独自調査:花屋に雇われた店員について
日が改まっても、「自動人形が人間を殺害した恐れのある事件」についての報道は為されなかった。
早朝、事務所の投函口に投げ込まれていた新聞紙を拾いあげ、リーピは一面のみならず隅々まで紙面をめくって確認する。紙面の終わりの方、雑多なニュース記事が並んでいる隅にようやく「昨日、倉庫区画にて遺体が発見された」との小さな題字を発見できた。
「被害者は使用されていない倉庫内に無断で寝泊まりしていた無宿人。遺体は損壊が激しく、事件か事故かは未断定……と、記事には書かれています。警察も、情報公開には積極的ではない様子ですね。」
「犠牲者の素性が明かされなければ、大々的に報道されるまでもない内容になってしまうな。」
市長が、自動人形を破棄・破壊することを表向きには禁じている以上、自動人形に対して反感が抱かれるような報道は規制されているのだろう。
それは自動人形の身でありながら独立して仕事を続けているリーピとケイリーにとって有難い状況ではあったが、しかし権力者によって街の秩序が捻じ曲げられる状況の一端には違いなかった。
「人間による犯行あるいは単独事故としておけば、一応は収まる件ではありますが……現場の状況を知る者であれば、これが明らかに事故ではなく事件、しかも殺害および遺体損壊を実行するだけの動機を有する人間が居ないこと等については明瞭に分かるはずです。この報道は、殊に警邏隊の方々にとっては、不本意な事件の扱われ方でしょう。」
「いちおう、犯行の主が人間であろうが人形であろうが、それが逃亡している事には変わらないのだから、警邏隊による巡回は強化されることだろうな。」
リーピに返答しながら、ケイリーはブラインドを開けて外光を取り込み、窓を開いて風を入れつつ、テーブルの上を拭いている。自動人形には光も清潔さも不要とはいえ、顧客を招くこともある事務所内は人間の居場所らしい空気を保ち続けねばならない。
ケイリーが掃除をしている傍ら、リーピは新聞紙にのめり込むようにして他の情報を読み漁っている。街の治安に対する懸念とは別に、リーピには他にも気がかりなことがあった。
「ついでに、フィンク議員のご子息が行方不明になった、との報道もありませんね。こちらに関しては、市議会議員の身内間のことですし、即座に公となる情報というわけでもないでしょうけれど。」
「それこそ、市長が拡散させまいとする最たる情報じゃないのか。要人の親族が被害に遭ったとなれば、無名の一般市民が犠牲者となった時と比べて遥かに騒動は大きくなるだろう。」
「えぇ、市長も自身の方針を揺るがせたくないでしょうし、議員に対しては緘口令を敷いているでしょう。フィンク議員にとっては、無念この上ない措置でしょうけれど。」
自動人形が世間に普及しているからこそ、その恩恵を最大限に受けられている街。非合法な人形解体および部品売買によって得られる利益も、街に入ってきている。
利益の一部は市長や議員の懐にも収まっていることだろう。非合法な解体業者は、活動を黙認されている以上、市長や議員たちから利益をむしり取られても反論の声を上げる余地などない。
そこに「市議会議員の息子が自動人形によって殺害された」などと報道されてしまっては、自動人形に絡むビジネスは縮小してしまい、これまで上手く回っていた水面下での利益搾取が滞ってしまう。市長は事件解決よりも、真相の漏洩阻止に躍起になっていることだろう。
口を噤むよう命じられたフィンク議員の胸中は大いに察された。
親の私物を遊ぶ金欲しさに勝手に売り払っていた出来の悪い息子とはいえ、我が子が犠牲となったことを誰にも訴えることが出来ないというのは、容易に堪えられる状況ではあるまい。
「……とはいえ、僕らの憶測が全て外れている可能性も、皆無ではありません。あの現場に残されていた遺体は、顔面と被服を奪われた状態だったのですから。偶然、フィンク議員の息子さんと体型が酷似していただけかもしれませんし。」
「職に就いていない者が、手っ取り早く稼げる仕事に参加するという例も、そこまで稀なケースではないだろうからな。」
「案外、彼は今日もせっせと親の屋敷へ忍び込み、金目の物を持ち出しては売りに行っているかもしれませんよ。」
