2.宮廷との決別
翌日、アレンはミリアとともに、宮廷の大会議室に呼び出された。重厚な石壁に囲まれた空間は、彼の胸に鉛のような重みをもたらす。一番奥の席には大臣、その手前には役人たち、そして一番近くには冷徹な視線を放つ錬金術師長のグラフトが待ち構えていた。
「先日の調合ミスは重大である。王命に関わる任務において、このような失態は決して許されん」
大広間に響くグラフトの冷たい声。周囲の錬金術師や書記官たちがひそひそと囁き合う中、アレンは黙ってその言葉を聞いていた。
「この責任を取らせねばならん。よって、お前を副錬金術師長から降格させることとする。これ以上の任務は任せられない」
グラフトの視線は冷たく、だがその奥には奇妙な優越感が宿っている。彼の横には、いつも助手として控えていたミリアがいた。驚きと不安を隠せない表情でアレンを見つめているが、彼女自身もこの場では何も言えない。
「そこでだ。新たな副錬金術師長を置くことにした。ミリア、お前だ」
グラフトが言い放った瞬間、大広間がざわめいた。
「え……わ、私がですか?」
戸惑うミリアに対し、グラフトは満足げに頷いた。「お前ならやれる。アレンに代わり、今後は私の右腕として励め」
――なるほど。
アレンは一瞬で全てを理解した。グラフトは以前からミリアに気があり、彼女を引き上げるために自分を犠牲にしたのだ。調合ミスの責任を押しつけ、自分を降格させれば、代わりにミリアを昇格させられる。邪魔者を排し、彼女に恩を売る完璧な計画だった。
「……申し訳ありませんでした。」
アレンは静かに口を開いた。周囲がこれから始まる処分を聞くためざわつきが収まる。
「このような大役は、どうも私には荷が重すぎたようです。王都の高度な技術と、グラフト様のご期待に応え続けるには、私の能力は不足しておりました。」
満足げなグラフトを無視してアレンは続けた。
「これ以上、皆様にご迷惑をおかけするわけにはいきません。誠に勝手ながら、本日をもって宮廷錬金術師の職を辞させていただきたいと思います。」
静まり返った大広間に、アレンの言葉がはっきりと響いた。グラフトの顔からみるみる笑みが消え、代わりに焦りと驚きが浮かぶ。
「アレン、何を言っている!それは軽率な――」
「いいえ、軽率な判断ではございません。この件に関しましては、熟慮を重ねました。私がここにいては、グラフト様の輝かしいご経歴に泥を塗るばかりです。」
アレンは淡々と続けた。グラフトは、自身の思惑が完璧に崩れたことに気づき、必死に彼を引き止めようとする。
「待て!私はお前にもう一度チャンスを与えると言っているのだ。それに、お前がいなくなれば、この後始末はどうするのだ!」
「この期に及んで私のような者にお心遣いいただけるとは。やはりグラフト様は寛大なお方ですね。ですが、私のようなものがここにいると、さらなる失敗を引き起こすだけです。この場はどうぞ、私を切り捨てることをお選びください。」
重苦しい沈黙の中、大臣が口を開いた。
「すまんが、本日は議題が多い。グラフト、そろそろよいか?」
「……はい。」
不本意ながらもアレンの退職を承認せざるを得ないグラフトの悔しげな表情は、アレンにとって何よりの報復だった。一礼してその場を去るアレンの背中に、誰一人として言葉をかける者はいなかった。
思い切ったことをしてしまった。明日からどうすればいいのだろう、という不安が胸に広がる。
しかし、その一方で、これまで自分を縛り付けていた鎖が外れたような不思議な軽やかさを感じていた。
「あれ?なんだか、いい気分かもしれない」
自分がこれまで必死にしがみついていたものの正体は、自分にとって実はさほど重要ではなかった。あれだけ過酷な労働に耐えられた自分なら、ほかの何をやってもうまくいく気がする。
アレンは王都を離れることを決意した。行き先は、王都から一か月以上かかる最果ての村。
そんな場所なら、ここの人たちもそうそう手は出せないだろう。自由や快適さのためではなく、ただ「関わり合わないため」に選んだ場所だった。
翌朝、アレンは最低限の荷物を背負い、王都の城門を抜け出した。背後にそびえる石造りの塔や城の城壁は、彼を縛る日常の象徴としてまだ残る。
そして前方には、長く険しい旅路が広がっていた。
ここから逃げる――その一縷の望みにかけた、孤独な旅の始まりだった。