夢じゃなかった
──「アウラミライ侯爵学園」教室棟 10/02/朝
私はいつも通り、フリサフィ、アレンテラの二人といっしょに教室棟へと足を踏み入れた。
棟内は行き交う聖女たちの声でやかましい。これもいつも通り。
だけど毎朝聞く音と違ってやたら甲高い声が混ざっている気もする。
「あっ、皆さん!」
「おはようございます」
私が唯一、頻繁に会話を交わす異世界聖女の羽塚芽衣が私たちを目にして足を止めた。
「ごきげんよう、メイ」
「芽衣ちゃん、おはよー」
「おはよう、メイ」
彼女は転生聖女にもかかわらず、そこまで礼を失することなく私たちと過ごしている稀有な存在だ。
そうはいってもパン屋の娘がなんとか身に付けた礼節といった程度だけれども。
本人いわく転生前から貴族に憧れていたのだという。
身分制がない世界でどうしてそんな憧れを持つのかしら。
出会った当初、そう思って私が発した疑問に芽衣は「私の国にないだけで、あるところには貴族の爵位がありますし、私の国にも昔はあったんですよ。それに創作物や歴史物には貴族がたくさん出てくるんです!」と熱弁していた。
彼女はその手の読み物が大好物なのだという。
私が少し前の記憶に思いを馳せていると芽衣は後ろで二つに結んだ栗色の柔らかな長髪をたなびかせて、こちらへ走り寄ってきた。
「じつはいま教室の中が大変なことになっていて……」
確かにいつもより騒がしい気がしていたわね。
「確かにいつもより騒がしい気がしてたなー」
サフィと同じ印象を抱いていたらしい。
「朝からどうしたのさ」
「いつも何かしらは揉めてる気がするけど」
「それがギマラン様をめぐって」
「1年生の派閥と2年生の派閥が言い争ってるんです……」
ギマランとは第六位の皇位継承権を持つ皇子だ。
だれにも言い寄られないアレンとは違って、なぜか聖女たちから人気がある。
というか皇子をめぐって言い争うって何を言い争うのよ。
するとアレンがすかさず教室内に半身を入れて中の様子を覗き始めていた。
一方、芽衣は説明を続けている。
「白熱しているみたいなので皆さん入らないほうがいいかと……」
「とくにアマナ様は……」
「最近この手の騒動が増えているわね」
「ここ1ヶ月くらいかなー」
「みんなピリピリしてるんだよねー」
芽衣が私を心配しているのは単純に私が闇魔法の使い手だから。
学園の聖女たちは痴話喧嘩だろうと平然と聖魔法を打ち合う。
魔法を使えない人間はもちろん、並みの魔法使いならその場にいるだけで死にかねない。
聖魔法を防ごうとしても魔法自体が掻き消されてしまう闇魔法の使い手は普通の人間とほとんど変わらない危険に身を晒すことになる。
実際に、いつも私は学園内で死にかけている気がする。
まあ、そうやすやすと死ぬ気はない。
そんなことを考えいてるとアレンが戻ってきていた。
「いやすごいね、あれ」
「20人くらいで抗争でも始めるんじゃないかって雰囲気だよ」
「イセヤ先生、今日はどうやって止めるんだろうなあ」
「最悪、力尽くで止めるんじゃないかなー」
私はサフィの言葉に調子を合わせる。
「学園はそのために歴代聖女の中で最も強い元聖女を担任にしたのだから……」
「先生にはさっさと働いてもらわないと困るわね」
聖女だなんだと言っても建国以降に召喚された聖女たちは魔物退治をさせるための駒でしかない。
後は国教会への信仰心を民衆に維持させて国威を保つためのシンボルだ。
結局、政は七大貴族とサフィの家系「イフィリオシア家」が取り仕切っていた。
それなのに、ここ数百年で聖女を召喚しすぎたことから今や宮廷内のパワーバランスが激変し、聖女たちの横暴が許されるようになってしまった。
だけど、そんな環境でも第一線で魔物を退治し続けた傑物が私たちの担任である伊勢谷翡翠だ。
「私ですら伊勢谷先生の話を知ってるくらいですし、よっぽどですよね」
色々な事情があって、ここ数十年の皇国内の事情に疎い芽衣が合いの手を入れた。
「はあ……これだと彼女が来るまで中に入れないじゃない」
