依頼6:アパート外の路上にて
新規の依頼を受けて、リーピとケイリーは依頼者の居る現地へ向かっていた。
目的地は、商業区画からも外れた、貧困層の住まう地域。リーピもケイリーも作業服やヘルメットを着用し、作業用自動人形らしい恰好に努めている。高額な愛玩用自動人形の姿でほっつき歩いては、貧困住民との予期せぬトラブルを誘発しかねない。
それに、今回の依頼内容もまた詳細が不明瞭であり、万一の場合は活動を打ち切って即座に撤収する準備も必要だった。
作業服のフードですっぽりと頭部を覆い、くぐもった声でリーピは喋る。
「か細い少女の声で、助けを求め、住所を告げるだけの連絡。緊急性があるようには聞こえませんでしたが、困窮しきった様子ではありましたね。」
「ことによっては、我々をおびき寄せる罠という線も疑っておかなければ。とはいえ、探命事務所への連絡手段を知っているのは限られた顧客だけのはずだが。」
ケイリーもフルフェイスのヘルメットの中で、ボソボソと返答した。ずっしりと重量のある防護傘も、今回はしっかり携行している。
リーピの探命事務所は、警察等の公的機関に頼れない事情のある顧客から、様々な依頼を引き受けている。あまり名が知られ過ぎると調査にも差し支えるため、大っぴらには宣伝せず、連絡手段は探命事務所を利用したことのある顧客にしか知らせていない。
それゆえ、事務所に掛かってくる通話に、見ず知らずの相手からの連絡が入ることは滅多になかったのだが……今回は、その数少ない例外が発生していた。
「花屋のアントンさんの件でも、彼は人づてに連絡先を入手なさったそうですからね。他にも、僕らの探命事務所について直接は知らずとも、伝え聞いた方は居るでしょう。」
「警戒は緩めるなよ。そろそろ、連絡にあった住所だ。」
ケイリーと共に、リーピは足を止める。
貧困な地区とはいえ、まだ路上生活者の姿はさほど目立たないエリア。空き地には殆ど投棄されたも同然の錆びついた建築資材が放置され、寂しげな街の隙間を埋めるように古いアパートが立ち並んでいる。
アパートの窓々は殆どがヒビの入ったままであり、隙間の空いた入り口扉が細く抜ける風の音を立てていた。壁に入った亀裂は、一度補修された痕に再び割れたまま、修繕を諦められている。
連絡された住所は、そんな一件のアパートの位置を示していたが……肝心の部屋番号が不明である。気が滅入る光景の中で、ケイリーは4階建てのアパートを見上げる。
「まさか、このアパートの部屋をひとつひとつ確認していかなければならないのか?」
「他に手が無ければ、そうせざるを得ませんね。しかし、連絡を入れた本人が、部屋番号を知らせていないことを自覚しているでしょう。僕らの容姿はあらかじめ伝えていますので、現地に到着した時点で会えてもおかしくはないのですが……。」
言いながら、リーピは周囲を見回すものの、こちらの到着を待っていると思しき依頼者の姿はない。アパートの入り口で出迎えてくれていれば、話は早く済んだのだが。
顧客と会えぬままに帰るわけにもいかない。他に手もなく、リーピはケイリーと目を見合わせてから、アパートの玄関へと入っていった。
アパートの内部も、外観と大差なかった。
長年染みつき続けた煤や埃で黒ずんだ壁に囲まれた玄関ホールには、二階へと上がる急な階段や郵便受けの箱が並んでおり狭苦しい。
その隅に開かれた窓口越しに、管理人室があった。管理人の男は高齢であり、長年の気苦労がそのまま刻まれたかのごとき皺だらけの顔を上げ、見慣れぬ来訪者を睨みつけた。
「なんだ、人形か。点検作業は、先月やっただろ。」
「今回お伺いしたのは、設備点検のためではありません。こちらのアパートの住所から、連絡を戴いたのです。申し遅れました、僕の名前はリーピです。ここの住民の方で、僕を呼び寄せた方はいらっしゃいませんか?」
「知らん。」
管理人の老爺は、住民に確認を取ろうとするそぶりすら示すことなく、即答した。自動人形を単なる道具と見做し、気を遣うべき相手ではないと断じるのは高齢者に共通する性質だった。
ここでいくら頼み込んだところで、この管理人が自動人形からの話に応じてくれることなど無いだろう。リーピはアパート内の各部屋を自ら尋ねて回る算段へと移行するつもりで、口を開きかける。
