真の聖女と九男の皇子
──「アウラミライ侯爵学園」前庭 10/02/朝
私が通うアウラミライ侯爵学園は寝起きしている邸宅から歩いてそう遠くないのだけれど私はどんなときでも馬車に乗って通わなければならない。
貴族令嬢という出自は、ありとあらゆる行動に品性と箔付けを要求する。
自分の足と魔法を使えば、ほんの僅かな時間で着くのに時間がもったいないわ……。
「アマナー、おはよう」
馬車から降りた瞬間に声をかけられた。
声の主は額の中央でふたつに分けた長い金髪、朝日を受けて透き通った碧眼、そして凛とした目鼻立ちを持つ女子生徒。
まるで異世界聖女ではないかのような外見と由緒正しき血統を持つ聖女。それらは彼女が初代皇帝による建国以前から続く聖女の血脈を保った「真の聖女」であることを意味していた。
いまの時代で"真の聖女"を認識しているのは私の家系を含む七大貴族と宮廷、そして僅かな知識人や歴史家くらいのものだけれど……。
「ごきげんよう。フリサフィ」
「今日も朝から気難しい顔してるねー」
「嫌な夢を見たのよ」
「どんな夢?」
「異世界聖女の派閥争いに巻き込まれて死ぬ夢」
「そんな面白そうな夢なのに」
「なんで気難しい顔してるのかな」
"面白くない夢だから"と私が答えるまでもなく……。
サフィは口元を押さえて笑い声を漏らしていた。
「相変わらず良い性格してるわね」
「そりゃそうだよー」
「こんなに晴れてて気持ちが良いんだから」
「あっ、ごめん」
「アマナは気持ち良くない朝なんだっけ」
本当に性格が良い女子だこと。
サフィの家系は伝説によれば皇国暦が打ち立てられる遥か以前から続いている。
つまり私よりも貴い血筋、あるいは血統原理主義者からしたら現在の皇族よりも貴重な血を保っているのだ。
なのに彼女は随分と俗っぽいどころか貴族ではなくパン屋の娘みたいな言動と立ち振舞いを見せている。
まあ、それもそのはず。
サフィは"大多数の民衆が認識している聖女たち"と仲が良くて彼女たちからの影響を大いに受けている。
どうやら大半の"聖女たち"の出身地には身分制度がないらしく誰もがパン屋の娘のように振る舞っているのだという。
「またなんか別のこと考えてるでしょ」
「人と喋ってるのに」
「別に、あなたについて深く考えていただけよ」
「あ、新手のツンデレ……!」
サフィは顔を赤くしながら訳のわからない言葉を口にした。
「ツンデレって何よ」
「このあいだ芽衣に教えてもらったんだけど」
「好きな人にツンツンした態度を取る人のことらしいよ?」
「じゃあ私には当てはまらないわね」
「あなたのこと好きじゃないもの」
私は自分の顔が緩まないように気を引き締めながら言い返した。
「え~、アマナが学園内でまともに喋る女子って私くらいじゃないのかな」
「そんな相手を好きと言わずになんて言うのかな」
鬱陶しい……。
あんまりそういうことは言わないでほしい。
「んふふ、アマナは血統主義者だからね」
いつも聞く声が背後から耳に届く。
「異世界聖女と喋らずに」
「こっちの世界の貴族とばかりつるんでる」
「でもこの学園の生徒は9割が異世界聖女だから結果的にボッチ生活に陥っているのさ」
ボッチって何。
「ごきげんよう、アレンテラ様」
私は略式ながら礼節を保った態度と所作で声の主に答えた。
「だからアレンでいいって」
「どうせ僕、九男だし」
「いえ、皇位継承権がどうであろうと」
「あなたがトリスティアの皇子であることには変わりありません」
「じゃあ皇子として命令する」
「僕のことはアレンと呼ぶように」
「承知しました。アレン」
「敬語もいらないって……はは」
徹頭徹尾、畏まった態度の私に苦笑するアレン。
このやり取りは毎朝やっている挨拶みたいなものだ。
最初は本気で畏まっていたが入学後の数日にわたって続けるうちに、アレンが妙にうれしそうな表情をするようになったので今ではわざとやるようにしている。
普段は王宮でも学園でも九男として扱われているから位が高い人間であることを自覚できるのが嬉しいのかもしれない。
「それで?」
「なんの話してたのさ」
「アマナが私のことを好きって話」
「なにそれ」
「でも僕らも学園に入ってからもう半年たってるわけだし」
「そろそろ色恋沙汰があってもいいよなぁ」
「やっぱり九男だから僕は人気ないのかな……」
鬱陶しい……。なんだその落ち込み方は。
アレンの見た目はかなり良い。
この私の審美眼をもってしても学園の中で5本指には入ると思う。
首筋を少し隠す青髪、すらりとした四肢、外側に垂れた眉尻、美しい薄水色の瞳。
だけど、なぜか浮ついた話は聞かないのよね。
もちろん学園の9割が聖女である以上、女子は絶対に余る。
逆に言えば男子というだけで本来は引く手あまたというわけだ。
それにわざと私が畏まっているだけで宮廷慣れしている"いまの聖女たち"は相手が皇子であろうと気後れしないし、大して遠慮もしない。
そんな聖女の振る舞いにつられて歴史が浅い貴族連中さえも今や皇族に無遠慮なのだ。
アレンが軽んじられる根本的な原因は"九男だから"なんていう理由ではない。
そもそも皇位継承者全体が"いまの聖女たち"に軽んじられている。
「異世界聖女たちが傲慢なだけよ」
「外見は良いのだからアレンが不人気なんてことは本来ありえないわ」
「また新手のツンデレだ」
「相変わらず恥ずかしいことを平然と言ってくれるね、アマナは」
アレンは私たちに話しかけてから色々な種類の苦笑いを浮かべている。
別におだてたつもりはないのだけれど。
「もー、アマナは聖女が傲慢って言いたいだけなんでしょ」
「だからアレンは勘違いしちゃダメだよー」
「顔が良いのは私も事実だと思うけど」
「外見以外の良さも教えてほしいな……」
「うーん、それは……」
「なんで黙っちゃうのさ……」
「そんなに魅力ないのかな、僕」
そんな話をしているうちに教室棟の前に到着していた
このときには、今朝の夢のことなんてすっかり忘れていた。