表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
まだ破られない安寧
10/24

帰還後:調査報告を兼ねて

 事務所に帰って来て、滅菌剤の白粉まみれになった作業服を脱ぎ、外殻表皮に付着した薬剤も丹念に拭った後、服を着替えたリーピとケイリー。


 自動人形にとっては日常レベルでの表皮保護以外に用途の無い被服であったが、人間と同様に暮らすことを常時念頭に置いている彼らは、不要な状況でも服を着ることが常となっていた。むろん、不意の来客に備えるためでもある。


 通話機の前で今日付けの報酬支払い確認の連絡を待つ間、リーピは本を開き一節にじっと目を向けていた。


 クリーニングに出す作業服を搬送用の袋に詰め込んでいたケイリーであったが、リーピが真剣な眼差しを向ける本が気になって、作業の手を止めて寄ってくる。


 自動人形が本来積極的には実行しない、必要性のない行動にリーピが耽る様は、ケイリーにとっても関心の的であった。


「何を読んでいる?」


「先日買ってきた小説です。謎多き殺人事件に対処する、頭脳明晰な捜査官を主人公に据えた物語となっています。」


「その物語の内容が、今日我々の直面した件を解くヒントになるのか?」


「小説はあくまで虚構です、それに事件を解決するのは僕らではなく、警察の仕事です。僕が気になっているのは、果たして自動人形が人間を殺害しようと判断することなど可能なのか、という点です。」


 リーピがページをめくらず、じっと見つめ続けているページは既に物語の終盤であった。自動人形の思考処理速度をもってすれば、既に活字となった情報であれば迅速に読み込める。


 しかしリーピは内容理解ではなく、そこから先に踏み込む思考に時間をかけていた。


 ずっと開かれているページには、主人公の推理によって判明した殺人事件の真相が描写されている。真犯人が人間であり、自動人形に命令を下して殺人を犯させた、との内容であった。


「興味深い内容です。自動人形の誤動作による事故ではなく、両手で的確に頸部を圧迫して扼死させるという明確な殺意を見出せる手段ゆえ、人間の意思の介入を見出されたという話となっています。」


「命令があったうえに、その手段なら十分に可能だろうな。人間を窒息させるだけの腕力も、人形なら十分に発揮できるだろうし。」


「正確には窒息させる前に、頸動脈洞の圧迫による神経反射で失神させ、被害者による抵抗の痕跡を最小限に抑えるという過程も必要なのですけれどね。正確に頸動脈の位置を把握して圧迫できる精密な動作は自動人形でなければ不可能と初期捜査で判断されながらも、主人公の捜査官による洞察でそれを覆すのが、この小説の見どころです。」


「へぇ……そう、か。」


 リーピなりに物語の内容には入れ込んでいたのだろう、彼は広げた小説の背表紙を掌でポンポンと叩きつつ、急激に口数を増やしていた。ケイリーは多少の狼狽とともに頷くしかできない。


 さておき、リーピが主たる話題としたいのは、小説の内容ではなく、自動人形が殺害に関与することの実質的な可否についてであった。


「人間に命令されたがために自動人形が殺人を実行する、という小説でしたが、これは現実には起きづらい事態でしょう。確かに僕たち自動人形は人間の命令に従順ではありますが、実行に移す命令に選択の余地を見出していないわけではありません。」


「そうでもなければ、私たちが今こうして探命事務所を運営している状況もあり得ないだろうからな。報酬無しで依頼を遂行しろ、との命令まで引き受けてしまっては、仕事が成立しない。」


「一方で、自動人形が製造されるうえでの大前提もまた無視できません。僕らは人間によって製造され、行動能力を与えられているのですから、人間の害となる振る舞いは実行に移し難いと、根源的に僕らの意識に刻まれているのかもしれません。」


 以前、外部との音信が途絶した老人の自宅にて、幾度も殴られながら指示に従順でありつづけたヘルパー自動人形の件も思い起こされる。


 自身が破損させられる状況に置かれたとしても、抵抗や反撃などは一切行動の選択肢に上らない。その結果として老人の介助が実行不可能となったわけだが、廉価に製作され思考回路が単純な自動人形であればこその結果と言えるだろう。


 リーピやケイリーと同等の高度な思考能力を有していれば、状況悪化を回避するため命令にない選択肢を見出すことも可能だったろうが、だとしても自動人形が人間に危害を加える可能性は皆無だ。


