依頼1:フィンク議員邸にて
夜更け、灯りも点けず真っ暗な屋敷の廊下を、一人の男が足音しのばせ歩いている。
手元に携行できる照明器具の類はなく、カーテン越しに入ってくる仄かな街の灯りだけであったが、男は屋敷内の構造を完全に把握しているのか足取りに迷いもなく、先ほど屋敷の金庫から拝借したものを大事そうに抱えながら出口へ向かっていく。
解錠するための鍵や暗証番号を全て有していたおかげか、屋敷の窓や扉、金庫にも破損の痕は残していない。
すべてがスムーズに進み、異変に気付いた住民と鉢合わせて騒ぎを起こす事も無論ない。彼の振る舞いだけを見れば、怠りなく前準備を済ませた窃盗犯そのものだ。
……しかし、実際の状況は少々異なっていた。
「止まれ!警邏隊だ、通報にあった家宅への侵入者はお前か!」
「ヒッ!?」
突如、部屋の明かりが点灯し、無機質ながら音圧のある声と共に、ドカドカと足音を立てながら黒色の制服姿の警邏隊員が二人、なだれ込んでくる。
不意を突かれたついでに、暗がりに慣れた目を光で貫かれた男は、よろめいて情けない声を上げながら、その場にへたりこんだ。灯りに照らされた彼の姿は、たるんだ体型、常に眠たげな瞼、手入れされていない無精髭。用意周到な知能犯という印象とはかけ離れている。
先ほど鋭い声で男を牽制した隊員の相棒だろう、少し背の低い隊員が抑えた声色で男に語りかけた。
「周辺住民からの通報があって参りました。この屋敷の主は旅行により長期の留守中であるはずなのに、何者かが屋敷内で行動している様子だ、と。どうやらあなたは、屋敷内の施設保全業者でもなければ、民間警備会社の方でもないように見受けられます。」
「いっ、いや、いやいや、ちょっと、話を聞いてくれって。」
自分を挟みこむように近寄ってくる二人の警邏隊員を交互に見比べながら、冷や汗で顔面びっしょりにしつつ、ただ口をパクパクさせている男。たしかに、だらしない私服姿では、先んじて封じられた言い訳も通用しそうにない。
この街の警邏隊員は、一般市民から個々の識別が付きづらくするため、顔面全体を覆う硬質の黒いマスクを装着している。ヘルメットのごとき堅牢な制帽も目深に被っており、至近距離まで迫ってきた時の威圧感は尋常ではない。
背の高い方の隊員が、男の足を踏みつけんばかりの間合いまで詰め寄って言葉を継いだ。
「我々からの質問に答えられず、お前の素性も確認できなかった場合、このまま署まで来てもらうことになる。改めて聞くが、お前は何者だ。」
「ま、まぁ、待て待て、待って、ちょっと待って、俺、何も悪いことしてないって……!」
隊員の顔面を覆うマスクに空いた二つの穴からは、生命を感じさせない冷たい目が光り、マスク越しの声もまた無機質、いや機械的である。……それは決して比喩ではなく、実際に彼らは人間とは異なる存在だった。冗談や人情の通じない、制度によって与えられた職務をただこなすだけの存在。
とはいえ、男が完全に狼狽しきっていたのは、そんな隊員たちからの威圧感ゆえではない。
警邏隊員のお世話になる状況そのものに、もとより全く慣れていないのだ。完全に冷静さを喪失し、視線を泳がせ、回らない舌で必死に言葉を探している様が、彼の内心を何よりも雄弁に物語っていた。
もはや下手な言い訳を考えるのも諦め、ある程度正直に男は話し始める。
「そっ、そもそも、ここは、俺の家だ!……いや、俺の親父の家、って言った方がいいかな、その、今は一緒には住んでないけど……でも家族だし、鍵を開けて入ったんだし、不法侵入ってことにはならないだろ?ただの実家帰りだよ。」
扉の鍵を持っていたのも、暗がりの中でも迷わず行動できたのも、金庫の開け方を知っていたのも、彼がこの屋敷にもともと住んでいたのならば確かにおかしなことではない。
とはいえ、行動の不審さに変わりはない。小柄な方の隊員は間を置かず、さらに男を追及した。
「住民の方であれば、こんな夜更けに消灯したまま行動する必要はありません。わざわざ隠れて何をしていたんです?」
「そんなもん、灯りをつけようがつけまいが、住んでる人間の勝手だろ?たまには暗くて静かな場所でゆっくりしたいって、人間はそういう気分になることがあるんだよ。アンタら人形には分からないかもしれないが……。」
大柄な方の隊員が、男の背後に回り、彼が背に隠そうとしていた物を軽く蹴って床に転がす。
