とっとと死ねばいーのにね!
彼女が初めてここへ来た時、あまりのみすぼらしさに、私は目を剥いた。同時に、来る時代を間違えたのかと思った。私が来たのは日本の令和という時代であり、衣食住には困らない、むしろモノに溢れた時代ではなかったのか。少なくとも私が持っていた教本にはそう書かれていたし、同期にも羨まれたのだ。令和の日本か〜。暇そうでいいね、と。
だと言うのに、目の前の彼女はどうだ。擦り傷と痣だらけの体に、ヨレヨレになった服。手足は限りなく細く弱々しく、本当に生きているのか疑うレベルだった。
神京統括日本支部からの転勤の銘を受け約数日。
現世でいう天国を管轄するお偉いさん方は、日々加速する信仰不足に頭を悩ませていた。過去、争いが耐えない時代はまだいい。戦火や疫病の中、窮地に陥る人間は我々神に縋るが、満ち足りた生活を送る現代人はまぁ違う。とりわけ日本人は信仰に乏しい。死ぬ間際のジジババならまだしも、現役世代の社畜の皆さま方は神を信じる余裕も気概もない。毎日死にそうな顔をぶら下げては満員電車に突っ込まれている。彼らに必要なのは信仰ではなく、適切なカウンセリングと休息だ。
そんなわけで、日本かつ現代かつ都会の片隅というトリプルコンボを食らった我がお社は、今日も今日とて暇を持て余していた。
上が信仰集めに躍起になるのは分からんでもない。たがそもそも人が集まりもしない神社に人員を配置したところで、だからどうしたという話だろう。
現世に干渉して信者を集めるなんぞ御法度、いっそのこと洗脳でもするか?それこそ神京の禁忌に触れる。人に干渉せず、人に感知されぬやり方で信仰を集める。なかなかに無茶な仕事を押し付けられたものだ。
私にできることは、神域内の空気を清廉に保ち、あとはたまにくる信者のささーいな願い事を叶えるくらい。
正直に言うと暇だった。
あーあ、今ごろ神京では新年度の人事異動でてんやわんやしてんだろーなーなどと実家に思いを馳せる。配属されてからまだ数日だと言うのに、嫌に時を長く感じるのは、退屈故か。ぼんやりと空を眺める内に一日が終わるのはさすがに飽きた。
そろそろ暇つぶしというか、娯楽が欲しい。この際仕事でもいい。
「ぬうぉ〜!何か起きろ!できれば厄災以外!!」
「カミサマが厄災願うってどーなん。」
声が聞こえた。
社の上から下界を見下ろす。塗装が禿げた石畳の上、鳥居のすぐ下に小さな影があった。身の丈に合わない大きなランドセルを背負ってる。
「ほちゃー!!!」
どしーん!とお社から落下。背中から勢いよく地面に落ち、真逆になった視界の向こうに彼女がいた。
「あ…やべ、」
神京の勤め人は、本来普通の人間には見られることはない。人間には見えぬよう、まやかしの術を己にかけているからだ。
しかし、この時の私は高を括っていた。こんなにも場所に人間が来るはずないと。簡単に言えば、術をかけることをサボっていたのだ。いかんせんめんどくさいので。
「なんか、カミサマって思ったよりどんくさいんだね。ちょっと残念。」
「なっ、このクソガキ───ハッ!!」
背丈からして小学生。自分より何倍、何百倍年下に失望の目を向けられ、カチンときた。しかしすぐさま我に返る。
このガキ、私をカミサマと呼んだ?
