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枯れた楽しみ

──「旧マリティマム修道院」エントランス 10/03/昼下がり


「お帰りなさいませ。ヒスイ様」


 昼下がりに帰った私を初老の管理人ハズミル・エステバンが出迎えた。


 私は念の為に佐苗が寮館にいることを確認してから家路についたので、かなり時間が経ってしまっていた。


「ただいま」


「アマルティマ家の御令嬢がお待ちですよ」


 ハズミルは矍鑠(かくしゃく)とした朗らかな笑みで私に来客を告げた。


 けっこう待たせちゃったな……。寂しがってないと良いけど……。


「どのくらい待ってた?」


「ヒスイ様がご心配なさるほどの時間ではないかと」


「ん、なら良かった……」


 ハズミルとは修道院を買い取ってからの付き合いだから、それなりに長い。


 そのせいか私の心配事は見透かされてるみたいだな。


「夜はフランに言われてたアレがあるからさ」

「軽いのを用意してもらっていい?」


「かしこまりました」

「厨房に伝えておきましょう」




──「旧マリティマム修道院」客間


 アマナは客間のソファでしっとりと座っていた。


 やっぱ(さま)になるな。


 こういうのを見ると生まれが違うことを如実に感じる。


「お疲れ様です」


 でも、その口から出たのはバイト現場の後輩みたいな挨拶だった。


 会って早々"お疲れ様"だとか"おはようございます"だとか。


 なんていうか、こいつは変に仕事慣れしちゃってるんだよなあ。


 貴族なのに。


「ああ、お前こそな」


 返事をしながら私はアマナの隣に腰掛けた。


 私はアマナが持ったグラスに目を遣りながら他愛もないことを言ってみる。


「うちの管理人もこの修道院の敷地でワイン作ってるんだよ」


 結構な人数を率いて大規模にやってるらしい。


 アマナの手にあるやつはハズミルが客間に通すときに出してたようだ。


「ここで作られているものは有名ですよ」

「それにしてもハズミル・エステバンが主導していたなんて」


 そういえばハズミルがなんかの有名人だったのは聞いたことがあるな。


「そんなにすごいの?」


「著名な歴史家です」

「首都魔法学院にも籍があったような……」


「へえ、私がここを買い取ったときにはもう管理人だったんだよ」


「そうなんですね」

「昔は有識者の席で見かけることもありましたよ」


 普通のやつじゃなさそうだとは思ってたけど、そういうタイプだったのか。


「ふうん、今は隠居住まいのつもりなんかね」

「なんていうんだっけ、こういうの」

「晴れの日は畑を耕して……みたいなやつ」


「なんのことですか?」


 アマナは表情を変えずに疑問を発したが、すぐに──


「ああ、晴耕雨読ですね」


 と答えた。


「それそれ」

「やっぱ頭いいな、お前」

「私がいた世界のことまで良く知ってるもんだ」


 しかも、あのやり取りだけで私が"前いた国の四字熟語を思い出せない"ということ自体に気付けるんだから大したやつだ。


 私が着いた時点で中身はほとんど残っていなかったが、あっという間にアマナはグラスを空にした。


 昔っからだけど頭良いだけじゃなくて酒飲むのも速いな。


「こちらの世界に伝わっている知識は一通り頭に入れましたから」

「だいぶ昔に」


 アマナは得意げになることさえなく、なんてこともない顔をしていた。


 まあ、こいつにとっては本当になんてことないんだろう。


 そんなことを私が考えていると、ゆったりと客間の扉を叩く音が聞こえた。


「入れ」


「失礼いたします」

「ヒスイ様のグラスをお持ちしました」


 ハズミルは私のグラスといっしょにオリーブとアンチョビを添えたバゲットの皿をワゴンに乗せてきた。


 黄色い削りカスみたいなのがまぶしてあるけどカラスミかな……。


 まるで白ワインでも飲むかのような前菜風のつまみに私は違和感を感じた。


「おっ、ありがと」


「滅相もない」

「よろしければお注ぎいたします」


 そう言ってハズミルは卓上のワインかごを持ち、空になったアマナのグラスに淡い薄茶色の液体を注いでいく。


 ん? 薄茶色?


