満天の星
────「ヘルメス皇国首都」冒険者酒場 10/02/夜
席に戻った私を一瞥して、伊勢谷先生は開口一番こんなことを言った。
「お前は自分にも他人にも嘘ばっかりついてるんだな」
「急に何?」
「いや別に」
「なんでもないよ」
先生は誰もいない中空に視線を漂わせながらつぶやく。
「私はもう帰るわ」
「御者を待たせてあるの」
「こんな寒空の下で?」
「どこかで暖を取っても良いと言ってあるわ」
そう言いながら私が懐に手を入れると、先生が口を開いた。
「もう済ませた」
こういうところは意外と紳士ね……。
「それでは、この埋め合わせはまたいつか」
「待てよ」
先生は、酒場を出ようとする私の手を掴んだ。
「行きたいところがあるんだ」
「私も乗せてけ」
────「ヘルメス皇国首都」郊外
先生は行き先を御者に告げ、馬車に乗り込んでからほとんど口を開かなかった。
私も酔いから来る眠気に抗うことなく黙り込み、ぼんやりと窓の外を眺め続けている。
それからある程度の時間が経ち、馬車は郊外の道をたどり始めた。
そして、秋の収穫期を迎えた大規模な農園を尻目に、馬車は丘陵地帯に入り、「オリーブの丘」とも呼ばれる小高い丘で御者が馬を止めた。
「こんなところに何の用なの?」
先生は何も答えずに馬車を降りる。
つられて私も馬車を降りようとすると──
「あっ」
乗り降り口にかけた足を先生が下からすくい上げ、私はまたもや抱きかかえられてしまっていた。
「……離しなさいよ」
「やだね」
そのまま先生は馬車から離れて丘をのぼるように歩みを進める。
一歩ごとに、私は今日先生と話したことを思い返していた。
「ここはさ」
「私がこの世界に来てから、初めて誰かに連れてきてもらった場所なんだよ」
少ししてから先生は短く語った。
「それって、誰?」
なぜかそんなことが気になった。
「勇者」
聖女として現役だったころ、先生は勇者パーティの一員だった。
それを聞いたのも、今となっては遠い昔のことだ。
「ああ、そう……」
私は少し落胆した声を漏らす。
「そう悄気るなよ」
「私はアイツと何もなかったぜ?」
私の様子を察した先生が肩をすくめながら軽口を叩いた。
「見ろよ」
そう言って先生は視線を夜空に向かわせる。
私は素直に従って空を見上げた。
「綺麗だろ」
そこには首都の街中からは見えない星々が輝いていた。
私はこの人の瞳に僅かな輝きしか見出すことができなかった。
だとしてもこの人は、こんなにも光り輝く夜空をその目に映していたのだ。
「お前たち生徒は、私にとってこういうものなんだよ」
「……良くそんな恥ずかしいことが言えますね」
先生は、ゆっくりと私を地面におろしながら言葉を続ける。
「別にいいだろ?」
そして彼女は左手で、私の右手を取る。
「だから今、私のクラスで誰かが何かをしているっていうんなら私が止める」
「悪かったよ。この半年間、お前に何もしてやれなくて」
違う。この人は担任教師として最善を尽くしてくれていた。
彼女ほどの人間が最善を尽くしていても、こんなことになってしまっているのだ。
それだけ相手の手練手管は根が深い。
「もちろん、お前が勝手に死にに行くのも止める」
「まあ、つねに死のうとしてるわけじゃないのはわかってるよ」
どうでもいい聖女たちにやすやすと殺されるつもりはない。
「そもそもお前が最初からもっと生きようとしてくれてたら」
「全部ラクだったんだけどな」
「それは難しい相談です」
先生は呆れたような表情になって言葉を紡ぐ。
「お前に生きてほしいんだよ。担任と生徒とか関係なく」
「私がお前をただの生徒じゃないと思ってるのは、もう分かるだろ?」
「じゃあ、どんな生徒なんですか?」
私は夜空を映した先生の瞳を見つめながら聞き返した。
「あれだよ」
先生は、満天の星に囲まれても、なお煌々と光り輝く満月を指差した。




