アマナとヒスイの約束
──「旧マリティマム修道院」客間 10/03/昼下がり
私がもう一杯入れようとして
ワインかごを取ろうとすると──
アマナが両目を見開いて私を凝視していた。
え、私なんか行儀が悪かったかな……。
あまりの目付きに私はかごを倒しそうになる。
「あぶなっ……」
「な、なに?」
「先生」
アマナは一言つぶやいてグッと私に近付いた。
「それ」
「なんですか?」
圧が強くて私は思わずソファの背もたれに仰け反ってしまう。
アマナの視線は私の首元に向かっていた。
あ。
私はイレミアが襟にべったりと付けたグロスのことを思い出す。
帰りもアマナのことばっかり考えてたせいで逆に忘れてた……。
「これはイレミアが……」
「そんなことは想像がつきます」
「だけど先生なら抵抗できたでしょう?」
アマナは私を背もたれに向かって押すようにどんどん近付いてくる。
もうほとんど私の腰の上に馬乗りみたいになっていた。
「いやいや、イレミア相手に私がなんかするのは危なすぎるって」
うっかりイレミアが死にかねない。
なのにアマナは聞く耳を持たずに続きを話す。
「今回の一件でイレミアは随分と先生のことを気に入ったみたいですね」
「流石のイレミアでもこんなに気持ち悪いことは今までやらなかったので」
「あ、やっぱこれって"気に入ってる"みたいなサインだったんだ」
あいつ犬だな、犬。
顔まで舐められなくて良かった。
「まさかキスされたりしてないでしょうね」
「い、いやしてないよ?」
思わず私は声が上擦って、どもってしまった。
これまでの人生でこんな声が出たことは無かったのに、この二日間でやたらと人生初の体験をしまくっている。
「本当だって……」
アマナは至近距離で私の瞳を覗き続けている。
「そんなに見られたら恥ずかしいじゃんか」
私が軽口を叩くと、ますますアマナの視線が険しくなった。
「あやしい……」
「キスはされてないんだって」
「キスは?」
う、やっぱ私は隠し事が下手すぎる。
「じゃあ他に何かされたんですね?」
「されてないよ?」
「下手な嘘つかないで」
もうお手上げ状態だった。
でもまあアマナとじゃれ合っていられるのなら別にいいかな……。
「いい加減白状して」
「わかったよ……」
「色着いちゃった襟のとこ」
「そのへんをベロっと舐められた……」
私の言葉を聞いたアマナは私の襟元を両手で掴みながらうなだれた。
「"私の先生"に……」
「よりにもよってイレミアが先に手を付けるなんて……」
私の先生……か。
嬉しい表現なんだけどアマナが下を向いたままワナワナと震えているので喜んでもいられない。
「ま、まあ……逆にイレミアでまだ良かったじゃんか」
「他のやつじゃなくてさ」
私は自分の身体のことなのに、まるで他人事のような口調で言った。
「いいわけないでしょ……!」
私のほうを向いたアマナの目には涙が浮かんでいた。
……"最愛のお師匠様"を泣かすなんてイレミアは何やってんだ。
まあ……私に愛憎入り混じりって感じでイレミアも相当テンパってるんだろうな。
「ごめん、ごめんな」
私はゆっくりと謝りながらアマナの頭と背中に両手を回して抱きしめる。
すると首筋に生暖かい感触が走った。
「んっ……」
イレミアが舐めた場所を探るようにアマナが私の襟首にかじりついていた。
そして唇を付けたまま舌をベロリと這わせていく。
「ちょっと後ろ過ぎ……」
私は抱きしめた手に力が入りそうになるのを抑えながらアマナの舌の温度を感じていた。
あ、あああぁ……流石にヤバいって……。
「ん……アマナ……」
部屋の中にちゅ、ちゅと水っぽいものをついばむような音が鳴り響く。
「もうちょっと前のとこだから……」
私が口を開くとアマナが歯を立てて首裏に噛みつこうとする。
でも私の皮膚には文字通り歯が立たなかったみたいでアマナは代わりにボソっと文句を垂れた。
「うるさい……」
「ごめん……」
私はもうアマナの好きなようにさせてやることにした。
アマナはまたレロ、レロ……とゆっくり私の首を舐め始める。
「ん……はぁ……あ……」
