それと怖い同僚
──「アウラミライ侯爵学園」教務棟 10/03/朝
あれから少しのあいだ、私はアマナの手を握って呆然としていたが、ちらほらと聞こえ始めた"いつも通り"教室棟に入っていく生徒たちの足音で我に返った。
それと同時にアマナが口を開く。
「他にも昨日みたいなときに力を入れても大丈夫ですから」
たぶん酒場で私がこいつを抱き寄せてたときのことを言ってるんだろう。
ああいう組み付くような動きで相手を壊さないようになれるまで、相当な時間と労力をかけたからなあ。
もしそうなら飲みながら神経使わなくても良くなるからマジでうれしい。
「昨日みたいなときって?」
気が良くなった私は分かっていることをわざと聞き返す。
「……先生が私に抱き着いたりするときです」
アマナは少し逡巡してから口にした。
「お前がそうやって答えてくれるのもうれしいよ」
恥ずかしがりながらも答えてくれたアマナに私は素直な気持ちを伝えた。
対するアマナは伏し目がちになりながら微かに上目遣いで私を見詰めてくる。
……また変な雰囲気になりそうだ。
もう他の生徒たちが登校し始めてるんだけどな。
「そろそろイレミアの仕事も終わったんじゃないか?」
「だいぶ前に終わってると思いますよ」
「ところで」
「戻る前に渡しておきたい物があるんです」
私の言葉を聞いたアマナは気を取り直していつもの怜悧な表情に戻り、別の話を切り出した。
なんだ急に?
いったい何を渡されるんだ……。
アマナがまた変なことを言い出すのかと思い、私が若干不安を感じていると──
その片手には小さな指輪が握られていた。
変なことを言い出すどころじゃなかった。
しかもアマナのもう片方の手は私の手を握りっぱなしだ。
「変に動かないでくださいね」
「え、ちょっ」
いくらなんでも昨日の今日でそれは進みすぎ……!
お前のサフィへの想いはどこ行っちゃったんだよ!?
あまりの急展開っぷりに私が本気で困惑していると、アマナはスッと私の小指に指輪をはめた。
「……ん?」
小指?
「私の屋敷に入るための指輪です」
あー、焦った……。
「これを持たない人間は私が案内しない限り場所を認識することすらできません」
「ある程度は安全ですから学園で話せないときは屋敷まで直接来てください」
まあ他の意味の指輪だったとしても"私は"いいんだけどさ。
むしろそっちのがよかったんだけどなあ……。
そういえば昔、なんかの集まりでアマナの住処がとにかくすごいって学園長あたりから聞いた記憶があるな。
こういう仕掛けがある場所だったのか。
私は冷静になると同時に別のことにも考えが行き着く。
いやこれってそういう指輪じゃないにしても、私が前いた世界で言うところの"合鍵"ってやつなんじゃないのか?
これがないと屋敷に入れないんだから本当にそのまんまだ。
「お、おい」
「こんなの渡していいのかよ」
「良いも悪いも学園だと先生と私は仲が悪いってことになっているんですから」
「人目に付かないところで会ったほうが良いでしょう?」
「もし先生が言った通りなら委員長もそれで誤魔化せたわけですし」
「当面は仲が悪いということで通したほうが有利だと思いますよ」
うーん、それはそうなんだろうけどさあ。
こいつわざとやってるんじゃないだろうな。
「そういう意味じゃなくてさ」
「私みたいなやつに合鍵みたいな物」
「渡しちゃっていいの?」
「昨日も言った通り」
「先生が私に害を成す意味も理由もないはずですよ」
「それは私が一番よく分かってるよ」
話が噛み合わないな……。
これじゃまるで私のほうが恋愛しか頭にない人間みたいじゃん?
まあ、今やそれも間違ってないけどな……。
もしくはこの世界の文化だと"合鍵を渡す"ってことがそういう関係の比喩じゃないのかも。
そのあたりはひとまず置いといて、アマナの言うことに間違いないことは確かだった。
──「アウラミライ侯爵学園」医務室
イレミアの処置を受けた佐苗は穏やかな寝息を立てていた。
「流石だな」
私は率直な感想をイレミアに向かって語る。
「これくらいなら誰でもできる」
「結局、大変なのは見た目に傷が残らないように治すことだからね」
「今回は君たちが色々と手伝ってくれたおかげでそれも問題なく解決できた」
一方、イレミアは謙遜の言葉を口にした。
……謙遜だよな?