そうなってしまっては、以前、リーピとケイリーがフィンク議員に雇われ、警邏隊のフリをして議員の息子を脅した際の効果がまったく消え失せていることになるが……今となっては、その方がよほど平穏であるように思われた。
自動人形が不穏な考えを抱えて気分を暗くすることなど本来は無いが、普段から人間の模倣に努めているリーピとケイリーには似通った感覚が芽生えたのだろう。
この話題は早々に切り上げ、昨日約束していた通りに花屋へと出かけることにした。
まばゆく朝の陽射しが注ぐ街路は、それが見かけばかりといえど気の晴れる光景である。
早朝から店を開けているアントンの花屋にも、暁光を歓ぶかのように瑞々しく開いた花たちの姿が輝いている。
大通りを通行する顔ぶれには金融機関に勤める役員たちの辛気臭い表情も多々混じるものの、出勤する最中に花屋の前で足を止める姿もある。それは彼らが会社にこき使われる立場ではなく、多少出社時刻を遅らせても構わないだけの地位にあることの裏返しでもあったが。
今しがたも高級そうなスーツを身につけた初老の紳士に大きな花束を売り終え、一応の笑顔を作って深々とお辞儀をして見送っていたアントンであったが、リーピとケイリーの来店に気づいて顔をほころばせていた。
定期的に大金を落としていく上得意客よりも、ただ花を気に入って眺めに来る客の方が、彼としても気疲れしない相手であるらしい。
アントンは心なしか先ほどの客に対するよりも明るい声で出迎えた。
「おや、いらっしゃいませ、リーピさん、ケイリーさん。今日はまたお早いお越しですね。」
「一仕事終えて、お休みをいただいておりますので。」
リーピは言葉短く返答した。
実際のところ、探命事務所にて引き受けた直近の依頼では調査現場にて犠牲者を発見する内容が立て続けであり、精神的ダメージを受ける人間であればそこそこまとまった休みを貰っても文句は言われないだろう状況であった。
外部の人間に喋るわけにはいかない内容ゆえ、むろんリーピはその詳細を口には出さない。人間に対し嘘を吐けない自動人形でありながら、正確な情報伝達を回避するすべをリーピは身につけていた。
店頭に並んでいる花々をじっくり見ながらも、リーピは今朝ここに来た本題へと踏みこんだ。
「そういえばアントンさん、先日ラーディさんからお聞きしたんですが、このお店で新たにバイトを雇われたそうですね。」
「えぇ、一度も募集の広告なんて出してないんですけどね。働き手は確かに必要だったんですが、自分も他人を雇う経験は皆無だったもので、上手くいくものかと案じていたんですけれど……実際のところは初日から、大助かりですよ。」
「マニュアルもない店舗では、働く方が自ら必要とされる仕事に気づかなければ、適切な立ち回りも出来ないでしょうね。あるいは、その方は既にこういった店舗での仕事を経験されていたのかもしれません。」
「いや、本人の話によれば、仕事に就くこと自体が初めてだ、と。実のところ彼は、市議会議員フィンクさんの御曹司だそうなんですが、一念発起して自力での稼ぎを始めたんだとか。見上げたもんですよ、接客も上手いし、働きに来てもらうために俺が頭を下げたいほどです。」
昨日、ラーディが喋っていた内容によれば、そのバイトの若者に違和感を抱いていたらしいのだが……他の来客も居る場で言及するわけにもいかないのだろう。アントンの口からは、褒める言葉しか出てこなかった。
それに、抱いている疑惑が深刻であるほどに、その内容を当人に聞かれるわけにはいかない。
店の奥からゴトゴトと物音をたて、水を一杯に汲んだバケツを手に提げて一人の男が出てくる。振り返ったアントンは、彼を呼び寄せるように手を振ってから、リーピとケイリーへ紹介した。
「あぁ、彼です、先日いきなり飛び入りで、ウチの花屋で働かせてほしいと言ってきたのは。ヴィンスさん、こちらはウチの花屋が一番お世話になった方々だ。」
「さん付けは止めてくださいよ店長、ヴィンスでいいですって。いらっしゃいませお客様、ごゆっくりお選びください。」
アントンから紹介されたバイトの男の顔には、たしかにリーピもケイリーも十分すぎるほど見覚えがあった。
見間違えようもない、フィンク議員の息子の顔であった。