私はこんな風に誰かに触れられるのが初めてで我慢できずに声が漏れてしまう。
ほとんど抱き合うような体勢になってるからアマナの鼓動も、体温も、香りも、そのすべてが直に伝わってきていた。
「あ、ぁ゛……」
やば、足にも力入りそうになる……。
そんな私の状態もお構いなしにアマナの舌先が少しずつ首の前のほうに進んでいく。
「ん゛……ん、う……」
もう自分の身体が発する力の強度と同じだけの力を反対側に込めて相殺するようなことができなくなってきた……。
アマナならちょっとは力入れて抱きしめても大丈夫かな……。
私は腕と手に少しずつ力を込めてアマナの無事を確かめながら恐る恐る、その細い身体を抱きしめる。
するとアマナも私のうなじと背中を両手でギュッと抱きしめ、さらに激しく私の首元に口を付けた。
「あ……」
力を込めて誰かと触れ合うのって、こんなに安心することなんだな……。
私は不意にアマナへの想いが溢れ、感情がそのまま言葉となって漏れ出てしまう。
「アマナ……好きだよ、好き……」
「私も好き……ヒスイ……」
「ずっと昔からこうしたかった……」
「あなたに抱きしめられて平気なのは私くらい……」
「イレミアなら死んでるから……」
「怖いこと言うなよ……」
「だから絶対ほかの人に抱き着いたらだめ……」
「うん……」
「キスもだめ」
「うん」
「手もつないだらだめ」
「うん」
「もっと他のことも……だめ……」
「うん……絶対しない」
"ほかのやつに抱き着くと相手が死んじゃうから"なんてのがなくても他のやつとはしない。
……このままちゅーしたいな。
もう我慢すんのは無理だろ……。
でも私はサフィとアマナのことを考えてなんとか堪える。
なんかもう意味ない気もするけど。
「私はお前が生きてさえいてくれたら」
「お前が誰といようとも」
「何をしようとも」
「お前のことを好きでい続ける……」
「もしも死んじゃってもずっと好きだけど……」
私は考えていたことが次々と口に出てしまう。
「だから生きてよ」
「死なないでよ」
「サフィの願いを自分の生き死にの基準にしないでよ……」
「私の願いで生きてよ……」
アマナにつられて私まで口調が崩れてしまっていた。
「ヒスイのために生きる」
「死なない」
そう言いながらアマナは私の頭を撫でていた。
なんか私があやされてるみたいになっちゃったな……。
せっかくだしもう少し駄々を捏ねてみよう……。
「私だけじゃない」
「お前に生きて欲しいやつはたくさんいるんだよ」
「わかってる」
「ニ度も死んでごめんなさい」
「本当は最初の時点で分かってたんだよな」
「うん……分かってた」
「あんまり嘘ばっかつくなよ」
「うん」
「わざと死ぬなよ」
「うん」
「私と違ってお前は嘘が上手かったり……下手だったりするんだからさ」
「……とにかく私と比べたら上手いんだって」
「うん」
「お前が生きてくれてるあいだは私も約束守るから……」
「お前以外には抱き着かない」
「キスもしない」
「手も握らない」
「他のこともしない」
「もしも、お前が約束破って死んじゃったら私はイレミアと全部やる」
「うん」
「その後に私も死ぬからな」
「……先生は何やっても死ねないでしょ」
「お前だって死ねなかったじゃん」
「んっ……ふふふ……」
「あっは、はははは……」
私とアマナは少し可笑しくなって笑い出してしまった。
「そしたら結局、意味のない約束ですよ」
「絶対に私が破れないんですから」
「破ることがないから先生はずっと私のもの……」
「そうだな……」
「お前が死んでも死なないようなやつで本当に良かった……」
「私はずっとお前のものだよ」
「先生……」
「あと少しだけ……」
「ん、良いよ……」
それからしばらく私の首元に口を付けていたアマナは、やっとイレミアに舐められたあたりまで舌を這わせた。
そしてアマナが他の女の痕跡を消すように私の首筋を舐めているあいだに私はようやく気付いた。
イレミアはテンパってたわけじゃない。
私は関節キスのためのグラスみたいなものだったんだな……。
アマナにとってはそうじゃないことを願うばかりだ。