ゴトッ、という重量感のある音と共に転がり出てきたのは、細微な意匠が凝らされた金の文鎮であった。宝石の装飾が至る所に埋め込まれ、素人目にも高価な品と分かる。
自分が抱えていたものを明るみに出された男は蒼ざめた。彼が言葉に詰まった一瞬を塗って、小柄な方の隊員が口を開く。
「以前よりこちらの屋敷の主からは、窃盗被害の報告が複数、届け出られていました。どうやら、ご子息であるあなたが合鍵を用いて侵入し、盗難を繰り返していたようですね。」
「いっ、言いがかりじゃないか!住民が、自分の家の物をちょっと持って移動させてるだけでドロボー扱いかよ!?」
「移動させているだけであれば、わざわざ照明を消し隠れて行動する必要はなかったはずだな?」
男の苦しい言い訳を遮り、大柄な隊員は彼の腕を取って無理やり立ち上がらせる。
体温の無い警邏隊員の冷たい手に握り締められた腕は、まさに拘束具を填められたかのごとく動かない。いよいよもって追い詰められた男の声は涙ぐみはじめていた。
「何のマネだよ、おい!俺を逮捕するってか?ちょっと灯りを消したまま、家の中の物を持って移動させてただけで?それだけで何の罪になるってんだ!」
「罪状の確定は、司法府による判決をお待ちください。今は抵抗なさらず、ご同行願います。」
「くそっ、手を離せ!俺の親父が誰だか分かってんのか、知らないとは言わせねーぞ!なんで俺がこんな扱いを受けなきゃならない!」
「抵抗するなと言っている。警邏隊員の指示に従わない場合、実刑に特等市民権の剥奪も追加されるぞ。」
「いっ、いやだっ、それだけは!」
小柄な隊員と大柄な隊員から口々に言葉を掛けられつつも、男は慣れない取っ組み合いで顔を汗びっしょりにしている。
取っ組み合いと言っても、びくともしない警邏隊員に拘束された後ろ手を、男が必死で引きはがそうと無駄にあがき続けているだけである。いよいよ不従順な態度が確定したと判断したのか、小柄な方の隊員は警棒を取り出した。
「指示に従っていただけない場合、この場であなたを無力化して身柄を搬送することになります。これは円滑な職務を行う目的で執行される措置です。」
「暴力で俺を黙らせるってのかよ!俺が気絶するまでぶん殴るってか!アンタら人形には血が通ってねーから平気でやっちまえるんだろうな!人の痛みも理解できないもんな!いつからこんな社会になっちまったんだよ、人情も何もない……!」
「これ以上は時間の無駄だ、やれ。」
男を拘束している大柄な隊員が促し、小柄な隊員は警棒を握り締めて振りかざす。
もはや言葉も出ない様子で、避けようもなく拘束された体勢のまま顔をそむけた男であったが……受け止める覚悟もない痛みが襲ってくることはなかった。
鋭い声が響き、警邏隊員たちの行動を止めさせる。
「全員止まれ!……手間をかけて申し訳ないが、うちのバカ息子を離してやってくれ。」
それは先ほどまでこの場に姿を見せていなかった、屋敷の主の重くしゃがれた声であった。
警邏隊員に拘束されていた男は、信じられぬ様子で口を開く。
「おっ……親父?なんで、旅行中だったはずじゃ……?」
「お前がちょくちょくウチの物を持ちだしては売り払ってるのは分かっていたが、今日は特段忌々しい胸騒ぎがしてな。貴重な休暇を切り上げて帰って来てみれば、この有様か。」
愕然とした顔で目を見開いている男の前に、小柄ながらも厳めしい顔つきの老人が歩み寄ってくる。
尖った鼻先と、禿げあがった生え際、後頭部にばかり豊かに蓄えられた灰色の髪。老人の眼差しは鋭さの中に狡猾さをも大いに覗かせており、総体がネズミのごとき印象を与えている。
「フィンク議員……。」
「彼の拘束を解きましょう。議員のご意向です。」
先ほどまで男の言葉に耳を貸さなかった警邏隊員たちも、この老人の言葉には直ちに従い、おとなしく引き下がった。
喚き散らしていた男はその気力も使い果たし、いまや逃亡や抵抗の意気も無くしたのか、ただ力なくへたり込んでいる。いい歳をして騒動を起こした我が子のボサボサ髪を冷たい目で見下ろした後、老人は警邏隊員たちに向かって頭を下げた。
「あらためて、息子がお騒がせしたことを詫びる。この件は、俺に免じて見逃してもらえるか。」
「はい、フィンク議員。あなたの仰せであれば。しかし、貴方の屋敷へ我々が踏み込んだことについては、既に警邏部長の把握するところとなっています。」
「構わん、俺の方から治安当局に話を通しておく。バカ息子の軽率な振る舞いのために、連中に借りを作ることになってしまうがな。」
