の顔とは似ても似つかない、中年男性を模した顔面パーツであった。
「……この顔、ダンディな雰囲気だから、僕の顔として一度は使ってみたかったんですけれどね。」
「それが似合う体型にするためには、ボディを総取り換えしなければならないだろう。少年として振舞うことで気に入られている相手も多いんだから、余計な出費は避けるべきだ。」
「分かってますって。一度も使わなかったということは、この顔に見覚えがある人物も居ないということ。今回の依頼にはうってつけということです。」
美形の人間としての容姿を与えられる愛玩用自動人形は、全く同じ顔の存在が極力生まれないように、顔面のデザインは個体ごとに微妙に変えられる。
完全なオーダーメイドとなれば恐ろしく高額となるが、そうでない場合もそれなりに値段の張るものとなるのだ。人間を模した人形の顔が不気味の谷を脱するためには、プロのデザイナーである人間が監修しなければならない。
万一の変装の必要に備えて中年男性の顔面パーツを購入した際の出費を思い出しつつも、リーピはその顔面パーツの接着面に粘液状の養分ゼリーを塗り始めた。
「遺体深部の菌類が、死滅しきっていなければ良いのですが。あまりに顔面だけが綺麗すぎると、腐敗が進行していた身体との違和感が際立ってしまいますからね。」
「顔面パーツ側の菌糸は確実に生きているのだから、遺体と接合する際に出来るだけ深く根を張ってくれるのを期待するしかないな。」
ケイリーが見守る前で、リーピは慎重に顔面パーツの位置を合わせ、遺体から剥がされた顔面の代わりとして接着させた。
これこそ、今回リーピとケイリーが遺体安置所へ入り込んだ一番の目的であった。
顔面を剥がされた遺体が事件性を雄弁に物語っているのなら、顔面を与えてやれば良い。チャルラットも、これで単なる事故死遺体であるとして死亡診断書を作成できるだろう。誰がどう見ても事件性を見出せなくなれば、この件を穏便に流したい市長の意向にも沿うこととなる。
問題は、愛玩用自動人形の顔面が、本物の人間の遺体と上手く接続されるのかという点であったが。
「表情筋を稼働させるための菌糸は、順調に伸長しています。……幾本かが遺体内部へと進入したようですが、流石に滅菌剤漬けになっていた肉体から養分を吸収することは難しそうです。」
「我々自動人形の体内で繁茂している菌糸にとっても、過酷な栄養環境だということか。」
自動人形にとっての筋繊維や神経細胞を構成する菌糸。ウィタミーキスとの学名を有するこの菌類は、通常時は人形という器の中で発達することで、思考能力や運動能力を獲得し、一個体としての活動を持続している。
一方で、生物の肉体に入り込んでも豊富な栄養源を頼みに急速に繁茂し、既存の筋繊維や神経系を菌糸へと置き換えて身体を乗っ取るような振る舞いを示す。
当然、本来の体細胞を脳までことごとく破壊された人間は死に至る。だからこそ、人形の破損や解体は菌糸漏洩の危険を伴うのだ。
不完全な人形のごとく意思なき行動を繰り返す存在となり果て、この状態は胞子性壊死脳症と名付けられている。その危険性は、ヘルパー自動人形の破損によって脳症を引き起こした老人のケースや、非合法な自動人形解体設備から作業員が一人残らず逃亡したケースをとっても明白である。
既に死亡して時間が経過した遺体でも、自動人形用の菌糸は養分を吸って繁茂することが出来る。とはいえ、今回は完全な活動状態になるのではなく、あくまで遺体の顔面として癒着しさえすれば良いのだ。
「養分ゼリーの効果で、菌糸たちもある程度は持ちこたえていますが……もう少し念入りに、滅菌剤を除去しておくべきだったでしょうか。」
「しかし、菌糸の活動が抑制されなかった場合、遺体の脳や手足にも到達して繁茂し始めてしまう。下手をすればチャルラット医師が到着する当日、検死するはずの遺体が起き上がって歩き回っているという光景を拝むことになるぞ。」
