恋が抑止力
──「ミーティア・ハスク」客間 10/03/夜
ひとしきり芽衣を抱きしめた後、私は部屋のドレッサーを物色していた。
なんで客間にドレッサーがあるんだろうとも思ったが部屋をよく見てみると、つい最近まで人が住んでいそうな雰囲気があった。
きっと食客が住み込む部屋だったり、客間だったり、屋敷の状況に応じて使い分けられているんだろう。
コットンしかないな……。
もっと布っぽいのは……っと、あった。
上等なシルクの切れ端を見付けたので私はそれを持って芽衣の隣に座り直した。
「ほら、こっち向いて」
「あっ、先生……」
「自分で拭きます……」
「いいから」
私は芽衣に有無を言わせず、ゆっくりと泣き腫れた顔を拭いていく。
「悪いやつだよな~、アマナは」
色々な意味で。
「私が勝手にショックを受けてるだけですから……」
「いや、アマナが悪いよ」
「あいつの頭なら考えれば、ややこしいことになるのは分かるんだからさ」
芽衣は身体だけじゃなくて顔の表面も柔らかいな……。
シルクの生地が拭くのに丁度いい感じだ。
「ところで"例の話"の根幹っぽい部分に」
「サフィが関係してるとアマナは考えてるみたい」
なんなら原因ぐらいに思ってるみたいだけど、そこまでは言えないよな。
「サフィ様が?」
「お前から見てアマナとサフィの関係ってどう?」
「えっ、あ、あの……先生はどう思いますか?」
うーん、なんて言おう。
ダメだ。
私からは、やんわりと説明できない。
「先に正直に話してみてもらっていい?」
「せ、先生が思っているのと似た……ような~……」
芽衣は私の反応を伺いながら喋っている。
なので、うんうんと頷いてみた。
「アマナ様~……の、かた……」
「思い」
「だよな、やっぱ」
「あ、あはは……」
「こういうのってお互いに分かってそうでも」
「危なくって確かめ合えないですよね」
「だな……」
万が一、話す相手が分かってなかったら無駄に他人の恋愛事情を口外しちゃうことになるわけだし。
そこからは手短にまとめつつ、私とアマナの絡みの部分は伏せて芽衣に経緯を説明した。
「だからアマナ様は、あんなにおかしな感じだったんですね……」
「わ、私にキスしたくなるぐらい追い込まれてたなんて……」
「とはいってもサフィがいなければ」
「入学してから1週間もしないうちに」
「あいつはまず、お前に手出してたと思うよ」
「そ、そうでしょうか」
「絶対そうだって」
「その後は、お前が無駄にイレミアに絡まれる」
イレミアのことを勝手に話すのはどうかと思ったが私の話術だと全部伏せて説明するのは無理があった。
ごめん、でもあいつなら気にしないだろ。
「イレミア先生ってそういう人だったんですね……」
「しかもアマナ様と、そんな……」
「住み込みの弟子だったときは、ま、毎日アマナ様とシ──」
「バカお前、変なこと言うのやめろって」
芽衣は顔を上気させながら眩んだような目付きになっていた。
妄想が止まらないみたいだな。
「ご、ごめんなさい」
「でもそれなら先生だってアマナ様に何かされてたと思いますよ……?」
「そうかもな」
「それどころか、たぶん気に入った女にはちょっかいかけまくってたはず」
「まあ、ちょっかいかけるというか」
「お前にキスしようとしたみたいに我慢できなくなっちゃうんだろう」
「今朝イレミアといたときに聞いた言動からして昔っからのことみたいだし」
「だからあいつは悪いやつだよ」
「……今はサフィ様が抑止力になってたわけなんですね」
抑止力ってお前……。
「それくらいアマナがサフィを好きってことなんだろうけどさあ」
「なんなんだろうな、あれは」
「全然好きそうには見えないんだよ」
「先生が言ってるのはそのー……」
「さり気なく触ったり、まじまじと見てたり……」
「みたいなことをアマナ様がサフィ様にしてないってことですか……?」
「そうそう」
「ん、触る?」
「えっ、あ、なんでもないです」
「あいつそんなことしてたのか……」
「いや、あの~……」
「先生もほら……アマナ様と喧嘩してるときとかに」
「えぇ……」
「あれってわざとなの?」
「たぶん、そうだと思いますよ……」
「なんて末恐ろしいやつなんだ」
「あの面の良さがなければ許されないだろ……」
「まさに女の敵だな」
私は昼下がりにアマナが言ってくれた言葉を思い出す──
──「先生と喧嘩してうっかり触っちゃったこととか」
──「ずっと記憶に残ってますよ」
あれで喜んでた私は"馬鹿みたい"じゃんか。
そもそもが、うっかりじゃないっていう。
まあでも……触りたくて触ってたのなら、そっちのほうが嬉しいかな。
どうやら私は"馬鹿みたい"じゃなくて"ただの馬鹿"だったようだ。
「で、でもそういうことしちゃうくらい悶々としてたんだと思いますよ」
「どんなフォローだよ」
「ただムラムラしてただけだろ」
「まったく……」
「まあ、ともかくサフィは私の目からして明らかにそういうことされてないんだよ」
「私もそう思います」
「やっぱアレなんかな」
「前の世界で"女子同士で~"ってなると良く聞いたやつ」
「えっ?」
「なんでしょうか」
こういうときアマナならパッと答えてくれるんだよな~。
アレンも答えてくれるけど、あいつは別にいいや。
「あっ、先に私が思い出した」
「プラトニック・ラブだ」
「あ~」
「本とかだと良く見ました」
私の話を聞いて芽衣がハッとした顔になる。
「……そ、それだと私たちはその逆ってことに」
「性欲の対象でしかないってことだよな」
私は考えないようにしていたことを遂にハッキリと言ってしまった。
「別に良いんじゃない?」
「えっ、良くないですよ」
「なんで?」
「だってそれは……」
「ほらな、そんなすぐに説明できないんだから」
芽衣はうつむきながら両脚をモジモジと擦り合わせていた。
「だってさあ、アマナとイレミアの関係を考えてみろよ」
「あんなに長年いっしょに師匠と弟子でいるんだぜ?」
「しかもアマナは実の姉ぐらいに思ってるだろうし」
「"それなのにそのうえで"気持ち悪くベタついてる」
「た、確かになんだか"プラトニック&性欲ラブ"って感じですね……!」
私につられて芽衣まで変なことを口走っていた。
「それって、もう普通の恋愛だよな」
「……そうですね」
「結婚してずっといっしょなのと変わらなくなってきますよね」
「だからサフィへの態度が不思議なんだよ」
「私は心当たりがないでもないですけど……」
「え?」
「教えてよ」
芽衣は苦笑いを浮かべながら言いにくそうにしている。
「わ、私が良くアマナ様に言われることなんですけど……」
遠慮がちな喋り方だ。
私に対して一抜けの宣言みたいになるから言いにくいのか。
「気にすんなって」
「"あなたには輝きが見える"って良く言われるんです……」
輝き?