ますます深く首をうなだれさせる我が子を前にして、フィンク議員は小さく溜息をつき、曲がりかけた腰をさすっていた。
やがて、議員の護衛や秘書たちもどやどやと部屋に入り込んでくる。事態が大ごとにならず屋敷の中で収まったことにホッとしているのだろう、場の空気は険しさを急激に失い、一気に緩んでいった。
「では、我々はこれにて、失礼いたします。」
「ウム、重ね重ね、手間をかけて済まなかった。」
頭を下げるフィンク議員に対して一礼を返し、警邏隊員二名はスタスタと屋敷から出て行った。
―――――
政治家の意向ひとつで、警邏隊が被疑者を見逃すのも、この街では珍しいことではない。とはいえ、当事者が万全のタイミングで逮捕の現場に居合わせることは、ほとんど非現実的である。
夜道をしばらく進み、屋敷から十分に距離をとった後、小柄な方の警邏隊員は顔からマスクを外す。
彼の素顔は、少年の面立ちであった。
磨かれたようにくすみの無い眼球と、整った顔立ち。警邏任務には不必要な構造物である。
本物の警邏隊員ならば、マスクを外した下は、人間のそれに似てもいない視覚受容器と発声器官が無機質に並んでいるだけのはずだ。
少年の顔をした自動人形は、これまた本来ならば不必要なおしゃべり、わざわざ伝達する必要のない雑談を開始した。
「以上で、フィンク議員からの依頼は完了です。しかし、あんなにも見計らったようなタイミングで我々に捕捉され、父親とも遭遇したというのに、仕組まれた場であるとの疑いは一切抱かないものですね、あの息子さん。」
「そこまで頭の回る人間であれば、そもそも実家の貴重品に手を付けるなど軽率な行動を繰り返しはしないだろう。人間の思考を我々が完全に読むことは難しいが。」
背の高い警備隊員……を演じていた自動人形も、顔からマスクを外しつつ返答した。こちらは若い女性の顔つきであった。
顔立ちや目つきは、傍らの少年型人形に劣らず美しく作られていたが、細く鋭く開かれるだけの瞼は冷たい印象も与える。女性を模したにしては低めの声と併せて、趣味の合う相手には好まれる“作り”となっていた。
相棒からの気のない返答にも拘わらず、少年型の人形はおしゃべりを続けた。
「まったくです。市議会議員の息子という出自のおかげで優等市民としての権利を有し、働かずとも生活を続けられるだけの保障があるというのに、あれ以上なにを欲しがることがあるのでしょう。あなたはどう考えます?ケイリー。」
「無駄な考え事を増やすな、リーピ。その件について、この場で結論を出すことに意味はない。我々はフィンク議員の意向通りに仕事を終え、報酬と信頼を得られたことだけ結果として確認できれば良い。」
今回の一件は、遊ぶ金欲しさに親の私物を勝手に売り払う息子の振る舞いに悩まされた、市議会議員からの依頼であった。
親としての小言には我が子から聞く耳を持たれず、されど警察沙汰になってからでは議員としての立場に傷がつく。先ほどのやり取りのごとく、治安当局に融通を利かせることは出来るものの、借りを作ってしまうことは政治家として大きなデメリットである。
そうなってしまう前に、警邏隊員に扮して屋敷の中で待ち構えるよう、リーピとケイリーは依頼されていた。あたかも実際に空き巣の現行犯を確保し、連行するかのごとき現場を演出するように、と。
「今回の一件で息子さんが凝りて、二度と同じような真似をしなくなれば良いのですが。とはいえ、父親の権限で警察沙汰を揉み消せるという道をひとたび知ったが為に、同様の振る舞いを続ける恐れもあります。」
「議員である父としての威厳を我が子の前で見せつけるために、我々の茶番を利用された感は否めないな。」
そうであったとしても、フィンク議員の意向は達せられたことに違いはない。状況が今後どう転ぶかはさておき、顧客の求める働きが出来たことに違いはないだろう。
本物の警邏隊員同様に無機質な物言いを真似られ、並の人間ならば抑え込むだけの膂力を有している自動人形だからこそ、可能な仕事であった。
「この街で探命事務所を設立した際は、自動人形にいかほどの依頼が舞い込むものかと危ぶんではいましたが、思いのほか議員さんからいただく仕事が多いものですね。」
「好都合なのだろう、我々人形は指示に無い振る舞いをせず、義理やしがらみを生む余地もない。」
自動人形が、多種多様な人間からの依頼を引き受ける探命事務所。