「仮にそうなったとしても、人形の菌糸が漏洩したエリアで発見された遺体ということで、説明がつかないわけではないでしょうけれどね。あぁ、けれど、それなりに遺体へと菌糸が根付き始めたようです。」
リーピとケイリーがじっと観察する目の前で、人形用の顔面パーツ内部から伸びていく菌糸はしっかりと遺体の深部まで入り込んでいった。
愛玩用人形の顔面パーツは、複雑な表情筋を制御するために無数の菌糸がボディと接続する仕組みになっている。
本来の使い道通りであれば、自動人形の頭部パーツと接続する菌糸であるが、今は遺体に残された養分を貪欲に手繰り寄せるがごとく、原始的な繁殖力を菌糸たちは発揮していた。
やはり、上から滅菌剤を振りかけられただけであれば、表皮部分以外は遺体内に水分や養分が残されているのだ。
遺体の深くまで食い込んで養分を吸い上げ始めた菌糸の周囲からも、微細な菌糸がミクロの絨毯のごとく織りなされながら伸びはじめ、遺体の皮膚へと食い込んで癒着を開始した。
まじまじと観察を続けていたリーピであったが、思惑通りに事が進んだのを確認して口を開く。
「うまくいきそうですね。このまま菌糸が伸び続ければ、本来の皮膚と一体化して接着面の切れ目も判別つかなくなるでしょう。」
「だな……いや待て、リーピ、この顔面パーツ……。」
「何か問題でも……?」
リーピは遺体と顔面パーツの接続面だけを凝視し続けていたため気づかなかったのだが、ケイリーの視線はその顔面パーツの表情に向けられていた。
顔面パーツは、今、ハッキリと表情を浮かべていた。
自分の置かれた状況が分からぬまま、急に目覚めさせられた重篤患者のごとく、目を見開いたまま、呆然としきっている。
徐々に口が開いていく。全身が腐敗しきり、顔面の内側は特に激しく損壊し、体内にガスが溜まり、身体の末端は壊死し……そんな身体に突如意識を宿らされた男が、悲痛の極みで絶叫するがごとく、大口を開けている。
山のように大量の滅菌剤が、その顔面にぶちまけられたのはすぐのことであった。
ケイリーが床を掃いて塵取りに集めていた滅菌剤を、リーピが遺体の顔面めがけて一気に注ぎ込んだのである。
「リーピ……?」
「先ほどケイリーがおっしゃった懸念が、現実となりかけましたね。大きく口を開いてくれていて助かりました、遺体の皮膚との癒着さえすれば、内部の菌糸を枯死させきってしまっても問題ありません。」
濛々と立ち込める白粉の煙が収まったあと、現れたのは水分を吸収されつくして皺だらけになった顔面であった。
菌がいったん繁茂し、遺体と癒着した後、乾燥したことでいよいよ本来の遺体らしい容貌となっている。結果的には、期待以上の遺体状況を作り出すことが出来たのだ。
「……あんなにハッキリと苦悶の表情を浮かべるような時間は、極力短いに越したことありませんからね。」
「あぁ。」
ケイリーは言葉少なに返答した。
感情は人間を模倣する他に表現しようのない自動人形の身であっても、先ほど遺体が与えられた顔面が浮かべた断末魔の表情は「ゾッとする」という感覚を理解するに十分すぎるものであった。
このチャルラットからの依頼を引き受けなければ、抱えることなどなかっただろう嫌悪感であった。
その後、リーピもケイリーも無言のままに床掃除をし、遺体には来た時と変わらぬように滅菌剤を念入りに降りかけ、恙なく撤収した。
ノックの音を聞き取って扉を開けた警備用自動人形には、リーピとケイリーがまるで人間のごとく精神的な消耗を経験したかのように見えた。もちろん、分厚い金属扉を隔てて、遺体に細工する隠蔽工作が行われていたなどと知る由もない。
彼は人間に対して気遣うように、見送りの言葉を掛ける。
「大変な場所での清掃、ご苦労様です。」
「お気遣いありがとうございます。」
本来は自動人形同士であれば不要なはずの挨拶を警備用自動人形とも交わし、リーピとケイリーは地上階へと戻るスロープを上がっていった。
遺体と、自動人形。命を有さぬ存在しか居ない死体安置所で、文字通りに人知れず感情のやり取りは行われていたのであった。