私は基本的に魔法の知識がサッパリだからそのあたりの判別が付かない。
「ああでも血は足りてないから今日は寝かせておいたほうが良いだろう」
へー、回復魔法って血は戻せないのか。
「回復魔法って血は戻せないのか?」
私は考えていたことをそのまま口に出していた。
「君、本当に何も知らないようだね……」
「だって私のクラスで怪我人って出たことなかったからさ」
「まったく呆れるくらいに優秀な担任だね」
「そしてその担任が怪我人第一号を作り出しているのだから世話ないよ」
私としたことが珍しく耳が痛い。
「まあまあそれはともかく──」
イレミアは私の続きを促す言葉を聞き終える前に講釈を始めた。
「単純な話なんだ」
「"私は"無から有を生み出すことができない」
「逆を言えば対価さえあれば作れる」
「だけど今回はそこまで血を流していないからね」
「リスクが大きい処置をしなかっただけさ」
ふーん、内蔵の出血を止めたり、折れた骨をつなげたりするよりも、血を作って入れるほうがリスクが高いのか。
あんまりピンとこないな。
「どうにもピンときてないようだね」
「それはともかく"私は"って意味ありげな言い方だな」
どうせ説明されても覚えられる気がしないから、私は別の部分に焦点を当てることにした。
「只人が扱うのであれば魔法は君がいた世界の科学と大差ないよ」
「奇跡を起こすものではなく手段のひとつにしか過ぎないという意味でもね」
そうは見えないけどな。
私にはイレミアは凡人に見えない。
でもまあ……本人が言うからにはそうなんだろう。
「お前が言うからにはそうなんだろうな」
そこで私は佐苗に視線を移しながら話を変える。
「じゃあ放課後になったら私が佐苗を寮館まで送り届けるから」
「分かった」
「話もまとまったみたいなので私はもう行きますね」
「イセヤ先生は少し遅れてから来てください」
私たちのやり取りを無言で眺めていたアマナは口を開くなり、そんなことを言ってさっさと医務室から出て行ってしまった。
あんだけベタベタしてたのに去るときはクールなもんだ。
あー、しっかし今日はドキドキさせられっぱなしだったな。
私がまるで一日を終えたかのような印象を浮かべていると……。
「ドキドキしっぱなしのところ悪いけど」
「うわっ!」
いつの間にかイレミアが私の目の前にいた。
おいおい。怪我人が寝てるのに大声出しちゃったじゃんか。
しかも"私が気付かない"って……。何したんだこいつ。
……それどころか心まで読まれてるし。
「君、その血に塗れたインバネスで教室に行く気かな?」
「あ、あぁ。確かに脱いだほうがいいよな」
「毎日医務室の白衣を回収してる洗濯業者がいるんだけど」
「ついでに渡しておこうか?」
「じゃあお言葉に甘えて……」
そう言って私が上着を脱ごうとすると、すかさずイレミアが私の懐に入りながら脱がしにかかる。
なんだなんだ。
「急になんだよ」
「どうにも今日は君の匂いが気になってね」
匂いって。
イレミアはさらに私の胸元に近付きながら言葉を続ける。
「君からはアルコールの代謝臭に混じって」
「アマナ君の匂いを感じるんだ」
イレミアの妙な言葉を聞いて、私は佐苗の死臭で犯人当てをしようとしてたことを思い出す。
そして自分のことを棚に上げてこう感じた。
犬じゃないんだからさ……。
「君ほどではなく一般的な範疇だけど」
「私も香りに敏感でね」
イレミアにはどう説明したもんかな。
隠す必要はない気がするのに、私はイレミアの圧にビビって昨晩のことを隠そうとする。
「さっき廊下でいっしょだったからじゃないか?」
「普段アマナ君は香水を付けなくてね」
「機嫌が良いときだけはローズマリーが特徴的な香水を付ける」
「君からはその匂いがするんだよね」
「しかもこの胸元から強く」
確かに学園でアマナから香水の匂いを感じたことはなかった。