が、リーピが声を発する直前に、管理人の言葉が遮った。
「そういや、知らんガキが、ウチのアパートの前で待っとったぞ。」
「子供が、ですか?」
「玄関の前に座り込んで、咳ばかりしとったから追い払った、ウチの住民に病気うつされでもしたらかなわん。」
アパートの住所だけを告げて、どの部屋にいるでもなく、玄関で待ち続けている子供……となれば、確かにリーピの事務所に入った通話内容との一致点も見出せる。
咳をしていたというのも、通話時の弱り切った声と無関係ではないだろう。このアパートに住んでいるわけではなく、単にこの建物を待ち合わせ場所として決めただけであれば、部屋番号を伝える必要もない。
そんな推測を組み立てているリーピを急かすように、管理人の老人は言葉を重ねた。
「ついさっき追い払ったが、まだ近くにおるかもしれん。あれに用があるんなら、とっとと連れていってくれ、余計なトラブルは御免だ。」
「僕らに連絡をくれた方か否かは確定していませんが、ひとまず探しに行きますね。情報提供に感謝します、行きましょう、ケイリー。」
リーピと並んでケイリーも頭を下げたが、すでに管理人の老人は厄介払いが出来たとばかりにそっぽを向いて、膝に置いていた雑誌をめくりはじめていた。
アパートの外へと出たリーピは、探すべき相手の姿を見出すまでさほど時間はかからなかった。
行くあてもなく、管理人からも追い払われた、病気に罹っていると思しき子供。そんな存在が寒々しい路地の目立つ場所へと出ていくはずもなく、アパートの建物の影になる位置へと入っていくのはほぼ必然だった。
角を曲がって隣の建物との隙間に入り、不当に放置されたゴミや廃材が転がる薄暗い通路の奥に、薄汚れた布にくるまった小柄な姿があった。
リーピとケイリーの足音が近くで止まったのを聞きつけたのか、その人間はビクッと顔を上げる。
「探命事務所のリーピです。先ほど僕らに連絡なさったのは、あなたですか?」
「……あ゛……ゲッホ、は、はい゛……。」
あまりに小柄で華奢な体型であったため、先ほどの管理人も、またリーピとケイリーも一見して相手が子供だと判断していたのだが、返答する声は大人の女性に近いものであった。
年齢は、まだ少女と呼んでも差し支えない頃と見えたが、喉が嗄れ、痰が絡んでいたためか、余計に低く聞こえ、容姿との大きなギャップを生んでいた。
彼女は一声発するだけでも、相当な体力消耗を強いられる様子だった。顔立ちは憔悴しきっていたが、リーピには見覚えのある顔でもあった。
リーピはさらに質問を重ねる。
「先ほどの通話では詳細を確認できなかったのですが、依頼内容がお決まりでしたらお教えいただけますか?」
「ウッ……ゴホッ……身体が……熱で、もう、動けない……どうにか、助けて……」
リーピは掌を依頼者の額へと近づけ、直接触れるまでもなく高熱を発している様を確認した。
人体がこれほどの熱を発するのは、疾病が悪化した際の反応に違いない。
判断能力や身体能力も大幅に低下し、自力での行動には大幅な制約がかかるだろう。体温がこれほど上がっているにもかかわらず、少女が全身をボロ布で覆ってうずくまっているのは、体温との差で外気を寒く感じているためでもあろう。
確かに助けを呼ぶべき状況には違いなかったが、探命事務所に舞い込んでくる依頼としては余りにもお門違いであった。
背後で素早く立ち上がりかけたケイリーを、リーピは一旦制する。明らかに救急隊に引き継ぐべき件だとケイリーは判断したのだろうが、依頼者がリーピの事務所へわざわざ連絡を入れたことにも意味があるはずだった。
依頼人の少女に対し、リーピは出来るだけ短く、明瞭な言葉で尋ねる。
「救急隊へと通報いたしましょうか?」
「……ゴホッ、ゴホッ……!だめ……お金、ない……。」
この街では、火災時に出動する消防隊、そして菌糸漏洩時に対応する特殊清掃業者については、市が資金を出しているため無料で現場へと呼び寄せることができる。
だが、それらとは異なり、救急隊の急行は有料サービスとなっていた。火災や菌糸漏洩と異なり、街の土地や建物に目立った損害を与えない事象への対処は、さして重視されていない。
救急隊が病院へ患者を搬送した後に、貧困な患者が治療費を支払えないというトラブルも問題視されていた。救急隊を呼べるだけの財力を有していることが、病院に受け入れられるひとつの関門としても扱われているのだ。