リーピとケイリーが人間であれば、無表情のままでいることは難しかっただろう。今、この花屋でバイトとして働いている存在が、フィンク議員の息子本人ではなく……その顔面を奪って成り代わっている自動人形であることもまた明瞭だった。
以前会った時と、声が全く違ったのだ。
あまりにも不穏過ぎる事態の背景について何も知らないアントンは、のんきに喋り続けている。
「じゃあ、ヴィンス、前に教えたこと、覚えてるか?こちらのリーピさんが、どうやってウチの花屋を救ってくれたか。」
「たしか、店長が土地と店を騙し取られそうになったところ、リーピさんが現状を市長さんに直々に伝えて解決してくださった、という話でしたよね。店長にはとても真似できない、スマートかつ大胆な手腕だったとお聞きしています。」
「そうそう、俺なんかが市長に会いに行こうったって、市役所に近付く前に獣と間違えられて駆除されちまうからな……って誰が獣だ!」
「そこまで言ってないですよ!」
毛深い剛腕を振り上げて冗談を飛ばすアントンの傍らで、ヴィンスと名乗っている男は軽妙にやり取りを続けつつ、手元ではソツなく仕事もこなしている。
その振舞い方は、以前フィンク議員の屋敷にて会った時の姿を覚えているリーピとケイリーにとっては、いよいよもって違和感を強める材料でしかなかった。
マトモに仕事もせず、たるみきった顔つきと体型。口を開けば出てくる言葉は、自分自身を正当化し、尊重すべくもない自己権利を主張する内容ばかり。そんな甘え切った男が、心機一転するにはあまりに短い期間で別人のごとく勤勉になり、コミュニケーション能力も闊達としているのだ。
だらしなく突き出ていたはずの小腹がすっかり引っ込んでいるのも、また異様だった。人間の体型は、そうそう急激に変化するものではない。
フィンク議員の息子、ヴィンスを名乗る存在は今、健康的な男性として理想的な体型となっていた。人間に外見を似せて作られる愛玩用自動人形のモデルそのものである。自動人形が、あえて不健康そうな体型で製造されることは、よほど特殊な癖を有する顧客に合わせたオーダーメイドでもなければまず無いことだ。
アントンの花屋でバイトを始めた存在が自動人形であろうことは確定的となっていたが、リーピは更に多くの判断材料を見出す時間を作るため、ヴィンスに話しかける。
「初めてのお仕事とお聞きしましたが、場を明るくすることには慣れておいでの様子ですね。社交の経験豊富な、政治家のご家族でもいらっしゃるのですか?」
「はい、店長には既にお伝えしているのですが、僕の父は市議会議員をしておりまして。息子である僕が無職のままというわけにもいかず、こうして働かせていただいているんです。父親の脛を齧っているばかりでは、世間様に顔向けできませんし。」
ヴィンスからの返答を頷きながら聞きつつ、リーピは今の発言内容が正確な情報の羅列に過ぎないことを読み取っていた。
正論や合理性では動かないのが、人間である。殊に、議員である父親の私財に手を付けて遊ぶ金を得ていた息子本人であれば“世間に顔向けできない”などという感覚はとっくの昔に擦り切れて喪失していることだろう。
不自然すぎる整然さをリーピが見出している一方で、アントンは太い腕を組んで深く頷いていた。
「いやいや偉いもんです、リーピさんもそう思うでしょう?議員さんの家族ってことは、特等市民権もあるはず。何もしなくても普通に暮らしていけるだけの金があるなら、俺ならわざわざ働こうだなんて思わないだろうなぁ。」
「特等市民権と言っても、本当に必要な生活費だけが支給されるのみですので……恥ずかしながら、父の私物を古物商に売って、贅沢品を買うお金に充てたりしたものです。こうして心を入れ替えるまでに、一度も警邏隊のお世話にならなかったのだけは救いですかね。」
「ま、ヴィンス、今のお前の働きぶりなら、前科がついていようが俺の店では雇ってやったかもな!」
ヴィンスに向かって際どい冗談を飛ばすアントンに愛想笑いを返しながらも、ここに居る“ヴィンス”がフィンク議員の息子本人ではない決定的な要素をリーピは聞き逃さなかった。
フィンク議員の息子が警邏隊の世話になっていない、という情報は、たしかに公的な記録においては正しいだろう。