ついさっき私も芽衣に感じたことだった。
「へえ」
「まあ、それは私も感じるよ」
「お前には輝きがある」
「そ、そんな私なんて……」
「お前がアマナの力になれないと勝手に思って悔しがってるときに私は感じたよ」
私は核心に迫っていることを直感したので強引に話を進めていく。
「お前から他人を"救おう"とする意志を感じた」
やっぱ私が昨晩考えてたことはアマナの心理をかすめてたみたいだな。
「じゃあ、アマナはお前に対して"プラトニック&性欲ラブ"だな」
「私には"性欲ラブ"だけ」
「あ、あんまりいじめないでくださいよ……」
「なんか察しが付いてきたな」
「自惚れるようですけど……」
「そういう人にアマナ様が惹かれてるんじゃないのかなって」
「ああ」
「多分それは合ってるよ」
こういう発想が出てくる以上、芽衣は前提を知ってるってことだ。
「お前、イフィリオシア家のやつ知ってる?」
「"至上命題"ですか?」
「それそれ」
「私さ、この国でその単語を聞いたことすらないんだよ」
「でも魔王討伐の旅の途中で魔族から聞いて……」
「昨日、考えてるうちに思い出したから」
「お前が蔵書室に来るちょっと前にレヴィアに聞いたんだよな」
「そしたら結構ヤバい感じだった」
「そ、それはそうですよ……!」
「私が中庭で言ってた近現代の話がしにくいなんていうのじゃなくて」
「本当にタブーなんだと思います」
「私もそれぞれの家に伝わっているものはまったく知らないんです」
「でもイフィリオシア家のは知ってるじゃん」
「いま流布されている"私たちの聖女伝説"で欠けた部分を調べてたら」
「自然と矛盾とかが浮かび上がってきて……」
「そうなると、なんとなく分かってくる部分があるというか」
「ふうん……」
「なんで知られたらヤバいんだろうな?」
「私はヘルメス皇国が隠している部分に直結した話なんだと思います」
「ああ、そっか」
「七大貴族はそもそも、この国が始まる前からいたんだよな」
「そいつらが聖女を召喚し始めた初代皇帝とつるんで国を作ったわけだから──」
ん?
なんか順番がおかしくないか。
「いや、"至上命題"も建国前からあったのか」
「つまり召喚自体に関係があるものだと思います」
「あー、そっか」
「"至上命題"を達成するために聖女の召喚が必要だったのか」
「それとも、この国自体がそのための手段とか材料なんかね」
「でも、それだと貴族側が圧倒的に主導権を握ってるよな」
いまの貴族派とか皇族派の対立なんてあってないようなもんだ。
そこはレヴィアが茶番だと言ってたけど。
それにしてもなあ……。
「……この建物を見たら貴族派の優勢は実感できますよね」
「そうだな」
「だとしたら、その延長線上の対立に巻き込まれて死んだアマナがあんまりだよな」
「……むしろ自業自得か」
「アマルティマ家の当事者なわけだし」
そんな茶番をお偉方がやってるせいで学園の聖女が変に影響を受けちゃってるとは傍迷惑な話だ。
「アマナ様も当時の人じゃないので仕方ないですよ……」
「なおさら私たちがどうにかしてやんないとな」
「はい」
芽衣は、いつの間にか芯の通った顔付きに戻っていた。
「イフィリオシア家の"救世主になろう"みたいなのは、なんで外に漏れてるんだろうな」
「だからこそイフィリオシア家は別格なんじゃないでしょうか」
「これだけ他家の"至上命題"が隠されているのに」
「なぜかイフィリオシア家だけは"私たちの聖女伝説"に」
「厳密に言えば"初代の異世界聖女伝説"に紛れて流布されている」
芽衣は一呼吸置いてから口を開く。
「先生が思い当たっている話の一節はこうです」
「人の世が爛熟を極めたとき」
「地は汚れ、海は濁り、黒き雨が降りしきる」
「光のない大地に赤き星が落ち」
「救世主たらんとする聖女が彼方に降り立つ」