最初の予想が当たっていたことを確認し、リーピは問いかけを続ける。
「しかし、僕らも医師ではありません。あなたの病気を治すこと以外のご依頼でしたら、引き受けられるのですが。」
「お願い……助けて……このまま、だと……わたし、死ぬ……」
救急隊や病院に支払う金がないからこそ、この少女は医者ではない存在に助けを求める羽目になったのだろう。
さすがのリーピも、即座には解決策も思いつかず、一旦立ちあがってケイリーと顔を見合わせた。
今まで、依頼を通じて知り合った相手にしか探命事務所の連絡先を教えていなかったため、こういった難儀な依頼を抱え込む予定はなかった。とはいえ、助けを求める声を無視して撤収するわけにもいかない。どんな拍子に噂が流れ、事務所の評判に影響するとも知れない。
考え込んでいるリーピよりも先に、ケイリーがシンプルな提案を口にした。
「人間の病気に対処するのは、人間の医師でなければ不可能だ。救急隊を呼べないなら、私たちが彼女を担いで病院まで連れて行くしかない。」
「問題は、病院へと運び込んだところで彼女が治療費を支払えないことです。僕らがその費用を立て替えることは……非常にリスキーです。自動人形が不法な貸金を行った、と扱われれば僕らの事務所存続の危機に直結します。」
この街で仕事を続けていくうえでは、金融関係で問題を見出されることが何よりも重大な瑕疵となり得る。殊に、自動人形が参入することは厳密に禁じられていた。
リーピ達も独立して仕事する自動人形としては認められているものの、あくまで依頼者から支払われる報酬を受け取るのみである。人間が運営する探偵事務所などは、債権の回収や企業財務の監視といった依頼を引き受けているケースもあるが、自動人形には任されることがない。
そも資金運用や投資に、自動人形が自主的にかかわることが許諾された前例もないのだ。人間と違って休息の必要が無い、精神状態や心理状態で判断能力も損なわない自動人形が金融業に携われば、経済競争に歯止めが利かなくなると誰しもが判断しているのだろう。
話を戻せば、人命よりも経済が優先されるこの街で、高熱により意識朦朧となっている少女を裏路地に放置した際の結末は、誇張ではなく死に繋がるものと思われた。
リーピは治療費を用立てることなく患者を受け入れられる、そんな現実的には都合の良すぎる病院や医師を探す他にないと結論づけていた。
「当然、普通の病院では無理な話です。金銭以外の手段で治療費を受け取る医師の常駐している医院が理想です。」
「そんなの居るのか?」
「ひとり、心当たりが居ます。あの医師ならば最悪の場合、現金での支払いを要求しても、支払い主の欄を書き換える程度の融通は利かせてくれるでしょう。」
ボロ布にくるまってうずくまっている少女の護衛をケイリーに任せ、リーピは間近の公衆通話機へと急いだ。
リーピが通話交換手に告げた番号は、探命事務所と同様、一般には公表されていない業種の連絡先である。彼がそれを知ることが出来たのは、探命事務所と仕事場を共にすることが多い相手であったためだ。
直近では、ヘルパー自動人形の菌糸漏洩によって死去した老人の件で、リーピと入れ違いで現地へ到着していた、あの男だ。
「もしもし、そちらチャルラット医院さんですか?」
「……飛び入りでの仕事は受け付けてませんけど。」
「僕です、リーピです。もしもお手すきなら、ちょっとお頼みしたいことがあるんです。いつもの死亡診断書を書くお仕事とは別です。」
受話器の向こう側から、小さく溜息の声が聞こえる。
医師は医師でも、大病院に勤務するでもなく、開業医でもない、裏社会からの仕事を主に引き受けている男。実際に医療行為をすることはほぼ無く、死亡診断書を作成し、遺体を“合法に”処理することが彼の主たる仕事内容である。
暫しの沈黙の後、いかにも面倒そうな声ながら返答が来た。
「用件だけ聞かせてもらえます?引き受けるかどうかは、その後で決めますんで。」
「ある少女を診察してもらいたいんです。重度の発熱があり、意識が混濁しかかっています。彼女は治療費を支払える見込みが無く、通常の病院への受け入れは期待できません。」