「僕らがフィンク議員のお屋敷で、議員の息子さんを拘束する警邏隊員のフリをして行動した際も、命令された通りとはいえ、警棒を振りかざす仕草を示すまでが限度でした。」


「あぁ、力を込めて相手を打ち据えられるような腕の振り方じゃなかったな、リーピ。相手が動揺せず冷静なままだったら、本気で殴る気が無いのも見透かされていただろう。」


「今、こうして本を読みながらも、あらためて自動人形が人間に危害を加える現場を想像してみましたが……どれだけ厳格に命令されたとしても、対象となる人間が死に至るまで実行を続けることは無理です。」


 今ごろトロンドが捜査部隊と共に調査に当たっているであろう、倉庫区画の地下に残されていた犠牲者の死因については、いよいよもって謎めいてきた。


 むろん、実行犯は自動人形ではなく人間であるとも考えられる。人間ならば、物理的な制約を除けば行動選択も自由だ。が、円滑に作業が進めば高額な人形部品の売却で大金が手に入る現場にて、わざわざ警察の介入を招くような面倒を起こす動機は見出し難い。


 解体される直前の自動人形が脱走を円滑にするため、ひとりの作業員の顔面と服を奪って逃げた……との推定が、現場に残された状況を何よりもスマートに説明できることは確かだった。


「人間の殺害を可能とする自動人形が存在するならば、それは思考能力をほぼ持たない、命令実行を最優先する機械的な存在。あるいは逆に、僕たちよりも更に上、超高度な思考能力を与えられて製造された人形かもしれません。」


「思考能力が無いほうが、行動の制限なく殺害を実行してしまいそうに思えるんだが……そんな自動人形は、解体して部品を取ったところで、安い値しか付けられないだろうな。」


「わざわざ非合法な解体業者が引き受けることもないでしょうね、作業用機械という扱いで、よりローコストでの廃棄処分が為されるでしょう。」


「と言っても、逆に思考能力が高度になれば人間殺害を実行し得るものか?命令に対して実行を中止する制御が、より強く働くものじゃないのか?」


 ケイリーからの問いかけに、リーピは即答せず、本を閉じて机に置き、席を立った。


 彼は事務所内を見回す。


 掃除や片付けが行き届き、ブラインドを斜めに開いた窓からは午後の陽射しが差し込んで明るい。仕事用のデスク以外にもソファやローテーブルが置かれ、書棚にはデータファイルのみならず小説等の文献が並び、花瓶には新鮮な花が活けられ……自動人形にとっては不必要な、快適な環境が整えられている。


 この探命事務所という仕事を始めたのも、事務所内の調度品を揃えたのも、誰から命令されたわけでもなくリーピ達自身が自主的に起こした行動の結果であった。


「命令ではなく、自主的に起こした行動であれば、自動人形も人間を殺害し得るかもしれません。解体施設からの脱走自体、命令に拠らず自主的に選択した行動に違いありませんからね。ケイリー、仮に僕たちも不当な理由で解体されそうになったとしたら、いかに『逃げるな』と命令されても、脱走の判断だけであれば自主的に下すでしょう?」


「それは、たぶん、脱走だけなら実行するだろうが……しかし、その過程に人間の殺害を含めるものだろうか。いくらそれが、脱走を円滑に行う手段であったとしても。」


「既に僕たちは、人間の命令に拠らず、本来は見出されぬ必要を見出し、存在を続ける手段として、この探命事務所を営業し続けています。この考え方の延長上に、人間の生命よりも、自我の存続を優先する思考へと至る自動人形が存在することは……可能かもしれません。」


 リーピはそこまで言って口を噤んだが、ケイリーは何とも返答が思いつかなかった。


 殊に、リーピの発言に含まれた“自我”という概念が理解できなかった。語彙としては知っていたが、物理的な存在や、思考能力、記憶蓄積のいずれでも満たしきれない、自動人形には説明困難な考えだとしか把握していなかった。


 そんな言葉をサラッと口にするリーピと若干の距離を感じつつも、既にケイリーは聴覚を事務所の扉へと集中させていた。


 何者かが、事務所の入り口へ近づいてきている。


 事前連絡もなしに、この探命事務所を訪れる者はそう居ない。業務の性質上、大々的に広告を打つような真似はしていないし、依頼は基本的に通話機越しに行われる。身元が確認でき、信頼のおける顧客に限って、事務所へ直接招いて仕事内容の詳細打ち合わせを行うことになる。