だが実際は、フィンク議員自らの依頼により、リーピとケイリーは警邏隊の恰好で屋敷へ踏み込み、父親の私物を勝手に持ち出そうとしていた息子を取り押さえている。その際、フィンク議員の息子の視点からは、本物の警邏隊に拘束された、との認識になっていたはずだ。
息子の行動を制する目的で依頼したフィンク議員自ら、あれはお前を脅すための小芝居だった、などとタネを明かすこともない。むろん、本物の警邏隊には一切の連絡が行っていない。
すなわち、リーピとケイリーがフィンク議員邸へ踏み込んだ際の出来事は、あの場にいた当事者たちでなければ知り得ない内容なのだ。
花屋の店先に足を止めた通行人の姿をみとめ、アントンはお喋りを切り上げて指示を出した。
「ヴィンス、あっちのお客さんの対応を頼む。」
「いらっしゃいませ!よろしければ、贈り先に合わせてお花をお選びいたしましょうか。」
いかにも大手商社に勤めていそうな、高級なスーツを着用した紳士の容姿を視野に入れてすぐ、ヴィンスはいち早く客のニーズを察して声をかけていた。時間を極力無駄にできない中で、贈答品のための花束を求めに店を覗きに来た客に違いなかった。
まるで顔の輪郭を隠すように伸ばされているヴィンスの前髪やもみあげは丹念に櫛で整えられ、いかにも育ちの良さげな印象が強まっていたおかげか、富裕層の来客からも受けが良いらしい。神経質そうな顔立ちの紳士であったが、ヴィンスの接客を前に苛立ちは全く見せなかった。
……顔の輪郭を隠す必要性については、その顔自体が本来の肉体から剥ぎ取られたものであることを鑑みれば、リーピとケイリーには十分に推察できるものであるのだが。
ケイリーと視線を合わせて小さく頷き合った後、リーピは店を立ち去る前にアントンへ声を掛けた。
「では、僕らはそろそろ失礼いたします。冷やかしになってしまって申し訳ないです、お店の方では今のところ特に問題は起きていないですね?」
「えぇ、えぇ、おかげさまで。またいつでもお越しください、リーピさん達なら花を眺めに来るだけでも大歓迎ですんで。」
これほどまでに店の役に立つバイトであれば、アントンも些細な違和感は意識から流れてしまうのだろう。
先日ラーディに聞かせていた、水を触っても指先に皺が寄らない奇妙なヴィンスの体質についてはすっかり忘れ、今アントンは腕を組み満足げにヴィンスの流暢な接客を見つめているばかりであった。
―――――
花屋のある大通りから離れ、先に口を開いたのはケイリーであった。
「あのまま放っておいて構わないのか?数日前、殺人を犯したばかりの自動人形が、アントンの花屋で今まさに働いているんだぞ。」
「殺人に関してはあくまで憶測です……全ての状況や証拠が、ほぼ確実だと示しているものの。」
リーピの返答は、あくまで慎重だった。
現場を目撃した人間が居ない以上、犯行についての断定は出来ない。あの無人の倉庫地下で、殺人を犯したのが人間であり、解体される直前だった自動人形がその騒ぎに乗じて逃亡した、という流れもあり得なくはないのだ。
確実となっているのは、フィンク議員の息子ヴィンス本人は既に死亡していること、そしてヴィンスの顔を文字通りに奪って活動している自動人形が存在することである。
「現状に至るまでの経緯は置いても、今のところヴィンス氏の名を騙っている自動人形に、アントンさんを殺害する理由が無いことは確かです。せっかく、なりすました人物本人として受け入れられ、身を落ち着けられる先を得られたのですからね。」
「あれだけ来客が居て、好意的な印象を振りまいていれば、世間からはもはや事実として受け入れられるだろうからな。」
市としても都合の良いことだろう。
フィンク議員の息子が遊ぶ金欲しさで違法な業務に携わったあげく殺害された、との報道が為されれば一大事だ。しかし逆に、むしろ無職の状態を脱して自ら働き始めたとなれば、事件の真相隠蔽と同時に世間への体裁も保てる。
実の父親であるフィンク議員が、我が子にまつわる真相に気づいているか否かは、定かではなかったが。
「そもそも花屋の店主アントンさん自身が屈強な肉体の持ち主ですので、ますます殺害対象としては選ばれづらいでしょうし。現状のままの状態が保たれ、真相に近付いた者たちが一様に口を閉ざしていれば丸く収まる……と考えられはしますが、まだ僕には引っかかる疑問が残っています。」