「……俺もボランティアとちゃいますけど。リーピさんが話を持ってきたにしては、こっちに旨味無さすぎません?」
「彼女は以前、市長邸宅にて使用人として働いていました。」
今度は息を短く吸いこむ音が、受話器から聞こえてきた。
憔悴しきった様子の少女であったが、リーピは見覚えのある相手だと気づいていた。
いつぞや、リーピとケイリーが市長邸宅へと呼ばれた時のことである。市長の孫娘の遊び相手になってほしい、という拍子抜けな依頼であったが、その裏では同時に市長邸宅内での窃盗事件が発生していた。
真犯人は不明のままであるが、仮にリーピ達が邸宅内部をウロウロしていたら、窃盗犯としての容疑を掛けられていた可能性が高い。リーピとケイリーは、市長の孫娘とずっと庭に出て遊んでいたため、被疑者となることはなかった。
その事件の際、屋敷内部で顔を蒼ざめさせていた使用人が、今しがたアパートの陰で高熱にうなされている少女であった。詳細不明ながら、市長邸宅での窃盗事件に直接関与したのが彼女である可能性は高かった。
患者の素性を聞かされ、闇医師チャルラットは俄然興味を抱いたようであった。
「そんな子が、治療費も払えん状態でいるやなんて、何があったんですかね。市長さんを怒らせて追い出されでもしたんでしょか。」
「彼女を治療すれば、経緯はゆっくり聞くことが出来ます。市長邸宅の内情についても、彼女は詳しいでしょう。」
リーピが強調した、その点こそまさにチャルラットが欲している要素であった。
一般の病院では引き受けられない仕事を請け負うからこそ、利益を上げている闇医師。ただ、医師免許を剥奪されてしまっては続けられない業務であることにも違いない。
限りなく黒に近い業種に就いている人間の常として、街を牛耳っている市長の動向を知り、気に入られておくことは必要不可欠なことでもあった。
チャルラットは声色を強いて変えなかったものの、この話に対しては急激に乗り気になったようだ。
「ま、問題は、治療費ぶんの実入りがあるかどうか、ですけど。さほど情報も得られず、病気が治ったからってサッサと消えられては、こっちも働き損ですよ。」
「彼女、他に行き場もありませんので、そちらで看護師として雇ってあげてはいかがでしょうか。市長邸宅で働いていただけあって、一通りのスキルは身についているはずです。人間の尺度にて評価すれば、美少女と称し得る容姿でもあると思われます。」
「……場所だけ伝えますんで、その子を連れてきてもらいましょか。」
リーピは通話機から振り返り、話が通ったことを示す合図も兼ねてケイリーに向け手招きした。ケイリーは頷き返し、ボロ布にくるまった少女の身体を軽々と担ぎ上げて建物の陰から歩み出て行った。
アパート一階の窓からは、まだ建物から離れていないリーピとケイリーに対し、管理人の老人が忌々しげに視線を送ってきていた。
―――――
闇医師チャルラットが指定した住所は、貧困地区からさほど離れていない、商業区域の外れにある雑居ビルの一室である。
室内は医院にしてはあまりに物が少なく、何かあれば容易に移転できる準備だけは万端の様子であった。公の視線から隠れて活動するために都合の良い拠点を、闇医師は他にもいくつか確保しているのだろう。
チャルラット本人には過去にも現場で顔を合わせたことはあるが、面と向かって会話する機会はそうそう無かった。出迎えた彼は薄汚れた白衣を羽織り、蒼白の顔面に鋭い目つきが人相の悪さを際立たせていた。
リーピは丁寧に頭を下げ、無茶な頼みを引き受けてもらった礼を述べる。
「お忙しい中、急患の受け入れありがとうございます。」
「こっちとしては、自動人形さんが救急隊の真似事まで始めたことに驚きですけどね。あ、このベッドに寝かせといてもらえます?」
リーピに続いて部屋に入ってきたケイリーは、チャルラットからの指示通りに、少女を薄汚れたシーツが張られたベッドの上に横たえる。
金属パイプを蝶番でつないだ折り畳み式の簡易ベッドは、ごく小柄な少女の体重を受けただけでも安っぽく軋む音を立てた。
闇医師なりに診察の準備を進めているチャルラットに対し、リーピは喋り続ける。自動人形としては不必要なお喋りであったが、言葉を交わし続けることで関係性を築くのがリーピのやり方だ。