昨日は機嫌が良かったのか……。
私に会うからだったりしないかな~……。
それにしてもこいつはアマナと暮らしていた時間が長いだけあって、そんな細かいことまで知ってるわけだ。
……これが嫉妬ってやつなのだろうか。
「あー、クラスの相談があるとかで昨日会ってたんだよ」
「それで胸元にアマナ君の身体が触れるような出来事があったわけだ」
こわ……。
私を凝視する目つきもなんかすごい。
思わず私が黙り込むと代わりにイレミアが喋り始める。
「まあいい」
「君ならもう分かってると思うけど」
「私の"お師匠"はああ見えて"気が多いうえに意志も弱い"んだ」
「間違っても彼女の意志に反するようなことはしないでくれたまえよ」
「きっと彼女は抵抗できないだろうから」
意志に反するようなこと……ね。
そんなこと一度もしたつもりはない。
「そんなに心配ならさあ」
「"お弟子"が年中いっしょにいてやればいいじゃんか」
「なんでアマナが入学してからずっと会わないなんてことがあるんだよ」
イレミアの物言いに反感を覚えた私は挑発的な言葉を返した。
「私からは会いにいけない事情があったのさ」
「だけど幸いなことに彼女が入学してからは素晴らしい担任教師が守ってくれていた」
「ただ、その担任がアマナ君にとって好みの女性であることが気がかりでね」
どう気がかりなんだよ。
こいつはアマナの何なんだろう?
「あのさ」
「今朝から私は慣れないことやって気が滅入ってるから」
「ここはもう単刀直入に聞くぜ?」
「私がアマナの好みだったらなんだって言うんだ?」
「お前はアマナの何なんだ?」
「彼女はまだ子どもなんだ」
「親愛と性愛の区別も付かないほどに幼い」
「そんな子が君のような好みで尚且つ都合が良い女と親密になったらどうなる?」
「そして──
私と"アマナ様"の関係性を君が知る必要はない」
なんだこいつ。言いたい放題だな。
しかも弟子のくせに、そこはかとなくアマナにも失礼だ。
自分のことはともかく、私はこれでもアマナのことをすごいやつだと尊敬しているので余計に腹が立ってくる。
だが……それと同じようにイレミアもそうなんだろう。
アマナにお子さまの面があるのは事実だから言いたくなくても言わざるを得ないんだろう。
イレミア自身が崇拝している相手の幼い部分を。
だって"アマナ様"てお前……。
「私が悪いとは言わないが」
「お前の心情もわからないでもないよ」
「色々と歯痒い半年間だったんだろうな」
「……同情を買う気はなかったのだけどね」
「安心しろって」
「サフィとのことは見届けるつもりだよ」
私の理性が持つ限りは。
でも正直さっきの廊下でのやり取りからして、あんなことが何度も続けば自信はない。
イレミアが心配してるのは理性が持たなくなるからってことなんだろう。
ん?
そういう心配の仕方をするってつまりさあ……。
「君のことは信頼も信用もしているが」
「そんなものはなんの役にも立たないんだ」
「あの子の前では」
うーん、ふれたくないな……。
イレミアもアマナと疎遠になった今となっては……よりにもよって私にふれてほしくないはずだ。
流石に聞かないでおくか。
私も聞きたくないし……。
「肝に銘じておくよ」
「それか自分の師匠を止めるのを気が咎めるなら」
「お前が私を止めてくれたらいいんだからさ」
「……確かにそうだ」
「ぜひともそうさせてもらうよ」
「不躾な物言いになってすまなかった……」
「さっきも君たちが廊下でベタベタしていたときには気が狂いそうだったものでね」
あれって聞こえてたのか……。
私は羞恥心って概念を人生で初めて身に覚えた気がした。
「最初から聞こえてたなら私の匂いを嗅ぐ必要はなかっただろ……」
アマナが部屋を出た後、イレミアの第一声が私の心情を当てていたのは単純に廊下での会話がバレていたからだった。