「自動人形が人間の殺害を自ら決定できるのか、って話なら昨日さんざん聞かされたが。」
「それとは別です。ヴィンス氏の遺体から切り取られた顔面が、腐敗しないままの状態で保たれている点です。」
本来、人間の身体から切除された部位は、どれだけ丁寧に保管されていても損傷が進んでいく。
ましてや、滅菌された手術室でもない、菌類がはびこる倉庫地下で切除されたとなれば、ヴィンス氏の顔面が腐敗の兆候を見せぬまま、ヴィンスとして振舞っている自動人形の顔に貼りつき続けている状況はますます異様である。
人体に入り込めば急速に繁茂し、神経細胞や筋繊維を菌糸へと置き換え、自動人形に近しい振る舞いを示す菌類。だがあくまで生体を栄養源としているに過ぎず、肉体の腐敗を防ぐ能力はないはずだった。
「自動人形が自身の判断で解体を拒み、その場にいた人間を殺害し、顔面をはぎ取ってその当人となりかわり、生活を続けている……さらに、奪った身体パーツを腐敗させず保持できるというのは、これまでにない自動人形の性質です。」
「やはり放置するのは危険な存在じゃないか?」
「むろん、人間の立場からすれば、殺人を犯す可能性がある自動人形は危険ですが、自動人形たる僕は強く興味を惹かれるのです。本来は人間からの必要に応じて生産される自動人形が、人間を模してまで存在を続行するという判断を下しているのですから。購入者の所有物という立場から独立して仕事を得、暮らしている僕らの在り方と近いのではないですか?」
リーピからの問いかけを前に、ケイリーは少し返答を遅らせたものの、一応頷いた。
現在ヴィンスになりかわっている自動人形は、解体を免れ、存在し続けることに、いかなる目的を見出しているのだろうか?本来の製造目的はとっくに失せ、むしろ人間に害を為した後、今さらに人の役に立つことがはたして行動目的に掲げられるだろうか。
とはいえ“何もしないでいる”という人間らしい振る舞いに徹することが出来ず、バイトとして働き始めるあたりは確かに自動人形らしい行動決定であった。
「この件について、正式な依頼として調査を求められなかったのは幸いです。僕としては、経緯がどのように推移していくのか、観察することが望ましいと感じています。懸念が全く無いわけではないので、定期的に様子を覗きにも来るつもりですが。」
「さっきも言ってたが、アントンほどの堂々たる体躯なら、ヴィンスになりかわって今花屋でバイトしている自動人形も易々とは手出しできないだろう。」
「懸念というのはまた別の話です、今回の件の自動人形が、明らかに従来の自動人形と一線を画す性能を有していることが知られた際、安寧は崩されるだろうという予測です。」
リーピとケイリーも、思考能力がたんに優れているだけではなく、自ら行動決定し、その結果をも自己管理できる上位モデルの自動人形であったが、そのさらに上を行くだろう個体が今ヴィンスとして行動している自動人形だ。
人間からの命令とは無関係に、自己決定できる意思に近しい思考を有する自動人形は、研究対象として相当な価値のある存在だ。しかし、学術的な面から外れても、より実利的な使い道がある。
自己判断で人間の殺害を決定でき、殺害した人間の顔を奪ってなりすませる自動人形、となれば……いくらでも利用価値は見いだせるだろう。
ケイリーは、リーピと語りながらも振り返った。既に花屋からは遠ざかり、歩いてきた道は大通りの雑踏に埋もれている。
この平常の賑わいの只中にて、殺人を犯した自動人形が今も拘束されず活動しているのだ。
「……それこそ、命令する人間が上について活動させ始めれば、いよいよ凶悪な存在になりかねないな。」
「解体業者たちは、この特異性に気づいていなかったがために、作業員の殺害および対象の脱走を許してしまったと思われるので、今のところ懸念は薄いですけれどね。異常性に気づく人間が今後いるとしても、あの現場に入った警察の捜査官たちだけでしょう。」
まだ、世間には気づかれておらず、政治家たちは波風を立てることを拒むだろうからこそ、その自動人形が平穏な花屋の店員として存在できている状況。
それは保たれるべき平穏であると同時に、凪いだ水面がいずれ波濤に覆われるがごとき必然性をもはらんでいた。