「僕らも、普段は病人の搬送など依頼されるはずもないのですが、彼女は連絡手段を知っていたのです。過去に探命事務所を利用した顧客のどなたかから、伝え聞いたものと思われます。」
「妙な縁のせいで、厄介ごとを引き受ける羽目になるんは、お互い様っちゅうとこですね。」
皮肉をリーピに返しながらチャルラットは聴診器を首にかけ、少女が被っていたボロ布をめくって彼女の額に手を当てつつ顔をしかめた。
少女が高熱にうなされていることに対する医師としての反応でもあったろうし、リーピから「美少女」と聞かされていた割には患者が貧相な顔立ちであったこととも無関係ではなかっただろう。
とはいえチャルラット個人の好みよりも、将来的に看護師として彼女を連れる中で、闇医師を頼る顧客から好意的に見られることの方が重要である。現状、チャルラットの助手は無機質な作業用自動人形しかいなかった。
熱で消耗し、落ちくぼんだ目の下にはくっきりと隈が浮き出ていたが、そんな面立ちの少女を好む癖の客も居るだろう……と、チャルラットは考えつつ話しかける。
「今、喋れます?自分のお名前、言えはりますか?」
「……ディスティ。」
高熱で意識朦朧としている中、口を動かして返答するだけでも相当な精神力が必要だ。
薄っすら開いた少女の目の内に思いもよらぬ意志の強さを見出しながら、チャルラットは消毒液を準備しつつ、傍らのリーピにも聞こえるよう告げた。
「こっちもバカ高い薬は使えへんわけですけど、とりまず点滴打っときましょか。本気で死にかける前に診れたんが救いです、水分補給も兼ねた解熱剤入れて様子見させてもらいますわ。」
「治療費の支払い主を明かさないのでしたら、今ここで僕らが立て替えることもできます。自動人形という立場上、無認可での貸金業を行ったと処理されるのはマズいのですが。」
「えぇですって、こっちも出来るだけ他所様に貸しを作るのがモットーでやらしてもろてますんで。あ、せやけど、代わりと言ぅたら何ですが、この子の素性を出来るだけ調べてもろてもえぇですか?どこ出身で、親御さんがどなた、とか。」
チャルラットが気に掛けるのも無理はない。
病院に受け入れられない少女を治療し、他に行き場のない彼女を自分の手許で働かせる。そんなビジョンが実現するのは悪い話ではないが、しかし素性や出自があやふやな人間の身柄を引き受けること自体、多大なリスクには違いない。
もともと市長邸宅で使用人として働いていたという経歴を聞いたからこそ、助手としての手腕にも期待できたものを、その経歴自体が嘘となれば目論見も大きく外れることになる。
相手の懸念をもとより察していたリーピは、即座に頷き返した。
「お安い御用です、ディスティさんの身元調査を承ります。」
「今んところ、本人の名前と、市長邸宅で働いてたらしいっちゅう話しか分かってませんけど、それだけで行けます?ディスティさん、自分の身分証明する物、なんか持ってません?」
調査を請け負うリーピよりも、チャルラットの方がよほど慎重になっていた。
もし仮に、裏社会の大物の身内を勝手に引き取ったなどとなれば、いよいよ彼の身に危険が及ぶことになるのだ。
街路の埃まみれで薄汚いディスティの服を、ケイリーにも手伝わせながら寝間着へと着替えさせ、ポケットの中を丹念にひっくり返して探したものの、中は埃の塊ばかりである。
ただ、医師とはいえ男性であるチャルラットよりも、女性型自動人形の方が抵抗ないだろうということで着替えの介助を行っていたケイリーは……ディスティの肌着の下、肋骨が全て浮き出ているかと思われるほどの肌との隙間に、一枚の書類が挟まれていることに気づいた。
「ディスティが何かを隠し持っている、リーピ。見せてもらっても構わないか、ディスティ?」
ケイリーの問いかけに、ディスティは疲労の極致にありながらも辛うじて頷き、そのまま気力の限度を迎えたように寝息をたてはじめた。
ディスティが隠し持っていた書類は、よほど長時間にわたって畳まれた状態で肌着の内側に収められていたためか、ディスティの体型に沿って湾曲した形で硬く折れ曲がっている。
広げてみれば内容は、自動人形メーカー公式から送られた文書のようであった。あまりに細かい文字でびっしりと印刷されているため、詳細を読み取るには時間がかかりそうだ。