「というか入りたくない」
なんなら他の貴族令嬢や子息たちも廊下に出てきてしまっている。
誰もが聖女たちの振る舞いにうんざりしているのは明らかね。
「廊下に突っ立ってるのもあれだし」
「私が止めてこようかなー」
「は?」
サフィはそう言うや否や教室の中にさっさと入っていく。
流石は真の聖女。度胸も堂に入っている。
って感心してる場合じゃない。
「ちょっと、このあいだも喧嘩に割って入って怪我しかけてたじゃない!」
結局サフィを追って私も教室に入ってしまった。
後ろで芽衣とアレンが目を見開きながら引き返すように促す仕草をくり返している。
「はーい、そこまでー!」
「もー、喧嘩するならせめてギマラン様がいるところでやればいいのにー」
サフィは教室の中央まで進んで聖女たちに語りかける。
召喚された聖女と違うといってもサフィは彼女たちと仲が良い。
私の話し相手になってくれるくらいだし、そういう意味でも彼女は真の聖女なのだ。
それもあって余計にくだらない諍いを止めたくなったのだろう。
ほっとけばいいのに……。
そのせいで私まで危険地帯に足を踏み入れてしまった。
「部外者は引っ込んでなさいよ!」
「あんたはいつもアレン様とべったりなんだから黙ってて」
「2年生がギマラン様にあることないこと吹き込んでるの!」
「それは1年がやってることでしょ!」
「誰かがギマラン様の悪い噂も流してるのよ!」
喧々諤々、言いたい放題。収集がつくことはなさそうね。
「あのねー、ギマラン様には許嫁がいるの」
「それなのに言い争っても仕方ないと思うなー!」
それは禁句。
こんなときに何言ってるのかしら、この子は。
事実ではあるけど火に油を注ぐだけなことをわかってほしかった。
ほら、聖女たちの手元や足元で魔力が輝き出してるわよ。
それに合わせて私も、いつでも全力で動けるように魔力を体に回して呪文を口ずさむ。
聖女の魔法が発動した瞬間にサフィを抱えて逃げ出さなくては。
「あんたね……」
「ギマラン様の悪い噂を流しているのは……!」
噂ではなく事実なのだけれど。
すると間髪を入れずに2年生がサフィに向かって聖魔法を打ち込んだ。
無詠唱だ。流石は聖女。
だけど魔法自体は洗練されていないし、人を殺すための魔法でもない。
サフィを庇いながら避けて逃げ出す余裕はいくらでもある。
「サフィ!」
私はサフィを抱きかかえて教室から逃げ出そうとした。
「わっ、アマナ!」
その瞬間、堰を切ったようにして1年生たちも魔法を放ち始めた。
もはやサフィを狙っているわけではない。
教室全体を覆うほどの聖魔法が1年生と2年生のあいだで飛び交っている。
だけど問題ない。避けきれる。
あれ、聖魔法の密度が上がってる。
もはや聖魔法の光が重なり過ぎて教室の出入り口すら見えなくなっている。
20人近くの聖女たちが一斉に放った聖魔法によって私の視界どころか全身が包まれつつあるのだ。
それぞれの聖女が闇雲な順番で打ち込んでいるせいで波濤のように聖魔法が押し寄せ、結果的に不可避の全体攻撃が完成してしまっていた。
私が闇魔法を応用し、限界まで伝達速度を加速させた神経が逃げ切れないことを脳に伝えている。
実際には、ほんの一瞬。
だけど体感時間は限りなく長かった。
聖魔法の弾道を見切るために使ったのだけれど意味なかったわね。
いやそんなことはないか。
私は光に包まれたまま人生最後の時間を使って抱きかかえたサフィの顔を凝視する。
むしろ人生で一番闇魔法が役立った瞬間かもしれない。
美しい……。私よりも。
アマルティマ家の命題を、そして私の宿命を果たせなかったことは心残りだけれどサフィは"真の聖女"だ。聖魔法に無防備な私が死ぬ状況でもサフィなら命を落とすことはない……はず。
だから、まあいい。
人生最後に見た光景としては悪くない。
と、ここで今朝の夢のことを思い出した。
あれって予知夢だったのね。
そして私の意識は永遠の奈落へと沈んでいく。
はずだった。