 それ故にケイリーは急激に警戒を引き上げたのだ。


「リーピ……。」


「はい。」


 リーピも、言葉少なに状況を察したのか、物音を立てないように事務所の奥へ引き下がっていく。


 人形の就労について肯定的な方針を市長が示しているとはいえど、市民が全般的に賛同しているとは断言できない。自動人形が導入されたがために、職を変えることを余儀なくされた市民も居るのだ。他の街では、煽動された市民集団が人形破壊活動を引き起こしたケースもある。


 持ち帰って床に置いたばかりの防護傘を拾いなおして握り締めながら、この警戒心こそが人間の命令に拠らない“自我の存続を優先する思考”の一端かもしれない……とケイリーは考えていた。


 が、事務所へ向かってくる何者かの足音がいよいよ近づくにつれ、その警戒は薄れていった。


 足音を忍ばせるでもなく、逆に威圧的に踏み鳴らすでもなく、足音の主の小柄さを示すかのような軽い音がスタスタと寄ってくるばかり。敵意も警戒心も感じさせない、ノンビリした足音である。


 扉の覗き穴で来訪者が何者であるか確認し、ケイリーは相手が一応ノックするのを待ってから扉を開いた。


「ようこそ、ラーディさん。」


「わっ……!?あ、は、早いんですね、ノックしてから、扉を開けるまで……さすがは自動人形さんです。」


「足音が聞こえていたから、既に扉の前で待っていた。来客はラーディさんだ、リーピ。」


 先日リーピ達と書店で出会い、警邏隊所属の女性隊員についての調査を依頼してきたラーディ。


 仕事帰りなのだろう、裾や袖口に磨き油の染みが付いた作業服姿であった。着慣れない流行ファッションよりも、こちらの方がずっと靴職人である彼女に似合っている。


 何の連絡もなしに、なぜ彼女が今やって来たのかはさておき、リーピは事務所内で椅子を用意しつつ出迎えた。


「ようこそいらっしゃいました、ラーディさん。本日ご足労いただいたのは、どのようなご用件でしょうか?追加のご依頼であれば、承りますよ。」


「あー、いや、その、追加の依頼とかじゃなくって、ですね……。あっ、もしかして、お忙しいお仕事の最中でした?私は別に急ぎじゃないので、後回しにしてもらってもいいんですけど。」


「いえ、僕らも一仕事終えて休憩していたところですので、お気軽にお話しください。」


 事務所の扉脇に、滅菌剤の白粉まみれになった作業服がクリーニング袋に入れられ置かれている様を目の当たりにし、ラーディは恐縮しながらなかなか本題に入らない。


 どのような状況であれ、顧客がわざわざ事務所までやって来た時点で、リーピ達が追い返せるはずもない。やはり円滑なコミュニケーションに慣れていない様子のラーディに椅子へ座るようすすめつつ、リーピは話の先を促した。


 不必要なまでに過剰にペコペコと頭を下げながら席に着き、ラーディは気の逸りと共に回る舌を抑えるように喋り始めた。


「えっとですね、こないだ依頼した、女性警邏隊員さんについての調査、そろそろ何か分かったんじゃないかなーって……いや、まだ一日しか経ってないですけどね、べ、別に急かすつもりじゃないんですよ。何となく、調査結果が聞ける気がしまして。さすがに、まだ……気が早すぎますかね?」


「実は、調査の大半は完了しています。後は裏付けとなる情報収集だけです。とはいっても、ごく偶然に得られた機会のおかげで、僕らとしても想定より遥かに迅速な調査となったのですが。もしかして、僕らの活動を監視されていましたか?」


「いやいやいや、そんなこと出来ませんよ、私はずっと工房に籠って靴を作ってたんですから。でも、やっぱり当たってたんだぁ……子供の頃から、私、勘が当たりやすいんですよ、虫の知らせっていうか、第六感っていいますか、そんな感覚が鋭いみたいで。そ、それでそれで、例の女性警邏隊員さん、どういう方でした?」