少女に毛布を掛けてやりながら、チャルラットは口を開く。
「市長さんの所から、勝手に持ち出した書類かいな。下手したら、それを紛失したことになったせいでこの子、追い出されてしもたんとちゃいますか。何にしても、そんな厄介そうなネタ、ここに残していかんでもらえますか?」
「はい、これはディスティさんの素性を調べるための材料にもなりそうですので、責任をもって探命事務所の方で預からせてもらいます。それでは、調査もありますので、僕らはこの辺で失礼いたします。」
リーピは頭を下げ、ケイリーを連れて部屋を出た。
ぐっすりと眠っている少女を、一応医師とはいえ怪しげな男に預けて去るという状況ではあったが……前述の通り、素性がはっきりしない少女の身柄に対し、チャルラットも下手なことは出来ないだろう。
何よりも、あの貧民街のアパートの陰で横たわっているよりは、遥かにマシな状況であった。
―――――
事務所への帰路の途中、リーピはケイリーに小声で告げる。
「先ほど、ディスティさんが隠し持っていた書類ですが、本来は“紛失”したことになっているべき物だと思われます。」
「そんなにマズい内容だったのか?私には内容把握できなかったが。」
「詳細を確認するのは帰ってからですが、要約すれば、とある自動人形をメーカー本社へと返品するよう求める内容が書かれていました。」
「不良品の回収か。それなら、珍しくもない内容じゃないか。」
「不良品であるためではなく、高性能モデルゆえに人間の制御下から逸脱する恐れがある……という理由です。」
ケイリーは、思わずリーピの方に視線を向けた。
真っ先に想起されたのが、つい先日の事件、おそらく人間を殺害し、その顔面を被り、被害者に成り代わって生活しているであろう自動人形の存在である。
まだ、その個体についての回収を求める書類であると確定したわけではなかったが、あまりにも一致する内容であった。リーピは歩き続けながらも語る。
「高性能モデルの自動人形は、解体しても相当な高額でパーツが販売されます。解体業者が該当の人形を処理し売却を完了するまで、市はメーカーからの要請に気づかなかった、という体裁を作りたかったのでしょう。」
「それで市長邸宅にて、窃盗が発生した際に書類を紛失したと扱った……か?」
「えぇ、意図的に処分したのではなく、窃盗事件の余波で紛失した、ということにすべきだとの判断が下されたのでしょう。市長か、あるいはその側近によって。」
その目論見が順調に進めば、市長の孫娘の相手をするために呼ばれたリーピとケイリーが犯人ということにされるはずだったのだが、ずっと庭にいた両名には実行不可能であることが明白だった。
次点として“犯人”に仕立て上げられたのが、市長邸宅内で使用人として働いていたディスティなのだろう。一番の若輩者であったためか、あるいは家柄上の弱さがあったためか。
市長邸宅内では存在をもみ消され、外に持ち出せば窃盗の実刑が確定する、自動人形メーカーからの回収指示を記した書類。それを隠し持ち続けることが、ディスティにとって唯一の反抗の手段であった。
「実際に犯人であると断定されれば、今ごろディスティさんは留置所に居るべきですが、立件するには証拠不十分だったのでしょう。とはいえ紛失したことになっているはずの書類を、汚損しないように大事に抱え続けていたのは、彼女なりの市長に対する抵抗なのかもしれません。」
「濡れ衣を着せられるぐらいなら、実際に持ち出してしまえといったところか。見つかればタダでは済まないだろうに、思いのほか気丈な少女だな。例の特異な自動人形と言い、市としては既に消せているはずの存在が複数残っていることになる……今回得られた情報は、我々も慎重に扱わなければ。」
「はい、まずは早急にディスティさんの身の上を洗いましょう。僕らにとっても、立ち回りの正解を見出すための判断材料になるはずです。」
自動人形であるリーピもケイリーも、正義感のような感情は本来備わっていない。が、権力を有する者たちの思惑ひとつで人生を大きく狂わされた少女が居るという事実は、この調査を急がせるに足る動機でもあった。
それに自動人形の扱いが、市の意向ひとつで変わってしまう状況においては、この件に関する情報を可能な限り多く掴んでいるに越したことはなかった。