人形であれば、生身の人間にとっては危険な場に入り込むことも可能だ。人形らしく、顔や身体のパーツを組み替えることで体格そのものを大きく変えるほどの変装も出来る。顧客の情報は秘匿されるため、治安当局と関わりを持ちたくない者たちに重宝される存在にもなり得る。
この風変わりな仕事は、かつて愛玩用として製造された自動人形であるリーピが発案し、同じ出自のケイリーを引き込んで始めたものであった。
人間から好まれる容姿で製造されていながら、意思を有してしまったばかりに、自らの扱われ方に拒否感を抱いてしまう人形たち。本来ならば不良品として廃棄される運命にある彼らが、人間を真似て“生活”を続ける道を求めた、リーピの模索の一環でもあった。
「議員の方々からの覚えが良くなるのは好都合です。まだこの街では、人形が就労することへ反対する気運も見られませんし、かつての人形破壊運動に対しては批判の立場を示された市長さんが就任しておられます。」
「高額な報酬を支払える顧客からの依頼を優先的に我々が引き受けていることが明るみに出れば、世間からの心証は変わってくるだろうがな。」
そもそもが、人間と違って清潔な住環境も、一定以上の食糧も必要としない人形が、何故働いて報酬を得る必要があるのかとの議論は、この世から消えることはない。警邏隊員のごとく、不意の暴力にさらされかねない仕事を人形に委ねることについては、反対意見がほぼ皆無であったものの。
この仕事を始めたリーピ自身も、問われれば明確な答えを示せなかっただろう。人間に似せて作られた存在が、人間を模して暮らし続けることに幸せを見出す、そのプロセスは容易く言語化できるものではなかった。
ただ……このあまりおしゃべり好きではない相棒にむかって、一仕事終えた達成感を抱きつつ何やかやと話しかける時間を、リーピは確かに愛していた。
「ケイリー、明日は花屋を覗きにいきませんか?今日の夕方ごろ、閉店直前の店先で、今にも蕾が開きそうなフリルドダリアを見たんです。事務所の机に華やかさが欲しいところでしたので……。」
「買い物なら、リーピひとりで行けばいい。私は事務所で新たな仕事の依頼が来るのを待つ。」
「僕らがこの街で暮らしていく中でも、お金を使って買い物することは重要な行為ですよ、ケイリー。ただでさえ、付き合いの悪いあなたは近所の方々からも顔を覚えられていないのですし。」
「秘密裏の依頼をこなすのなら、顔を覚えられないに越したことはないだろう。」
「仕事の間だけ異なる顔に取り換えれば良い話でしょう、僕らは人形なんですから。今回は、覆面をつけても違和感のない状況のおかげで、弄るのは声帯だけで済みましたけれどね。」
言いながら、リーピは喉元の蓋を開き、声帯部品に噛ませていた金属片を取り出す。
暗がりの中では、開かれた人形の内部を詳細に見ることは出来なかったが……明るく照らせば、複雑に絡み合った白い繊維に覆い尽くされた内部を覗くことができただろう。人工物というよりも、菌糸が繁茂しているかのような見た目であった。
喉の蓋を閉じ、あらためて喋りはじめるリーピ。
声帯の動きを制限していたパーツを取り除いたことで、警邏隊員を模した無機質な声色から、澄み切った少年の声へと様変わりしていた。
「じゃあ、明日の買い物は僕ひとりで行ってかまわないんですね?確か、本物の警邏部隊による定期巡回も、明日大通りで行われるはずでしたが。カッコいい部隊長さんの姿を見られる貴重な機会ですよ。」
「……私も行く。」
思った通りの反応が返ってきたことで、リーピは口角を引き上げる。とはいえ、ケイリーがへそを曲げないように、笑みを浮かべるのは彼女から見えない側の頬だけに留めておいた。
リーピと比べれば振る舞いこそ素っ気なくあれど、ケイリーもまた本来の人形が抱かないはずの、自分なりの好みというものを有していた。
町の治安を守る警邏部隊の自動人形たちを人間の身で率いる部隊長は、既に儀礼化・形骸化した職務とはいえ、人々からの崇敬を集める花形の役職であり、殊に今代は美形であるとの呼び声高かったのだ。
前作を投稿し終えてから、ほぼ2年が経過してしまいました。ジャンルは変わり、作中の時間も大きく隔たってはいますが「日の目を見ざるリズァーラー」とは緩やかに繋がっている物語となります。
もちろん前作を知らなくとも楽しんでいただけます。まぁまぁシビアな世界観だった前作と比べれば、それなりに落ち着いた雰囲気の作品になる予定です。また入り組んだ話になるかもしれませんが、興味深く紐解いていただければ幸いです。