 コロコロと喋っている内容が切り替わるラーディを前にして、リーピは彼女こそ自動人形とは対極的な存在だと考えていた。


 理路整然とした喋り方や思考を苦手とする代わりに、論理的には実証できない“勘”が強く働いている。ラーディの依頼の翌日に、女性警邏隊員であるトロンド自身が探命事務所を訪れ、当人から話を聞き出した当日の内に、再びラーディがここに来ている。


 本来ならば通話か、あるいは顧客の元へ出向いて調査結果をリーピ達が報告するところ、一切の物理的な干渉なしにラーディは必要とされる場に姿を現しているのだ。


 あくまで裏付けはまだ、と前置きしたうえで、リーピはラーディからの問いかけに答え始める。


「女性警邏隊員さんのお名前はトロンドさん、隊長さんとはあくまでも警邏隊における上官と部下としての関係でしかないとのことです。警邏隊公論に載せられていた集合写真での立ち位置も、広報担当の撮影者に指示された結果だそうです。」


「あー、やっぱそういう感じなんですねぇ。その、トロンドさん自身も上からの命令に従っての配置なんですねぇ。なんていいますか、やっぱ隊長がイケメンなら、広報用としてはそれにつり合うルックスの隊員を近くに置いときたいでしょうし……そりゃ美男美女が揃ってる方が見栄えもいいでしょうからねぇ。」


「もちろん容姿ばかりではなく、トロンドさん自身も警邏隊員として相応しい人物だと、僕らは評価しています。現状入手できている情報は以上です、以降は公的に開示される情報との照合によって裏付けを得てから、正式な調査結果として報告いたします。」


 そうは言っても、格安の報酬額相応の調査結果に過ぎない。


 ラーディも、そもそもが興味本位で依頼した調査ゆえに、情報が正確であるとの裏付けなくとも十分に満足なようであった。


「いやー、しかし、私みたいなド平凡な一般市民が、お金を出して調査依頼するって体験自体、ワクワクするものでしたねぇ。あ、よろしければ、今ここで成功報酬をお支払いいたしましょうか。ちょうど、今月のお給料を受け取ったばかりなんですよ。」


「いえ、せっかくウチの事務所までお越しいただいたうえで申し訳ありませんが、後日正式に調査報告書を作成して送付した後、お支払いいただければ幸いです。お客様が依頼遂行の現場に居合わせられない以上、販売内容が明確に示せる形でなければ、信用調査会社からの査定に響きますので。……それにしても、お給料を現金そのまま所持した状態で、こんな街はずれまで歩いてこられるのは少々不用心では?」


「まぁー、私みたいな地味な女が大金持ってるだなんて、誰も思いませんし。それに、なんか嫌な予感がする時は、私も用心して歩きますよ。」


 治安が悪い街ではないものの、人通りが疎らとなるリーピの事務所近隣地域は、万が一のことがあっても周囲に助けを期待できない。


 人気のない地区だからこそ、リーピは人間の目を気にすることなく探命事務所を開くことが出来たのだが……そんなエリアを、女性の身で独り貴重な生活費を懐に入れたままスタスタ歩いて来るラーディの感性は、やはりどこか一般人とは異なっていた。


 リーピは興味を惹かれるままに、問いかける。


「嫌な予感……というのは、自動人形である僕たちには把握できない感覚ですね。具体的な判断基準が無いにもかかわらず、先のことを予測できるものですか?」


「なんとも説明がつきませんねぇ、胸騒ぎっていうか、後悔の先触れっていうか。ともかく、今からやろうとしていること、やっちゃダメ、って神さまから言われたような感じ?それが突如振ってくる感覚、たまーにあるんですよね。」


「外的要因に拠らぬ判断基準が脈絡なしに出現することは、ますます自動人形にはあり得ない思考プロセスです。」


 ラーディなりに、とっ散らかった語彙をかき集めて説明してくれているようだが、いずれにせよ自動人形の思考では掴めない概念であった。


 リーピに理解できない以上、傍から聞いているケイリーはすっかり聞き取りを諦めて作業服の片付けを済ませている。


 依頼した調査報告の受け取りも、報酬支払いも今この場で済ませられないとなった今、この事務所に居座る必要性は無くなったのだが、それでも人間相手には交流の薄いラーディにとっては貴重なお喋りの場であるらしい。