背筋を冷や汗が伝う。現世の、しかも子供に正体を知られるなど、下手すりゃ存在ごと消されかねない。少なくとも、輪廻の輪に還ることは不可能になる。
苦渋の末、私は萎縮した脳みそから言葉を捻り出した。
「…カミサマじゃないヨ。ニンゲンダヨ。」
「いや、人間は自分のこと人間って言わないでしょ。」
「た、確かに!」
これが、タミオカミズキとの初対面だった。ガキのくせに妙に達観している、食えない人間。其れがミズキに対する第一印象で、其れは最後まで変わることはなかった。
※
「カミサマって普段何してるの?」
「普段?えー…最近だと空見たりボーッとしたり…あと虫の観察。」
「…田舎のジジババの方がまだマシね。」
「ンなもんこちとら分かっとるんですわ…。」
ミズキは週に2回、多い時は5回私のお社を尋ねた。平日でも土日でも、ヨレヨレの服にランドセを背負って来た。チリついた髪を乱雑に束ね、お賽銭箱の前に腰を下ろす。そこがミズキの定位置だった。
「こんな辺境に転属されてさー。暇すぎて死にそうなの。ミズキチャン助けて!何か面白いことして!」
「面白いこと?ふとんがふっとんだ〜。」
「1周まわっておもろい!最高!」
「カミサマって大変なんだね…ご愁傷さま。」
はじめて会った時からずっと、ミズキは私のことをカミサマと呼んだ。なぜカミサマなのかと問えば、1番しっくり来たからと返ってくる。年端に合わず、大人びた答えだ。
ミズキが子供だったからか、それとも風変わりだったせいか。私は己の立場を忘れ、彼女と言葉を交わすようになっていった。理由を問われれば、暇だったからの一言に尽きる。しかし本来は人間との関わりは禁忌であることに変わりはない。それでもミズキとの縁を絶たなかったのは、偏に彼女と過ごす時間が楽しかったからだろう。
「にしてもミズキ、学校は?」
「ちゃんと通ってますよ。ほら、ランドセルあるでしょ?」
「ふーん。でもボロボロじゃん。」
「…シャカイのキビシサってやつ。」
「なんだそれ。」
ミズキは案外真面目で、きちんと学校に通っているようだった。確かにお社を訪れるのは決まって夕方だし、学校で出された課題らしきプリントも中にたくさん詰まっている。
でも、彼女の友人らしき人物を見たことは一度もない。小学生なら、友達と木の棒引っ掛けて遊び回るのが普通と言うものではないのか。でもまぁミズキはちょっと変わっているし、特に詮索することはなかった。
「あーあ。いいなぁ!私も一瞬だけ人間になりたい!バッってなってシュッって戻りたい!」
「カミサマって人間になれるの?」
「神京のお偉いさんから許可下りればできるよー。よっぽどのことじゃないと無理だけど。」
「神京…カミサマが住んでる国のこと?」
「そそそっ!」
ミズキは頻繁にわたしが住む国…神京のことを尋ねた。それだけではない。神の国のシステム、私の業務内容、神事から何まで疑問に思ったことは全て聞いてきた。純粋に好奇心が強いのもあるだろうが、どちらかと言うと死後の世界に興味があるように見える。いや、正確には死後の世界ではないのかもしれない。この世界の仕組み…人間は到底知ることのできない神の領分に踏み込みたかったのだろうか。
理由は知らないが、黒い瞳の奥に隠された真意を、私は読み取ることができなかった。彼女は彼女なりに思うところがあったのかもしれない。けれど人間の機微など、私に分かる筈がないのだ。
私はカミサマ。人とは遠い、似ても似つかない存在。
「神京ってどんなとこ?カミサマの他にも、カミサマっているの?」
「神京ぅ?掃き溜めの魂の行き着く先って感じね。私みたいにハケンでこき使われる神ならいっぱいいる。成り上がれんのは一部のエリート様だけ。そこは人間と似たよーなもんだねー。」
「…そうなんだ。カミサマも、人間と同じ?」
恐る恐るミズキは口を開いた。彼女には珍しく、視線が上の空だ。人の手では及ばない遠い、空の向こうを見つめている。
やや疑問に思いながらも、私はいつも通り素直に答えた。
「同じっちゃ同じだけど、根本は違うかなー。」
「違う?どこが違うの?」
「どこって言われると悩むけど…うーん。死生観、とか?」
「シセイカン?」
「うん。」
ミズキは小さな首をさらに小さく傾げた。いくら大人びているとはいえ、さすがに子供には難しすぎたか。他に言い換えはないかと頭を悩ませてる。
「簡単に言うと…なんだろ。よく分かんないけど、たまに会う亡者にはココロが無い!って怒鳴られるよ。」
「ココロがない?酷いってこと?」
「んー。多分そーなんじゃない?」
適当に返事をすると、ミズキはしばらく黙り込んだ。
あんまりにも神妙な顔で考え込んでいるので、そっとしておくことにした。お賽銭箱の前に横たわって空を見上げる。今日も今日とてつまらない快晴が私を迎える。
「カミサマって酷い人なの?人間よりも酷い?」
ようやく口を開いたと思ったら、意味の分からないことをまくし立てる。ミズキには珍しく、子供らしい幼い口調だった。
「しーらね!酷いだのどうこう決めるのは人間のカンセーってやつでしょ。私に聞かれても困るわ。」
「そっか。カミサマにも分からないんだ…。」
