高潔な元聖女
────「ヘルメス皇国首都」冒険者酒場 10/02/夜
ここに来る前、芽衣は私に問いかけた。
"どうして元の世界で貴族や王族だった人間が聖女として召喚されることがないのか"と。
私は答えなかったのだけれど、きっと召喚されても"なかったこと"にされるのだろう。
どこまでが"なかったこと"になるのかはわからない。
元の身分を"なかったこと"にするのを条件に生きるのが許されるのであれば重畳。
悪い場合は召喚自体が"なかったこと"にされるのかもしれない。
つまり無理やりこの世界に連れて来られたうえで消される。
最悪の末路だ。
これは向こうの世界で身分が群を抜いている者の召喚に関する話だ。
では、精神性が群を抜いている者は?
私は芽衣がそうだと思っている。
彼女は元の世界にいたときから異常であり、この世界でも類まれな人間だ。
では、肉体性が群を抜いている者は?
それはいま私の目の前にいる人、伊勢谷翡翠だ。
この人は召喚されたから強くなったのではない。
元の世界にいたころから無類の強さを誇っていた。
「ところであなたはタイムリープって聞いたことある?」
「あー、さっきも言ってたお前が死んで蘇る話か」
「なんか昔、弟が言ってたような……」
この人、元の世界には弟がいたのね。
「死んだ瞬間に時間が巻き戻るから大丈夫なんだってな」
そんな簡単に時間が巻き戻ったら苦労しないわよ……。
このあたりは学園長、もしくは首都魔法学院の学部長レベルに聞かないと、どうしようもなさそうね。
「私の場合はつぎに死んだら生き返る保証はないわ」
「じゃあ私は夢だった説を推すけどな」
「それも一理あるのよ」
「どちらにせよ、私がいま生きていることは奇跡に近いの」
「そうかあ?」
「お前なら本気出せば楽勝なんじゃないのか?」
……それは否めない。
だけど私は、わざと反対の答えを返す。
「そんなことはないから」
「いまここにいるの」
私の反論を聞かずに、先生は言葉を続ける。
「何してきてるかわからない敵を見つけて、倒す」
「それだけのことなら私や他の生徒たちはともかく」
「大戦の英雄として"皇国の魔女"と謳われていたお前なら」
「本当はどうとでもできるんじゃないのか?」
「……その話はやめて」
「そうか、悪かったな」
伊勢谷先生は今日初めて神妙な顔をした。
「でもなんで手を抜いてんだよ。なんか理由があるのか?」
「それとも……」
先生は急に意地の悪い顔つきになっていく。
「やっぱ恋煩いでもしてるのか? ん?」
「じゃなきゃお前がそんな不用意に隙を晒すとは思えないもんな~」
「してたらどうだって言うのよ?」
相当、酔いが回ってきたようだ。
私は居住まいも崩れてきて机のうえにうなだれるような姿勢になっている。
ちなみに目の前の担任教師は酔っているからこんな調子だというわけではない。
シラフと大差ないのだ。
「やっぱりか~」
「片思いは辛いよな」
「アレンってかっこいいもんな~」
腕っぷしは良くても人を見る目は節穴のようね……。
「やっぱアレか?」
「サフィとアレンとで三角関係なのか~?」
「そんなわけないでしょ!」
「おいおい怒るなって」
伊勢谷先生はニヤつきながら私を宥める。
「アレンだけはあり得ないわ」
私は5杯目のお酒を注ぎながらつぶやく。
「ふん、じゃあサフィのことが好きなのか」
もしかしてこの人は鎌をかけたのか?
この暴力教師が駆け引きと無縁だと思っていた私の目が節穴だったようね……。
「そんなわけないでしょ……」
「脈なしではないんだろ?」
「私が現役だったときもさ、いくらでもいたもんだよ」
「お姉様だのなんだのって連中がさ」
「サフィのどこが良いんだ?」
「わからないわよ」
すると、彼女の気配が急に近くなった。
「へぇ……お前でもわからないことがあるんだな」
ふと視線を先生のほうに移すと随分と近い距離で目が合った。
彼女は爛々と目を輝かせて私の顔を覗き込んでいる。
「私もわかんないんだよなあ」
「なんでお前がサフィのこと気にかけてるのか」
"アマナ様は救世主がお好きなんですか?"という芽衣の問い掛けが脳内で反芻する。
どんな好みなのだ、それは。
「先生はどんな人が好きなんですか?」
私は6杯目の葡萄酒を注ぎながら問いかける。
「え、私?」
「私か~。あんまり考えたこともないな」
「自分よりも強いやつ、とか?」
「なんでそんな曖昧なんですか」
「いやー、聞かれたことないからさ」
「前の世界でも」
まあ確かに、この人にそんなことを聞く人間はいないのかもしれない。
それにしても気になる言い回しだった。
この人は“元の世界”ではなく“前の世界”と言うのか……。
「だから嬉しいよ」
「お前みたいなやつがいっしょに飲んでくれて」
「そんなこと聞いてくれて」
「それで私の生徒で」
「しかも"お前みたいなやつなのに"私に相談してくれるなんてさ」
「担任として至れり尽くせり、でしょ?」
「あぁ、最高の時間だよ」
嫌味のつもりだったのに笑顔で返されてしまった。
やっぱり嫌味も何も通用しない、この人は"高潔"だ。
いまや聖女でなくても。
だからこそ真に"高潔"な人なんだ。