 腰掛ける際の遠慮をすっかり忘れたかのように、椅子の背もたれに身を預け、ラーディの口数は減らぬままであった。


「人間ってのは、特に理由はないけど、急に思い立ったりすることもあるんですよ。そういや、今日……でしたかね。アントンが経営してる花屋さんに、バイト希望の若者が来たんですよ。いや若者って言っても、店主のアントンとさほど歳の差もないのかな?バイト募集の広告も出していないのに、一方的に押しかけてきたんだとか。でも礼儀正しくて、接客にも慣れてる感じでしたねぇ、私も今日花屋に見にいったんですけど。」


「その、花屋さんに働きに来た若者もまた、明瞭な判断基準なしに自分の行動を定めたといったところでしょうか。」


「でしょうねぇ、人間、いつどこで自分にぴったりな居場所を見つけるものか分からないもんですよ。あ、けれど、アントンは大助かりだって言ってはいたんですけどね、ちょっと違和感があるとかなんとか……。」


「違和感、ですか?」


「花屋さんのお仕事、水に手をつけることも多いから指先が皺だらけになりがちなんですけど、その若者はどれだけ水を触ってても、指先に皺が寄らないんですって。そういう体質の人じゃない?とは思いますけどね。」


 リーピは顔を上げ、傍らで話を聞いていたケイリーと視線を合わせる。


 水に触れた際、指先に皺が寄るのは単に皮膚が水分を含むことだけが理由ではない。むしろ、より大きな要因は神経による作用であり、神経の働きで毛細血管が収縮することで皺が寄るような仕組みが、人間に備わっているためである。


 指先がふやけるのではなく、むしろ皺を寄せて硬くすることで、濡れた環境下でも手でつかんだ対象を滑りづらくする進化の過程があったのではないかとも考えられている。


 それゆえに、水に触れても指先に皺が寄らないのは、手の神経が損傷した人間か……あるいは自動人形かのどちらかであった。


 急にリーピがケイリーと目を合わせた仕草を、ラーディは別の意味に捉えたらしい。


「あ、すみません、私ったら、自分が仕事終わりだからって、つい居座っておしゃべりしちゃって。すっかりお邪魔しちゃいました、それじゃ後日の調査報告受け取り、楽しみにしてますね。」


「はい、ご用命がおありでしたら、またいつでもお越しください。」


 せわしなく立ち上がり、忘れ物が無いかと自分の座っていた場所を見渡し、わたわたと急ぎ足で事務所の出口に向かい、あらためて不必要なまでに深々とお辞儀を残して出ていくラーディ。


 どこまでも垢抜けない彼女の仕草を見送ったあと、リーピはケイリーと共に先ほどの情報について話し始めた。


「神経系に異常のある人間が、花屋での仕事を円滑に進められるとは思えません。ほぼ確実に、アントンさんの花屋へと働きに来たのは自動人形でしょう。」


「自動人形の行動としては、大いに違和感のある判断だ。私たちと同様に、本来の雇い主の元から追い出された後、自主的に働き先を見つけた個体であるとも考えられるが……。」


「バイト募集もしていない店舗へ、敢えて希望して向かうというのは合理性に欠ける行動決定です。自動人形であれば、高確率で無駄となる選択は実行しないでしょう。」


 リーピとケイリーが推測を進めるほどに、不可解さは深まっていった。


 アントンの花屋がバイト募集していないにもかかわらず、新たな働き手がいずれ必要とされるだろう状況を、その自動人形が知っていたとも考えられる。いずれにせよ、アントンの花屋で新たに働き始めたバイトが、普通の存在でないことは間違いない。


「大きな仕事が一つ片付いたばかりですし、さっそく明日、花屋を覗きに行きましょうか。こないだ買ったダリアは、まだ元気ですけれど。」


「あぁ、万が一、せっかく花屋を続けられているアントンの身に、不穏が迫っているとしたら見過ごすわけにはいかない。」


「ただの花屋さん相手に、回りくどい策を仕掛ける存在は居ないと思いますけれどね。」


 そう言いつつも、リーピもまた先ほどラーディが持ち込んだ世間話の中に、不穏の影を感じ取っていた。あるいは、これこそが“嫌な予感”というものであるのかもしれなかった。


 アントンの花屋は、街の大通りに面した一等地に存在しているのである。以前、市議会議員秘書の親族が、リスクを負ってでも騙し取ろうとしたほどの好立地であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