どうやら気落ちしてしまったようで。ちいさな肩をことさら小さく縮ませて、ミズキは俯いた。何が気に食わなかったのだろうと思考を巡らすも、ちっぽけな子供の考えることなど私には分からない。
「ま、ミズキもそのうち分かるようになるんじゃない?大人になれば、視点も変わるって人間よく言ってるし。」
「大人…みんな言うね。大人になれば、自分でなんでもできるようになるって。」
「何でもかどうかは知らんけど…。選択肢は広がるって聞いたことあんよ。」
どれも亡者の独り言を盗み聞きしたものだが、人間の世界では真理と言うやつなのだろう。どの亡者も似たようなことを言っていた。
しかしミズキはまたもや気に食わないらしい。神妙な顔のままピクリとも動きやしない。
今日のミズキはおかしい。と、私は思った。いつもより表情が暗いし、活気がない。普段は毒舌できる返すところも、変に口ごもって喋ろうとしないのだ。
暇つぶしのはずが、こうも様子が変だとこっちまで気が滅入る。これではミズキと一緒にいる意味がない。
ため息を呑み込む。
人間は興味深いが、正直めんどくさい。と、神京にて同僚が言っていたことを思い出した。今なら彼女の気持ちがよく分かる。
青い空はどこまでも終わりなく広がり、人間たちを包んでいる。私だけが、この世の中で空の終わりを知っている。人の手の届かないと遥か彼方。その気になれば戻れる神京に思いを馳せた。ミズキがこうも気にする神京は、私にとってはあまりに近くにある。
「そうだ!ミズキ!!」
パチッ!と光が頭の中に爆ぜた。神京から司令が届く時のように、頭の中に知識の波が溢れる。その中から適当なものを引っ張り出して、私は言葉を吐く。
「とっとと死ねばいーのにね!」
その瞬間、ミズキは凍りついた。
「…あれ?」
細かく震える唇。右往左往と宙を彷徨う瞳。そのくせして体は固まったまま、私を食い入るように見つめる。息を吐いてるのか吸ってるのか分からない鋭い呼吸音。
在り来りな表現かもしれない。でも確かに、私は見たのだ。私とミズキとの間に、稲妻のような亀裂がはしるところを。徐々にひび割れが大きくなっていき、乾いた血液のごとくパキパキ割れていく。
きっとこれは、私の言葉がミズキを傷つけたのだ。だがどうしてミズキが傷つくのか、私には理解ができなかった。亡者どもは、頻繁にこの言葉を吐く。現世に生きている人間もそうだ。ここに来る数少ない参拝客も、よく言っている。
「あえ?だって死ねば現世とオサラバだし、魂は新京に還るんだよ。現世と違って選択肢なんて腐るほどあるし…。出世すれば段違いよ!ミズキなら絶対できるって!私のハケンの勘が言ってるもん!!」
ポンポンとミズキの肩を叩けば、下手くそな笑みを浮かべて、くしゃりと顔を歪めた。泣いてるのか笑ってるのか分からない、絶妙な表情だ。
「…そっか。カミサマ、ありがとう。」
ゆらゆらと揺れる黒い瞳が、湖の湖面のように美しかったのを、よく覚えている。
それ以来、ミズキはお社に来なくなった。私と話すのが疲れたのか、単に飽きたのかは知らない。
※
「あっ、いたいたー。」
「おー。$♪¥々(♪2^(♪じゃん!おひさ〜元気してた!?」
「それこっちのセリフなんだけど!」
ミズキが来なくなって数日後、私のお社に神京の同僚がやってきた。白の制服を風にたなびかせ、よっこらせと賽銭箱の前に腰を下ろす。
ミズキの定位置だった場所。
「今日人事から伝令があったんだー。一旦神京に戻れってさ。」
「ありゃま。随分急だね。」
「それなー。もうこっちもてんやわんや。馬車馬の如く働かされてますぅ。」
同僚の顔には疲れが滲んでいる。余程上に振り回されているようだ。
「なんかねー。信仰再生の一環で、近々大きな厄災を起こすんだって。巻き込まれたら大変だって、一応ね。」
厄災。
人間が到底太刀打ちできない脅威を、神京が主導で与えること。疫病の時もあれば、地震や大火災の時もある。詳しい内容は上が決めるが、いずれも万単位で人間が死ぬのは確実。
事務処理がかなり面倒で、私のようなハケンはいつも下っ端の雑用に回される。実を言うと面倒なので乗り気はしない。
「あーなるほど。ついに思い切りましたか。」
「人間には気の毒だけど、こればっかはしゃーなしですわぁ。」
あははは〜と苦笑いを浮かべ、同僚はお社を離れた。まだ他のハケンにも伝令を伝えねばならないのだろう。お上の遣いは大変だ。
とはいえ、あと数日中に私も引き上げねばならない。厄災に巻き込まれればいくらハケンとて死にかけないし、労災に関係すれば面倒な手続きが多くなる。
めんどうはごめんだ。めんどくさいから。
「あーあ。こりゃミズキも巻き込まれるなー。」
厄災の範囲は聞いてはいないが、私に退避の命令が下るということは、そういうことだ。
「結局、勧めるまでもなかったかー。」
とっとと死ねばいーのにね!
あの時のミズキの顔が、今でも忘れられない。瞼の裏に焼き付いたように離れない景色に、正直嫌気がさしていたのだ。どうせ厄災死ぬなら変わりはないし、これで私の気も晴れる。
それに、もしかしたら神京で再会できるかもしれない。
そう思うと、私の心の内で興奮が盛り上がってきた。これで暫く、退屈することはなさそうだ。
悪意はないのでセーフです。