 私はかごの中に納められたボトルの印字を見てギョッとした。


 ボトルには"1231"と記されている。


 ハズミルのやつ……七大貴族が相手だからって張り切り過ぎだろ。


 この国は経済が豊かな一方で、フランみたいな"超長生きの金持ち老人"が多いせいで希少性の高い嗜好品の値段が異常につり上がっている。


 だからあのボトル一本でそのへんの館なら5つぐらいは買えるんだよな……。


 ハズミルがもう一脚のグラスに馬鹿高いワインを注ごうとしたところで私は口を開いた。


「一杯飲んでみてどうだった?」


「枯れた味わいで素敵でした」

「良く管理されているのが分かりますよ」


 アマナにしては気を使った物言いだったが美味いとかの評価軸じゃないみたいだな。


「おお、なんと勿体なきお言葉」

「身に余る光栄でございます」


 ふうん、あれはあれで褒め言葉なんかな。


 こんなヴィンテージものを悪くならないように保持してるだけあってハズミルは心底喜んでいる。


「あなたは私のことを覚えているかしら?」


 ハズミルが私のグラスに注ぎ終わったところでアマナが問い掛けた。


「ええ、もちろんでございますとも」

「まさか私のような一介の老人を覚えていらしたとは」


「なあ、アマナの小さいころってどんなんだった?」


「残念ながら私がアマナ様を拝見したころには」

「ヒスイ様と知己の間柄だったと思われます」


 ハズミルは相変わらず穏やかな笑顔を浮かべながら答えた。


 一方、アマナはじっとりとした目で私を見ている。


「あー、そうなんだ」

「それならそこまで昔々の話でもないのか」


 聞きたいことを聞いた私はほとんど透き通ったような薄いレンガ色の液体に口を付けてみる。


「嗅覚が過敏な私には丁度いい感じだな」


 へえ、こういう味わいだから、あの皿が出てたのか。


「それはそれは……ヒスイ様のお口にも合いまして何よりでございます」

「それでは軽食をご用意してまいります」


「ああ、私の部屋でいいから」


「承知いたしました」


 ハズミルが客間から出るあいだも私は喉を鳴らしていた。


「なかなか良いな、これ」


 私は額にすれば金塊よりも高い液体をゴクリと飲み干す。


 香りが弱くなっていて飲みやすい。


 そりゃ私も液体の色やらボトルの印字やらを視認するまで香りだけで気付かなかったわけだ。


 でもまあ……。


 そもそも目はアマナの外着姿を見るのに忙しかったし、鼻もアマナの香水を意識してたせいで他に気がいかなかったからな。


 昨日の夜も感じた、もといイレミアが言ってたローズマリーの香りが私の嗅覚を独占していた。


「委員長はどうでした?」


「んー、まあ大丈夫そうだったよ」


 サフィとアレンの話は出すかどうか迷ったけど一応は言っておこう。


「私が医務室に行く前にサフィとアレンが佐苗を送って行ったみたい」

「だから帰り際に寮館まで行って様子を見てきたよ」


「随分と過保護ですね」

「それで私を待たせていたと」


 ほら、こうなるから言いたくなかったんだ。


 だけど、どうにも私は二人が関係してくる流れが引っ掛かったので言わざるを得なかった。


「そんなに寂しかったん?」


 さっき意気地がないと言われたばっかりなので、ここは積極的な姿勢を見せてみる。


「"まあまあ"ですよ」


 アマナは少しニヤッとしながら私に視線を向けた。


 皮肉が上手いやつだね~。


 もとはと言えばアマナが言った照れ隠しの言葉を私が意地悪で返してたのに、それをこうやって打ち返してくるんだもんな。


 そんなやり取りを余所に私がもう一杯入れようとして

 ワインかごを取ろうとすると──

 アマナが両目を見開いて私を凝視していた。


 え、私なんか行儀が悪かったかな……。




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