孤高の人
────「ヘルメス皇国首都」冒険者酒場 10/02/夜
「だから嬉しいよ」
「お前みたいなやつがいっしょに飲んでくれて」
「そんなこと聞いてくれて」
「それで私の生徒で」
「しかも"お前みたいなやつなのに"私に相談してくれるなんてさ」
「担任として至れり尽くせり、でしょ?」
「あぁ、最高の時間だよ」
この人はこれまでにどんな人生を歩んできたのだろう。
"孤高"だったのだろうか。
つねに皇国の話題の中心には、この人の活躍があった。
伊勢谷翡翠が持つ数多くの伝説はどれも虚偽や誇張ではないのだ。
私は6杯目の葡萄酒に満ちたゴブレットを飲み干しながら、好奇心に満ちた彼女の顔を蕩けた瞳で見つめる。
「おいおい、随分と眠そうじゃんか」
「もっと飲んでシャキっとしろよ」
そう言って先生は私のゴブレットにお酒をなみなみと注ぐ。
担任教師のやることか?
これが?
そもそも私はまだ潰れはしない。
だから注がれた分を一気に飲み干していく。
「おっ、やるじゃん」
「そういうところもお貴族様の令嬢とは思えないよな、お前」
それに合わせて先生も、ジョッキの中身を飲み干す。
別に飲めとは言ってないのに……。
「さっき、先生が現役のときに云々という話がありましたけど」
「それこそ"お姉様"と誰かに慕われることもあったのでは?」
「いやー、なかったかなあ」
「なんかみんなビビっちゃってさ~」
私みたいな物怖じしない人間は稀有なのだろうか。
「私みたいな不遜な女はいなかったのですか」
「自分で不遜って言うなよ」
伊勢谷先生はケラケラ笑っている。
どうやらツボにハマったらしい。
「お前はさ、不遜どころか命知らずだよ」
「だってちゃんと私のヤバさをわかったうえで喧嘩売ってるんだもんな」
「負ける気がしません」
「お前なあ、私がいつも演習で見せてるのが本気だと思ってんのか?」
「あなたの全盛期の活躍は昔から聞いてますよ」
「全盛期……ね」
この人にしては珍しい、含みのある言い方だ。
「この距離でも、戦れんのかい?」
そう言いながら卓越しに座っていた先生が私の右隣まで歩いてきた。
「もちろん──
いつ如何なるとき、どんな距離でも」
私が答えると先生は私の肩に手をまわしながら隣に座った。
馴れ馴れしい……。
「これでも、戦れんの?」
「余裕です。私を殴ろうとした瞬間にあなたは即死します」
「おいおい、なんだそりゃ」
また先生がケラケラと笑い始めた。
この人は笑い上戸なのだろうか。
だけど私の肩に回した手の力が緩むことはない。
だから先生が笑うのに合わせて私の視線もガクンガクンと上下する。
「先生、あの」
「なんだい?」
「離してもらえませんか?」
「なんでだよ。別にいいだろ」
「それとも、もう座ってらんないくらい酔っ払ってるのか?」
先生は意地の悪い笑みを浮かべながら私に問いかける。
そういうことじゃない……。
まあいいや。そういうことにしておこうかしら。
だけど私はそういうことを言われたら"そういうことにしておけない性質"なのだ。
私は俄然、力を入れ直してゴブレットに手を伸ばす。
すると先生も空いていた右手でジョッキを持ち、私のほうに向いて手を伸ばす。
そのまま私がゴブレットを持っていた右手の内側に、彼女が右手の内側をすべりこませる。
そしてガッチリと交差するように私の右手と先生の右手が組む形にされてしまっていた。
なにこれ?
さらに先生は私のほうへと顔を近付け、ジョッキを一気に口元へ運ぶ!
「ほら、お前も飲めよ」
仕方がないので私も先生の動きを真似るようにして顔を動かし、ゴブレットを一気に口元へと運ぶ!
お互いにゴクゴクと喉を鳴らしながら、すべての液体を飲み干し終えると、ようやく先生の腕の力が緩くなった。
こ、これは……異世界の飲み方?
まるで意味がわからないわ。
「ぷはーっ!」
「一回生徒とやってみたかったんだよな~!」
なんなのだこの人は。
「なんなのこの人……」
「おいおい、まだ夜は始まったばかりだぜ?」
「つぎはお前もビール飲めよ。ワインばっかりじゃキツイだろ~」
「いっしょに同じ酒飲みたいんだよ」
そう言って先生は私の分のジョッキまで頼み始めた。
酒場に来た時間が早かったせいで、この人の言う通り本当にまだ夜は更けていなかった。




